黒山羊と花の乙女

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27.花祭りの夜③

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 半神型の黒山羊族の子供、ルクは、ちいさな身体で祭りの雑踏を潜り抜けていく。
 追いかけているのは、蹄の足だ。黒い毛皮に覆われて、二つに先が割れている。
 なんとか追いついて、声を上げた。

「とーちゃん!」

 しかし、見下ろしてきたのは、くるりと巻いた角を持つ羊族だった。顔まで毛皮に覆われている。
 間違えたと気がついて、ルクは声をかけられる前にぱっと逃げた。
 そして、立ちつくす。
 母も、一緒にきていた白山羊も見当たらない。自分がどこからきたのか、わからなくなっていた。
 ひとの流れのままに歩き回って、脚がだるくなってくる。道の隅に寄って、膝を抱えた。

「ルクちゃーん!」

 ルクは、聞き覚えのある声に、耳をぴくっと動かした。膝頭にくっつけていた鼻先を上げると、甘い、誘うような蜜の香りを嗅ぎつけた。

「りーちゃん!」
 
 たまに遊んでくれる、いい匂いのお姉さんだ。ルクは立ち上がって、声と匂いを頼りに、再び人波に飛び込んでいった。
 流れに逆らってもがいて、全然思うように進めない。

「りーちゃん、りーちゃん!」

 焦ってひとの間を無理に抜けて、勢い余ってその先にいたものにぶつかった。
 赤茶と黒の縞模様の毛皮の、太い脚。

「なんだあ、お前」

 低い唸りが降ってくる。恐る恐る見上げれば、巨大な顔の中に黄色の目が爛々と輝いて、ルクを睨んでいた。

「半人型(ハンパモン)のガキが、挨拶もできねえか」
「やだっ……!」

 逃げ出そうとする首を、虎族の男の爪が捕らえる。その指一本で、子山羊の身体は軽々と宙に浮かされていた。

「喰ってやろうか、あ?」

 にやり、剥き出された長い牙の片方は、鋼鉄の義歯だった。




 ひとびとが咄嗟に関わりあいを避けて、ぽっかり空いた場所に、ひとり、白い花のドレスの娘が飛び込んでいった。

「下ろしてください!」

 襟を締められながら高く吊られ、口をはくはくと動かしているルクの身体を、リファリールは腕を伸ばして取り返そうとする。

「タレス、返してやんな」

 闇から抜け出してきたような漆黒の毛皮と服の男に命じられ、タレスと呼ばれた虎族は、不服そうに鼻を鳴らしつつも、分厚い手の指に爪をひっこめる。
 落ちてくるルクの身体を受け止めきれずに、リファリールは尻もちをついた。

「ルクちゃん!」

 けほけほと咳き込んで、目に涙を浮かべてしがみついてくる。ズボンが生暖かく濡れはじめていた。

「いやあ、坊っちゃん、すまねえな。うちのもんはどうも、ガキのあやし方がなってねえ」

 黒ずくめの男は、するりと長い身体を持つ貂族だった。ステッキを小脇に、リファリールのそばに腰を落とした。

「これはこれは、樹花族のお嬢さんじゃないか。開会式見てたよ。有り難えもんだったねえ……おやいけねえ、坊ちゃんもお嬢さんも、服が台無しだ」

 粗相の染みていく服を気遣ってみせる。
 笑みの浮かぶ口元から出てくる言葉は、場違いなほど朗らかだ。しかし、その目は光を拒むようで、けして笑っていなかった。

「お詫びさせてもらわなくちゃあ……」

 絡みつくような気配に、リファリールはぞっとして叫んだ。

「いいです、構わないで!」
「そう遠慮してくれるなよ。事務所に来てくれ、着替えを用意させる。……おい、ご案内だ」

 虎族だけではなかった。気づけば肉食の獣族数人が、周りを囲んでいた。
 地に座り込んだまま、リファリールは震えるルクを渡すまいと腕の中に隠していた。

「なにしてやがる!」

 怒声に、反射的に身を固くした。
 壁のように立ち塞がる黒貂の手下を押しのけて、祭りの警備担当の腕章をつけたユールが、姿を現していた。

 彼は駆け寄ってきてルクを受け取り、リファリールを助け起こした。
 ルクが声を上げて泣き出す。リファリールも彼の腕に縋った。

「いやあ、たいしたこっちゃねえよ? ちょいとぶつかって、服を汚させちゃったもんで謝ってたところさ……」

 黒貂は膝を払って立ち上がる。上着のうちに手を入れると、金貨を一枚取り出した。

「せめて服代、とっといてくんな」

 リファリールは手を出さない。
 どんなに物腰柔らかに振る舞って見せようが、この黒貂には、光の花びらの気配がない。
 関わり合いになってはいけない相手だと直感していた。

