45 / 52
39.決着
しおりを挟む
「リファちゃん……!」
ユールは手を伸ばした。血糊で片目が開きづらい。視界がぼやけて、揺れている。でも、この香りは彼女だ。
「大丈夫!? 怪我とか、ひでえこと、されたりとか……!」
大きな花の影になって、彼女の顔の上半分が見えない。
彼女は薄い唇を開くと、心底苛立った口調で言い放った。
「このスットコドッコイ!」
「えっ」
思わず間抜けな声が出た。ずいぶん時代がかった罵り方をされた気がする。
「あなたね、なにが守るよ! この子、あっさり攫われちゃってんじゃないの! 詰めが甘い!」
「……ほんとすんません……リファちゃん?」
「ちょっと、なにこれ、信じられない、ひとの心配してる場合じゃないでしょう! あなたたち、ほんとうに野蛮で嫌だわ! リファリールにこんなもの見せるんじゃないわよ! どれだけ心配すると思ってるの!」
彼女は怒りながら、ユールの折れた脚に、ちぎれた耳に、蔓を伸ばした。
「う……!」
「じっとしてなさい」
傷の熱感が、ひやりとした蔓に吸い取られていく。
しかし、見る間にユールの半身がぐるぐる巻きになっていくのに、スヴェラードが「おい」と後ろから声をかけた。
彼女は振り向きもせずに答えた。
「心配しなくても、治すだけよ。気が散るから、その物騒なものから手を外してくれる?」
スヴェラードはしゅっと警戒音を鳴らしたが、両手を上げた。
「誰も彼もわたしを魔物扱い、失礼しちゃうわ! こんなに娘想いなのに」
絡んだ蔓が発光したとたん、ユールは悲鳴を上げた。
「痛ってえ!」
通常癒えるまでに感じる痛みを、一瞬で全て叩き込まれていた。普段のリファリールの治癒術がどれだけ優しいか身に沁みる。
滲んだ涙に血糊が溶けて、文字通り血の涙を流しているユールの顔を、彼女は嫌そうに口を尖らせながらも蔓の一本でゴシゴシ拭いた。
両脇を支えて、立たせた。
「治ったわね?」
「……はい……」
「しゃんとして、ほら。わたしもう行くから」
ユールは、再び蹄で床を踏みしめて、はっきりした視界で彼女を見つめ直した。
人型をとっているのは、ほんの一部。巨大な蔓性の植物が、虫を呼ぶ花をつけるのと同じように、ひとを惹きつけるために形作ったのが、彼女なのだった。
それでも恐ろしいとは、感じなかった。
「行くって……あのさ、あんた、もしかして、ルルーシアさん? リファちゃんの、お母さん」
「ええ、そうよ」
「なら、リファちゃんは!?」
彼女の口元が、今度は柔らかに綻んだ。
「リファリールなら大丈夫よ。もうすぐ起きるわ。わたしは、あの子の中の、共有の名残。リファリールをひとり立ちさせたとき、心配しなかったわけじゃないのよ。だから、一回だけのお守り。……こんなこと二度とないんだから、あなたしっかりしなさいよ!」
「ほんとすんません……治してくれて、ありがとうございます」
角の生えた頭を下げるユールに、ルルーシアは命じた。
「ええ、お礼を言える子は好きよ。いいから顔を上げて、腕を広げなさい。大きな樹の枝みたいに。そう」
闘技場に広がっていた蔓が、するすると彼女の元に帰っていく。重たげに伸びた髪が縮み、花々が時が戻るように閉じていく。
ルルーシアは、再び二本の脚で着地して、腕を広げたユールに歩み寄った。
「黒山羊のユールさん。わたしの娘はあなたを選んだの。責任持って、受け止めてね」
顔半分を隠していた大きな花が、閉じて光の球に変わっていく。かわりに見えてきたのは羊の角と三角の耳だ。
倒れかかる彼女を、ユールはしっかりと抱きとめた。
まつ毛が震えて、瞼が持ち上がる。
その瞳が、ユールを映した。
腕の中にいるのは、確かにリファリールだった。
「リファちゃん……!」
「ユールさん……大丈夫ですか!?」
「平気! リファちゃんは?」
「大丈夫です……!」
抱き合うふたりに、ラパンが耳を下ろした。
「……よかったね。一件落着ってかんじ?」
リファリールは、ぱっと顔を上げた。
「待ってください、オフィーリアさんも捕まってるの! 探して!」
チモシーが集まってきたリスの話をまとめてスヴェラードに報告する。
「オイ、りふぁチャンノ言ウ通リ! 他ニモイッパイ捕マッテルゼ!」
「何人?」
「見ツケタモノハ整列!」
「五人か。見張りは」
「ナシ! ミンナココニ集マッテタ! ソレ鍵!」
リスの一匹が鍵束を掲げた。
「よし、いいぞ。後で全員クルミ追加」
チモシーが鳴いて訳すと、全てのリスが激しく頷いた。
スヴェラードは、部下を捕縛と人質保護に振り分けていく。
