黒山羊と花の乙女

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2.妖精の花

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 赤と青の満月が並ぶ、秋の夜空の下。
 東街道中央街イーストミッドの傭兵たちが、火を焚いて酒を飲んでいる中に、ユールもいた。
 郊外に大量発生したトゲネズミの群れを丸四昼夜追いかけ回し、ようやく繁殖の元の女王ネズミを退治した帰りだ。
 全員汗と泥にまみれているが、仕事終わりの開放感に沸いている。

 ひどい面だと笑い合い、傷を見せては消毒だと、度が強いばかりの安酒をかけて騒ぐ。
 帰ったら何が食いたいだの、それより女を抱きたいだの。
 ユールも所詮ろくでなしの傭兵の一人で、どこの娼館の新人が、顔はまずいが胸と尻が張ってていいなどと、酔っ払いながら猥談をしていた。

 そこから、素人もいいもんだと話が転がって。
 行きつけの酒場の給仕、ギルドの受付のあの子……めぼしい女を上げて、好き勝手に評しはじめたあたりで、雲行きが怪しくなった。

「じゃあ、次。リファリール」

 何人かがニヤニヤしてユールを見る。

「無理。毛皮ない種族は守備範囲外」
「俺は毛なしの方が好きだけど、あれはなしだな。もーちょっと肉ついてないと」
「ありだよ、あの細っこい感じ。押さえつけてヒイヒイ泣かせてみてえ」
「俺もあり。なーんにも知らない感じが逆に堪んねえ。手取り足取り一から仕込んでやってさあ」

 ありだろうがなしだろうが腹が立ってきて、ユールは不機嫌に遮った。

「てめえらみんなリファちゃんに世話になってるくせに」
「けけけ、怒ってやんの。お前が一番通ってるもんな、鉄砲玉」
「なあ坊主、あの子にヨシヨシしてもらいたくてわざとやってんだろ?」
「うっせえ。怪我多いのは元々だ俺は」
「ふんぞりかえることかよ」

 ユールの魔力は攻撃の威力を高めるもので、強力な蹴りが売りだ。
 しかし、要はひたすら肉弾戦で、身体を痛めることが多い。
 今も、右の腿にきつく巻いた包帯に血が滲んでいる。
 首級の女王ネズミの脳天を蹴り割ってやったのはいいが、反撃に毒のある牙を立てられていた。その場で血抜きをして毒消しの草を擦り込んでいるが、脈打つように痛むのを、痩せ我慢していた。

「白状しろ惚れてんだろ? リファちゃーん、なんて呼んじゃって」
「違う違うそんなんじゃねえよ! くねくねすんな気色悪い」

 ユールはツマミがわりの木の根をガリガリ齧る。

「いいか、失礼だろーが。血塗れやら内臓はみ出てるやら、毒で腐ってるやらの、汚ねえごつい野郎ばっかりゾロゾロ来んのに、あの子、嫌な顔一つしないでさ」

 花祭りのあと。
 リファリールの魔力が治療向きだと知って、医者が雇いたいと推薦し、傭兵ギルドの団長が保証人になって部屋も借りられた。
 リファリールはすんなり、ギルドの救護室で働き始めた。
 腕がいい上に、素直で優しいと評判だ。
 ユールは、馴染めてよかったと思う反面、医者や他の傭兵がリファリールに馴れ馴れしい口をきくのは、面白くないような気もしていた。
 あの子は俺が見つけたのに、と。
 勝手なのはよくわかっている。
 欠けた椀をあおって、ユールはトロンとした目をして言った。

「リファちゃんはあれだ、そーいう目でみちゃいけねえっていうか、本当は俺らなんかが触っちゃいけねえんだよ。……妖精、みたいな」

 どっと笑われて、我に返った。

「夢見過ぎだお前」
「……っ、くそ、あー! そうだな、何言ってんだろうな俺!」
「ユール」

 隣で胡座をかいていた兎族のラパンが、小声で言った。

「見張り時間かわるからさ、お前寝とけよ。毒に酒重ねんの、あんまよくねえよ」
「……悪りぃ、頼む」

 だいたい、自分がむきになるから、リファリールまでいじられてしまうのだ。
 ばかみてえ、と耳をふって、ユールはテントに引っ込んだ。
 静かにしていると余計痛みが強くなるようだ。酒で紛らわそうと飲んだのが失敗で、くらくらするばかりで気持ちが悪かった。
 右脚をかばって丸まっていると、テントの端がめくられた。

「ユール、傷どうだ」

 小隊長の蛇族、スヴェラードだった。

「……平気っす」
「見せろ」

 スヴェラードは有無を言わさず、長い尾でユールを転がし、包帯を解いた。
 暗闇の中でスヴェラードの琥珀色の目が光る。夜目のきく種族だった。

「ダメだな。帰ったらすぐ解毒かけてもらえ」
「……っす」
「お前なあ、よくやったって褒めてやりてえが、もうちょっと後先考えろ。女王は毒が強えって言ったろうが」
「ネズミ嫌いなんすよ。あいつら根こそぎ食いやがって、どこにも俺の食いもんねえじゃん……っ痛ってえ!」
「うるせえよ」

 手荒だが、手当をし直してくれるだけ有り難かった。

 ユールは再び一人になって、ぼんやり仰向けになっていた。
 くすくす笑い声がするので横を向くと、黒山羊族の子供がふたり、しゃがんでいた。
 弟と妹だった。
 白詰草で花冠を編んでいる。
 家の畑のそばにどっさり咲くのだ。なんてことのない素朴な花だが、いくらでも食べられる。
 最後は食べてしまうくせに、弟と妹はいつもせっせと編んでは、お互いにかぶせあって遊んでいた。