「……いりません」
「参ったね。ま、無理強いもよかねえか」

 黒貂は金貨をしまった。

「こういうわけで仕舞いだ、山羊の兄ちゃん」

 そこに、虎族のタレスの影が、ゆらりとかかった。

「ムカつく面だと思ったらよお……それ、てめえのガキと女か?」

 ユールは答えた。

「……関係ねえ子だよ」

 その声の暗さに、リファリールはユールをはっと見上げる。

「ふうん……おい、『山羊角の悪魔バフォメット』。忘れちゃいねえだろうな? 似合いもしねえそんなもんつけてよ」

 虎の鋭い爪が、ユールの腕章を指していた。

「うるせえ。失せやがれ」

 ユールからは、今まで感じたことのない、周りの全てを呪うような魔力が滲みはじめていた。
 彼はリファリールに目をやることなく、まるで知らないひとのように険しい顔で、虎と睨み合っていた。

 カツンと、黒貂のステッキが石畳を突いた。

「ああ、リス使って密告バラした山羊ってのは、お前か。強かったらしいなあ、散々興行荒らして勝ち逃げって聞いてるぜ。そんで今は蹄洗って正義の味方、と。……上手くやったもんだ」

 リファリールの知らない彼を、黒貂はニヤニヤ笑いが浮かぶ口で、暴き立てていく。

「っ、くそ。……やめろ!」

 ユールの声は動揺していた。
 対して黒貂は飄々と続ける。

「うん、責めてねえよ? 先代オヤジのやり方はよくなかったもんなあ。捕まるようなことはしちゃいけねえ」

 くるり、ステッキを回してユールの鼻先に突き付けた。

「そう邪険にしてくれるな、こいつらもお前と同じだよ? やらかして捕まろうが、後ろ指指されようが、その先も生きていかなきゃならねえ。俺はメビウスってもんだ。クラインの後継として、行き場のねえやつらに、新しい居場所を作ってやってるわけだよ」

 触れている腕から、伝わってくる。
 ユールは、脅かされた子供を抱いて、傷を負った獣のように激しく怒って……そして、怯えていた。

 リファリールはユールの腕を離した。

 彼とメビウスの間に割り込んで、禍々しい気配を漂わせる黒いステッキの先を押さえた。
 とたん、金属を擦り合わせるように不快な軋みが身体中に広がりはじめる。

「リファちゃん、ダメだ!」

 ユールが叫んで、片腕でリファリールを引き戻そうとする。
 それでも、リファリールはステッキを離さなかった。
 触れてはっきりわかった。
 これは、よくないものだ。

「これ、ユールさんに向けないで!」

 対抗して魔力を流し込むと、正反対の性質に反発して、ステッキがびりびりと震え出した。

「へえ。お嬢さん、面白いねえ……」

 メビウスの目が、三日月のような弧を描いた。




「あれ、なんかもめてる? 大丈夫?」

 伸びやかな少年の声にリファリールが目をやると、ランスロットがいた。長い尾を波打たせる彼は、ユールと同じ腕章をつけている。
 その側には、クロードの姿もあった。こちらは夕闇の中、黒の鱗には火の魔力による紅の文様を浮き出させている。

