黒山羊と花の乙女

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40.冬至祭の山羊①

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 木枯らしが木の葉をさらいきって、北街道では初雪が降ったと知らせが届いた朝。

 傭兵ギルドの前には、北街道へ冬の応援に向かう幌馬車が並び、次々と荷が積み込まれている。
 リファリールが薬の詰まった箱を危なっかしく運んでくるのに、ユールが駆け寄った。

「傷薬と、痛み止めと、あと包帯には全部、治癒の術式、書き込んでますから」
「うん。ありがと」

 彼女はここ数日、家にまで包帯を持ち帰って用意をしてくれていた。

「気をつけてね」

 薬の箱を受け取って荷台に置く背中に、リファリールが声をかける。ユールの耳がぴくっと動いた。
 振り向くと、彼女はエプロンを握って微笑みかけてきた。
 その姿に、しまいこんでいた気持ちがとうとう口をついた。

「今年はやっぱり嫌だ! 心配なんだよ! リファちゃん置いて行きたくねえ!」

 恋人を抱きしめて土壇場でごねる部下に、ディードが呆れ顔になった。

「何言ってんだお前。今更頭数減らすんじゃねえ」
「君ほんとやめて、リファリールが困ってる」

 医者がユールの腕を剥がそうとする。チモシーがリファリールの頭に登ってきて、緑の髪に鼻先を埋める黒山羊の顔をはたく。

「留守ハ任セロ! りふぁチャンハ俺様タチガ責任持ッテ守ッテヤルゼ!」

 あの事件以降、リスたちが交代制でリファリールのポケットに入るようになっていた。とはいえ、心配なものは心配なのだ。

「なあ、リファちゃんだって不安だろ?」

 縋りつく声音になったユールの丸まった背中を、リファリールの手が宥めるように撫でた。

「さみしいですけど。お留守番組の皆さんが一緒だから、大丈夫です。ユールさんが、やるべきことをできるように、わたし、待ってます」

 やんわりとだが、しっかりしろと促されている。リファリールのそういう意外と芯の強いところにも惚れているとはいえ、切なかった。
 いっそ抱き上げて馬車に乗せてしまいたい。けれど、この街の冬すら辛そうな彼女に、雪国暮らしはかわいそうだ。

「いい嫁さんじゃねえか、なあ!」

 ディードに背を叩かれて痛い。いつも思うのだが、魔力すらない人族の力ではない。熊族かなにかの間違いだ。それくらいでなければ、獣族だらけの傭兵団で小隊長などやっていられないが。

 ふたりまとめて衝撃で揺れつつ、リファリールが小声で答えた。

「あっ、あの、結婚はしてないです……まだ……」

 ユールが弁解する前に、ディードの素で大きい声が被さった。

「ああ? なにモタモタしてんだお前。行く前に届け出してくか?」

 フィミーが異次元に繋がっていると噂のなんでも出てくる書類鞄から紙を出して、羽ペンも添えて差し出してくる。

「婚姻届あるよ!」

 全方位から畳みかけられて、ユールはさすがに顔を上げた。

「簡単に言わねえでくださいよ! 考えてるんすよ!」

 スヴェラードまで長身を屈めて首を突っ込んでくる。

「そーだねえ。綺麗に着飾らせて指輪贈って式やって、みんなに文句なく俺の嫁だって認めてもらいたいんだもんな?」
「いや、その」
「わかったそんなら金がいるな! 働け働け!」
「不安なのはお前の方だけだ、甘ったれ」

 図星をつかれて口ごもったところを、ディードに荷台に放り投げられ、スヴェラードに止めをさされた。

「う……スヴェンさんずるいっすよ! 寒ぃの苦手って毎年留守番組……!」
「お前なあ、言えば言うほどダメになってんよ。俺は寒ぃの嫌いなのもそーだけど、森番の仕事があるから空けらんねえの。……あ、でも今年は代理送り込むから、任せた」
「代理?」

 ユールの首に、後ろから冷たい鱗の尾が巻きついた。

「おう。よろしく頼むぜ、先輩」

 幌馬車の中で金色の目が光る。真っ黒な鱗に紅の紋様を浮き出させた、スヴェラードの息子のクロードだった。

「蛇は寒ぃのダメなんじゃねえの!?」
「俺、火の魔力持ちだから多分へーき。向こうは酒が美味いんだって? 女と遊べるところある?」
「ねえよ、ど田舎だよ! お前、悪さすんなよ!」