「擬装ダラケノ迷路ダゼ! チャントツイテケヨ!」
「チモシーさん! オフィーリアさん……お腹の大きい、黒揚羽のひとはいた?」
リファリールの問いに、チモシーはリスの一匹を示した。
「ナラ、コイツ! めーぷるニツイテイケ!」
「リファリール、お前はここだ。保護された中に怪我人いたら回復かけろ」
「だって」
「お前はギルドの治療師だ。身体に問題ねえなら働け」
スヴェラードの命令に、リファリールは唇を噛んだ。ユールは、その細い肩を抱く。
「待ってて。俺が、行くから」
ユールは、メープルに先導されて通路を進んだ。行き止まりのように見えた場所も、実は布一枚の擬装で、あっさりと通り抜けられた。
何枚も擬装を抜けた先の扉の前で、メープルは止まって後ろ足で立った。
暗い部屋の中には、金網の張られた檻があった。その中で、黒い輪郭がはためいた。
「来るなっ! ああ、お前、やっぱり!」
網に翅が激しくぶつかる。怒りを孕んだ鋭い叫びに、胸が痛んだ。
ユールは屈んで、鍵を片手に、檻の錠を探した。
「暴れないでくれ。助けに来たんだ、リファちゃんが、あんたのこと、心配してるんだ」
リファリールの名を聞いて、オフィーリアが動きをとめた。
「リファリール様は、ご無事……?」
「うん。もう保護されてる。怪我もしてない。……傭兵ギルドみんなで動いてくれてる。すぐ出してやるから」
オフィーリアは、床を覆うように翅を広げていた。身体全体で息をして守ろうとしているものは、真珠のような卵だった。
檻の中の、冷たい床で、彼女は産卵していた。
「リファリール様……よかっ、た……」
彼女の身体から力が抜けていく。薄く、床に沈み込んでいく。
「……本当に、助けにきてくれたなら、子供たちを、お願い。静かなところで、春まで……」
「……わかった」
ユールは答えた。これでは、リファリールのところへ連れて行く間すら持たないと悟っていた。
最期にそばにいるのが、自分なんかで悪いと思う。でも、伝えたいことがあった。
知っていたら、あの翅を燃やしたりなんかしなかった。本当は、その死を悲しんでくれるひとのところへ、返してやりたかった。
「オフィーリアさん、ごめん。あんたの言う通り、ルミエールは俺のせいで死んだよ。謝っても、謝りきれねえけど、それでもごめん……許してくれなんていえねえけど……せめて、あんたの子供は、ちゃんと守る……」
オフィーリアの目はもう光を失っている。触角だけが、何かを探すようにふらふらと揺れた。
「……わたし、お前がまだ憎いわ……でも、次のわたしや、次の次のわたしが、どう考えるのかは、知らない……」
ユールは恐る恐る、手を差し伸べる。
「それで、充分すぎるよ」
「……その言葉、嘘でないなら……次の春に、また会いましょう」
ユールの指先にふれた触角は、音もなく滑り落ちていった。
脱いだシャツに、オフィーリアと卵を包んだ。小粒でもしっとりと水気を含んで重い卵に対して、オフィーリアの亡骸は枯葉のように軽かった。
「……小汚ねえシャツでごめん。ここ出たら、ちゃんとする」
メープルが檻の隅から、卵をもう一つ、見つけてきた。
「ありがと、メープル。もう、いない? ……わかった、行こう」
闘技場に戻ると、リファリールが駆け寄ってきた。ユールの腕の中の彼女に触れて、魔力を流しこもうとして、やめた。
ざわめきの中で立ち尽くす彼女に、ユールはオフィーリアと卵を抱かせる。
「オフィーリアさんは、リファちゃんと一緒が、一番、嬉しいと思うから」
言葉もないまま、リファリールは頷いた。
地上に戻ったときには夜が更けていた。冷ややかな外気に、身体が内側が洗われていく。
安堵と疲労感とともに、微かに痛いような、寂しいような感覚に襲われた。
終わったんだと、思った。
これで、本当にもう二度と、ユールはどん底には戻らない。
傭兵たちの一団の中で、リファリールに付き添って、ユールは遠く青い月の光に照らされた道を歩き出した。
日を改めて行われたリファリールの事情聴取では、そのときの記憶の大部分は失われてしまっていた。オフィーリアの家で蝙蝠に襲われて、気がついたらユールの腕の中だった、という認識だ。
花も全てとれてしまい、咲かせようとしても無理らしい。彼女にとっては、魔力の出力が落ちる時期でもあった。
蔓を出せるか尋ねられて、なんのことかと首を傾げる様子に、スヴェラードも渋々納得した。
リファリール自身は、ただ、オフィーリアの最期を悲しんで、卵が無事に孵って育つかを、気にしていた。
