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14.眠る妖精
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街の北に広がる風花の森の中を、ユールは野菜と果物がどっさり詰め込まれた籠を抱えて歩いていた。
街の、夏の日差しで焼けた石造りの道を歩いて火照った蹄を、下草に覆われた地面が穏やかに冷やしてくれる。
緑の濃い木々の間を吹き抜ける涼しい風が、尖り耳をくすぐっていく。
やがて白い花畑の中に、森番の家が見えてきた。
「あ、いらっしゃい」
スヴェラードの息子、蛇とエルフの両方の特徴を持つ少年のランスロットが出迎えた。
「母さん、今日は服の納品で街にいってんだ。適当にどうぞ」
「そっか。これ、もらいもんだけど」
ユールが籠をわたすと、ランスロットは「おいしそう!」と母親似の屈託のない表情で喜んだ。
「こんなにいいの?」
「いつも世話になってるから」
「どしたのもらいものって」
「こないだ護衛したのが野菜商だったんだ」
ギルドを昼過ぎに出て、北に向かう通りを急いでいると、「ちょっと、黒山羊の兄さん! ユールさん!」と呼ぶものがあった。
立ち止まると、鹿族のルッコラが追いついてきた。
「脚早えなあ! もう身体、いいのかい?」
「うん」
「あんだけ血ぃ流して、だめかと思ったよ! すげえなあ、鍛えてると違うねえ」
ユールは褒められても喜べなかった。自分は、怒りに任せて暴れて、そのまま死ぬはずだったのだ。
「ルッコラさん、怪我なかったか?」
「おかげさまでかすり傷一つねえさあ! 怖かったけどねえ、それよりあんたらだよ、ラパンさんもだけどさ、あんな化け物相手にさすがだよ。もう俺、ギルドに足向けて寝られねえや」
ユールが頬をかいていると、ルッコラにぐいぐい腕を引っ張られた。
「店寄ってくれよ。親父が礼言いたがってんだ。ユールさん、昔うちで働いてたって? なんで黙ってんの水臭え」
「……会えねえよ」
「何言ってんの、ここであんた逃したら俺が叱られんの!」
ユールは、ルッコラの商人らしい押しの強さに負けた。
『ディアズ青果店』は、野菜市場の中に以前のままあった。
枝分かれした見事な角を持つ、壮年の鹿族の男は、ユールを目にしたとたん、膝に手をついて頭を下げた。
「ありがとう。倅が、命拾わせてもらった」
「やめてください、頭上げてください。俺なんにもしてないから。ディアンさん」
ディアンは、農家だったユールの家と、ずっと付き合いのあった商人だ。
少年のユールを雇って、店の上の部屋に住ませてくれた。野菜の目利きも市場のルールも教えてくれた。ほんの数年前まで、「おやっさん」と呼んで慕った人だった。
「……勝手して、すみませんでした」
「ユール、俺こそなあ」
ディアンが涙声になった。
「親父さんから頼まれてたのになあ、辛えときに突き放しちまったよ。悪かった。それでもお前、今、ちゃんとやってる。偉えもんだ」
肩にかけた布で目元をゴシゴシ拭いて、ディアンは声を張り直した。
「ルッコラ、好きなだけ持ってってもらえ!」
「合点!」
「いやほんとにいいっすってば!」
「いいから受け取れ、詫びでもあるんだ。お前、ひでえ怪我したってな。顔色悪いよ。しっかり食え、キャベツ好きだったろう、あとモロコシと茄子と、すももと」
到底食べきれない量を持たされ、「これからは顔出してくれ」と、また頭を下げられた。
「じゃあ、来させてもらいます。今度は財布持って。ここの野菜、美味えから」
ユールが答えると、ディアンはようやく、笑ってくれた。
籠からすももを一つ取って、ユールは森番の家の二階に上がった。
テラスにベッドが出してある。
彼女が、たくさん日の光を浴びられるように。
シーツに、木漏れ日がまだらに落ちている。
新緑の柔らかな髪に、花はない。
白いワンピースの少女は、静かに眠っている。
あの日から、十日過ぎてなお、眠り続けていた。
ユールは側に据えてある椅子にかけて、しばらく、彼女を見ていた。てのひらで、すももを遊ばせている。
「リファちゃん、あのさ。今日、久しぶりのひとと話してさ」