 まったく可愛くない後輩に、捕食直前の獲物よろしく捕まったまま、幌馬車が動き出す。

「がんばってくださいねー!」

 大きく手を振るリファリールに、せめて負けじと手を振った。




「……行っちゃった」

 結局、応援隊はわいわい騒ぎながら出発していった。
 リファリールは、まだ土埃の収まらない通りを見ている。

「帰ってきたら結婚するんだって、わかりやすいフラグだよねえ……」
「フラグってなんですか?」

 医者の呟きに首を傾げる。

「ごめんなんでもないよ。僕らは僕らで人手不足だけど、頑張ろう」
「はい」

 リファリールは胸の前で拳を結んで、医者と救護室に戻っていった。





 北街道は中央街こそ城壁を備えているが、そこからは北上するほどに、小規模な村が散在するばかりになっていく。
 雪の季節は、天候によっては行き来も難しくなり、街からでは魔物への対応が行き届かなくなるため、他の街道街の傭兵ギルドにも協力を依頼して、村の一つ一つに警備の人員を置いていた。

「来ちゃったなあ……」

 氷の粒が混じった風がユールの頬を叩く。こうなっては腹を括るしかない。
 ひとりまたひとり、幌馬車から降りていって、途中でトナカイの引く大型のソリに乗り換えて、ユールの向かっている先は北街道でもひとの住む北限に近い。

 ユールは三年前に初めて応援隊に参加してから、ずっと同じ村に配属されている。去年まではディードと組んでいたが、今年はクロードが相棒だった。

「クロ、大丈夫?」
「飲まねえとやってられねえな」

 雪原を滑るソリの隣の席で、蛇族の彼は燃料代わりの度の強い酒をあおった。火にくべた炭に風を吹き込んだように、黒の鱗に紅の紋様が蘇る。うわばみの彼は酔うそぶりもない。

「ディードさんもいい男ぶりだったけど、今年はまあ、格好のいい兄ちゃんだな! 竜みてえじゃねえか、子供たちが喜ぶよ」

 ソリを操る人族の青年が言うと、クロードはなんともいえない顔をした。

「ここいらじゃ爬虫系は珍しいだろうねえ」

 蛇族は見た目で怖がられることが多い。クロードは父親に似て飄々とした気質だが、もとよりひとに好かれるとは思っていないふしがあった。
 「クロを頼むな」と、ユールは北街道中央街でディードと別れ際に言われていた。

 ソリが雪の丘を越えると、行く手に木の柵と家々の連なりが見えはじめた。七日に渡る移動がようやく終わって、本格的な仕事の始まりだった。

 村には宿屋はなく、毎年、臨時の警備の傭兵は村長の家に滞在していた。機屋と木工所を備えており、親族も含めて何世帯も一緒に住んでいる。
 この村は栗鼠族や狐族もいるが、村長一族も含め大半は人族だ。
 ソリが玄関先に止まると、物音を聞きつけたのか、扉が開いて少女が現れた。

「ユールさん、いらっしゃい!」

 金色のおさげを背中に弾ませて、駆け寄ってくる。村長の一人娘のルチアだった。

「久しぶり! 背ぇ伸びたね」
「ふふ、そうでしょ! 先月、十三になったのよ。レディなんだから」

 ルチアは、花の刺繍のある紺色のロングスカートの裾をとって、気取った風にお辞儀をした。
 しかし、ユールに続いて降りてきたクロードを見て、「えっ」と表情を強張らせる。
 ルチアに続いて出てきた村長の妻も、娘を咄嗟に引き戻した。
 ユールはあえてなんでもないふうに言う。

