黒山羊と花の乙女

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1.花と種

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 暖かな春の宵、ほんの微かに、甘い香りが漂っている。
 ユールは鼻先をひくひくさせる。訓練後の空きっ腹に、じんわり沁みてくる。シャツを勢いよく脱いで、角にひっかかるのがもどかしく、首を振った。

 ユールは黒山羊族だ。成人を迎えて丸一年、癖のある黒髪から飛び出た尖り耳の上には、立派な双角が生えている。
 蜂蜜色の垂れ目の顔は、まだどこか少年らしい。しかし、傭兵稼業の彼の身体は筋肉質で、傷だらけだ。
 彼は、上半身は人族系だが、腰から下は硬い毛皮で覆われている。尾を持ち、強靭な脚の先は二股に割れた蹄になっている。山羊族の中でも「牧神型」と呼ばれる形態だった。

 新しいシャツをかぶって、ズボンの土埃を払い、ユールは更衣室を出た。
 花の香りを辿れば、救護室に来ていた。ドアを開けると、一気に香りが強くなった。

 白いエプロンをかけた少女、看護助手のリファリールが、彼を出迎えた。

「ユールさん、どうしましたか?」

 小柄な彼女の背は、ユールの胸元にも届かない。人族に似ているが、肌が淡く緑がかっている。
 頭の両側のくるりと巻いた角と、白い産毛に覆われた耳は獣族のもののようだが、新芽のように瑞々しい緑の髪の、右耳のそばには蕾がひとつ。飾りではなく、髪にしっかりと根付いている。丸く膨らんで、すこし綻びつつある。
 ユールは思わず生唾を飲み込んだ。
 リファリールが思い切り首を上向けて自分を見ているのに気がついて答える。

「訓練で、腹、防御魔法ガード失敗してぶつけちゃってさ。大したことないんだけど」
「見ますね」

 リファリールはユールに椅子を勧めると、迷うことなく彼のシャツをめくった。その華奢な手に触れられたユールの方が、内心動揺する。
 腹部が幅広く鞭で打たれたように青痣になっているのを見て、リファリールは悲しげな顔をした。

「痛そう。すぐ治します」
「うん、お願い」

 痣に添えられたリファリールの手から、魔力が流れ込んでくる。身体の活性を上げて治癒を早める術式だ。
 火照ってむず痒いのをしばらく我慢すると、ずきずきした痛みは引いていった。
 ユールは、目を閉じて集中しているリファリールを見つめる。一生懸命になってくれるのが嬉しくて、いつまでも見ていたくなるが、あまり魔力を使わせるのも悪い。

「リファちゃん、もういいよ。ありがと」
「痛くなくなりましたか?」
「うん。ほら、痣も消えた」
「よかった」

 リファリールは微笑む。首を傾げた拍子に蕾が揺れて、また少し開いたようだ。ユールは思わず手を伸ばしていた。
 蕾はまもなく、白い小鳥のような花になるだろう。薄い、ふわふわした花びらが幾重にも重なって、黄色い花芯は蜜をたっぷり含んでいる。
 ユールがこれまで生きてきて口にした中で、一番美味しいもの。

 蕾を触らせながら、リファリールが囁いた。

「ユールさん、今晩、いいですか」






 服を脱いで寝床に腰掛けたユールの脚の間にひざまづいて、リファリールは治療のときと同じように一生懸命だ。
 手で撫でさすって、舌を這わせる。すっかり開いた花がリファリールの動きに合わせて重たげに震え、くらくらする芳香を振り撒いている。
 拙い動きでも、ユールは昂っていく。
 その部分は膨らんで、痛いほど反り返っていた。脚に力が入って、蹄で床を蹴りそうになるのを、リファリールを驚かせたくなくて、必死で抑えている。

 ユールは頭の中では、リファリールを犯している。
 髪の花に直接口をつけて齧って、甘い蜜を啜っている。
 頭の可愛らしい巻き角を掴んで、怒張を口に押し込んで揺さぶっている。
 白い薄手のワンピースを破り捨てて、素肌を存分に撫で回して。
 彼女の身体を隅々まで知って、この衝動をぶつけたい。

 実際は、リファリールは服を着たままだ。ユールはまだ、彼女の裸体を見たことがないし、こうして何度も性的な部分を触らせはしているが、交わったことはない。

「リファ、ちゃん」

 ユールの乾いた喉から出た声は掠れていた。リファリールが目を上げた。

「もう出そうだから、口、開けて」
「はい」

 リファリールは餌をねだる雛鳥のように、精一杯口を開いた。
 ユールは、暴発しそうなものに手を添えて、先端を含ませる。つるりとした冷たい舌に擦り付けると、背をぞっとする程の快感が駆けていった。
 放出されるものを、リファリールは頬を膨らませて口内に受けては、飲み下す。
 長い射精を受けた後、口を離すと、横を向いて咳き込んだ。

「大丈夫?」
「つっかえちゃって。でも、こぼしてないです」
「そーじゃなくて、無理しないで」
「だって、大事な種」

 ユールが水を差し出すと、リファリールは素直に飲んだ。

「ありがとうございます」

 ひと心地ついたリファリールは、髪に手をやった。満開の白い花を摘み取って、ユールに差し出した。

「どうぞ」
「ありがと」

 痛いほどの空腹だったが、ユールはまだ我慢した。
 リファリールは小首を傾げてしばらくユールを見つめていた。
 食べるのを待っているのかもしれないと思ったが、ユールはなぜか、その姿を見られたくなかった。
 リファリールはやがて、立ち上がってスカートの裾を整えた。

