黒山羊と花の乙女

NA

文字の大きさ
45 / 52

39.決着

しおりを挟む
「リファちゃん……!」

 ユールは手を伸ばした。血糊で片目が開きづらい。視界がぼやけて、揺れている。でも、この香りは彼女だ。

「大丈夫!? 怪我とか、ひでえこと、されたりとか……!」

 大きな花の影になって、彼女の顔の上半分が見えない。
 彼女は薄い唇を開くと、心底苛立った口調で言い放った。

「このスットコドッコイ!」
「えっ」

 思わず間抜けな声が出た。ずいぶん時代がかった罵り方をされた気がする。

「あなたね、なにが守るよ! この子、あっさり攫われちゃってんじゃないの! 詰めが甘い!」
「……ほんとすんません……リファちゃん?」
「ちょっと、なにこれ、信じられない、ひとの心配してる場合じゃないでしょう! あなたたち、ほんとうに野蛮で嫌だわ! リファリールにこんなもの見せるんじゃないわよ! どれだけ心配すると思ってるの!」

 彼女は怒りながら、ユールの折れた脚に、ちぎれた耳に、蔓を伸ばした。

「う……!」
「じっとしてなさい」

 傷の熱感が、ひやりとした蔓に吸い取られていく。
 しかし、見る間にユールの半身がぐるぐる巻きになっていくのに、スヴェラードが「おい」と後ろから声をかけた。
 彼女は振り向きもせずに答えた。

「心配しなくても、治すだけよ。気が散るから、その物騒なものから手を外してくれる?」

 スヴェラードはしゅっと警戒音を鳴らしたが、両手を上げた。

「誰も彼もわたしを魔物扱い、失礼しちゃうわ! こんなに娘想いなのに」

 絡んだ蔓が発光したとたん、ユールは悲鳴を上げた。

「痛ってえ!」

 通常癒えるまでに感じる痛みを、一瞬で全て叩き込まれていた。普段のリファリールの治癒術がどれだけ優しいか身に沁みる。
 滲んだ涙に血糊が溶けて、文字通り血の涙を流しているユールの顔を、彼女は嫌そうに口を尖らせながらも蔓の一本でゴシゴシ拭いた。
 両脇を支えて、立たせた。

「治ったわね?」
「……はい……」
「しゃんとして、ほら。わたしもう行くから」

 ユールは、再び蹄で床を踏みしめて、はっきりした視界で彼女を見つめ直した。
 人型をとっているのは、ほんの一部。巨大な蔓性の植物が、虫を呼ぶ花をつけるのと同じように、ひとを惹きつけるために形作ったのが、彼女なのだった。
 それでも恐ろしいとは、感じなかった。

「行くって……あのさ、あんた、もしかして、ルルーシアさん? リファちゃんの、お母さん」
「ええ、そうよ」
「なら、リファちゃんは!?」

 彼女の口元が、今度は柔らかに綻んだ。

「リファリールなら大丈夫よ。もうすぐ起きるわ。わたしは、あの子の中の、共有の名残。リファリールをひとり立ちさせたとき、心配しなかったわけじゃないのよ。だから、一回だけのお守り。……こんなこと二度とないんだから、あなたしっかりしなさいよ!」
「ほんとすんません……治してくれて、ありがとうございます」

 角の生えた頭を下げるユールに、ルルーシアは命じた。

「ええ、お礼を言える子は好きよ。いいから顔を上げて、腕を広げなさい。大きな樹の枝みたいに。そう」

 闘技場に広がっていた蔓が、するすると彼女の元に帰っていく。重たげに伸びた髪が縮み、花々が時が戻るように閉じていく。
 ルルーシアは、再び二本の脚で着地して、腕を広げたユールに歩み寄った。

「黒山羊のユールさん。わたしの娘はあなたを選んだの。責任持って、受け止めてね」

 顔半分を隠していた大きな花が、閉じて光の球に変わっていく。かわりに見えてきたのは羊の角と三角の耳だ。
 倒れかかる彼女を、ユールはしっかりと抱きとめた。
 まつ毛が震えて、瞼が持ち上がる。
 その瞳が、ユールを映した。
 腕の中にいるのは、確かにリファリールだった。

「リファちゃん……!」
「ユールさん……大丈夫ですか!?」
「平気! リファちゃんは?」
「大丈夫です……!」

 抱き合うふたりに、ラパンが耳を下ろした。

「……よかったね。一件落着ってかんじ?」

 リファリールは、ぱっと顔を上げた。

「待ってください、オフィーリアさんも捕まってるの! 探して!」

 チモシーが集まってきたリスの話をまとめてスヴェラードに報告する。

「オイ、りふぁチャンノ言ウ通リ! 他ニモイッパイ捕マッテルゼ!」
「何人?」
「見ツケタモノハ整列!」
「五人か。見張りは」
「ナシ! ミンナココニ集マッテタ! ソレ鍵!」

 リスの一匹が鍵束を掲げた。

「よし、いいぞ。後で全員クルミ追加」

 チモシーが鳴いて訳すと、全てのリスが激しく頷いた。
 スヴェラードは、部下を捕縛と人質保護に振り分けていく。

「擬装ダラケノ迷路ダゼ! チャントツイテケヨ!」
「チモシーさん! オフィーリアさん……お腹の大きい、黒揚羽のひとはいた?」

 リファリールの問いに、チモシーはリスの一匹を示した。

「ナラ、コイツ! めーぷるニツイテイケ!」
「リファリール、お前はここだ。保護された中に怪我人いたら回復かけろ」
「だって」
「お前はギルドの治療師だ。身体に問題ねえなら働け」

