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第7章 夏の思い出作り
第99話「夏の午後 ― 勉強よりも近い距離」
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――蝉の声が、陽炎の向こうでゆらゆらと響いていた。
午後四時。
空気はまだ熱を含んでいるのに、部屋の中は不思議と静かだった。
扇風機がリズミカルに首を振り、真白の髪をかすかに揺らしている。
さっきまで食べたアイスの冷たさは、もう遠い記憶のようで、代わりにほんのり甘い香りだけが空気に残っていた。
「……そろそろ続き、やろっか」
真白が言う。
その声が柔らかくて、少し眠気を誘う。
「おう」
返事をしながらも、頭のどこかはまだ“休憩モード”のままだった。
椅子に座り直すと、真白も向かいに腰を下ろす。
机の上には、さっきまでの勉強の痕跡――ノート、赤ペン、二人分の飲みかけのアイスカップ。
どれも小さな日常の一部なのに、不思議と愛おしく見えた。
「蒼真君、次はこのページね。ここ、ちょっと引っかかったでしょ?」
「……バレてる」
「ふふ、分かるよ。蒼真君、分からないとこだけ文字が濃くなるから」
「観察力高いな」
「伊達に毎日一緒にいるわけじゃないもん」
笑いながら、真白は自分のノートをこちらに滑らせた。
几帳面な字が整然と並び、色分けまで完璧。
それに比べて俺のノートは……お世辞にも見やすいとは言えない。
「ね、こうやって整理すると覚えやすいんだよ」
真白が、ペンを持つ俺の手の上からそっと重ねる。
体温が指先に伝わり、心臓がドクンと鳴った。
「……な、なに?」
「この線を、こう――って教えてるだけ」
「お、おう」
とは言いつつ、彼女の指がほんの一瞬、手の甲をなぞる。
その触れ方があまりに自然で、反応が遅れる。
「……蒼真君?」
「い、いや! 理解してた、たぶん!」
「“たぶん”って言っちゃったよこの人」
「し、集中してるって!」
「ふふっ、もう……可愛いんだから」
笑う声が、真夏の午後の空気に溶けた。
窓の外では、木陰に風が吹き抜けていた。
遠くの公園から子どもの声が聞こえる。
どこかで風鈴が鳴って、まるで時間がゆるやかに流れているようだった。
そんな中、真白の横顔を盗み見て、思わず息を呑んだ。
光に照らされたまつ毛が長くて、汗に濡れた首筋がほんのり光っている。
眉の動きや唇のわずかな弧――ひとつひとつがやけに美しく見えた。
「……蒼真君?」
「っ!」
「また見てたでしょ?」
「み、見てない!」
「ふふっ、バレバレだよ?」
真白が頬杖をついて、少しだけ顔を近づける。
距離が、近い。
息が混ざるほどの距離で、彼女の瞳がこちらを覗き込む。
その透明な瞳の中に、自分が映っているのが分かる。
「……集中力、ゼロ点だね」
「いや……真白が邪魔してくるんだよ」
「なにそれ。私のせい?」
「半分くらいは」
「ふふ、じゃあ責任取って教えてあげる」
そう言って、真白は机に身を乗り出した。
その拍子に、ブラウスの胸元がふわりと揺れる。
目のやり場に困り、慌ててノートに視線を戻した。
「ほら、ここの数式、途中の展開を忘れてるの」
「お、おう……」
「この“x”を移項して、符号を変えるの」
「……移項、符号、うん」
内容なんて頭に入ってこない。
真白の指先がペンを持つ手を導くたび、心臓が爆発しそうになる。
ふいに、真白のノートが机の端から滑り落ちた。
「わっ――!」
反射的に手を伸ばす。
そして――同時に真白も動いた。
結果、二人の手が重なり、そのまま顔が近づく。
距離、わずか十センチ。
互いの瞳が、まっすぐに交わる。
呼吸が止まった。
風の音すら、どこか遠くへ消えていく。
「……ありがと」
真白が囁くように言った。
