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8.もうひとつの花と種
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うららかな午後の日差しが、湖面を煌めかせている。
リファリールは、街の北に広がる風花の森に、ユールと遊びに来ていた。
寝転がって見上げる春の空には、ふわり透ける雲の掛布が広がっていた。
昨日遅くまで仕事で駆け回っていた彼は、昼食後眠そうで、散歩してたどりついたこの若草の岸辺を見て我慢できなくなったらしい。気持ちよさそうに体をのべてしまったので、リファリールも真似をして、一緒に寝転がった。
しばらくじゃれあって、彼のゆるく波打つ黒髪や、立派な硬い角の根元を撫でていたら、蜂蜜色の目がとろりとしてきて、やがて瞼が下りていった。
自身も眠気でふわふわしながら、リファリールは今日の記憶を思い返している。
「わあ、いらっしゃい! ユールくん久しぶりだね」
「お邪魔します」
先ほど、白い花畑の中の森番の家を訪ねると、褐色の肌に蒼い目、ぴんとした長耳のエルフの女性が、明るい笑みで出迎えてくれた。エプロンに、ちいさな女の子がしがみついていた。
彼女は、ユールの後ろのリファリールを見つけて、笑みを深くした。
「わたしララだよ。この子はルナ。よろしくね!」
「はじめまして、リファリールです。お招きありがとうございます」
「えへへ、樹花族の子がギルドで働いてるって聞いて、ずっと会いたかったんだよ! おばあちゃんが昔、お友達だったって言ってたんだ」
「ララ、これ出せばいいのか」
後ろでは大きな木製の食卓に、スヴェラードともう一人、琥珀色の蛇の尾をした少年が配膳をしていた。
「そうそう、ありがとう! さあ、二人ともどうぞ!」
昼食のメインは一抱えもありそうなボウルにたっぷり盛られた野菜と果物のサラダ。木の実が入った焼きたてパンに、ベリージャムと蜂蜜。
色とりどりのジュースにミルク。
ララはスヴェラードと子供たちには、フライパンをくるりと回して、ふっくら大きなオムレツも出した。
「お姉さんにはこれ」
蛇の尾の子供ランスロットが、水のビンを差し出した。
「森の湧き水で、僕一番すきなやつ。さっき汲んできたばかりだよ!」
「ありがとうございます」
「へへ。ユールさん、よかったねえ!」
「ませたこと言うようになったなあ」
ユールは照れてランスロットの頭をわしゃわしゃ撫でていた。
ララは窓から身を乗り出して、
「クロちゃーん!」
と叫んだ。耳を張ってしばらく待っていたが、返事はなかった。
スヴェラードとララには、ランスロットとルナの間にもう一人、クロードという子供がいるそうだ。
「お父さん似でさあ、さっさと自立しちゃって、あんまり家に寄らないんだよね。森の中にはいるんだけど」
ランスロットが説明してくれた。
「後で散歩したら会えるかも。食べよっか!」
ルナは人見知りの時期なのか、スヴェラードの膝から降りようとしない。
蛇とエルフの家族の賑やかな食卓で、リファリールは胸の内がぽうっと温まるのを感じていた。
ララはよく笑って幸せそうだった。いつも表情が薄くてぶっきらぼうなスヴェラードだが、ララと子供たちを見る目は優しかった。
ランスロットもルナも、それぞれどこか、両親に似ていた。
ユールは、綺麗な森だからリファリールには気持ちがいいと思うと誘ってくれたが、きっと、彼らに会わせたかったのだ。
違っていても大丈夫だと、伝えようとしてくれた。
眠った彼の頬に手を添える。
安心して目を閉じると、リファリールもいつしか、うつらうつら、真白い昼の夢に揺蕩いはじめていた。
それは、リファリールのものでない記憶だ。
――わたしの森に、ゆっくりとした足取りで、あなたはやってきた。
白いふわふわの毛皮をした、獣族の男のひと。頭の両側には、三角の耳と、巻いた角が生えていた。
「はじめまして、森のお嬢さん。少しお邪魔していても、いいだろうか」
あなたの丁寧な挨拶に、わたしは澄まして答えた。
「ええ、もちろん。わたしはお馬鹿なイタズラ妖精じゃないのよ。ちゃんと礼儀がわかってる。挨拶してくれるならお客様だわ。お客様なら歓迎しなくちゃ」