「いつも、お仕事の後までお邪魔してすみません」
「全然、邪魔じゃないよ。いつでも、リファちゃんのいいときに言ってよ」
「ユールさん、優しい」

 リファリールの笑顔は、どこか儚くて寂しげだ。ユールはなんと答えていいかわからなくて黙った。

 ただ、リファリールに夜道を一人歩きさせたくなくて、家まで送った。
 部屋に戻ってきて、リファリールの花を手のひらに包んで、ユールは呟いた。

「別に俺、優しくないよ」

 食欲と性欲まみれの雄だ。下心の塊のくせに、好きな相手にはいい顔をしていたい臆病な山羊だった。





 リファリールがこの東街道中央街イーストミッドにやってきたのは、半年あまり前だ。
 ちょうど、夏の終わりの花祭りの日だった。
 傭兵ギルドの仕事で、ユールは屋台街の見回りをしていて、雑踏から逃れるように、路地の入り口でしゃがみこんでいる彼女を見つけた。
 緑の髪は珍しいが、綺麗だった。耳元の巻き角の近くの、八重咲きの大きな白い花が目を引いた。
 花祭りの目玉は、未婚の娘が好きな花を模した衣装をつけて円舞する舞台だ。
 その娘たちの一人が、逸れたのだと思った。

「お嬢ちゃん、大丈夫?」

 ユールがしゃがみこんで声をかけると、彼女はゆるゆると顔を上げた。
 滑らかな無毛の顔。小作りな目鼻立ちはおもちゃの人形のようだった。

「具合悪い? 迷子?」
「……あ……」

 怯えた様子に、ユールはギルドから支給されていた腕章を指して説明した。

「俺ねえ、祭りの見回りの人。名前はユール。困ってるなら助けるよ。どうしたの」

 彼女は、か細い声で答えた。

「……ひとが、いっぱいで。あつくて……」
「うん、こう混んでちゃ人当たりするよね。連れは?」
「つれ?」
「一緒に来た人」
「わたし、ひとり」
「んー、そっか。家は?」
「ずっと遠く。森から、歩いてきたの。川をたどって」
「ん?」
「川をくだれば街があるって、前にルルーシア……あの、お母さんが教えてくれたから」
「ん、ん? うん。この街の子じゃないのか。そのお母さんは……って、ひとりってさっき言ってたっけ?」
「お母さん、長く生きたから木になって、もう動かないし、お話もしなくなっちゃったんです。さみしくて。そうしたら、髪に花が咲いたから、旅に出ようって思って」

 切々と訴える彼女の話は、半分もわからなかったが、ただの迷子ではなさそうだった。

「うん、とにかく行こっか。傭兵ギルドの救護室なら休めるから」
「ぎるど?」
「大概のことは面倒見てくれるから。立てる?」

 手を差し伸べると、彼女はユールの手をとった。
 ちいさくて細くて、冷たい手だった。
 立ち上がったとたんふらついて、ユールは慌てて支えた。

「ごめんよ」

 断って、抱き上げた。
 軽さに驚きながらも、横にあった彼女のものらしい鞄も持つ。

「辛そうだから、これでいこう。すぐそこ」
「ごめんなさい」
「いーよ全然」
「ユールさん、親切。ありがとう」

 ほっとした様子で身体を預けてきた。髪の花が目の前にあった。香りが豊かで、なんとも美味しそうだ。草を主食とするユールは特に花が好物で、街の外では片端から摘んで食べていたが、それでも知らない花だった。

「お嬢ちゃん、名前は?」
「リファリール」
「へー、綺麗な名前だね。この花は? 見たことないや、なんて種類?」
「えっ、えっと……? わたしの花です」

 リファリールは困った顔をするばかりで、要領を得なかった。
 傭兵ギルドに連れて行って、案の定混んでいた救護室で順番待ちをした。
 待つ間に水を欲しがったので飲ませると、リファリールは顔色がよくなって、自分で立てるようになった。

 彼女を見て、医者は目を丸くした。

「樹花族の子なんて珍しい。花祭りに誘われてきたかい」
「じゅかぞく?」

 リファリールは、また首をかしげる。

「え、多分そうだよね?」

 医者は本棚から『種族大全』を出して、ページをめくった。

「あった、ほら。人族に似てるけど、髪が植物で、肌が緑がかってる。樹花族の若いときの形態だ。西街道終着街あたりにいるって書いてあるけど、このへんにも住んでたんだね」

 獣でなく草木が由来の種族なのだという。

「あのさあ先生、この子ひとりっぽくて。ちょっと困ってるみたいなんだけど」

 ユールが助け舟を出すと、リファリールは頷いた。

「あの、種をくれるひとを探しにきました」
「種?」
「子供がほしいの。わたし、ひとりになっちゃったから……」

 ユールの頭にはそのとき、植物の種族だから種で増えるのか、土に植えたら芽が出るのかなぁ、などと呑気な考えが浮かんでいた。

 数ヶ月後、まさか自分が「種」の提供者になるとは、考えもしていなかった。
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