ほんの一瞬だけ、彼女の指が俺の指をぎゅっと握る。
その感触が熱くて、頭が真っ白になった。
「い、いや、全然……!」
「ふふ、顔、真っ赤だよ?」
「そ、それは……!」
「暑いせい?」
「……そう、暑いせい」
「うそつき」
真白が、少しだけいたずらっぽく笑った。
その笑顔を見た瞬間、また心臓が跳ねた。
時間がゆっくり流れていく。
外の光が夕焼け色に変わり、部屋の影が長く伸びていく。
真白がノートを閉じ、息をついた。
「……ねえ、蒼真君」
「ん?」
「今日、なんか“勉強会”って感じじゃなかったね」
「確かに。どっちかというと……」
「デート、かな?」
「……お前の口からそれ出るとは思わなかった」
「えへへ、違う? “勉強デート”ってやつ」
「言葉が新しいな」
「ね、いいでしょ? 私、こういうの好き」
彼女が言葉を終えた瞬間、
外から風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。
真白の髪がその風に乗って頬にかかる。
思わず、その一房を指でそっと払った。
「……ありがとう」
「いや、つい」
「でも、優しいね」
その言葉が柔らかく響いて、胸の奥がじんわり温かくなった。
帰り際。
玄関の前でサンダルを履く真白が、振り向く。
夕暮れの光が頬を照らし、オレンジ色に染めていた。
「ねえ、また来てもいい?」
「もちろん」
「次は……ちゃんと教えてもらう番ね」
「いや、こっちが教わる側だろ」
「ふふ、じゃあお互い先生ってことで」
そして、軽く笑いながら付け加える。
「……“恋愛”も、勉強になるかもね」
「なっ――」
「冗談だよ。じゃあね、蒼真君」
真白が小さく手を振り、階段を下りていく。
その後ろ姿が夕陽の中に溶けていった。
扉を閉めたあとも、心臓の鼓動がしばらく収まらなかった。
机の上には、まだ温もりの残るペンとノート。
そのすべてが、今日という日の証のように思えた。
――この夏は、ただの“季節”じゃない。
確かに、ふたりの距離を近づけていく時間だ。
午後四時。
空気はまだ熱を含んでいるのに、部屋の中は不思議と静かだった。
扇風機がリズミカルに首を振り、真白の髪をかすかに揺らしている。
さっきまで食べたアイスの冷たさは、もう遠い記憶のようで、代わりにほんのり甘い香りだけが空気に残っていた。
「……そろそろ続き、やろっか」
真白が言う。
その声が柔らかくて、少し眠気を誘う。
「おう」
返事をしながらも、頭のどこかはまだ“休憩モード”のままだった。
椅子に座り直すと、真白も向かいに腰を下ろす。
机の上には、さっきまでの勉強の痕跡――ノート、赤ペン、二人分の飲みかけのアイスカップ。
どれも小さな日常の一部なのに、不思議と愛おしく見えた。
「蒼真君、次はこのページね。ここ、ちょっと引っかかったでしょ?」
「……バレてる」
「ふふ、分かるよ。蒼真君、分からないとこだけ文字が濃くなるから」
「観察力高いな」
「伊達に毎日一緒にいるわけじゃないもん」
笑いながら、真白は自分のノートをこちらに滑らせた。
几帳面な字が整然と並び、色分けまで完璧。
それに比べて俺のノートは……お世辞にも見やすいとは言えない。
「ね、こうやって整理すると覚えやすいんだよ」
真白が、ペンを持つ俺の手の上からそっと重ねる。
体温が指先に伝わり、心臓がドクンと鳴った。
「……な、なに?」
「この線を、こう――って教えてるだけ」
「お、おう」
とは言いつつ、彼女の指がほんの一瞬、手の甲をなぞる。
その触れ方があまりに自然で、反応が遅れる。
「……蒼真君?」
「い、いや! 理解してた、たぶん!」
「“たぶん”って言っちゃったよこの人」
「し、集中してるって!」
「ふふっ、もう……可愛いんだから」
笑う声が、真夏の午後の空気に溶けた。
窓の外では、木陰に風が吹き抜けていた。