「僕ら今日だけのお手伝いなんだけどさ」
「道のど真ん中で邪魔だねえ。お喋りしてえならまとめてギルドに案内してやろうか」

 クロードは炎のように赤い舌を覗かせて、しゅーっと蛇の警戒音をたてた。

 魔灯のさがるロープをくぐって、空からフロックも降りてきた。
 帽子の影から、金の目で黒貂を見やる。

「よう、メビウス」
「梟の旦那まで。愉しい夜だねえ」
「俺にゃ眩しすぎるぜ。ひとが多いと面倒も増える。で、なにやってんだ?」
「ちょいと、挨拶をね?」

 メビウスはステッキを返して肩を叩いた。
 リファリールと、その背を支えるユールについと顔を寄せる。

「賑やかになってきたから、今晩はこれくらいでな。商売替えならいつでも歓迎するぜ……悪魔バフォメット

 ユールは答えず、ただ、音がするほど奥歯を噛み締めていた。





 手下を連れて歩くメビウスは、ぱちんと指を鳴らした。
 それを合図にひらひらと現れたのは、蝙蝠族だ。

「ボス、お呼びで」
「樹花族の女。洗え」
「承知しました」

 短いやりとりののち、蝙蝠は再び、祭りの喧騒にまぎれて消えた。
 メビウスが煙草をくわえると、タレスが身を屈めて火をつけた。紫煙がゆらり、密やかな毒のように、浮かれた空気に溶けていった。





 リファリールは、ルクを抱いたユールと一緒にギルドに戻った。
 ラーニャが待っていた。

「ルク!」
「……かーちゃん」

 ユールの腕から、泣き腫らして疲れ切った子供が母親のもとに返される。
 リファリールがその場で治療して、身体には傷も痛みも残ってはいない。けれど、心が受けたショックは癒せない。

「ラーニャさん、あのさ、着替えある?」
「ええ! ルクごめんね、お着替えしようね。ひとり、怖かったねえ……」

 休憩室に入っていくラーニャの襟元を、ルクのちいさな手が握りしめていた。





「……リファちゃん、ごめん。俺、守るって言ったのに。怖え思いさせた」

 そう謝るユールは、ひどく思い詰めて見えた。

「あの、わたしなら大丈夫です。ユールさん、助けてくれてありがとうございます」
「俺、なんにもできなかったよ」
「そんなことないです! 真っ先に、見つけてくれました」
「……アメランさんから、もう要らねえって聞いてたけどさ。リファちゃんの花の匂いがしたから、追っかけてて」

 やっぱり心配させていたのだと思うと、申し訳なかった。

「勝手に予定変えちゃって、ごめんなさい」
「……いーよ。リファちゃん、せっかく同じ樹花族に会えたんだからさ。もっとゆっくりしてたってよかったんだ」
「充分お話できました。グリムフィルドさんってとってもいいひとなの。話してると不安がすーっと消えてくみたいで、それに、いいこと教えてもらったんです!」
「そっか」

 ユールが辛そうに視線を逸らした。顔色が悪い。
 今話す内容ではなかったと、反省した。

「わたしより、ユールさん、大丈夫ですか? 救護室で休んでいきませんか」
「へーき。リファちゃんこそ無理しないでよ。今日、もう帰ったら」
「ううん、最後まで頑張ります。今晩はきっと、先生だけじゃ大変です」

 救護と迷いびとの案内で開放されているギルドの廊下はざわざわとひとの気配で満ちている。

「ユールさん、でも、あのね」
「うん」
「朝、お仕事終わったら、迎えに来てほしいです」
「……わかった」

 ルクを着替えさせたラーニャが、休憩室から出てきた。母の肩に頭を預けて、指を吸いながら、ルクは寝息をたてていた。

「ラーニャさん、家まで送るよ」
「ありがとう。おじさんがはぐれたところでまだ待ってるの」
「ん、じゃあ寄って行こ」

 ラーニャがリファリールを見て、眉を下げた。

「リファちゃん、そのドレス! ごめんなさい……」
「大丈夫です、わたしも着替えありますから。ね、ルクちゃんゆっくり休ませてあげてくださいね」
「ありがとう。本当にごめんね……!」

 三人と別れて、リファリールも更衣室に向かった。ロッカーにはちゃんと、ララが届けてくれたワンピースと、仕事でつけているエプロンがあった。
 ドレスを脱いで、編み上げの下着を解いていると、じわりと悲しい気持ちが滲んできた。
 ここは、きれいな、楽しい、幸せなことばかりの場所ではないのだ。

 でも、めそめそしたくはなかった。
 リファリールは、ここで生きていくと決めたのだから。
 ぱちんと音を立てて頬を両手で挟み、気持ちを切り替える。
 しっかりした綿のワンピースの上に、胸当てのついたエプロンをかけて腰紐を結んだ。