ユールは語りかける。
話しかけたらきっと聞こえていると、彼女を預かってくれているエルフのララに言われていた。
「親父の昔っからの友達で、俺のこともかわいがってくれてたんだよ。三男坊だから商売やるかって、一から面倒見てくれてさ。でも、勝手に仕事やめたし、そのあとも迷惑かけたから、合わせる顔なくってずっと逃げてたんだ。……今日、俺、ろくに喋れなかったけど、でも、謝れたよ。おやっさん、許してくれた」
彼女への呼びかけのふりをして、自分が聞いてほしいだけだった。
「よかった」と、微笑み返してほしかった。
今のリファリールは、まるで幻の中にいる妖精のようだった。
気配が薄い。近くにいるのに遠い。
本当にそこにいるか確かめたくて、頬に触れた。
雨の後の若葉のような、柔らかくて冷たい感触に胸苦しくなった。
自分の無骨な手が嫌になって、すぐ引っ込めた。
――疲れちゃって、休んでるだけだよ。気持ちよさそうに眠ってるでしょ。時がくれば目が覚めるよ。
ララの言葉を、信じきれなかった。
このまま息が止まってしまったら。
ふと儚くなって消えてしまったら。
それとも、彼女の母がそうなったというように、木の姿になってしまわないだろうか。
そうでなくても、ずっとこのまま、何年も、何十年も、目覚めなかったら。
「これ、もらったんだ。もっと食いたいって、言ってただろ」
彼女の枕元に、すももを置いた。
しばらく待ってみたが、反応はない。
まあそうか、とため息をつく。食べ物に誘われてなんて、自分じゃあるまいし。
本来、彼女は日の光と水で生きていけるのだ。獣族には信じがたいほど、清らかな存在だった。
知り合ったはじめから惹かれていたけれど、触れてはいけない相手のようにも感じていた。
その直感は、正しかったのだと思う。
リファリールは、いつだって囁くように「ユールさん」と呼んで、微笑みかけてくれた。
他愛無い話を、楽しそうに聞いてくれた。
聞きたくもなかっただろう話を、自分のことのように辛そうに、でも、受け入れてくれた。
時折、とんでもない行動をした。
驚かされたし何度もすれ違って、でも、嫌ではなかったのは、いつだって彼女は大真面目だったからだ。
すこし、頑固でもあったけれど。
お洒落をして喜んでいる姿は、普通の女の子だった。
好きだと思っていた。
大事にしているつもりだった。
でも、自分はリファリールから奪うばかりだった。
花も身体も欲望のままに食い荒らして、怪我をするたびに散々魔力を使わせて、挙げ句の果てが、これだった。
「山羊さん」
ルナが側に来ていた。
まだ幼い末っ子だ。長耳はエルフの母譲りだが、淡い体色や、首周りに飾りのように煌めく琥珀の鱗は蛇の父から継いだらしい。
人見知りのはずの少女は、真面目な顔をして、開いた絵本を差し出した。
「これ、寝ているひとを起こす魔法。やってみたら」
眠り姫の童話だった。
『愛する人の口付けで、お姫様は目覚めました』
ユールは曖昧に笑って、ルナの頭を撫でた。
「……俺は、そんなことしちゃいけないんだよ」
リファちゃん、ごめん。
何度心の中で謝ったか、わからない。
一人で戦っているつもりだった。でも、リファリールに全部引き受けさせた。
せめて直接謝るまで、口付けなど、できるものか。
ルナは首を捻っている。
「毎日お見舞いにくるのに、好きじゃないの?」
「好きだよ。でも、こんなんなったの、俺のせいだからさ。ルナちゃんにはまだ難しいか」
子供扱いに、ルナはぷっと頬を膨らませた。
「……リファちゃん、また明日」
ルナと階下に降りると、ランスロットがキャベツのサラダと茹でモロコシを並べていた。
「夕飯には早いけど、食べてってよ。ユールさんがもらったのに僕らばっかりじゃ悪いから」
「そういう気ぃ使わなくていいのになあ」
「……食べなきゃ、だめだよ」
勘のいい子供だった。
リファリールが眠ってしまったのを知ってから、ユールは空腹を感じなくなっていた。とりあえず口に押し込んでみても、味がしない。
石がどっさり詰め込まれているように、常に胃の辺りが重かった。
黙り込んだユールを、ルナが心配そうに見上げている。手を繋いでくれた。
いい子たちだった。