あなたは、丸い透明な石が二つ並んだ飾りを鼻先において、石ごしにわたしを見ていた。
「なあにこれ、なんのお呪い」
「これがないと、よく見えないんだよ」
わたしはその飾りを取り上げて覗いてみた。木がくにゃくにゃと踊って見えた。
「ふしぎ、ふしぎ。面白いわ」
あなたは静かに待っていた。はしゃいだのが恥ずかしい気がして、わたしは咳払いして飾りを返した。
久しぶりの喋るお客様だった。
わたしは髪の花を摘んで、あなたに差し出した。
「どうぞ」
「ああ、綺麗だねえ。きみの花はとても美味しいんだろう」
「ええ、そうよ。遠慮せずに召し上がれ」
「ありがとう。でも、わたしはいいんだよ」
物腰柔らかなようでいて、意志のはっきりした断り方に、わたしは黙ってしまった。
あなたはしばらく森の中を歩き回っていた。
脚をすこし、ひきずっていた。
「怪我してるの?」
「いいや、これは生まれつきでねえ」
わたしはもう一度、すすめてみた。
「ねえ、わたしの花を食べたら、あなたの脚きっとよくなるわ。それにあなた、わたしのこと、とっても好きになる」
「そうだろうねえ。だから、食べないんだよ」
わたしは、面白くなかった。
わたしのことを好きになりたくないあなたは、つまり、わたしが嫌いなのだ。
それから、あなたは時折、森にやってくるようになった。
歩き回ったり、じっとしたり。
白いぺらぺらを、先が黒い木の棒でこすって、何か模様を描いたりしていた。
「あなた何をしてるの?」
「この森と、きみのことを、書いてるんだよ」
「なあにそれ、そんなことしてどうなるの?」
「書いたら、もっとよくわかるんだ」
「わたしのことをわかりたいなら、わたしを見て、お話をして」
「ああ、そのとおりだねえ。森のお嬢さん。かわいいルルーシア」
わたしは、あなたがこちらを向いてくれるのが嬉しかった。
たくさんおしゃべりをした。
「文字」の書き方と読み方も教わった。
あなたの声が、ゆっくりした話し方が、好きだった。
なのに、あなたは、あっというまに年老いて、弱っていった。
「お願いだから、食べて」
少しでも楽にしてあげたくて、そして、命の期限のぎりぎりまで生きてほしくて、わたしは何度も、頼んだのに。
「ありがとう。でも、いいんだよ。わたしはわたしのまま死にたいんだ」
あなたは譲らなかった。
「かわいいルルーシア、わたしはきみが好きだよ」
「花、食べてくれないくせに」
「ごめんよ。わたしはとても頑固なんだ。きみの花はとても強い。食べたものは誰だってきみに夢中になるだろう」
あなたは、全部知っていて、わたしの誘いを断り続けていた。
「でも、わたしはねえ、花の魔力がなくたって、獣族(わたし)は樹花族(きみ)を混じりっ気なしに愛せるって、証明したかったんだ」
「ほんとうに頑固ね!」
わたしはとうとう、泣いて怒った。
「あなたそんな意地のために、さっさとわたしを置いていっちゃうつもりなんだわ。ほんのちょっとの間、遊んだだけなのに、あなたはよぼよぼで、今にも死んじゃいそう。つまらない!」
「すまないねえ」
「謝ったって、許さないわ!」
「弱ったねえ。きみを怒らせたまま逝くのは残念だ。笑顔を見せてくれないかな。きみはわたしが見つけた、この世で一番うつくしい花なんだ」
ああ、ずるい、ひどい。
わたしもあなたが大好きなのに。
あなたがいなくなっちゃうのに、笑えるわけないじゃない。
「種をちょうだい」
「ルルーシア、わたしはとうに繁殖期を過ぎたおじいさんなんだよ」
「いいから出しなさい。あなたの命の最後の一滴まで絞り尽くしてやるわ」
「やれやれ恐ろしいお嬢さんだ」
「愛しているなら、全部ちょうだい」
「……そうだねえ、やれるだけやってみようかねえ」
あなたは、それだけは、枯れようとする命の最期に、叶えてくれた。
わたしに、あなたの面影を継いだ子供を、遺してくれた。
エルフに護られた美しい森は、深いところで、リファリールの森に繋がっている。
リファリールは誰かの声を聴く。
(心配しなくていいんだよ、かわいいリファリール)
懐かしい、ゆっくりした話し方。
(花を食べなくたって、彼はきみを愛することができるだろう)