卵はオフィーリアの亡骸とともに、翌朝には家に戻されて、結界がかけられた。埋葬はしないのかと、リファリールと一緒に立ち会ったユールは気にしたが、新たに依頼された人族の老人の結界師は首を振った。虫人には虫人の流儀があるとのことだった。
残るような怪我はなくとも、リファリールに恐ろしい思いをさせてしまったのは事実だった。曖昧な記憶の中でも、彼女はユールが痛めつけられたことは忘れていないらしく、しきりと身体の調子を気遣った。
そのたびに、申し訳なさが募った。
「俺は本当に大丈夫なんだ。……でも、ごめん。……結局、巻き込んだ」
「ううん。ユールさんのせいじゃないです。わたしは樹花族だから、街にいれば、いつかああいうひとに狙われてました。助けてくれて、ありがとうございます」
「助けられたの、俺の方だよ」
ルルーシアの蜜は、呪いじみてよく効いた。傭兵の中でも素行の悪かったものがすっかり大人しくなった。自警団に引き渡された、メビウスの下についていたものたちなど、ひとが変わってしまったように素直に悔いて、これまでのことを洗いざらい話しているという。
「あいつらとの憎み合い、リファちゃんが……無理矢理にでも、終わらせてくれたんだ」
首を傾げる彼女に、ユールは伝えなかったことが、ひとつある。
メビウスは、ルルーシアの支配をひととき振り切って、自分で自分の始末をつけてしまった。
――こんなもんは、俺じゃねえ。
最期にそう、言ったという。
ユールは手を伸ばした。血糊で片目が開きづらい。視界がぼやけて、揺れている。でも、この香りは彼女だ。
「大丈夫!? 怪我とか、ひでえこと、されたりとか……!」
大きな花の影になって、彼女の顔の上半分が見えない。
彼女は薄い唇を開くと、心底苛立った口調で言い放った。
「このスットコドッコイ!」
「えっ」
思わず間抜けな声が出た。ずいぶん時代がかった罵り方をされた気がする。
「あなたね、なにが守るよ! この子、あっさり攫われちゃってんじゃないの! 詰めが甘い!」
「……ほんとすんません……リファちゃん?」
「ちょっと、なにこれ、信じられない、ひとの心配してる場合じゃないでしょう! あなたたち、ほんとうに野蛮で嫌だわ! リファリールにこんなもの見せるんじゃないわよ! どれだけ心配すると思ってるの!」
彼女は怒りながら、ユールの折れた脚に、ちぎれた耳に、蔓を伸ばした。
「う……!」
「じっとしてなさい」
傷の熱感が、ひやりとした蔓に吸い取られていく。
しかし、見る間にユールの半身がぐるぐる巻きになっていくのに、スヴェラードが「おい」と後ろから声をかけた。
彼女は振り向きもせずに答えた。
「心配しなくても、治すだけよ。気が散るから、その物騒なものから手を外してくれる?」
スヴェラードはしゅっと警戒音を鳴らしたが、両手を上げた。
「誰も彼もわたしを魔物扱い、失礼しちゃうわ! こんなに娘想いなのに」
絡んだ蔓が発光したとたん、ユールは悲鳴を上げた。
「痛ってえ!」
通常癒えるまでに感じる痛みを、一瞬で全て叩き込まれていた。普段のリファリールの治癒術がどれだけ優しいか身に沁みる。
滲んだ涙に血糊が溶けて、文字通り血の涙を流しているユールの顔を、彼女は嫌そうに口を尖らせながらも蔓の一本でゴシゴシ拭いた。
両脇を支えて、立たせた。
「治ったわね?」
「……はい……」
「しゃんとして、ほら。わたしもう行くから」
ユールは、再び蹄で床を踏みしめて、はっきりした視界で彼女を見つめ直した。
人型をとっているのは、ほんの一部。巨大な蔓性の植物が、虫を呼ぶ花をつけるのと同じように、ひとを惹きつけるために形作ったのが、彼女なのだった。
それでも恐ろしいとは、感じなかった。
「行くって……あのさ、あんた、もしかして、ルルーシアさん? リファちゃんの、お母さん」
「ええ、そうよ」
「なら、リファちゃんは!?」
彼女の口元が、今度は柔らかに綻んだ。
「リファリールなら大丈夫よ。もうすぐ起きるわ。わたしは、あの子の中の、共有の名残。リファリールをひとり立ちさせたとき、心配しなかったわけじゃないのよ。だから、一回だけのお守り。……こんなこと二度とないんだから、あなたしっかりしなさいよ!」
「ほんとすんません……治してくれて、ありがとうございます」
角の生えた頭を下げるユールに、ルルーシアは命じた。
「ええ、お礼を言える子は好きよ。いいから顔を上げて、腕を広げなさい。大きな樹の枝みたいに。そう」