 ドレスは染みている部分を水で流して、形を整えて吊った。
 服は汚れたら、洗えばいい。それだけの話だ。

 気がかりなのは、脅かされて傷ついた心の方だった。
 ルクとユールが、リファリールには重なって見えていた。
 雑踏の中で出会ってしまった彼らが、ユールが言っていた、傭兵になる前に付き合いがあったものたちなのだろう。

――悪魔。

 そう呼ばれていた。
 けれど、今のユールはけっしてそんなものではないと、伝えたかった。

 救護室に行くと、患者の行列を前に医者が奮闘していた。

「リファリール! ああよかった! もう僕一人じゃ全員診る前に夜が明けると思った!」
「遅れてすみません。忙しいときに行かせてくれてありがとうございました」

 深く一度、頭を下げて、仕事に戻った。





 ユールは、白山羊と合流して、宿屋まで三人を送り届けていた。
 ふうと一つため息をついて、夜空を仰ぐ。

「おつかれさん」

 フロックが傍に舞い降りてきた。

「……さっき、ありがと」
「ん。お前、よく我慢したよ。ああいう手合いはこっちから手ぇ出したら負けだ」
「わかってる。でも、助けられてばっかだよ。情けねえ」

 フロックはユールが保護されたときはまだ、この街にはいなかった。けれど、事情は知っている。

「……あいつと知り合い?」

 目と勘の良さでギルドの諜報を担う彼は答えた。

「メビウスは監視対象。元はクラインの舎弟で、別の街仕切ってた。最近こっちで残党集めはじめてる。表向き古物商ってことで店構えて商売してるが、怪しいもんだ。……ちゃんと動きは見てるから、お前は関わんな。任せとけ」

 血塗れの過去が蘇る。
 タレスの牙は、ユールが折った。それだけではない。取り囲んできたメビウスの手下には、見覚えのあるものがいた。
 片目を潰したもの。鼻を砕いたもの。
 全て、ユールがやったことだ。
 なかったことになど、ならないのだ。
 突きつけられた黒いステッキが告げていた。
 憎悪の応酬は、終わっていない。

――こいつらもお前と同じだよ?

 フロックは俯くユールに続けた。

「ユール、おい。気ぃしっかり持て。リファちゃん、守ってやりたいんだろ」

 そのリファリールにまで庇われた。怖がって腕に縋ってきた彼女だったのに、自分が竦んだせいで、前に立たせてしまった。

――もう、必要ないの。あの方のお幸せに、お前は邪魔。

 同族に会えて喜んでいる様子が辛くて、ろくに話も聞いてやれなかった。

――グリムフィルドさんってとってもいいひとなの。話してると不安がすーっと消えてくみたい……

 いっそ嫌な相手なら、思い切り憎めた。
 けれど、朝顔も光の花びらも、穏やかで優しいばかりだった。
 暗い、汚いものを腹に溜めているのは、自分の方だ。

「俺でいいのかな……」

 気弱な呟きを漏らすユールの肩を、フロックは片翼を広げて叩く。

「ったく、馬鹿か。……行くぞ」





 フロックについていった先には、ラパンが待っていた。

「なんか変なのいたって? 怖いからこっから先は俺らと組んでよ」

 冗談めかして言うが、むしろユールへの気遣いなのだとわかった。

「ユール。みんな、割とお前のこと頼りにしてんだよ。だからお前も頼れ。抱えんな」
「えっ、フロックなんかいいひとみたいなこと言ってる?」

 ラパンにまぜっかえされても、フロックは至極真面目な顔で言い切った。

「ああ、俺は優しくて強いふくろうさんだからな」
「フイテヤガルゼ!」

 ラパンのベストのポケットからネムが出てきて、ユールの頭に飛び乗ってきた。顔に逆さにぶらさがって、いっぱいに広げた両腕で、ユールの口の端を押し上げてくる。

「ゆーる、シケタ顔シテンナヨ! 笑エ!」

 無茶をいってくれる。出てくる笑いは、少し苦い。
 それでも勇気づけられて、ユールはネムを捕まえてシャツの胸ポケットに入れた。

「行こっか」

 まだ祭りは続いていて、ユールたちの手助けを必要とするひとたちも、たくさんいるのだ。
 それが、リファリールが認めてくれた、ユールの仕事だった。
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