黒山羊と花の乙女

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24.光輝の騎士と種苗の魔術師

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 花祭りを三日後に控えた朝。

 空気は夜明けの涼やかさを残しているが、夏至をとうに過ぎても衰えを見せない日差しが、地を温めはじめている。

 ギルドの訓練場の塀には、春の終わりにフィミーが種を蒔いた朝顔が生い茂って、一面に赤紫のラッパ型の花を開いている。

 ユールは、その一つをちぎって口に含んだ。食事は済ませていたが、朝一番のみずみずしい花には、つい手が伸びてしまう。
 薄く柔らかな花びらは、ビロードのように舌に滑らかで、さっぱりした甘みの蜜が楽しめる。

 けれど、リファリールの花と比べれば、物足りなかった。
 前の休みに食べるのを我慢したのがよくなかったのか、日に日に欲求が増していく。

 ギルドの中にいても、彼女の濃い蜜の香りを嗅ぐと、性欲と食欲が絡み合った衝動に囚われそうになる。

 ユールは首を鳴らすと、地にぺたりと脚を開いて、柔軟運動を始めた。
 気を紛らわすには、身体を動かすのが一番だった。
 




 訓練場には、夜行性の種族を除いて、登録されている傭兵のほとんどが顔を揃えていた。
 今週は祭りの舞台や臨時の休憩所の設営で忙しく、塀には白墨で分担が記された板が立てかけられている。

「祭りはいいんだけど、結局俺らは遊べないんだよね」

 ラパンがこぼす。
 傭兵たちは、働き蟻よろしく準備をしても、当日はもれなく警備に駆り出される。

「アナちゃんの最後の花娘、楽しみたいって?」
「そりゃね」

 祭りで髪に花を飾り、衣装をつけるのは、未婚の娘のみだ。
 秋に婚礼を控えている白兎は、仲間にからかわれて、垂れ耳の先をいじって照れ臭そうにする。

 ユールはその横で、手持ち無沙汰に屈伸をしていた。

「これ何待ち? 舞台、遅れてっから行きたいんだけど」
「知らないけど団長が集まっといてって言ってたじゃん? ……あ、なんか来る」

 ラパンは耳をぴくっと動かした。

 間もなく団長とともに訓練場に姿を表したのは、騎士の一隊だった。

 東街道中央街に駐屯している騎士団ではない。質素な紺一色の上衣の彼らと違い、目の前の騎士たちは、白銀に金糸の刺繍が華やかな上衣に、サーベルを下げていた。

 団長が声を張った。

「注目! 皆、祭りに王女殿下が来られるのは聞いていると思うが、こちらは……あー、うん、近衛隊の方々だ。この機会に視察だそうだ」

 騎士の先頭、隊長格を表す三連星の階級章をつけた一人が進み出て団長に並んだ。

「王軍近衛第七隊、シェフィール・トロワジェム以下五名! 日々、民の安寧に尽力する諸君に敬意を表するものである!」

 隊長シェフィールにならい、騎士たちは統率のとれた動きで敬礼した。

 部下は皆人族だが、シェフィールは牧神型の馬族だ。

 ピンと背筋が伸びて姿がいい。金の短髪に、切長の蒼い目をしている。
 耳も鼻も人族と同じだ。一方で、上衣の背中側の裾からは、髪と同色の、金の絹糸のような飾り毛の尾を靡かせている。
 膝で切ったトラウザーズからは馬族特有の美しい曲線の脚が伸び、割れのない黄金の蹄で、地を踏みしめていた。

 後ろには、受付や厨房の女性たちが、王都のきらきらしい騎士たちを見物に集まりはじめている。
 シェフィールが彼女たちに視線をやって涼やかに笑みかけると、キャアキャアと歓声が上がった。

「婦人の笑顔は大変よいものである」

 シェフィールの鷹揚な物言いに、団長が「恐れ入ります」と畏まった。

「……なんだろねコレ」

 ラパンが面白くなさそうに呟く。他の傭兵たちの反応も似たようなものだ。
 王軍の下部組織である地方騎士団の所属ならともかく、傭兵は彼らに世話になっているわけではない。
 偉いようだとは察しても、無闇に持ち上げてやる気はなかった。