そして、ディアンとルッコラの厚意を無下にするのもよくないと、思い直す。
「ご馳走になるよ。ありがと」
二人と食卓を囲んで、その日は少し、食べられた。
すももは静かに熟れていく。
うっすら甘い香りを漂わせ、手にとれば吸いつくようだ。
「ルナちゃん、食っちまおうか」
その日、ユールは床に座って絵本を読んでいたルナに言った。
「お姉ちゃんにあげたんでしょ」
「熟れすぎると味が落ちるよ。いいときに食わなきゃすももに悪い」
食べごろの証拠に、軽く爪をかけて引くだけで、するすると皮が剥がれる。
夏の光の下で、甘酸っぱい芳香が金の粒になって広がっていく。
心の中では、未練がましく彼女の名を呼んでいた。
リファちゃん、これ、食っちまうよ。
起きてくれよ。
睫毛が震えた。
時がきて蕾が開いていくように、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
リファリールは、すももを剥く手をぼうっと見つめていた。
橙色の果肉からぽたぽたとしずくが落ちるのが、惜しかった。
とても喉が渇いていた。
それに、お腹がぎゅうっと鳴った。
その音に顔を上げたユールと、目が合った。
少し恥ずかしかったが、ねだった。
「ひとくち、欲しいです」
「ママ呼んでくる!」
叫んで、ルナがばっと駆け出していく。
ユールがほんのちいさくちぎった果肉を、リファリールの口にもってきてくれた。
夏のかけらが、リファリールを目覚めさせていく。
身体を起こして、もっと欲しいと甘えると、ユールは餌を運ぶ親鳥のように、ひとくちずつ食べさせてくれた。
リファリールは、ふふ、と笑う。
ユールがいて、嬉しかった。
すももをひとつ食べきって、体中がまぶしくて、両腕を空に伸びをした。
ユールを見つめて、怪我をして帰ってきたのを、悪い夢のように思い出した。
「ユールさん、具合どうですか?」
とたんに、ユールの顔が、くしゃっと歪んだ。
リファリールが心配そうに訊いてくる。
「まだ、どこか痛い? がんばったけど、頭もお腹もひどかったから……上手くできなかったかも」
ユールは言葉を絞り出した。
「どこも痛くねえよ、元気だよ。全部、信じらんねえくらい綺麗に治してくれた……!」
「じゃあ、どうして泣いてるの?」
言うべきことは、単純なはずだったのだ。
何度も考えた。彼女が起きたら、真っ先に伝えないといけないこと。
「治してくれてありがとう」と「無理させてごめん」だ。
なのに、でてきたのは情けない甘ったれた泣き言だった。
「怖かったんだよ! リファちゃん、もう起きねえんじゃねえかって……!」
リファリールは、きょとんと首を傾げる。いつもの仕草だった。
「俺のことなんか、いいんだよ。こういう仕事なんだよ、痛え目にあってもしょうがねえ。でも、リファちゃんが辛えのはダメだ、死んじまうなんて絶対ダメなんだ!」
涙がぼとぼと落ちて、拭っても拭っても止まらない。
「リファちゃんは長生きだって、俺が死ぬまで一緒だって言ってくれたじゃねえか。俺、置いていかれたら、耐えらんねえよ。もう大事なもんを失くしたくねえよ。なんで生きてんのかわかんなくなっちまう……!」
「ユールさん、わたし、大丈夫だから」
項垂れる頭を抱きしめてくれる。
角が尖っていて危ないのに、それすら、根本を優しく撫でてくれるのだ。
「あのね、わたしもおんなじ。ユールさんが大好き。痛いのは早く治してあげたいし、死んじゃうなんて絶対、嫌なの」
ユールは、後は何も言えなかった。リファリールに縋り付いて、背中を丸めて、声を上げて泣いた。
ララは、そっとテラスを覗いて、引っ込んだ。
ルナとランスロットを振り返って、口の前に人差し指を立ててみせる。
「……ご飯作っといてあげよっと」
察しのいい兄は踵を返した。
妹の方は顔をしかめている。
「山羊さんなんで泣いてるの? お姉ちゃんが起きたのに嬉しくないの」
「とっても嬉しいときや、安心したときも泣くんだよ。お姉ちゃんのお水、汲みにいこっか」
ララはルナと手を繋いで、階段を降りていった。
街の、夏の日差しで焼けた石造りの道を歩いて火照った蹄を、下草に覆われた地面が穏やかに冷やしてくれる。