 スヴェラードの命令に、リファリールは唇を噛んだ。ユールは、その細い肩を抱く。

「待ってて。俺が、行くから」




 ユールは、メープルに先導されて通路を進んだ。行き止まりのように見えた場所も、実は布一枚の擬装で、あっさりと通り抜けられた。
 何枚も擬装を抜けた先の扉の前で、メープルは止まって後ろ足で立った。
 暗い部屋の中には、金網の張られた檻があった。その中で、黒い輪郭がはためいた。

「来るなっ! ああ、お前、やっぱり!」

 網に翅が激しくぶつかる。怒りを孕んだ鋭い叫びに、胸が痛んだ。
 ユールは屈んで、鍵を片手に、檻の錠を探した。

「暴れないでくれ。助けに来たんだ、リファちゃんが、あんたのこと、心配してるんだ」

 リファリールの名を聞いて、オフィーリアが動きをとめた。

「リファリール様は、ご無事……?」
「うん。もう保護されてる。怪我もしてない。……傭兵ギルドみんなで動いてくれてる。すぐ出してやるから」

 オフィーリアは、床を覆うように翅を広げていた。身体全体で息をして守ろうとしているものは、真珠のような卵だった。
 檻の中の、冷たい床で、彼女は産卵していた。

「リファリール様……よかっ、た……」

 彼女の身体から力が抜けていく。薄く、床に沈み込んでいく。

「……本当に、助けにきてくれたなら、子供たちを、お願い。静かなところで、春まで……」
「……わかった」

 ユールは答えた。これでは、リファリールのところへ連れて行く間すら持たないと悟っていた。
 最期にそばにいるのが、自分なんかで悪いと思う。でも、伝えたいことがあった。
 知っていたら、あの翅を燃やしたりなんかしなかった。本当は、その死を悲しんでくれるひとのところへ、返してやりたかった。

「オフィーリアさん、ごめん。あんたの言う通り、ルミエールは俺のせいで死んだよ。謝っても、謝りきれねえけど、それでもごめん……許してくれなんていえねえけど……せめて、あんたの子供は、ちゃんと守る……」

 オフィーリアの目はもう光を失っている。触角だけが、何かを探すようにふらふらと揺れた。

「……わたし、お前がまだ憎いわ……でも、次のわたしや、次の次のわたしが、どう考えるのかは、知らない……」

 ユールは恐る恐る、手を差し伸べる。

「それで、充分すぎるよ」
「……その言葉、嘘でないなら……次の春に、また会いましょう」

 ユールの指先にふれた触角は、音もなく滑り落ちていった。




 脱いだシャツに、オフィーリアと卵を包んだ。小粒でもしっとりと水気を含んで重い卵に対して、オフィーリアの亡骸は枯葉のように軽かった。

「……小汚ねえシャツでごめん。ここ出たら、ちゃんとする」

 メープルが檻の隅から、卵をもう一つ、見つけてきた。

「ありがと、メープル。もう、いない? ……わかった、行こう」

 闘技場に戻ると、リファリールが駆け寄ってきた。ユールの腕の中の彼女に触れて、魔力を流しこもうとして、やめた。
 ざわめきの中で立ち尽くす彼女に、ユールはオフィーリアと卵を抱かせる。

「オフィーリアさんは、リファちゃんと一緒が、一番、嬉しいと思うから」

 言葉もないまま、リファリールは頷いた。
 
 地上に戻ったときには夜が更けていた。冷ややかな外気に、身体が内側が洗われていく。
 安堵と疲労感とともに、微かに痛いような、寂しいような感覚に襲われた。
 終わったんだと、思った。
 これで、本当にもう二度と、ユールはどん底には戻らない。
 傭兵たちの一団の中で、リファリールに付き添って、ユールは遠く青い月の光に照らされた道を歩き出した。




 日を改めて行われたリファリールの事情聴取では、そのときの記憶の大部分は失われてしまっていた。オフィーリアの家で蝙蝠に襲われて、気がついたらユールの腕の中だった、という認識だ。
 花も全てとれてしまい、咲かせようとしても無理らしい。彼女にとっては、魔力の出力が落ちる時期でもあった。
 蔓を出せるか尋ねられて、なんのことかと首を傾げる様子に、スヴェラードも渋々納得した。

 リファリール自身は、ただ、オフィーリアの最期を悲しんで、卵が無事に孵って育つかを、気にしていた。
 卵はオフィーリアの亡骸とともに、翌朝には家に戻されて、結界がかけられた。埋葬はしないのかと、リファリールと一緒に立ち会ったユールは気にしたが、新たに依頼された人族の老人の結界師は首を振った。虫人には虫人の流儀があるとのことだった。




 残るような怪我はなくとも、リファリールに恐ろしい思いをさせてしまったのは事実だった。曖昧な記憶の中でも、彼女はユールが痛めつけられたことは忘れていないらしく、しきりと身体の調子を気遣った。
 そのたびに、申し訳なさが募った。

「俺は本当に大丈夫なんだ。……でも、ごめん。……結局、巻き込んだ」
「ううん。ユールさんのせいじゃないです。わたしは樹花族だから、街にいれば、いつかああいうひとに狙われてました。助けてくれて、ありがとうございます」
「助けられたの、俺の方だよ」

 ルルーシアの蜜は、呪いじみてよく効いた。傭兵の中でも素行の悪かったものがすっかり大人しくなった。自警団に引き渡された、メビウスの下についていたものたちなど、ひとが変わってしまったように素直に悔いて、これまでのことを洗いざらい話しているという。

「あいつらとの憎み合い、リファちゃんが……無理矢理にでも、終わらせてくれたんだ」

 首を傾げる彼女に、ユールは伝えなかったことが、ひとつある。
 メビウスは、ルルーシアの支配をひととき振り切って、自分で自分の始末をつけてしまった。

――こんなもんは、俺じゃねえ。

 最期にそう、言ったという。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...