闘技場に広がっていた蔓が、するすると彼女の元に帰っていく。重たげに伸びた髪が縮み、花々が時が戻るように閉じていく。
ルルーシアは、再び二本の脚で着地して、腕を広げたユールに歩み寄った。
「黒山羊のユールさん。わたしの娘はあなたを選んだの。責任持って、受け止めてね」
顔半分を隠していた大きな花が、閉じて光の球に変わっていく。かわりに見えてきたのは羊の角と三角の耳だ。
倒れかかる彼女を、ユールはしっかりと抱きとめた。
まつ毛が震えて、瞼が持ち上がる。
その瞳が、ユールを映した。
腕の中にいるのは、確かにリファリールだった。
「リファちゃん……!」
「ユールさん……大丈夫ですか!?」
「平気! リファちゃんは?」
「大丈夫です……!」
抱き合うふたりに、ラパンが耳を下ろした。
「……よかったね。一件落着ってかんじ?」
リファリールは、ぱっと顔を上げた。
「待ってください、オフィーリアさんも捕まってるの! 探して!」
チモシーが集まってきたリスの話をまとめてスヴェラードに報告する。
「オイ、りふぁチャンノ言ウ通リ! 他ニモイッパイ捕マッテルゼ!」
「何人?」
「見ツケタモノハ整列!」
「五人か。見張りは」
「ナシ! ミンナココニ集マッテタ! ソレ鍵!」
リスの一匹が鍵束を掲げた。
「よし、いいぞ。後で全員クルミ追加」
チモシーが鳴いて訳すと、全てのリスが激しく頷いた。
スヴェラードは、部下を捕縛と人質保護に振り分けていく。
「擬装ダラケノ迷路ダゼ! チャントツイテケヨ!」
「チモシーさん! オフィーリアさん……お腹の大きい、黒揚羽のひとはいた?」
リファリールの問いに、チモシーはリスの一匹を示した。
「ナラ、コイツ! めーぷるニツイテイケ!」
「リファリール、お前はここだ。保護された中に怪我人いたら回復かけろ」
「だって」
「お前はギルドの治療師だ。身体に問題ねえなら働け」
スヴェラードの命令に、リファリールは唇を噛んだ。ユールは、その細い肩を抱く。
「待ってて。俺が、行くから」
ユールは、メープルに先導されて通路を進んだ。行き止まりのように見えた場所も、実は布一枚の擬装で、あっさりと通り抜けられた。
何枚も擬装を抜けた先の扉の前で、メープルは止まって後ろ足で立った。
暗い部屋の中には、金網の張られた檻があった。その中で、黒い輪郭がはためいた。
「来るなっ! ああ、お前、やっぱり!」
網に翅が激しくぶつかる。怒りを孕んだ鋭い叫びに、胸が痛んだ。
ユールは屈んで、鍵を片手に、檻の錠を探した。
「暴れないでくれ。助けに来たんだ、リファちゃんが、あんたのこと、心配してるんだ」
リファリールの名を聞いて、オフィーリアが動きをとめた。
「リファリール様は、ご無事……?」
「うん。もう保護されてる。怪我もしてない。……傭兵ギルドみんなで動いてくれてる。すぐ出してやるから」
オフィーリアは、床を覆うように翅を広げていた。身体全体で息をして守ろうとしているものは、真珠のような卵だった。
檻の中の、冷たい床で、彼女は産卵していた。
「リファリール様……よかっ、た……」
彼女の身体から力が抜けていく。薄く、床に沈み込んでいく。
「……本当に、助けにきてくれたなら、子供たちを、お願い。静かなところで、春まで……」
「……わかった」
ユールは答えた。これでは、リファリールのところへ連れて行く間すら持たないと悟っていた。
最期にそばにいるのが、自分なんかで悪いと思う。でも、伝えたいことがあった。
知っていたら、あの翅を燃やしたりなんかしなかった。本当は、その死を悲しんでくれるひとのところへ、返してやりたかった。
「オフィーリアさん、ごめん。あんたの言う通り、ルミエールは俺のせいで死んだよ。謝っても、謝りきれねえけど、それでもごめん……許してくれなんていえねえけど……せめて、あんたの子供は、ちゃんと守る……」
オフィーリアの目はもう光を失っている。触角だけが、何かを探すようにふらふらと揺れた。
「……わたし、お前がまだ憎いわ……でも、次のわたしや、次の次のわたしが、どう考えるのかは、知らない……」
ユールは恐る恐る、手を差し伸べる。
「それで、充分すぎるよ」
「……その言葉、嘘でないなら……次の春に、また会いましょう」
ユールの指先にふれた触角は、音もなく滑り落ちていった。
脱いだシャツに、オフィーリアと卵を包んだ。小粒でもしっとりと水気を含んで重い卵に対して、オフィーリアの亡骸は枯葉のように軽かった。
「……小汚ねえシャツでごめん。ここ出たら、ちゃんとする」
メープルが檻の隅から、卵をもう一つ、見つけてきた。