緑の濃い木々の間を吹き抜ける涼しい風が、尖り耳をくすぐっていく。
やがて白い花畑の中に、森番の家が見えてきた。
「あ、いらっしゃい」
スヴェラードの息子、蛇とエルフの両方の特徴を持つ少年のランスロットが出迎えた。
「母さん、今日は服の納品で街にいってんだ。適当にどうぞ」
「そっか。これ、もらいもんだけど」
ユールが籠をわたすと、ランスロットは「おいしそう!」と母親似の屈託のない表情で喜んだ。
「こんなにいいの?」
「いつも世話になってるから」
「どしたのもらいものって」
「こないだ護衛したのが野菜商だったんだ」
ギルドを昼過ぎに出て、北に向かう通りを急いでいると、「ちょっと、黒山羊の兄さん! ユールさん!」と呼ぶものがあった。
立ち止まると、鹿族のルッコラが追いついてきた。
「脚早えなあ! もう身体、いいのかい?」
「うん」
「あんだけ血ぃ流して、だめかと思ったよ! すげえなあ、鍛えてると違うねえ」
ユールは褒められても喜べなかった。自分は、怒りに任せて暴れて、そのまま死ぬはずだったのだ。
「ルッコラさん、怪我なかったか?」
「おかげさまでかすり傷一つねえさあ! 怖かったけどねえ、それよりあんたらだよ、ラパンさんもだけどさ、あんな化け物相手にさすがだよ。もう俺、ギルドに足向けて寝られねえや」
ユールが頬をかいていると、ルッコラにぐいぐい腕を引っ張られた。
「店寄ってくれよ。親父が礼言いたがってんだ。ユールさん、昔うちで働いてたって? なんで黙ってんの水臭え」
「……会えねえよ」
「何言ってんの、ここであんた逃したら俺が叱られんの!」
ユールは、ルッコラの商人らしい押しの強さに負けた。
『ディアズ青果店』は、野菜市場の中に以前のままあった。
枝分かれした見事な角を持つ、壮年の鹿族の男は、ユールを目にしたとたん、膝に手をついて頭を下げた。
「ありがとう。倅が、命拾わせてもらった」
「やめてください、頭上げてください。俺なんにもしてないから。ディアンさん」
ディアンは、農家だったユールの家と、ずっと付き合いのあった商人だ。
少年のユールを雇って、店の上の部屋に住ませてくれた。野菜の目利きも市場のルールも教えてくれた。ほんの数年前まで、「おやっさん」と呼んで慕った人だった。
「……勝手して、すみませんでした」
「ユール、俺こそなあ」
ディアンが涙声になった。
「親父さんから頼まれてたのになあ、辛えときに突き放しちまったよ。悪かった。それでもお前、今、ちゃんとやってる。偉えもんだ」
肩にかけた布で目元をゴシゴシ拭いて、ディアンは声を張り直した。
「ルッコラ、好きなだけ持ってってもらえ!」
「合点!」
「いやほんとにいいっすってば!」
「いいから受け取れ、詫びでもあるんだ。お前、ひでえ怪我したってな。顔色悪いよ。しっかり食え、キャベツ好きだったろう、あとモロコシと茄子と、すももと」
到底食べきれない量を持たされ、「これからは顔出してくれ」と、また頭を下げられた。
「じゃあ、来させてもらいます。今度は財布持って。ここの野菜、美味えから」
ユールが答えると、ディアンはようやく、笑ってくれた。
籠からすももを一つ取って、ユールは森番の家の二階に上がった。
テラスにベッドが出してある。
彼女が、たくさん日の光を浴びられるように。
シーツに、木漏れ日がまだらに落ちている。
新緑の柔らかな髪に、花はない。
白いワンピースの少女は、静かに眠っている。
あの日から、十日過ぎてなお、眠り続けていた。
ユールは側に据えてある椅子にかけて、しばらく、彼女を見ていた。てのひらで、すももを遊ばせている。
「リファちゃん、あのさ。今日、久しぶりのひとと話してさ」
ユールは語りかける。
話しかけたらきっと聞こえていると、彼女を預かってくれているエルフのララに言われていた。
「親父の昔っからの友達で、俺のこともかわいがってくれてたんだよ。三男坊だから商売やるかって、一から面倒見てくれてさ。でも、勝手に仕事やめたし、そのあとも迷惑かけたから、合わせる顔なくってずっと逃げてたんだ。……今日、俺、ろくに喋れなかったけど、でも、謝れたよ。おやっさん、許してくれた」