――懐かしいなあ、腹減ったなあ。

 妹が悲鳴をあげる。
 トゲネズミが編みかけの花冠を齧っている。取り返そうとする弟の足元にも一匹。
 ユールは弾かれたように起き上がった。
 二匹、三匹、あっという間にテントの中はネズミで溢れかえる。
 ユールは片端から蹴っ飛ばす。

 
 

 ネズミが一匹、声を張り上げた。
「ユール、落ち着けって!」
「うっせえ、ネズミのくせに喋んじゃねえ!」

 ユールはいよいよ怒り狂って暴れた。
 蛇の尾が伸びてきて、ユールの首を締め上げる。

 ネズミのくせに小隊長みたいなしっぽ生やしやがって。

 ユールは脚をばたつかせたが、宙に吊り上げられてはなすすべがなく、やがて意識が遠のいていった。

 真っ暗だ。
 泥沼に沈んだように、身体が重い。
 だるい。熱くて寒い。
 それに、死にそうなほど……。

「……腹減った」
「兄ちゃん」

 弟だった。心配そうに覗き込んでくる。
 耳も鼻も欠けていなかった。ネズミに齧られなくてよかったと安心した。

「元気ないの可哀想、食いしんぼ兄ちゃん」

 今度は妹だ。こちらも綺麗な顔のままだった。

「ねえ、あっちあっち。見つけたんだよ、僕ら」

 確かにいい匂いがする。甘い、優しい、誘うような。
 ユールは訊く。

「何見つけたって?」
「妖精の花!」

 祖母が寝物語に聞かせてくれた。
 森の奥には妖精がいて、その髪には世界で一番美味しい花が咲いている。
 妖精はニコニコ笑って花をくれるけど、絶対に食べちゃいけない。
 食べたら最後――

 薄緑のほっそりした手が、八重咲きの花をユールに差し出している。
 甘い香りに誘われて、ユールは鼻先を埋めてしまう。
 ひんやりとして、気持ちがいい。
 薄緑の手は、花びらを一枚とって、ユールの口元にもってくる。
 食べてはいけないと知っているのに、その香りには抗えない。
 花びらは淡く苦くて、うっすらのった蜜はとろけるようだ。熱い口の中を、ひらり涼やかに舞って、喉に滑り落ちていった。
 腹がきりきりと切なく絞られる。
 一枚、また一枚、口に運ばれるままに、食べた。最後は蜜をしっとり含んだ、黄色い花芯だった。
 手がユールの目元に触れた。端を拭われて、泣いていたことに気がついた。
 誰かの名を呼びたいのに、誰を呼べばいいのか、わからない。

 ごめん、ごめん……ユールは謝る。
 手はユールを慰めるように、火照った頬を撫で続けてくれた。

 目が覚めると朝だった。
 リファリールが椅子に座ったまま、ユールのベッドの枕元に寄りかかって眠っていた。
 朝日に緑の髪がきらきらして綺麗だと眺めていたが、はっとした。

 花がなかった。

「……あ、ユールさん起きた。おはようございます」

 リファリールが目を擦る。

「リファちゃん、花……!」
「昨日、お腹、空いたって言ってたから。山羊の人って、花とか葉っぱがご飯なんですよね?」

 夢ではなかった。

「ごめん、ほんとごめん!」
「ユールさん、眠ってるときも謝ってた。どうして?」
「え、えっと? なんだっけ……とにかく食べちゃダメだろ!? 大丈夫これ痛くない?」
「大丈夫です。ちょっと摘む時ぷちっとするだけで、痛くないです。またすぐ咲きます」
「えええ……」
「……余計なお世話でしたか?」
「いや、すげえ美味かっ……違う忘れて! っていうか今いつ? 俺いつの間に帰ってきてたの?」
「えっと、今日は霜の月の八日です。一昨日の明け方、スヴェラードさんがユールさんを背負って、他の方より先に帰ってきたんです。女王ネズミの毒が頭に回って暴れたから、締めて落としたって言ってました」
「うわ、だっせえ……」
「すぐ解毒はしたんですけど、昨日も意識がはっきりしなくて。暴れはしなかったんですけど、ずっと夢うつつってかんじで。目が覚めて、よかったです。気分、どうですか?」

 再び額に当てられた手の感触も、ユールは覚えていた。

「熱、まだちょっとあるかな……」
「もう全然平気!」

 脚の痛みも、全身のだるさも、清水で洗われたように消えていた。

「リファちゃん、ごめん、ずっと付き添いさせて、花まで……! 埋め合わせさせて。なんでも言って」
「お仕事しただけです」
「頼むよ、俺世話になりっぱなしだから」

 ベッドに正座して、耳をしょげさせて頭を下げるユールを、リファリールは小首を傾げて見つめていた。
 やがて、遠慮がちに言った。

「あの、じゃあ……お願いが、あるんですけど」
「なんでも!」

 ユールが、ぱっと顔を上げたとき。

「おはよう。あ、死に損ないだ」

 ドアが開いて、医者が顔を覗かせた。

「あんたタイミング考えてくれ!」
「僕は出勤してきただけ。朝からむさくるしい半裸晒して、うちの助手に迫らないでくれる」
「んなこと……」

 するか、と続けようとして言い淀んでしまったユールは、「治ったなら退院」と、医者に放り出されて、廊下で頭を抱えたのだった。
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