羊毛のように柔らかで暖かい風が、寄り添って眠る黒山羊と花咲く少女を、撫でていく。
(だって、それはもう、わたしが証明したことだからねえ)
リファリールは、街の北に広がる風花の森に、ユールと遊びに来ていた。
寝転がって見上げる春の空には、ふわり透ける雲の掛布が広がっていた。
昨日遅くまで仕事で駆け回っていた彼は、昼食後眠そうで、散歩してたどりついたこの若草の岸辺を見て我慢できなくなったらしい。気持ちよさそうに体をのべてしまったので、リファリールも真似をして、一緒に寝転がった。
しばらくじゃれあって、彼のゆるく波打つ黒髪や、立派な硬い角の根元を撫でていたら、蜂蜜色の目がとろりとしてきて、やがて瞼が下りていった。
自身も眠気でふわふわしながら、リファリールは今日の記憶を思い返している。
「わあ、いらっしゃい! ユールくん久しぶりだね」
「お邪魔します」
先ほど、白い花畑の中の森番の家を訪ねると、褐色の肌に蒼い目、ぴんとした長耳のエルフの女性が、明るい笑みで出迎えてくれた。エプロンに、ちいさな女の子がしがみついていた。
彼女は、ユールの後ろのリファリールを見つけて、笑みを深くした。
「わたしララだよ。この子はルナ。よろしくね!」
「はじめまして、リファリールです。お招きありがとうございます」
「えへへ、樹花族の子がギルドで働いてるって聞いて、ずっと会いたかったんだよ! おばあちゃんが昔、お友達だったって言ってたんだ」
「ララ、これ出せばいいのか」
後ろでは大きな木製の食卓に、スヴェラードともう一人、琥珀色の蛇の尾をした少年が配膳をしていた。
「そうそう、ありがとう! さあ、二人ともどうぞ!」
昼食のメインは一抱えもありそうなボウルにたっぷり盛られた野菜と果物のサラダ。木の実が入った焼きたてパンに、ベリージャムと蜂蜜。
色とりどりのジュースにミルク。
ララはスヴェラードと子供たちには、フライパンをくるりと回して、ふっくら大きなオムレツも出した。
「お姉さんにはこれ」
蛇の尾の子供ランスロットが、水のビンを差し出した。
「森の湧き水で、僕一番すきなやつ。さっき汲んできたばかりだよ!」
「ありがとうございます」
「へへ。ユールさん、よかったねえ!」
「ませたこと言うようになったなあ」
ユールは照れてランスロットの頭をわしゃわしゃ撫でていた。
ララは窓から身を乗り出して、
「クロちゃーん!」
と叫んだ。耳を張ってしばらく待っていたが、返事はなかった。
スヴェラードとララには、ランスロットとルナの間にもう一人、クロードという子供がいるそうだ。
「お父さん似でさあ、さっさと自立しちゃって、あんまり家に寄らないんだよね。森の中にはいるんだけど」
ランスロットが説明してくれた。
「後で散歩したら会えるかも。食べよっか!」
ルナは人見知りの時期なのか、スヴェラードの膝から降りようとしない。
蛇とエルフの家族の賑やかな食卓で、リファリールは胸の内がぽうっと温まるのを感じていた。
ララはよく笑って幸せそうだった。いつも表情が薄くてぶっきらぼうなスヴェラードだが、ララと子供たちを見る目は優しかった。
ランスロットもルナも、それぞれどこか、両親に似ていた。
ユールは、綺麗な森だからリファリールには気持ちがいいと思うと誘ってくれたが、きっと、彼らに会わせたかったのだ。
違っていても大丈夫だと、伝えようとしてくれた。
眠った彼の頬に手を添える。
安心して目を閉じると、リファリールもいつしか、うつらうつら、真白い昼の夢に揺蕩いはじめていた。
それは、リファリールのものでない記憶だ。
――わたしの森に、ゆっくりとした足取りで、あなたはやってきた。
白いふわふわの毛皮をした、獣族の男のひと。頭の両側には、三角の耳と、巻いた角が生えていた。
「はじめまして、森のお嬢さん。少しお邪魔していても、いいだろうか」
あなたの丁寧な挨拶に、わたしは澄まして答えた。
「ええ、もちろん。わたしはお馬鹿なイタズラ妖精じゃないのよ。ちゃんと礼儀がわかってる。挨拶してくれるならお客様だわ。お客様なら歓迎しなくちゃ」
あなたは、丸い透明な石が二つ並んだ飾りを鼻先において、石ごしにわたしを見ていた。
「なあにこれ、なんのお呪い」
「これがないと、よく見えないんだよ」