彼女への呼びかけのふりをして、自分が聞いてほしいだけだった。
「よかった」と、微笑み返してほしかった。
今のリファリールは、まるで幻の中にいる妖精のようだった。
気配が薄い。近くにいるのに遠い。
本当にそこにいるか確かめたくて、頬に触れた。
雨の後の若葉のような、柔らかくて冷たい感触に胸苦しくなった。
自分の無骨な手が嫌になって、すぐ引っ込めた。
――疲れちゃって、休んでるだけだよ。気持ちよさそうに眠ってるでしょ。時がくれば目が覚めるよ。
ララの言葉を、信じきれなかった。
このまま息が止まってしまったら。
ふと儚くなって消えてしまったら。
それとも、彼女の母がそうなったというように、木の姿になってしまわないだろうか。
そうでなくても、ずっとこのまま、何年も、何十年も、目覚めなかったら。
「これ、もらったんだ。もっと食いたいって、言ってただろ」
彼女の枕元に、すももを置いた。
しばらく待ってみたが、反応はない。
まあそうか、とため息をつく。食べ物に誘われてなんて、自分じゃあるまいし。
本来、彼女は日の光と水で生きていけるのだ。獣族には信じがたいほど、清らかな存在だった。
知り合ったはじめから惹かれていたけれど、触れてはいけない相手のようにも感じていた。
その直感は、正しかったのだと思う。
リファリールは、いつだって囁くように「ユールさん」と呼んで、微笑みかけてくれた。
他愛無い話を、楽しそうに聞いてくれた。
聞きたくもなかっただろう話を、自分のことのように辛そうに、でも、受け入れてくれた。
時折、とんでもない行動をした。
驚かされたし何度もすれ違って、でも、嫌ではなかったのは、いつだって彼女は大真面目だったからだ。
すこし、頑固でもあったけれど。
お洒落をして喜んでいる姿は、普通の女の子だった。
好きだと思っていた。
大事にしているつもりだった。
でも、自分はリファリールから奪うばかりだった。
花も身体も欲望のままに食い荒らして、怪我をするたびに散々魔力を使わせて、挙げ句の果てが、これだった。
「山羊さん」
ルナが側に来ていた。
まだ幼い末っ子だ。長耳はエルフの母譲りだが、淡い体色や、首周りに飾りのように煌めく琥珀の鱗は蛇の父から継いだらしい。
人見知りのはずの少女は、真面目な顔をして、開いた絵本を差し出した。
「これ、寝ているひとを起こす魔法。やってみたら」
眠り姫の童話だった。
『愛する人の口付けで、お姫様は目覚めました』
ユールは曖昧に笑って、ルナの頭を撫でた。
「……俺は、そんなことしちゃいけないんだよ」
リファちゃん、ごめん。
何度心の中で謝ったか、わからない。
一人で戦っているつもりだった。でも、リファリールに全部引き受けさせた。
せめて直接謝るまで、口付けなど、できるものか。
ルナは首を捻っている。
「毎日お見舞いにくるのに、好きじゃないの?」
「好きだよ。でも、こんなんなったの、俺のせいだからさ。ルナちゃんにはまだ難しいか」
子供扱いに、ルナはぷっと頬を膨らませた。
「……リファちゃん、また明日」
ルナと階下に降りると、ランスロットがキャベツのサラダと茹でモロコシを並べていた。
「夕飯には早いけど、食べてってよ。ユールさんがもらったのに僕らばっかりじゃ悪いから」
「そういう気ぃ使わなくていいのになあ」
「……食べなきゃ、だめだよ」
勘のいい子供だった。
リファリールが眠ってしまったのを知ってから、ユールは空腹を感じなくなっていた。とりあえず口に押し込んでみても、味がしない。
石がどっさり詰め込まれているように、常に胃の辺りが重かった。
黙り込んだユールを、ルナが心配そうに見上げている。手を繋いでくれた。
いい子たちだった。
そして、ディアンとルッコラの厚意を無下にするのもよくないと、思い直す。
「ご馳走になるよ。ありがと」
二人と食卓を囲んで、その日は少し、食べられた。
すももは静かに熟れていく。
うっすら甘い香りを漂わせ、手にとれば吸いつくようだ。
「ルナちゃん、食っちまおうか」
その日、ユールは床に座って絵本を読んでいたルナに言った。
「お姉ちゃんにあげたんでしょ」
「熟れすぎると味が落ちるよ。いいときに食わなきゃすももに悪い」
