黒山羊と花の乙女

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26.花祭りの夜②

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 涼やかな夕風が吹き抜けるテラスからは、祭りの実行委員会長が保証したとおり、舞台で円舞する花娘の姿がよく見えた。

「在りし日の樹花族はかようであったのだろうな」

 シェフィールは、細いグラスの脚をとって、金色の発泡酒を傾けている。
 螢の虫人の給仕が淡黄色の光を放ちながら静かに食膳を運び、剣を帯びた護衛の騎士が店内に通じるガラス戸の側に佇んでいる。

 街の顔役たちとの正式な晩餐の前に設けられた、私的な王女の夕餉に、樹花族の二人は同席していた。

 正装のローブを脱いで、シャツを捲って寛いでいるグリムフィルドが答えた。

「ええ、このような風習が伝わるのを見るのは感慨深いものがございますね」
「其方たちが、豊穣を司るものとして愛された証左であろうよ」

 リファリールは王女と魔術師の会話を聞きながら、冷たい水をゆっくり飲んでいる。
 緊張が続いて、正直なところ、かなり疲れを感じていた。

 シェフィールが鮮やかなナイフ捌きで、花の形に整えられた人参を切り分けるのを見て、ユールのことを考えていた。
 彼は、祭りが近くなってからは、ずっと忙しそうだった。今晩も、せめて食事はちゃんととれるといいのだけど。

「リファリール?」

 グリムフィルドに気遣わしげに呼ばれて、いつのまにか俯いていたのに気がついた。

「あ……すみません」
「疲れさせたね。でも、おかげでよい祝福になったよ。この街のひとびとと共に暮らすきみの思いが必要だった」
「全くその通りである。よく務めてくれた」

 二人に労わられて、素直に嬉しかった。
 眼裏にはまだ無数の光の花びらが舞い、耳にはひとびとの歓声が響いている。
 みんな喜んでくれていたらいいと思う。
 そして、あのうちのひとひらが、ユールに届いていたら。

「わたし、ほんとうに少しお手伝いしただけです。シェフィール様と、グリムフィルドさんの力です」
「うーん、いや、やっぱりつられて使いすぎてるね。分けるよ」

 彼が席を立って、身を屈める。そのこめかみの紫の小花の房からは、ふわりと甘い香りがした。
 リファリールは上の空になった反省もあって、厚意を受けることにした。
 同族の魔力は霧のように抵抗なく馴染んで、身体がみるみるうちに潤いを取り戻していく。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

 彼の眠たげな目が、いっそう優しく和らぐのを見れば、気持ちも解れていった。




 
 その様子に、シェフィールは深く頷いて宣った。

「グリムフィルド。リファリールは大変愛らしい。其方と似合いである。妻として迎えてはどうだろう」

 リファリールは首を傾げた。偉い人ならではの冗談なのかもしれないと思った。
 席に戻った彼は、こともなげに説明する。

「気にしないでおくれ。殿下は縁結びがご趣味でね。こんなことばかり仰せになる」

 簡単に片付けられて、シェフィールは片眉を上げた。

「臣下によき縁を取り持つのは、主人の務めである。特に其方、ここ百年新たな同族に出会わぬと言っていただろう。悠長が過ぎるというものである」
「仕方ありますまい。世に飽きれば樹に変ずる種族でございます。僕のようにいつまでも二足で歩き回っている方が珍しいのですよ」
「……それだけが理由ではなかろう」

 のらりくらりと答えて水のグラスに口をつける彼を一旦置き、彼女は矛先を変えた。

「リファリール、王都で私に仕えぬか」

 リファリールは思わず彼女の面を直視していた。視線がぶつかる。蒼の瞳の底に、金色が閃きはじめていた。

「私は、其方たち樹花族を守りたい。争いを好まぬ其方たちが、癒しの力ゆえに狩られた悲運には以前より心を痛めるところである」
「いえ、あの」

 リファリールが首を横に振っていいかけるのを、王女は片手を上げて制した。

「加えてだ。樹花族は、獣族たちと生きるには命が長すぎる。リファリール、其方とてこの街のものの中で生きれば、心を通わせた相手とどれだけの別れを繰り返すか。……その点、其方の同族のグリムフィルドだけではなく、我々光輝の王族は、其方たちに劣らず長命である。ともにあろう、歓迎する」

 シェフィールは微笑んでいる。そこに悪意は感じられないのに、空恐ろしい。
 ぴたり、視線を捉えられて外せない。

 全ての種を愛し守ると公言する、光輝の王族。姿形は獣族でも、身に宿す眩いばかりの魔力は、とてもひとのものと思えない。樹花族に劣らない寿命というのも、嘘ではないのだろう。
 彼らはその力をもって大いなるものの代行者を自任し、民を統べる存在だ。

「仕えると言えど、特に何をせよというつもりもない。健やかにあってくれればそれで……いや、できれば、グリムフィルドと睦まじく、次の代の樹花族を栄えさせてくれればよいのだが。どうであろう?」

