黒山羊と花の乙女

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14.眠る妖精

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 街の北に広がる風花の森の中を、ユールは野菜と果物がどっさり詰め込まれた籠を抱えて歩いていた。

 街の、夏の日差しで焼けた石造りの道を歩いて火照った蹄を、下草に覆われた地面が穏やかに冷やしてくれる。
 緑の濃い木々の間を吹き抜ける涼しい風が、尖り耳をくすぐっていく。

 やがて白い花畑の中に、森番の家が見えてきた。

「あ、いらっしゃい」

 スヴェラードの息子、蛇とエルフの両方の特徴を持つ少年のランスロットが出迎えた。

「母さん、今日は服の納品で街にいってんだ。適当にどうぞ」
「そっか。これ、もらいもんだけど」

 ユールが籠をわたすと、ランスロットは「おいしそう!」と母親似の屈託のない表情で喜んだ。

「こんなにいいの?」
「いつも世話になってるから」
「どしたのもらいものって」
「こないだ護衛したのが野菜商だったんだ」





 ギルドを昼過ぎに出て、北に向かう通りを急いでいると、「ちょっと、黒山羊の兄さん! ユールさん!」と呼ぶものがあった。
 立ち止まると、鹿族のルッコラが追いついてきた。

「脚早えなあ! もう身体、いいのかい?」
「うん」
「あんだけ血ぃ流して、だめかと思ったよ! すげえなあ、鍛えてると違うねえ」

 ユールは褒められても喜べなかった。自分は、怒りに任せて暴れて、そのまま死ぬはずだったのだ。

「ルッコラさん、怪我なかったか?」
「おかげさまでかすり傷一つねえさあ! 怖かったけどねえ、それよりあんたらだよ、ラパンさんもだけどさ、あんな化け物相手にさすがだよ。もう俺、ギルドに足向けて寝られねえや」

 ユールが頬をかいていると、ルッコラにぐいぐい腕を引っ張られた。

「店寄ってくれよ。親父が礼言いたがってんだ。ユールさん、昔うちで働いてたって? なんで黙ってんの水臭え」
「……会えねえよ」
「何言ってんの、ここであんた逃したら俺が叱られんの!」

 ユールは、ルッコラの商人らしい押しの強さに負けた。
 『ディアズ青果店』は、野菜市場の中に以前のままあった。
 枝分かれした見事な角を持つ、壮年の鹿族の男は、ユールを目にしたとたん、膝に手をついて頭を下げた。

「ありがとう。倅が、命拾わせてもらった」
「やめてください、頭上げてください。俺なんにもしてないから。ディアンさん」

 ディアンは、農家だったユールの家と、ずっと付き合いのあった商人だ。
 少年のユールを雇って、店の上の部屋に住ませてくれた。野菜の目利きも市場のルールも教えてくれた。ほんの数年前まで、「おやっさん」と呼んで慕った人だった。

「……勝手して、すみませんでした」
「ユール、俺こそなあ」

 ディアンが涙声になった。

「親父さんから頼まれてたのになあ、辛えときに突き放しちまったよ。悪かった。それでもお前、今、ちゃんとやってる。偉えもんだ」

 肩にかけた布で目元をゴシゴシ拭いて、ディアンは声を張り直した。

「ルッコラ、好きなだけ持ってってもらえ!」
「合点!」
「いやほんとにいいっすってば!」
「いいから受け取れ、詫びでもあるんだ。お前、ひでえ怪我したってな。顔色悪いよ。しっかり食え、キャベツ好きだったろう、あとモロコシと茄子と、すももと」

 到底食べきれない量を持たされ、「これからは顔出してくれ」と、また頭を下げられた。

「じゃあ、来させてもらいます。今度は財布持って。ここの野菜、美味えから」

 ユールが答えると、ディアンはようやく、笑ってくれた。






 籠からすももを一つ取って、ユールは森番の家の二階に上がった。
 テラスにベッドが出してある。
 彼女が、たくさん日の光を浴びられるように。

 シーツに、木漏れ日がまだらに落ちている。
 新緑の柔らかな髪に、花はない。
 白いワンピースの少女は、静かに眠っている。

 あの日から、十日過ぎてなお、眠り続けていた。

 ユールは側に据えてある椅子にかけて、しばらく、彼女を見ていた。てのひらで、すももを遊ばせている。

「リファちゃん、あのさ。今日、久しぶりのひとと話してさ」

 ユールは語りかける。
 話しかけたらきっと聞こえていると、彼女を預かってくれているエルフのララに言われていた。

「親父の昔っからの友達で、俺のこともかわいがってくれてたんだよ。三男坊だから商売やるかって、一から面倒見てくれてさ。でも、勝手に仕事やめたし、そのあとも迷惑かけたから、合わせる顔なくってずっと逃げてたんだ。……今日、俺、ろくに喋れなかったけど、でも、謝れたよ。おやっさん、許してくれた」

 彼女への呼びかけのふりをして、自分が聞いてほしいだけだった。
「よかった」と、微笑み返してほしかった。

 今のリファリールは、まるで幻の中にいる妖精のようだった。
 気配が薄い。近くにいるのに遠い。
 本当にそこにいるか確かめたくて、頬に触れた。
 雨の後の若葉のような、柔らかくて冷たい感触に胸苦しくなった。
 自分の無骨な手が嫌になって、すぐ引っ込めた。

――疲れちゃって、休んでるだけだよ。気持ちよさそうに眠ってるでしょ。時がくれば目が覚めるよ。

 ララの言葉を、信じきれなかった。

 このまま息が止まってしまったら。
 ふと儚くなって消えてしまったら。
 それとも、彼女の母がそうなったというように、木の姿になってしまわないだろうか。

 そうでなくても、ずっとこのまま、何年も、何十年も、目覚めなかったら。

「これ、もらったんだ。もっと食いたいって、言ってただろ」

 彼女の枕元に、すももを置いた。
 しばらく待ってみたが、反応はない。
 まあそうか、とため息をつく。食べ物に誘われてなんて、自分じゃあるまいし。
 本来、彼女は日の光と水で生きていけるのだ。獣族には信じがたいほど、清らかな存在だった。

 知り合ったはじめから惹かれていたけれど、触れてはいけない相手のようにも感じていた。
 その直感は、正しかったのだと思う。

 リファリールは、いつだって囁くように「ユールさん」と呼んで、微笑みかけてくれた。
 他愛無い話を、楽しそうに聞いてくれた。
 聞きたくもなかっただろう話を、自分のことのように辛そうに、でも、受け入れてくれた。

 時折、とんでもない行動をした。
 驚かされたし何度もすれ違って、でも、嫌ではなかったのは、いつだって彼女は大真面目だったからだ。
 すこし、頑固でもあったけれど。

 お洒落をして喜んでいる姿は、普通の女の子だった。

 好きだと思っていた。
 大事にしているつもりだった。

 でも、自分はリファリールから奪うばかりだった。
 花も身体も欲望のままに食い荒らして、怪我をするたびに散々魔力を使わせて、挙げ句の果てが、これだった。




「山羊さん」

 ルナが側に来ていた。
 まだ幼い末っ子だ。長耳はエルフの母譲りだが、淡い体色や、首周りに飾りのように煌めく琥珀の鱗は蛇の父から継いだらしい。
 人見知りのはずの少女は、真面目な顔をして、開いた絵本を差し出した。

「これ、寝ているひとを起こす魔法。やってみたら」

 眠り姫の童話だった。

『愛する人の口付けで、お姫様は目覚めました』

 ユールは曖昧に笑って、ルナの頭を撫でた。

「……俺は、そんなことしちゃいけないんだよ」

 リファちゃん、ごめん。
 何度心の中で謝ったか、わからない。
 一人で戦っているつもりだった。でも、リファリールに全部引き受けさせた。
 せめて直接謝るまで、口付けなど、できるものか。

 ルナは首を捻っている。

「毎日お見舞いにくるのに、好きじゃないの?」
「好きだよ。でも、こんなんなったの、俺のせいだからさ。ルナちゃんにはまだ難しいか」

 子供扱いに、ルナはぷっと頬を膨らませた。

「……リファちゃん、また明日」

 ルナと階下に降りると、ランスロットがキャベツのサラダと茹でモロコシを並べていた。

「夕飯には早いけど、食べてってよ。ユールさんがもらったのに僕らばっかりじゃ悪いから」
「そういう気ぃ使わなくていいのになあ」
「……食べなきゃ、だめだよ」

 勘のいい子供だった。
 リファリールが眠ってしまったのを知ってから、ユールは空腹を感じなくなっていた。とりあえず口に押し込んでみても、味がしない。
 石がどっさり詰め込まれているように、常に胃の辺りが重かった。