 しかし、シェフィールは、彼らの冷めた反応に気を悪くするどころか、むしろ喜ぶようだった。

「傭兵とはかように姿形が多様であるか。態度もへりくだる風が一切ない。なんとも面白い」




 ユールはといえば、騎士たちより少し後ろに控えている、長身の青年のほうに気を取られていた。
 リファリールがそばについて、なにやら話している。

 彼は、焦茶の長ローブのフードを外して、顔を朝日に晒していた。
 その肌は、リファリールと同じ、淡い緑だ。
 いくぶん茶色がかった、ゆるやかにうねる緑の髪を、うなじで結んでいる。どこか眠たそうな、優しい顔立ちだ。片側のこめかみからは、紫の小花の花房が垂れていた。

 間違いなく、男性の樹花族だった。

 リファリールはユールを含め、他種族ばかりに囲まれて、やはり寂しかったのだろうから、ここで心の狭い態度をとってはいけないと、わかってはいる。
 それでも、既に気心が知れた様子で、親しげに微笑みあっているのを見れば、気持ちが騒いだ。
 リファリールがユールに本当に打ち解けた表情を見せてくれるまでには、軽く半年はかかったのに、同族の彼はあっさりその道のりを追い抜いていくようだ。

 ユールの視線に気づいたリファリールが、ちいさく手を振る。ユールは少し安心して手を振りかえし、すかさず隣の仲間に小突かれた。

 そのやりとりに気づいたらしい樹花族の彼も、片手を上げた。

「はじめまして、皆さん。中央魔術師団のグリムフィルドと申します。僕もまあ、このたびは殿下のお供でお邪魔しています」

 低い穏やかな声だが、よく通った。
 シェフィールが咳払いをした。

「さて、忙しい中であろう! 早速だが、諸君の力量を確かめたい。腕に覚えのあるものは名乗り出よ。私と一戦、交えてもらおう」
「シェフィール様、それはいかがかと……」

 段取りにないことなのか、団長が止めようとする。

「団長殿、心配は無用である。後れをとるつもりはない」

 傭兵たちは顔を見合わせる。

「王都の騎士さんが何か言ってんよ?」
「おい、蹄にゃ蹄だ、やっちまえユール隊長!」
「お高い鼻っ柱蹴り折ってやれ!」

 数人がかりで背中を押され、ユールはしぶしぶ前に出た。
 シェフィールはユールより、頭半分ほど背が高かった。ユールは山羊族としては小柄でもないのだが、脚の長さは馬族には敵わない。

「名乗るがいい」
「……ユール」
「若く見えるが、隊長職か」
「あれは冗談っす。俺、剣はやんねえから別のやつがいいと思うけど」

 戦えないとは言わないが、いかにも名品といった剣を蹴り折るのは悪い。

「ならば組手でよろしい」

 シェフィールはサーベルを外して部下に預けた。
 まだ気乗りしないユールは、ラパンを振り返る。

「お前やらねえ?」
「俺荷が重いかなー。ちょっと強そうじゃん?」

 耳を立ててラパンは答えた。彼の力量判定は割に正確だ。

「押し付け合いとは、男らしくない。この街に私に敵うものはないという結論でいいのか?」
「騎士団も自警団もいるっすよ」
「もう行ってきた。その上で言っている」

 シェフィールは口の端を釣り上げて、挑発する笑みを見せた。

「ユール、さっさとやれ。お前が負けたらあの大口は俺が閉じてやる」
「おう、試験の前に、ちょっといいとこ見せてやれ!」

 スヴェラードとディード、本物の小隊長二人に命じられて、結局ユールが相手をすることになった。
 団長が側にきて、黒山羊の尖り耳にこそこそと吹き込む。

「くれぐれもお怪我のないようにな!」

 要は接待試合だ。加減は苦手だが仕方がない。せいぜいガードの練習をさせてもらうことにした。
 ちらっとリファリールの方を見る。グリムフィルドの横で、成り行きを心配しているのか胸の前で祈るように手を握っている。
 乱暴だと思われるのも嫌だが、格好の悪いところを見せたくもなかった。