 言葉は柔らかくとも、金の瞳のシェフィールの言は、もはや命令だ。
 リファリールは、虫人たちが自分には訝しいほど恭しい態度をとる理由がわかるようだった。
 樹花族の蜜が虫人を心酔させるように、王族の光輝に射抜かれれば、ひとは自然、従ってしまう。

 この街を去って、彼女の庇護のもとで暮らす。
 同じ樹花族と睦んで、次の代の命を産む。

 それが紛れもない、文句のつけようもない幸せなのだと、刷り込まれてしまいそうになる。

 リファリールはテーブルの下で、ドレスのスカートを握る。
 眩しすぎて白く飛んでしまいそうな意識の中で、自分が巡り合った、大切な人の姿を探した。

 ふと、暗くなった。
 緑の肌の手が目の前にかざされて、王女の眼差しを遮っていた。

「殿下、直視はご容赦を。樹花族とはいえ年若でございます」
「ああ、其方ほどの耐性はないか」

 王女は金の長い睫毛を伏せる。再び目を上げたときには、瞳の色は蒼く戻っていた。
 グリムフィルドはそれを確認して、腕を卓上から引く。リファリールは詰めていた息を吐いた。

「殿下。僕たち樹花族の行く末を憂慮されるお気持ちは、大変有り難く」
「うむ、わかってくれるか。ならば」
「ですがお節介が過ぎます」

 今度は彼が、王女をぴしゃりと制した。

「樹花族は他種と生きられぬとお決めになるような仰いよう、随分でございます。御身は人と獣、異種の和合のしるしであると、常日頃より誇っておられる方のお言葉と思えませんね」
「む」

 痛いところを突かれたらしく、王女は口を引き結ぶ。

「何卒、輝かしき博愛を独善に堕されることがございませぬよう。……リファリール、きみも思うことはお言い。殿下は理不尽にお怒りになる方ではないよ」

 リファリールは息を整えた。

「シェフィール様、心配してくださって、ありがとうございます」

 桁外れに強い力を備えているだけで、悪気のあるひとではない。
 飲まれないように気を確かに持って伝えれば、きっとわかってもらえるはずと信じた。

「でも、わたし、この街が好きで……それに、もう、一緒に生きていきたいひとがいるんです。……そのひとは獣族だから、シェフィール様のおっしゃるとおり、わたしよりずっと早く、命の終わりがきてしまうけど……でも、最後まで一緒って、約束したんです」

 シェフィールと同じ、人と獣の半身を合わせ持つ彼。
 力は強くても気は優しくて、時々、心配性だ。側にいると、お互いに嬉しくて、安心で、幸せになれる。
 彼と離れて他の人と結ばれるなんて、考えられない。

「だから、お気持ちは嬉しいですけど、王都には行きません。ごめんなさい」

 目を直視はできなかったが、シェフィールの形のいい唇が、笑むのが見えた。

「ならばよいのだ、謝ってくれるな。愛ほど尊いものはない。グリムフィルド、諫言に感謝する」

 王女の側近は、胸に手を当てて一礼した。

「殿下のご寛容は何よりの美徳でございます」




 騎士が次の時間が迫っていることを告げ、シェフィールは召し替えのために一時、席を外した。

「リファリール、殿下を悪く思わないでおくれ。あのお方は、あるがままにいるだけで、ひとに頭を垂れさせてしまう。長い命の哀しみも、ご自身のお気持ちそのものだ。民を愛するお気持ちに偽りはなく、けれど、それゆえに孤独なお方だ」
「大丈夫です。……グリムフィルドさんは、だからシェフィール様の側にいるの?」

 光輝の直視に耐えて物を言い、同じく長い命をもって寄り添うことができるものが、そういるとは思えない。

「そうだね、お力になれればいいと思っている」

 リファリールは頷いて、訊ねた。

「グリムフィルドさんはなんだか、わたしが言う前から、考えていたこと、わかっていたみたい。どうして?」

 リファリールが話しやすいように助け舟を出してくれた。いつの間にか共有してしまっていたのだろうか。不思議だった。

「だって、きみは僕よりずっと温かい」

 グリムフィルドは答えて、リファリールの頬に触れた。夏の夜のぬるい空気の中で、彼の手は一際冷たく感じられた。

「僕たちは、愛するもののために姿を変える。きみの身体は、ずいぶん獣族に近くなっているから、もうそういう相手がいるんだと思ってね。……たとえば、冬至祭の山羊ユール・ゴートとか」
「そこまで、わかるの?」
「やっぱりかい。彼、朝顔に怒っていたからね。やきもちを焼かせてしまったようだ」

 そうだっただろうか。
 あのとき、普通に朝の挨拶を交わして、送り出した気がするのだけど。

「……グリムフィルドさん、もう一つ教えてください」
「うん、僕にわかることなら」
「わたし、ユールさんが好きなの。ユールさんの子供が欲しいんです。でも、何度種をもらっても、実らないの。……なにか間違ってるの? わたしでは、だめなの……?」

 密かにじわじわと広がっていた不安だった。
 ルルーシアは、確かに羊族の種でリファリールを宿した。
 でも、それは何かの例外、奇跡だったのかもしれない。
 自分よりずっと短い命しか持たない彼の、生殖が可能な時期を、そうと知らないまま実りの望めない交わりで縛っているのだとしたらと、怖かった。
 グリムフィルドは年若い同族の悩みに、穏やかな表情で答えた。