食べごろの証拠に、軽く爪をかけて引くだけで、するすると皮が剥がれる。
夏の光の下で、甘酸っぱい芳香が金の粒になって広がっていく。
心の中では、未練がましく彼女の名を呼んでいた。
リファちゃん、これ、食っちまうよ。
起きてくれよ。
睫毛が震えた。
時がきて蕾が開いていくように、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
リファリールは、すももを剥く手をぼうっと見つめていた。
橙色の果肉からぽたぽたとしずくが落ちるのが、惜しかった。
とても喉が渇いていた。
それに、お腹がぎゅうっと鳴った。
その音に顔を上げたユールと、目が合った。
少し恥ずかしかったが、ねだった。
「ひとくち、欲しいです」
「ママ呼んでくる!」
叫んで、ルナがばっと駆け出していく。
ユールがほんのちいさくちぎった果肉を、リファリールの口にもってきてくれた。
夏のかけらが、リファリールを目覚めさせていく。
身体を起こして、もっと欲しいと甘えると、ユールは餌を運ぶ親鳥のように、ひとくちずつ食べさせてくれた。
リファリールは、ふふ、と笑う。
ユールがいて、嬉しかった。
すももをひとつ食べきって、体中がまぶしくて、両腕を空に伸びをした。
ユールを見つめて、怪我をして帰ってきたのを、悪い夢のように思い出した。
「ユールさん、具合どうですか?」
とたんに、ユールの顔が、くしゃっと歪んだ。
リファリールが心配そうに訊いてくる。
「まだ、どこか痛い? がんばったけど、頭もお腹もひどかったから……上手くできなかったかも」
ユールは言葉を絞り出した。
「どこも痛くねえよ、元気だよ。全部、信じらんねえくらい綺麗に治してくれた……!」
「じゃあ、どうして泣いてるの?」
言うべきことは、単純なはずだったのだ。
何度も考えた。彼女が起きたら、真っ先に伝えないといけないこと。
「治してくれてありがとう」と「無理させてごめん」だ。
なのに、でてきたのは情けない甘ったれた泣き言だった。
「怖かったんだよ! リファちゃん、もう起きねえんじゃねえかって……!」
リファリールは、きょとんと首を傾げる。いつもの仕草だった。
「俺のことなんか、いいんだよ。こういう仕事なんだよ、痛え目にあってもしょうがねえ。でも、リファちゃんが辛えのはダメだ、死んじまうなんて絶対ダメなんだ!」
涙がぼとぼと落ちて、拭っても拭っても止まらない。
「リファちゃんは長生きだって、俺が死ぬまで一緒だって言ってくれたじゃねえか。俺、置いていかれたら、耐えらんねえよ。もう大事なもんを失くしたくねえよ。なんで生きてんのかわかんなくなっちまう……!」
「ユールさん、わたし、大丈夫だから」
項垂れる頭を抱きしめてくれる。
角が尖っていて危ないのに、それすら、根本を優しく撫でてくれるのだ。
「あのね、わたしもおんなじ。ユールさんが大好き。痛いのは早く治してあげたいし、死んじゃうなんて絶対、嫌なの」
ユールは、後は何も言えなかった。リファリールに縋り付いて、背中を丸めて、声を上げて泣いた。
ララは、そっとテラスを覗いて、引っ込んだ。
ルナとランスロットを振り返って、口の前に人差し指を立ててみせる。
「……ご飯作っといてあげよっと」
察しのいい兄は踵を返した。
妹の方は顔をしかめている。
「山羊さんなんで泣いてるの? お姉ちゃんが起きたのに嬉しくないの」
「とっても嬉しいときや、安心したときも泣くんだよ。お姉ちゃんのお水、汲みにいこっか」
ララはルナと手を繋いで、階段を降りていった。
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物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
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これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
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