「お世話になります。今年はディードさん別のとこなんで。クロードは新人っすけど腕は確かだから安心してください」
「どーも」

 クロードは短く言って、ソリから荷物を下ろしはじめた。




 初めこそ会う人ごとに警戒されたクロードだが、歓迎の酒の席でまず男たちに馴染んだ。次は、年少の子供たちが興味を抑えられずに近づいてきた。度胸試しにクロードの長い尾に触れては逃げるのを、表情を動かさないまま「とって食うぞ」と言い放ったときは、そばにいたユールの方がヒヤヒヤしたが、子供たちは歓声を上げて喜んだ。下に妹のいるクロードは、子供のあしらいに慣れていた。
 数日もすれば、クロードと遊ぶ子供の姿が見られるようになり、女たちの警戒も解けていった。
 ルチアと同い年の従兄弟で、レニという少年は、特にクロードが気に入ったようだった。父親が狐族の彼は、三角の耳をぴんとたてて、ふさふさの太い尾を振って、クロードについてまわった。

「すごい、かっこいい、ドラゴンじゃん!」
「蛇だよ」
「火ぃ吐ける?」
「火の魔力はあるけど、口から出んのは毒だけ」
「毒!!! なにそれどうなんの? 噛んだら死ぬ? 牙見せて!」
「別に死なねえけど、子供に教えるもんじゃねえよ」

 クロードは適当にあしらいつつも、悪い気はしていないようだった。
 ユールに一言漏らした。

「……なんつーか、素直なひとたちだねえ」

 怖がられて、憧れられて。それは、蛇の姿の彼が生きていく限り、付き纏う視線だ。

「気疲れする?」
「いや。いっぱいいても全員他人だし、楽」
「クロって家族となんかあんの」
「べつに」

 一言で済ませて、ナイフの研ぎをする彼に、ユールは深く追及はしなかった。喋りたければ喋ってくれたらいいし、しまっておきたいならそれでいい。


 

 二人には去年と同じ屋根裏部屋があてがわれていた。ユールは藁の寝床、クロードは布とロープをもらってハンモックを釣っている。彼は風花の森でも樹上で寝ていて、それが一番落ち着くらしかった。

 毎朝、織り機が動く音で目が覚める。編み物と並んで、冬の間の女たちの内職だ。
 階下に降りて、子供たちの相手をしてやりながら、朝食の配膳を手伝う。
 村長の朝の祈りの呪文はこちらの古語らしくよくわからないが、大人しく周りの真似をして両手を組んで祈る。
 ルチアが妙に世話焼きになっていて、チーズやハムを勧めてくる。一応少しもらうが、ユールの主食は、台所に頼んで専用に出してもらっている干し草だ。

 レニの弟のユハニが、繊維の硬い草をもしゃもしゃ食べる黒山羊族を珍しげにじっと見つめた。

「ユール、トナカイと一緒の食べてる」
「ユハニ、失礼でしょ!」

 ルチアが声を尖らせるが、ユールは気にされるほうがやり辛い。

「いや、俺山羊だし。こーいうもんだから」
「紙とかも食べる?」
「もったいねえから食わねえよ。ほら、喋ってるとスープこぼすぞ」

 まだ匙の扱いの怪しいユハニを手伝ってやりながら、大人数の食卓に、昔の家族の記憶を重ねていた。なんだかんだ言って来てしまえば、この村の素朴な暮らしは嫌いではないのだった。




 結界の周辺の見回りや、隣村へ行き来するソリの護衛以外は自由に過ごしていいと言われている。とはいえ、半刻もあれば一巡りできてしまう小さな村だ。酒場どころか食堂も、ましてや女と遊べる店などもない。

 ユールとクロードは、屋根の雪おろしに回るか、男たちの作業場で木工をして、ごく真面目に過ごしていた。

 今年、ユールは村の老人から飾り彫りを教えてもらっている。彫刻刀を握ってみて気付いたのだが、利き手の動きがよくなっていた。おそらく、ルルーシアの治療のおかげだ。
 腕の古傷も、少し浅くなった。痛むわけではないけれど、リファリールが術式を書き込んでくれた包帯を巻いて、お守りにしていた。

 木工所に昼食を運んできたルチアが、ユールの手元を覗き込んだ。

「かわいい! いいなあ、欲しい!」
「好きなのあったら持ってって」
「ありがとう。大事にする!」

 お世辞かもしれないが、ルチアの太鼓判をもらって安心した。もう少し練習して、一番上手くできたものを、リファリールに贈るつもりだった。
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