遠くの公園から子どもの声が聞こえる。
どこかで風鈴が鳴って、まるで時間がゆるやかに流れているようだった。
そんな中、真白の横顔を盗み見て、思わず息を呑んだ。
光に照らされたまつ毛が長くて、汗に濡れた首筋がほんのり光っている。
眉の動きや唇のわずかな弧――ひとつひとつがやけに美しく見えた。
「……蒼真君?」
「っ!」
「また見てたでしょ?」
「み、見てない!」
「ふふっ、バレバレだよ?」
真白が頬杖をついて、少しだけ顔を近づける。
距離が、近い。
息が混ざるほどの距離で、彼女の瞳がこちらを覗き込む。
その透明な瞳の中に、自分が映っているのが分かる。
「……集中力、ゼロ点だね」
「いや……真白が邪魔してくるんだよ」
「なにそれ。私のせい?」
「半分くらいは」
「ふふ、じゃあ責任取って教えてあげる」
そう言って、真白は机に身を乗り出した。
その拍子に、ブラウスの胸元がふわりと揺れる。
目のやり場に困り、慌ててノートに視線を戻した。
「ほら、ここの数式、途中の展開を忘れてるの」
「お、おう……」
「この“x”を移項して、符号を変えるの」
「……移項、符号、うん」
内容なんて頭に入ってこない。
真白の指先がペンを持つ手を導くたび、心臓が爆発しそうになる。
ふいに、真白のノートが机の端から滑り落ちた。
「わっ――!」
反射的に手を伸ばす。
そして――同時に真白も動いた。
結果、二人の手が重なり、そのまま顔が近づく。
距離、わずか十センチ。
互いの瞳が、まっすぐに交わる。
呼吸が止まった。
風の音すら、どこか遠くへ消えていく。
「……ありがと」
真白が囁くように言った。
ほんの一瞬だけ、彼女の指が俺の指をぎゅっと握る。
その感触が熱くて、頭が真っ白になった。
「い、いや、全然……!」
「ふふ、顔、真っ赤だよ?」
「そ、それは……!」
「暑いせい?」
「……そう、暑いせい」
「うそつき」
真白が、少しだけいたずらっぽく笑った。
その笑顔を見た瞬間、また心臓が跳ねた。
時間がゆっくり流れていく。
外の光が夕焼け色に変わり、部屋の影が長く伸びていく。
真白がノートを閉じ、息をついた。
「……ねえ、蒼真君」
「ん?」
「今日、なんか“勉強会”って感じじゃなかったね」
「確かに。どっちかというと……」
「デート、かな?」
「……お前の口からそれ出るとは思わなかった」
「えへへ、違う? “勉強デート”ってやつ」
「言葉が新しいな」
「ね、いいでしょ? 私、こういうの好き」
彼女が言葉を終えた瞬間、
外から風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。
真白の髪がその風に乗って頬にかかる。
思わず、その一房を指でそっと払った。
「……ありがとう」
「いや、つい」
「でも、優しいね」
その言葉が柔らかく響いて、胸の奥がじんわり温かくなった。
帰り際。
玄関の前でサンダルを履く真白が、振り向く。
夕暮れの光が頬を照らし、オレンジ色に染めていた。
「ねえ、また来てもいい?」
「もちろん」
「次は……ちゃんと教えてもらう番ね」
「いや、こっちが教わる側だろ」
「ふふ、じゃあお互い先生ってことで」
そして、軽く笑いながら付け加える。
「……“恋愛”も、勉強になるかもね」
「なっ――」
「冗談だよ。じゃあね、蒼真君」
真白が小さく手を振り、階段を下りていく。
その後ろ姿が夕陽の中に溶けていった。
扉を閉めたあとも、心臓の鼓動がしばらく収まらなかった。
机の上には、まだ温もりの残るペンとノート。
そのすべてが、今日という日の証のように思えた。
――この夏は、ただの“季節”じゃない。
確かに、ふたりの距離を近づけていく時間だ。
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