 ユールは一応、断った。

「俺あんま綺麗な戦い方しねえけど、いいっすかね」
「遠慮は無用である。其方、面白い気配がある。存分にその脚振るってみせよ」

 向かい合うシェフィールが、全身に薄く魔力を纏い始める。
 団長が短い制限時間を決め、開始の宣言をした。




 疾風だ。
 飛んできた蹴りの鋭さに、意識が切り替わった。

 ぎりぎり、反射が間に合う。
 魔力同士の衝突で空に走った雷撃は、ユールの角にぴりっと纏わりついて消えた。
 蹄を弾かれたシェフィールは、形のよい眉を片方上げた。

 シェフィールの魔力は、身体の表面にごく薄く膜を張るだけでも、鋼の鎧じみた硬さだった。
 魔力を入れない蹴りでは、ダメージが通らないどころかユールの身体の方が痛む。
 近衛の騎士ならお行儀がいいだろうと踏んでいたが、とんだ見込み違いだ。
 奔放な体術に、リーチの長い蹴りで急所を狙ってくる。
 明らかに実戦に揉まれた戦い方だった。





 団長が冷や汗をかく横で、ディードが感心する。

「へえ、すげえじゃん、近衛の隊長さん! ユールとおんなじだよ」
「団長殿、我らが隊長はお強いので、ご心配なさらず。むしろ驚きですね、あの黒山羊殿、隊長に引けをとらないとは」

 麗々しい近衛騎士がそう応じるのに、ディードは親指を立ててみせた。

「うちの若手一押しなんでねあいつ!」





 同じ戦闘スタイルの相手を前に、ユールはつい熱が入りそうになる。
 シェフィールも同じらしく、蹴りの威力も身体に纏う魔力も増して、全身に光輝を帯びはじめていた。蒼い目までが、内側から照らされるように金に変わっている。
 回し蹴りで側頭を狙ってくるのを、ユールは腕を入れて弾く。ガードを失敗したら死ねる勢いだった。

「其方、大変面白い!」
「いや殺す気!?」
「まさか。捌けるだろう?」

 団長が何か言っている。たぶん、制限時間がきているのだが、相手が乗ってしまっていて止まらない。

 そのとき、ユールはシェフィールのものではない気配を足元に察知した。

 一拍ののち、地面が沸いた。
 無数に吹き出た緑の芽は瞬く間に伸びて、宙を舞うように闘っていた二人を巻き取った。
 蔓が螺旋を描き、赤紫のラッパ型の花がファンファーレを鳴らそうとでもするように、次々と咲き乱れる。

 急成長した朝顔は、二人の距離をとらせてそっと下ろすと、巻き戻るように地に消えていった。





 グリムフィルドが相変わらず眠たげな表情のまま、近づいてきた。

「お時間でございます。腕試しなら充分でございましょう」
「左様。少々興が乗りすぎた」

 シェフィールは蹄を鳴らして、ユールに歩み寄った。

「ユール、よい腕である。だが、なぜ加減した?」

 客に怪我をさせると面倒だからだが、ユールとしてはもう一つ、理由があった。
 戦う前は予感だったが、動作を間近で見て確信していた。
 なんとなく、声をひそめた。

「……気い悪くしねえでほしいんすけど。あんた、女みたいっていうか、女じゃないすか」

 シェフィールは特に否定もしなかった。

「侮りは心外である。しかし、婦女は護るべきというのが、其方の騎士道ならば許そう」
「侮れるほど、弱くないっすよ。余計やりにくくって」
「褒め言葉として受け取ろう。強者(つわもの)に認められるのは愉快である」

 シェフィールが踵を返すと、金の尾が雅やかに揺れた。




「なんだよ引き分けてんなよユール!」
「ってか何あの朝顔」

 やいやい言う傭兵たちだが、近衛騎士たちを見る目はいくぶん和らいでいた。
 強いものには、それなりの敬意を払う気質だ。

「諸君、大変結構であった! 今後とも励まれよ!」
「馬の近衛さんも悪くなかったぜ!」
「そっちも励めよ!」

 シェフィールの締めに対する親しげな野次に、騎士たちの数人は苦々しい顔をしたが、本人は機嫌よく尾を揺らしていた。

「よい部下を持っている。活気もある。引き続き、この地の要石として、守護の務めを果たされよ」
「もったいないお言葉でございます」

 シェフィールの言に、団長は胸をなでおろした。もとは騎士の彼には、彼女は一際特別な存在だった。




「詠唱も結印もなしであれって、感動ものだよ! さすが『種苗』の魔術師殿!」

 フィミーが興奮して話しかけると、グリムフィルドはのんびりと答えた。

「そんなたいしたことじゃないですよ。僕は樹なので、手足を動かすようなもの」
「じゃあリファちゃんもできる?」
「いえ、無理です。グリムフィルドさんが特別、強いんです」

