黒山羊と花の乙女

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39.決着

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「リファちゃん……!」

 ユールは手を伸ばした。血糊で片目が開きづらい。視界がぼやけて、揺れている。でも、この香りは彼女だ。

「大丈夫!? 怪我とか、ひでえこと、されたりとか……!」

 大きな花の影になって、彼女の顔の上半分が見えない。
 彼女は薄い唇を開くと、心底苛立った口調で言い放った。

「このスットコドッコイ!」
「えっ」

 思わず間抜けな声が出た。ずいぶん時代がかった罵り方をされた気がする。

「あなたね、なにが守るよ! この子、あっさり攫われちゃってんじゃないの! 詰めが甘い!」
「……ほんとすんません……リファちゃん?」
「ちょっと、なにこれ、信じられない、ひとの心配してる場合じゃないでしょう! あなたたち、ほんとうに野蛮で嫌だわ! リファリールにこんなもの見せるんじゃないわよ! どれだけ心配すると思ってるの!」

 彼女は怒りながら、ユールの折れた脚に、ちぎれた耳に、蔓を伸ばした。

「う……!」
「じっとしてなさい」

 傷の熱感が、ひやりとした蔓に吸い取られていく。
 しかし、見る間にユールの半身がぐるぐる巻きになっていくのに、スヴェラードが「おい」と後ろから声をかけた。
 彼女は振り向きもせずに答えた。

「心配しなくても、治すだけよ。気が散るから、その物騒なものから手を外してくれる?」

 スヴェラードはしゅっと警戒音を鳴らしたが、両手を上げた。

「誰も彼もわたしを魔物扱い、失礼しちゃうわ! こんなに娘想いなのに」

 絡んだ蔓が発光したとたん、ユールは悲鳴を上げた。

「痛ってえ!」

 通常癒えるまでに感じる痛みを、一瞬で全て叩き込まれていた。普段のリファリールの治癒術がどれだけ優しいか身に沁みる。
 滲んだ涙に血糊が溶けて、文字通り血の涙を流しているユールの顔を、彼女は嫌そうに口を尖らせながらも蔓の一本でゴシゴシ拭いた。
 両脇を支えて、立たせた。

「治ったわね?」
「……はい……」
「しゃんとして、ほら。わたしもう行くから」

 ユールは、再び蹄で床を踏みしめて、はっきりした視界で彼女を見つめ直した。
 人型をとっているのは、ほんの一部。巨大な蔓性の植物が、虫を呼ぶ花をつけるのと同じように、ひとを惹きつけるために形作ったのが、彼女なのだった。
 それでも恐ろしいとは、感じなかった。

「行くって……あのさ、あんた、もしかして、ルルーシアさん? リファちゃんの、お母さん」
「ええ、そうよ」
「なら、リファちゃんは!?」

 彼女の口元が、今度は柔らかに綻んだ。

「リファリールなら大丈夫よ。もうすぐ起きるわ。わたしは、あの子の中の、共有の名残。リファリールをひとり立ちさせたとき、心配しなかったわけじゃないのよ。だから、一回だけのお守り。……こんなこと二度とないんだから、あなたしっかりしなさいよ!」
「ほんとすんません……治してくれて、ありがとうございます」

 角の生えた頭を下げるユールに、ルルーシアは命じた。

「ええ、お礼を言える子は好きよ。いいから顔を上げて、腕を広げなさい。大きな樹の枝みたいに。そう」

 闘技場に広がっていた蔓が、するすると彼女の元に帰っていく。重たげに伸びた髪が縮み、花々が時が戻るように閉じていく。
 ルルーシアは、再び二本の脚で着地して、腕を広げたユールに歩み寄った。

「黒山羊のユールさん。わたしの娘はあなたを選んだの。責任持って、受け止めてね」

 顔半分を隠していた大きな花が、閉じて光の球に変わっていく。かわりに見えてきたのは羊の角と三角の耳だ。
 倒れかかる彼女を、ユールはしっかりと抱きとめた。
 まつ毛が震えて、瞼が持ち上がる。
 その瞳が、ユールを映した。
 腕の中にいるのは、確かにリファリールだった。

「リファちゃん……!」
「ユールさん……大丈夫ですか!?」
「平気! リファちゃんは?」
「大丈夫です……!」

 抱き合うふたりに、ラパンが耳を下ろした。

「……よかったね。一件落着ってかんじ?」

 リファリールは、ぱっと顔を上げた。

「待ってください、オフィーリアさんも捕まってるの! 探して!」

 チモシーが集まってきたリスの話をまとめてスヴェラードに報告する。

「オイ、りふぁチャンノ言ウ通リ! 他ニモイッパイ捕マッテルゼ!」
「何人?」
「見ツケタモノハ整列!」
「五人か。見張りは」
「ナシ! ミンナココニ集マッテタ! ソレ鍵!」

 リスの一匹が鍵束を掲げた。

「よし、いいぞ。後で全員クルミ追加」

 チモシーが鳴いて訳すと、全てのリスが激しく頷いた。
 スヴェラードは、部下を捕縛と人質保護に振り分けていく。

「擬装ダラケノ迷路ダゼ! チャントツイテケヨ!」
「チモシーさん! オフィーリアさん……お腹の大きい、黒揚羽のひとはいた?」

 リファリールの問いに、チモシーはリスの一匹を示した。

「ナラ、コイツ! めーぷるニツイテイケ!」
「リファリール、お前はここだ。保護された中に怪我人いたら回復かけろ」
「だって」
「お前はギルドの治療師だ。身体に問題ねえなら働け」