「大丈夫だよ。殿下も根っこを勘違いなさっていたけど、僕たちが若い時に人型をとって動き回るのは、そもそも異種を取り込むためだ。草木が生存のために、獣たちの強かさを獲得しようとしたのが、僕たちの起源なんだよ。だから本能的に異種に惹かれやすいし、ちゃんと子を為せるようにもできている」
「……本当に? 子供、できる?」
「うん。ただし命は授かりものだからね。焦らず、時をお待ち」

 グリムフィルドに保証してもらって、胸のつかえがとれていった。




 騎士の姿で戻ってきたシェフィールに、ローブを羽織った魔術師は肩をすくめた。

「隊長殿になってしまわれましたか。今宵はあのまま、こちらの習慣にならって髪に花でも飾られるかと思いましたが」
「この方が好きである。開会式では女装したのだからよかろうよ」
「女装とおっしゃいますな。そもそも女性でいらっしゃいますのに」
「とにかく、私は好きなものを着る」
「ええ、よろしゅうございますがね」

 グリムフィルドが返した手のひらに、開会式で贈呈された向日葵が一輪、現れた。
 彼はこめかみから自身の紫の花房も摘み取る。

「人の世話ばかり焼かれますが、殿下も未婚の女性でいらっしゃいます。郷に入れば郷にと申しますので、どうぞ」
「軍装で髪を飾れと?」
「そうは申しませぬよ」

 彼の手のひらで、向日葵は縮み、蔓を持つ紫の花が、その周りを飾った。

 グリムフィルドは跪いて、花の勲章を差し出す。
 シェフィールは受け取って、白銀の上衣の左胸、三連星の階級章の下にそれをつけた。

「うむ、これならば良い」

 シェフィールは満足げに頷き、リファリールを振り返った。

「リファリール、其方、こののちはいかにする?」
「シェフィール様、ご一緒させていただいてありがとうございました。わたし、お仕事に戻ります」
「其方傭兵ギルドにいたな。仕事は何か」
「治療師です」
「なるほど。ならば、其方もまた、この東街道中央街を守る兵の一人である」

 シェフィールは近衛隊長としての姿で居住まいを正し、敬礼した。

「今後とも励まれよ」
「はい、がんばります」

 リファリールが白い花のドレスの裾を摘んでお辞儀をするのに、グリムフィルドは常に眠たげな目をさらに細めていた。

「会えて嬉しかったよ。なにか困ったことがあったら、中央の魔術師団宛てに手紙をおくれ」
「はい、グリムフィルドさん。わたしも、お会いできて、嬉しかったです」

 最後に頬を合わせると、彼の声が聞こえた。

――愛らしい若木のリファリール、自分の選んだ相手と、幸せにおなり。

 リファリールも答える。

――グリムフィルドさんも、大切な方と、お幸せに。

 彼は、少し困ったように笑った。

「……わかる?」
「はい」

 グリムフィルドの所作を見ていれば、察せられた。

「……実は、かれこれ数十年、片思いだよ。僕も意気地が無いと言われればそれまでだけど、たいがい鈍いっていうか……悠長なのはどっちなんだかって話だろう?」

 ひそひそ話の樹花族二人に、シェフィールは声をかけた。

「グリムフィルド、やはり名残惜しいのであれば」
「いえいえ、参ります! 殿下のお守りが僕の仕事でございます」

 リファリールはつい、笑った。グリムフィルドの想い人は、強くて綺麗で、なかなか手強そうだった。






 階下の晩餐会に移る二人と別れ、リファリールは料理店を出た。
 ギルドまで騎士の一人をつけて送ると言われたのを、皆忙しいだろうからと遠慮した。
 食事をしたテラスからは、中央広場の舞台も、いつもユールと待ち合わせしている噴水も見えていた。いくら自分でも迷わない場所だ。

 予定の変更は連絡されているだろうけれど、早く仕事に戻らなくてはいけない。ギルドに帰れば、きっと気にしているユールにも伝わるはずだ。
 まだ夜は始まったばかり、夕方に別れてそう時間もたっていないのに、もう彼に会いたくて仕方なかった。






 思った以上の人波に苦戦しながら歩いて、噴水の近くで、見覚えのあるひとを見つけた。

「ラーニャさん!」

 大きく手を振ると、振り返った彼女は叫ぶように言った。

「リファちゃん、ルク見なかった!?」
「えっ、いえ……」

 傍には白山羊の老人が、申し訳なさそうにちいさくなっている。

「すまないねえ、わしが手を繋いでいたんだけど、駆けていっちゃって……」
「おじさん、戻ってくるかもしれないからここで待ってて。わたし迷子の届けしてくるから」

 道の端に寄ってすら、ひとの流れにもっていかれそうになるほどの混雑だ。
 ちいさな黒山羊の子供の姿は、どこにも見えない。
 心配で胸がきゅうっと締め付けられた。

「あっ、あの! わたしも探します! ルクちゃんわたしの花好きだから、匂いで来てくれるかもしれないです!」
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