わたしはその飾りを取り上げて覗いてみた。木がくにゃくにゃと踊って見えた。
「ふしぎ、ふしぎ。面白いわ」
あなたは静かに待っていた。はしゃいだのが恥ずかしい気がして、わたしは咳払いして飾りを返した。
久しぶりの喋るお客様だった。
わたしは髪の花を摘んで、あなたに差し出した。
「どうぞ」
「ああ、綺麗だねえ。きみの花はとても美味しいんだろう」
「ええ、そうよ。遠慮せずに召し上がれ」
「ありがとう。でも、わたしはいいんだよ」
物腰柔らかなようでいて、意志のはっきりした断り方に、わたしは黙ってしまった。
あなたはしばらく森の中を歩き回っていた。
脚をすこし、ひきずっていた。
「怪我してるの?」
「いいや、これは生まれつきでねえ」
わたしはもう一度、すすめてみた。
「ねえ、わたしの花を食べたら、あなたの脚きっとよくなるわ。それにあなた、わたしのこと、とっても好きになる」
「そうだろうねえ。だから、食べないんだよ」
わたしは、面白くなかった。
わたしのことを好きになりたくないあなたは、つまり、わたしが嫌いなのだ。
それから、あなたは時折、森にやってくるようになった。
歩き回ったり、じっとしたり。
白いぺらぺらを、先が黒い木の棒でこすって、何か模様を描いたりしていた。
「あなた何をしてるの?」
「この森と、きみのことを、書いてるんだよ」
「なあにそれ、そんなことしてどうなるの?」
「書いたら、もっとよくわかるんだ」
「わたしのことをわかりたいなら、わたしを見て、お話をして」
「ああ、そのとおりだねえ。森のお嬢さん。かわいいルルーシア」
わたしは、あなたがこちらを向いてくれるのが嬉しかった。
たくさんおしゃべりをした。
「文字」の書き方と読み方も教わった。
あなたの声が、ゆっくりした話し方が、好きだった。
なのに、あなたは、あっというまに年老いて、弱っていった。
「お願いだから、食べて」
少しでも楽にしてあげたくて、そして、命の期限のぎりぎりまで生きてほしくて、わたしは何度も、頼んだのに。
「ありがとう。でも、いいんだよ。わたしはわたしのまま死にたいんだ」
あなたは譲らなかった。
「かわいいルルーシア、わたしはきみが好きだよ」
「花、食べてくれないくせに」
「ごめんよ。わたしはとても頑固なんだ。きみの花はとても強い。食べたものは誰だってきみに夢中になるだろう」
あなたは、全部知っていて、わたしの誘いを断り続けていた。
「でも、わたしはねえ、花の魔力がなくたって、獣族(わたし)は樹花族(きみ)を混じりっ気なしに愛せるって、証明したかったんだ」
「ほんとうに頑固ね!」
わたしはとうとう、泣いて怒った。
「あなたそんな意地のために、さっさとわたしを置いていっちゃうつもりなんだわ。ほんのちょっとの間、遊んだだけなのに、あなたはよぼよぼで、今にも死んじゃいそう。つまらない!」
「すまないねえ」
「謝ったって、許さないわ!」
「弱ったねえ。きみを怒らせたまま逝くのは残念だ。笑顔を見せてくれないかな。きみはわたしが見つけた、この世で一番うつくしい花なんだ」
ああ、ずるい、ひどい。
わたしもあなたが大好きなのに。
あなたがいなくなっちゃうのに、笑えるわけないじゃない。
「種をちょうだい」
「ルルーシア、わたしはとうに繁殖期を過ぎたおじいさんなんだよ」
「いいから出しなさい。あなたの命の最後の一滴まで絞り尽くしてやるわ」
「やれやれ恐ろしいお嬢さんだ」
「愛しているなら、全部ちょうだい」
「……そうだねえ、やれるだけやってみようかねえ」
あなたは、それだけは、枯れようとする命の最期に、叶えてくれた。
わたしに、あなたの面影を継いだ子供を、遺してくれた。
エルフに護られた美しい森は、深いところで、リファリールの森に繋がっている。
リファリールは誰かの声を聴く。
(心配しなくていいんだよ、かわいいリファリール)
懐かしい、ゆっくりした話し方。
(花を食べなくたって、彼はきみを愛することができるだろう)
羊毛のように柔らかで暖かい風が、寄り添って眠る黒山羊と花咲く少女を、撫でていく。
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