「ありがと、メープル。もう、いない? ……わかった、行こう」
闘技場に戻ると、リファリールが駆け寄ってきた。ユールの腕の中の彼女に触れて、魔力を流しこもうとして、やめた。
ざわめきの中で立ち尽くす彼女に、ユールはオフィーリアと卵を抱かせる。
「オフィーリアさんは、リファちゃんと一緒が、一番、嬉しいと思うから」
言葉もないまま、リファリールは頷いた。
地上に戻ったときには夜が更けていた。冷ややかな外気に、身体が内側が洗われていく。
安堵と疲労感とともに、微かに痛いような、寂しいような感覚に襲われた。
終わったんだと、思った。
これで、本当にもう二度と、ユールはどん底には戻らない。
傭兵たちの一団の中で、リファリールに付き添って、ユールは遠く青い月の光に照らされた道を歩き出した。
日を改めて行われたリファリールの事情聴取では、そのときの記憶の大部分は失われてしまっていた。オフィーリアの家で蝙蝠に襲われて、気がついたらユールの腕の中だった、という認識だ。
花も全てとれてしまい、咲かせようとしても無理らしい。彼女にとっては、魔力の出力が落ちる時期でもあった。
蔓を出せるか尋ねられて、なんのことかと首を傾げる様子に、スヴェラードも渋々納得した。
リファリール自身は、ただ、オフィーリアの最期を悲しんで、卵が無事に孵って育つかを、気にしていた。
卵はオフィーリアの亡骸とともに、翌朝には家に戻されて、結界がかけられた。埋葬はしないのかと、リファリールと一緒に立ち会ったユールは気にしたが、新たに依頼された人族の老人の結界師は首を振った。虫人には虫人の流儀があるとのことだった。
残るような怪我はなくとも、リファリールに恐ろしい思いをさせてしまったのは事実だった。曖昧な記憶の中でも、彼女はユールが痛めつけられたことは忘れていないらしく、しきりと身体の調子を気遣った。
そのたびに、申し訳なさが募った。
「俺は本当に大丈夫なんだ。……でも、ごめん。……結局、巻き込んだ」
「ううん。ユールさんのせいじゃないです。わたしは樹花族だから、街にいれば、いつかああいうひとに狙われてました。助けてくれて、ありがとうございます」
「助けられたの、俺の方だよ」
ルルーシアの蜜は、呪いじみてよく効いた。傭兵の中でも素行の悪かったものがすっかり大人しくなった。自警団に引き渡された、メビウスの下についていたものたちなど、ひとが変わってしまったように素直に悔いて、これまでのことを洗いざらい話しているという。
「あいつらとの憎み合い、リファちゃんが……無理矢理にでも、終わらせてくれたんだ」
首を傾げる彼女に、ユールは伝えなかったことが、ひとつある。
メビウスは、ルルーシアの支配をひととき振り切って、自分で自分の始末をつけてしまった。
――こんなもんは、俺じゃねえ。
最期にそう、言ったという。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。
汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。
元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。
与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。
本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。
人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。
そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。
「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」
戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。
誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。
やわらかな人肌と、眠れない心。
静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。
[こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる