黒山羊と花の乙女

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25.花祭りの夜①

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 年に一度、晩夏の花祭りの夕方。

 暮れ始めた淡紫の空に、道をまたいで張り巡らされたロープから下がる、球状の紙で包まれた魔灯が、とりどりの光を投げている。
 道行く人々のざわめきと、出店の客引きの声が入り混じって賑やかだ。

 今年の開会の挨拶は、中央から招かれた王女が行うとの触れ込みもあって、例年より人出も増えていた。

 その昔、大いなるものに王権と光の魔力を授けられたという、光輝の一族。

 彼らはその力を持って、初めての城壁を持った都市である王都を築いたという。
 そこを起点に、東西南北の街道が整備され、各地の村は街に発展していった。

 はるか千年も昔の、言い伝えだ。
 それでも、信仰は続いている。
 光の守護者である彼らの祝福を受ければ、病が癒えるとも、寿命が伸びるとも言われていた。




 リファリールは、黒揚羽のオフィーリアの店で、開会式のために支度をしてもらっていた。
 新緑の長い髪を編み、うなじに纏めてもらうと、羊耳の下に満開に開いた左右の花が、すっきりとよく見えた。
 オフィーリアがコルセットの背を編み上げる。
 ララが、大きな花のような白いドレスを床に広げてくれるのに、脚を入れた。
 ひやりと滑らかなシルクの肌触りは、リファリールの花によく似ていた。

 リファリールの透明感のある薄緑の肌に、白い花のドレスはよく映えた。
 鏡の前で回れば、ふんわりと幾重にも重なったチュールの裾がついてくる。

「お綺麗でございますわねえ……」

 オフィーリアは、感無量といったふうに洩らした。
 リファリールは、この一夏のうちに少女から乙女に変身していた。
 すんなりと伸びた手足、ふっくらとした胸元や腰回りの曲線。
 小作りな目鼻立ちは、華やかでなくとも、静かにいつまでも眺めていたくなるような、清楚な美しさが滲んでいる。
 そして、二つに増えた花は、虫人からすればふらふらと平伏してしまいそうなほどの、魅惑の香りを漂わせていた。

 賛辞を贈られて、リファリールは「ふふ」と恥じらって微笑む。

「リファリール様、紅を」

 オフィーリアは仕上げに、リファリールの胸元に淡く滲む紅と同じ色を、筆でそっと唇にのせた。





 ノックの音がした。

「リファちゃん、用意できた? 入っていい?」

 男の声がひどく不躾に聞こえて、オフィーリアはむっとする。
 一方で、リファリールの目は輝いていた。

「いいよー!」

 ララが簡単に答えて、ドアを開けた。
 迎えに来たユールは、大きな体をいくぶん縮めて、遠慮がちに顔を覗かせた。

 リファリールは化粧台の椅子から立ち上がって、薄紅色の唇を綻ばせる。
 ユールは蜂蜜色の目を丸くして、しばらく無言だった。

 リファリールは胸元に手を組んで、不安げに首を傾げた。

「……あの、どうですか?」
「……すげえ、きれい」

 黒山羊の青年は、赤くなった鼻の周りを押さえて、小声で言った。

 ララがぎこちない二人を前に、ぽんと手を打つ。

「なにかに似てるなーって思ったら、花嫁さんの支度見に来た花婿さんだ!」
「勘弁してくださいよ。リファちゃんはともかく、俺こんなだし」

 汗だくで土埃にまみれているのを気にするらしい。
 でも、リファリールは知っている。
 彼は昨晩の前夜祭から、誘導や、喧嘩や迷い人の対応をして、ずっと駆け回っていたのだ。
 みんなが祭りを楽しめるように働いた、その汚れは誇っていいものだ。

「ユールさん、初めて会った時も、これ、つけてました」

 リファリールはユールの腕章に触れた。

「わたし、あのときユールさんに助けてもらえて、よかったです。一年たって、こうして側にいてくれるの、とっても嬉しい」
「ん……その、俺も、嬉しいよ」

 ララは笑いながら、リファリールの荷物を持った。

「開会式の後はお仕事戻るんだよね。リファちゃんが着てきた服は、ララがギルドに返しておくから。ユールくん、舞台裏までエスコートよろしくね!」

 手のひらをシャツの裾でゴシゴシ拭いてから、ユールは緊張した面持ちで、リファリールの手をとった。

 オフィーリアは、リファリールとユールの後ろを飛びながら、ひそやかにため息をつく。
 カナブンのアメランが憤慨しているのを聞いてはいたが、本当だったとは。
 同種間でのみ可能な共有で命を繋ぐ虫人の彼女には、異種との恋愛など、全く理解できない所業だった。

――しかも、よりによってこの黒山羊なんて。

 優雅な振る舞いを心がける彼女が、つい苛々と触角を揺らしてしまうほど、目の前の獣族への忌避感は強かった。

――リファリール様、早く、目を覚ましてくださるとよいのだけど。





 開会式が行われる舞台裏に着くと、カナブンのアメランが飛び出してきた。

「リファリールさん、お待ちしていましたよ! ああ、お綺麗だ素晴らしい!」

 羽を鳴らしながらまくしたて、二人の間に割り込んで手を引き剥がしつつ、触角でユールをピシピシ叩く。

「ハイハイご苦労様、ちゃんとお預かりいたします! 山羊さんはここまで!」
「アメランさん、まじでわかりやすいよね……。リファちゃん、近くで待ってるから。終わったら迎えに来るよ」
「はい」

 ユールが行ってしまうと、リファリールはとたんに緊張が強くなった。腹部がきゅうっと痛む。胸の中で、とくとくと鼓動が速くなる。
 不安な気持ちを紛らわすように、贈呈する大輪の向日葵の花束を抱いて、舞台袖に待機した。

 楽団の演奏と共に、開会式が始まる。
 舞台上には、大きな風の魔力の結晶が据えられて、街中に式の音声を伝えていた。

 アメランの畏まった声が響く。

「おそれながら、御紹介させていただきます。光輝の王族、王陛下が第三子(トロワジェム)、シェフィール王女殿下、御登壇でございます!」

 リファリールは、ここにきてはっと息を飲む。
 シェフィールという名に覚えはあった。けれど、偶然かと思っていた。

 王女が、グリムフィルドを従えて舞台に姿を表した。

 金の短髪にティアラを戴き、涼やかな蒼い目で、歓声を上げる人々に笑みかける。

 身体にそったラインの白いドレスの後ろ姿は、背面が大胆に開いていた。金糸の長い尾が、ドレスと一体となって晩夏の夕風に遊んでいる。
 腿まで入ったスリットからは、馬族の芸術品のような脚と黄金の蹄が覗いていた。

 先日ギルドにやってきた近衛隊長、シェフィールその人だった。

「歓迎の花束を、樹花族のリファリールさんよりお贈りさせていただきます」

 アメランが呼んでいる。出なくてはいけないのに、足が震えた。
 事前の練習とは全く空気が違う。眩い照明も、開けた空間も、あまりに多い人の声と視線も、怖い。
 その中にユールを探しても、見つけることはできなかった。

――大丈夫だよ、おいで。

 向日葵の花束から、言葉が聞こえた。
 グリムフィルドだ。
 リファリールは顔を上げて、真っ直ぐ舞台上を見た。

 見えなくても、心にユールを思い浮かべた。
 街のために働いている彼に、少しでも並べるようにと思って引き受けた話だった。

――わたし、がんばるから。見ててね、ユールさん。




 風の魔力の結晶を通して、澄んだ声が街中に届く。

「王女殿下。この一夏、光輝を慕い仰ぎ見て咲いた花を、どうかお受けとりください」

 清楚な美貌の樹花族の乙女が、光輝の王女に差し出すのは、鮮やかな黄の向日葵の花束だ。
 代々花屋を営む虫人たちが、この日のために丹精した、夏の記憶を閉じ込めたような一束だった。

「謹んでその思いとともに受け取ろう」

 シェフィールは雅やかに微笑んで、幼児を抱くような慈しみをもって、花束を抱き取った。
 向日葵が笑うように揺れる。
 リファリールには、また、言葉が聞こえた。

――袖に下がらずにいてくれる? まだ手伝ってほしいことがある。

 今日は濃紫に銀の刺繍の入った、正装のローブを身につけたグリムフィルドが、さりげなく手招きした。

 シェフィールは朗々と語る。

「王族の一員たる私は、光輝の化身として、全ての種を等しく愛し守るもの!」

 光の粒が、シェフィールの身を飾る。
 蒼い目が、金色に輝き始める。

「近年、毒の華の災禍を乗り越えたこの東の地に、隠れて久しかった樹花族が再び現れたのは、瑞兆である。リファリール、息災な姿を嬉しく思う! そして、はるか西の果ての地より参った樹花族にして『種苗』の魔術師、グリムフィルド!」

 グリムフィルドが一礼し、リファリールの手をとってシェフィールのもとに進んだ。

「ここにあいまみえた東西の樹木の化身とともに、花の祝祭の開幕を宣言する! 光輝をもって寿ぎ、歓待に応えよう!」

 シェフィールが差し出す花束に、グリムフィルドとリファリールは両側から手を添えた。

――リファリール、ともに、この街の人たちを思い、祈っておくれ。

 リファリールは目を閉じる。
 シェフィールとグリムフィルドの魔力は、間近で感じれば怖くなるほど強大だった。
 それでもそこに、微かでも、力を添える。

 この街で過ごした一年。
 千年の時を生きると言われる樹花族には、ほんのひとときだ。
 けれど、リファリールにとっては、生まれてから、これほど鮮やかな彩りに満ち、心を揺らした時間はなかった。

――わたしを受け入れてくれて、ありがとう。みんなが、幸せでありますように。

 三人の魔力によって、向日葵は黄金に輝き始める。

『親愛なる民草よ、健やかに、幸多かれ!』

 シェフィールが謳い上げると、眩いばかりの光球は、無数の輝く花びらとなって、高く夕空に噴き上がった。

 それは街中に降り注ぎ、どんな細い路地裏にも、ささやかな小屋にまでも舞い込んで、ひとひらひとひら、遍く人々の内に吸い込まれていく。

 救護室の医者と、転んで擦りむいた膝に薬を塗ってもらっている子供に。
 警備に跳ね回る白兎と、そっと会いにきた恋人の黒兎に。
 空を舞う梟と、その胸のペンダントに。
 摩訶不思議な喋るリスと、その家族に。
 黒山羊の女性と、その幼い子供に。
 出店で忙しく働く、鹿の野菜商の親子と、子供を宿したその妻に。

 ……全ての、街に生きるひとびとに。




 魔術に長けるエルフ族のララですら、驚くほどの力だった。
 ふわりと暖かくなった胸に手を当てて、彼女は蛇族の夫を見上げる。

「すごい、お日様みたい!」

 スヴェラードも、こればかりは認めた。

「光輝の王族なんて、なにをそんなに有難がってんのかと思ってたけどねえ。伊達じゃねえわけだ」

 樹花族二人の協力があっても、この広範囲の大人数に祝福を行うとは、およそひとの身とは思えない技だった。





 しかし、それを拒むものも、いる。

「要らねえ要らねえ、押し付けがましい、お綺麗な祝福なんざ……胸が悪くなっちまう」

 ひらり舞いこんでくる金の花びらに向かって、闇の魔力を帯びた黒いステッキが振られる。
 触れた瞬間、花びらは微かな音をたてて爆ぜ、消えた。

「だが、仕入れたい品は見つけたねえ」

 さすがに幾重にも守られた王族や、二つ名の魔術師には手が出せないが、樹花族の娘はこの街の一般人らしい。小耳に挟んではいたが、本当にいたとは。

 闇に溶ける毛皮の上に、仕立てのいい黒服を着たそれは、クツクツ喉を鳴らして忍び笑った。





 舞台袖に下がって、まだどきどきする胸を押さえながら、リファリールは訊いた。

「あの、王女様? 隊長さんではなかったんですか?」

 シェフィールは大股でドレスの裾を捌きつつ、悪戯っぽく笑う。

「うむ、私は王族の守護を役目とする、れっきとした近衛の隊長である。普段は二人の姉姫に近侍しておるものだ。……だが、私が王女でないとは一言もいっておらぬであろう」

 グリムフィルドが肩をすくめた。

「それは屁理屈というものでございましょうよ。黙っていた僕も片棒を担いでおりますがね」
「畏まった出迎えも型通りの演習も見飽きたのでな! おかげで面白かった。ユールは良かったな、できれば私の訓練相手に欲しかったのだが」
「地方の戦力を確かめると言いながら引き抜いては、本末転倒でございます」
「わかっておる」

 軽口を叩いているところに、アメランをはじめとする委員たちが飛んできて、平伏した。

「シェフィール王女殿下! もったいなくも光輝の祝福を頂戴し……グリムフィルド様、リファリール様へもなんと御礼を申し上げてよいものか」
「よい、顔を上げよ。民草の幸福を祈ることは、王族の第一の務めである」

 今度は弾かれるように頭を上げたアメランに、シェフィールは堂々と催促した。

「だが、さすがに空腹である」
「ただちに!」
「リファリール、晩餐を共にしよう。グリムフィルドと親交を深めるがいい。これはそのために伴ったのだ」
「あの、せっかくですけど、わたしこのあとお仕事で、迎えが」

 リファリールが答えかけるのに、アメランが飛びついてきて、多い腕を振った。

「リファリール様、いいですいいです言っておきます! ……いけませんよ、ありがたくお受けしなくては! 皆様どうぞあちらの馬車へ、花娘の舞台がよく見えるレストランにお席をご用意しております!」

 シェフィールが馬車の馬の首を親しげに撫でる横で、ほとんど引っ立てられてきたリファリールはアメランに念を押した。

「ユールさんに、ちゃんと伝えてくださいね。忙しい中なのに待ってもらうの悪いですから、見回りのお仕事に行ってくださいって」
「ハイハイ、よーっく言い聞かせておきますよ!」

 その物言いに、なにか嫌な予感がする。

「わたし、お食事をご一緒したあとは、救護室に戻りますから」
「そうおっしゃらず! グリムフィルド様、どうぞ一晩中でもご親交をお深めくださいませ!」

 グリムフィルドは、馬車に押し込まれたリファリールを気の毒そうに見やった。

「なんかごめん、リファリール。あのカナブン氏、すごいねえ」
「いえ……グリムフィルドさんに謝ってもらうことじゃないです……」





 リファリールの嫌な予感は的中する。
 迎えに来たユールを、アメランはとりつくしまもなくあしらった。

「リファリール様は、王女殿下御自ら、グリムフィルド様へお引き合わせいただきました。いいですか、あなた、もうリファリール様に纏わりついてはいけませんよ! 然るべき御方に巡り会えたことを、お喜び申し上げなくては!」

 畏まって、様付けに呼び変えている。
 まるでリファリールを差し出すことを決めている口ぶりだった。

 オフィーリアもまた、ユールの前に立ちはだかった。

「黒山羊のあなた。世馴れぬリファリール様に付け込んだようですが、あの方を真に想うというなら、潔く身を引きなさい」

 妙に熱っぽくなっている虫人二人の言いように、ユールは苦い顔をするしかない。
 いくら腹立たしくても、強く触れれば潰れそうな彼らには怒りをぶつけられないのだ。

「あのさあ、そこまで口出される筋合いねえよ。気にくわないのはわかったけど、あの子の警備は俺の仕事なんだよ。どこ連れてってんの?」
「リファリール様直々に、もう必要ないとのことでした。王女殿下のお側におられますので、近衛の皆様がともにお守りくださるでしょう。これ以上の安全はありません。あなたは見回りの仕事に戻るように。以上!」
「おい、勝手すぎんだろ!」

 アメランは、話は終わりだというように、金属質な緑の輝きの鞘翅を開いて飛んで行った。
 残ったオフィーリアが、ユールの背後で、呟いた。

「……悪魔(バフォメット)」

 ユールは、びくりと身体を振るわせる。

「なんで……」
「知らないとでも? ルミエールはお前のせいで死んだんでしょう」

 ユールは、自分が葬った彼の名を口にする黒揚羽を、振り返る。

「とってもいい子だった。服の作り方を教えてほしいって、お店に通ってきて。あんなところで働かされていたなんて、知っていたらすぐ自警団に通報したのに。摘発があって知った後では、全てが遅かった」

 虫人の表情は、ユールにはわからない。
 でも、その声には、哀しみと憎しみが滲んでいる。
 蝶の複眼に、何人もの自分が映っている。リファリールが知らない、後ろ暗い自分の姿を、この黒揚羽は知っている。

「……更生しているなら、言うまいと思っていましたよ。でも、いい加減に弁えなさい。リファリール様は、お前などが触れていいお方ではないの」

 黒揚羽は枝のような腕で、ユールの胸を指した。

「お前のようなものにすら、光輝の祝福は注がれたでしょう。あのお方が本来どのような存在か、誰とともにあるべきなのか、わからないとは言わせません」

 ユールは言葉に詰まる。
 舞台のリファリールは、この世界で最上の貴人と並んでも、見劣りしなかった。
 あまりに綺麗で、遠かった。

 胸に飛び込んできた金色の花びらは、純然たる善なるものだった。
 陽光のように暖かくて優しい中に、リファリールの気配があった。

 なのに。

 ユールには、針を突き通されるように、痛かったのだ。
 けして人前に出るのが得意ではない彼女が、勇気を振り絞ったことを知っているのに。
 素直に受け取ってやれなかったのは、嫉妬と後ろめたさが、胸の内に巣食っていたからだった。

 そして、今も、ユールはオフィーリアに何も言い返せなかった。

「もう、必要ないの。あの方のお幸せに、お前は邪魔」

 オフィーリアの言葉が、呪いのように胸に刺さった。
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