 黙り込んだユールを、ルナが心配そうに見上げている。手を繋いでくれた。
 いい子たちだった。
 そして、ディアンとルッコラの厚意を無下にするのもよくないと、思い直す。

「ご馳走になるよ。ありがと」

 二人と食卓を囲んで、その日は少し、食べられた。





 すももは静かに熟れていく。
 うっすら甘い香りを漂わせ、手にとれば吸いつくようだ。

「ルナちゃん、食っちまおうか」

 その日、ユールは床に座って絵本を読んでいたルナに言った。

「お姉ちゃんにあげたんでしょ」
「熟れすぎると味が落ちるよ。いいときに食わなきゃすももに悪い」

 食べごろの証拠に、軽く爪をかけて引くだけで、するすると皮が剥がれる。
 夏の光の下で、甘酸っぱい芳香が金の粒になって広がっていく。

 心の中では、未練がましく彼女の名を呼んでいた。

 リファちゃん、これ、食っちまうよ。

 



 
 睫毛が震えた。
 時がきて蕾が開いていくように、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
 リファリールは、すももを剥く手をぼうっと見つめていた。
 橙色の果肉からぽたぽたとしずくが落ちるのが、惜しかった。
 とても喉が渇いていた。
 それに、お腹がぎゅうっと鳴った。

 その音に顔を上げたユールと、目が合った。
 少し恥ずかしかったが、ねだった。

「ひとくち、欲しいです」



「ママ呼んでくる!」

 叫んで、ルナがばっと駆け出していく。
 ユールがほんのちいさくちぎった果肉を、リファリールの口にもってきてくれた。
 夏のかけらが、リファリールを目覚めさせていく。
 身体を起こして、もっと欲しいと甘えると、ユールは餌を運ぶ親鳥のように、ひとくちずつ食べさせてくれた。
 リファリールは、ふふ、と笑う。
 ユールがいて、嬉しかった。
 すももをひとつ食べきって、体中がまぶしくて、両腕を空に伸びをした。
 ユールを見つめて、怪我をして帰ってきたのを、悪い夢のように思い出した。

「ユールさん、具合どうですか?」

 とたんに、ユールの顔が、くしゃっと歪んだ。





 
 リファリールが心配そうに訊いてくる。

「まだ、どこか痛い? がんばったけど、頭もお腹もひどかったから……上手くできなかったかも」

 ユールは言葉を絞り出した。

「どこも痛くねえよ、元気だよ。全部、信じらんねえくらい綺麗に治してくれた……!」
「じゃあ、どうして泣いてるの?」

 言うべきことは、単純なはずだったのだ。
 何度も考えた。彼女が起きたら、真っ先に伝えないといけないこと。
 「治してくれてありがとう」と「無理させてごめん」だ。
 なのに、でてきたのは情けない甘ったれた泣き言だった。

「怖かったんだよ! リファちゃん、もう起きねえんじゃねえかって……!」

 リファリールは、きょとんと首を傾げる。いつもの仕草だった。

「俺のことなんか、いいんだよ。こういう仕事なんだよ、痛え目にあってもしょうがねえ。でも、リファちゃんが辛えのはダメだ、死んじまうなんて絶対ダメなんだ!」

 涙がぼとぼと落ちて、拭っても拭っても止まらない。

「リファちゃんは長生きだって、俺が死ぬまで一緒だって言ってくれたじゃねえか。俺、置いていかれたら、耐えらんねえよ。もう大事なもんを失くしたくねえよ。なんで生きてんのかわかんなくなっちまう……!」
「ユールさん、わたし、大丈夫だから」

 項垂れる頭を抱きしめてくれる。
 角が尖っていて危ないのに、それすら、根本を優しく撫でてくれるのだ。

「あのね、わたしもおんなじ。ユールさんが大好き。痛いのは早く治してあげたいし、死んじゃうなんて絶対、嫌なの」

 ユールは、後は何も言えなかった。リファリールに縋り付いて、背中を丸めて、声を上げて泣いた。






 ララは、そっとテラスを覗いて、引っ込んだ。
 ルナとランスロットを振り返って、口の前に人差し指を立ててみせる。

「……ご飯作っといてあげよっと」

 察しのいい兄は踵を返した。
 妹の方は顔をしかめている。

「山羊さんなんで泣いてるの? お姉ちゃんが起きたのに嬉しくないの」
「とっても嬉しいときや、安心したときも泣くんだよ。お姉ちゃんのお水、汲みにいこっか」

 ララはルナと手を繋いで、階段を降りていった。
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