 グリムフィルドはリファリールに、こともなげに言った。

「きみもあと二百年もすれば自然にできるよ。この世に飽きずにひとの姿でいるならだけどね」





 部下を連れて引き上げるシェフィールが、声をかけてきた。

「グリムフィルド、同族のご婦人であるな! 積もる話もあろう、其方は残るがいい」

 グリムフィルドは澄まして答えた。

「いえ、僕には王女殿下のお守りという大役がございますので」

 リファリールは少し残念な気がした。彼に聞きたいことが、まだたくさんあった。
 彼は魔術師同士、フィミーと別れを惜しんだ後、身を屈めてリファリールと目を合わせてくれた。
 
「リファリール、花束贈呈役の樹花族というのは、きみ?」
「はい」
「じゃあ、お祭りの日にまたね」

 グリムフィルドは、リファリールの頬に頬を合わせると、シェフィールの後について去っていった。

 リファリールは頬に手を当てる。魔力とともに、一言、共有されていた。

――ずいぶんひとに力を譲っているようだね。無理はしないんだよ。

 霧の森の大樹のように、優しいひとだと思う。ルルーシアを思い出して、懐かしい気持ちになっていた。
 生まれたばかりで不安定だったころのリファリールに、彼女は同じように頬を合わせて、よく魔力を分けてくれた。
 花咲く今のリファリールですら、はるかに年長のグリムフィルドからすれば、慈しむべき苗木らしかった。





 一方。
 無言で怒気を滲ませているユールに、ラパンが追い討ちをかけていた。

「え、あれやばくない? リファちゃん、ほっぺに手なんかあてちゃって、ポーッとしてるけど」

 ネムがユールの肩によじ登って、耳を引っ張った。

「ゆーる、大事ナコトヲ教エテヤル!」
「なんだよ」
「ドッシリ構エテロ! 男ノヤキモチホド見苦シイモンネエゼ!」
「……別に、気にしてねえよ。挨拶だろ、あんなの」

 ユールは強がってみせた。
 角がムズムズすると思って手をやれば、帰りそびれたらしい朝顔が絡んでいた。
 腹立ち紛れに食ってやろうかと思ったのが伝わったらしい。
 グリムフィルドの写し身は、小動物のように素早く逃げ出して、塀の朝顔に合流すると、もう判別がつかなくなっていた。

「じゃ、みんな持ち場行けよ!」

 ディードの号令に、傭兵たちはばらばらと動き始める。
 深呼吸して気を落ち着けてから、ユールはリファリールの側に寄った。

「リファちゃん、おはよ」
「おはようございます、ユールさん。さっきの、大丈夫でしたか? 痛いところ、ない?」
「あれくらい全然へーき」
「よかった。訓練ってわかっててもドキドキしちゃいました。グリムフィルドさんが止めてくれてよかったです」

 その彼とどういう話をしていたのか、気になって仕方なかったが、後ろめたそうな様子もなくニコニコしている彼女に根掘り葉掘り聞くのも、ネムの言う通りいやらしい気がした。

「……いってくんね」
「はい、怪我には気をつけて、がんばってくださいね」

 その滑らかな頬に頬をぐいぐい擦り付けて、先程の行為を今すぐ上書きしてしまいたい。
 けれど、気取った王都の客人ならともかく、ユールが真似れば周りに散々囃されるのが目に見えて、果たせないまま、その場を後にした。
 気にすることなんてない。どうせ、祭りが終われば街からいなくなる相手なのだと、自分に言い聞かせていた。

 働く前から、どっと気疲れした朝だった。
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