 スヴェラードの命令に、リファリールは唇を噛んだ。ユールは、その細い肩を抱く。

「待ってて。俺が、行くから」




 ユールは、メープルに先導されて通路を進んだ。行き止まりのように見えた場所も、実は布一枚の擬装で、あっさりと通り抜けられた。
 何枚も擬装を抜けた先の扉の前で、メープルは止まって後ろ足で立った。
 暗い部屋の中には、金網の張られた檻があった。その中で、黒い輪郭がはためいた。

「来るなっ! ああ、お前、やっぱり!」

 網に翅が激しくぶつかる。怒りを孕んだ鋭い叫びに、胸が痛んだ。
 ユールは屈んで、鍵を片手に、檻の錠を探した。

「暴れないでくれ。助けに来たんだ、リファちゃんが、あんたのこと、心配してるんだ」

 リファリールの名を聞いて、オフィーリアが動きをとめた。

「リファリール様は、ご無事……?」
「うん。もう保護されてる。怪我もしてない。……傭兵ギルドみんなで動いてくれてる。すぐ出してやるから」

 オフィーリアは、床を覆うように翅を広げていた。身体全体で息をして守ろうとしているものは、真珠のような卵だった。
 檻の中の、冷たい床で、彼女は産卵していた。

「リファリール様……よかっ、た……」

 彼女の身体から力が抜けていく。薄く、床に沈み込んでいく。

「……本当に、助けにきてくれたなら、子供たちを、お願い。静かなところで、春まで……」
「……わかった」

 ユールは答えた。これでは、リファリールのところへ連れて行く間すら持たないと悟っていた。
 最期にそばにいるのが、自分なんかで悪いと思う。でも、伝えたいことがあった。
 知っていたら、あの翅を燃やしたりなんかしなかった。本当は、その死を悲しんでくれるひとのところへ、返してやりたかった。

「オフィーリアさん、ごめん。あんたの言う通り、ルミエールは俺のせいで死んだよ。謝っても、謝りきれねえけど、それでもごめん……許してくれなんていえねえけど……せめて、あんたの子供は、ちゃんと守る……」

 オフィーリアの目はもう光を失っている。触角だけが、何かを探すようにふらふらと揺れた。

「……わたし、お前がまだ憎いわ……でも、次のわたしや、次の次のわたしが、どう考えるのかは、知らない……」

 ユールは恐る恐る、手を差し伸べる。

「それで、充分すぎるよ」
「……その言葉、嘘でないなら……次の春に、また会いましょう」

 ユールの指先にふれた触角は、音もなく滑り落ちていった。




 脱いだシャツに、オフィーリアと卵を包んだ。小粒でもしっとりと水気を含んで重い卵に対して、オフィーリアの亡骸は枯葉のように軽かった。

「……小汚ねえシャツでごめん。ここ出たら、ちゃんとする」

 メープルが檻の隅から、卵をもう一つ、見つけてきた。

「ありがと、メープル。もう、いない? ……わかった、行こう」

 闘技場に戻ると、リファリールが駆け寄ってきた。ユールの腕の中の彼女に触れて、魔力を流しこもうとして、やめた。
 ざわめきの中で立ち尽くす彼女に、ユールはオフィーリアと卵を抱かせる。

「オフィーリアさんは、リファちゃんと一緒が、一番、嬉しいと思うから」

 言葉もないまま、リファリールは頷いた。
 
 地上に戻ったときには夜が更けていた。冷ややかな外気に、身体が内側が洗われていく。
 安堵と疲労感とともに、微かに痛いような、寂しいような感覚に襲われた。
 終わったんだと、思った。
 これで、本当にもう二度と、ユールはどん底には戻らない。
 傭兵たちの一団の中で、リファリールに付き添って、ユールは遠く青い月の光に照らされた道を歩き出した。




 日を改めて行われたリファリールの事情聴取では、そのときの記憶の大部分は失われてしまっていた。オフィーリアの家で蝙蝠に襲われて、気がついたらユールの腕の中だった、という認識だ。
 花も全てとれてしまい、咲かせようとしても無理らしい。彼女にとっては、魔力の出力が落ちる時期でもあった。
 蔓を出せるか尋ねられて、なんのことかと首を傾げる様子に、スヴェラードも渋々納得した。

 リファリール自身は、ただ、オフィーリアの最期を悲しんで、卵が無事に孵って育つかを、気にしていた。
 卵はオフィーリアの亡骸とともに、翌朝には家に戻されて、結界がかけられた。埋葬はしないのかと、リファリールと一緒に立ち会ったユールは気にしたが、新たに依頼された人族の老人の結界師は首を振った。虫人には虫人の流儀があるとのことだった。




 残るような怪我はなくとも、リファリールに恐ろしい思いをさせてしまったのは事実だった。曖昧な記憶の中でも、彼女はユールが痛めつけられたことは忘れていないらしく、しきりと身体の調子を気遣った。
 そのたびに、申し訳なさが募った。

「俺は本当に大丈夫なんだ。……でも、ごめん。……結局、巻き込んだ」
「ううん。ユールさんのせいじゃないです。わたしは樹花族だから、街にいれば、いつかああいうひとに狙われてました。助けてくれて、ありがとうございます」
「助けられたの、俺の方だよ」

 ルルーシアの蜜は、呪いじみてよく効いた。傭兵の中でも素行の悪かったものがすっかり大人しくなった。自警団に引き渡された、メビウスの下についていたものたちなど、ひとが変わってしまったように素直に悔いて、これまでのことを洗いざらい話しているという。

「あいつらとの憎み合い、リファちゃんが……無理矢理にでも、終わらせてくれたんだ」

 首を傾げる彼女に、ユールは伝えなかったことが、ひとつある。
 メビウスは、ルルーシアの支配をひととき振り切って、自分で自分の始末をつけてしまった。

――こんなもんは、俺じゃねえ。

 最期にそう、言ったという。
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