完璧な育児AIが「いらないもの」を削除します

たつき

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「おっ、いい飲みっぷりだな。パパ、感心しちゃうぞ」

風呂上がりの陽太を膝に乗せ、健一が慣れない手つきで哺乳瓶を支えていた。

美咲はその傍らで、床に散らかった色鮮やかなおもちゃを一つずつ片付けながら、自然と口元を緩める。陽太の喉がごくん、ごくんと鳴る小さな音だけが、夜の静かなリビングに心地よく響いていた。

「健一さん、だいぶ板についてきたわね」

「そうかな。最初は壊れそうで怖くて仕方がなかったけど、最近は陽太の考えてることが少しだけ分かる気がするんだ。今は、腹減った、早くしろって急かされている気がするよ」

健一が目尻を下げて笑うと、ミルクを飲み終えた陽太は、満足感からかちいさな欠伸をした。その無防備な様子を見守る健一の瞳には、深い慈愛が宿っている。

健一は仕事から帰れば、どれほど疲れていても必ず陽太を抱き上げ、美咲を少しでも休ませようとしてくれる。その姿勢に、美咲は日々救われていた。

「美咲、今日は俺が陽太をみるから、今のうちにゆっくりお風呂に入りなよ。最近、まともに寝られていないだろう」

「ありがとう。でも、健一さんこそお仕事で疲れてないの?」

「陽太の顔を見れば疲れなんて吹き飛ぶさ。それに、美咲が倒れたらそれこそ一大事だからな」

健一のその言葉が、何よりも美咲の心を軽くした。

社会から切り離されたような孤独や、出口の見えない育児の辛さをネットの記事で見かけるたび、自分はなんて恵まれているのだろうと思う。

不器用ながらも共に歩み、荷物を分かち合おうとしてくれる夫が隣にいる。

陽太を寝かしつけ、ようやく夫婦で並んでソファに腰を下ろす。

テレビを消したリビングには、穏やかな沈黙が流れていた。美咲は温かいほうじ茶を口に含み、ふと、今日遊びに来ていた弟の律のことを思い出した。

「そういえば今日、律が遊びに来てくれたのよ。あの子、相変わらず大学院でAIの研究に没頭しているみたいだけど、陽太のことは本当に可愛がってくれてね」

「律くんか。あいつ、少しは外の空気を吸っているのか? 会うたびに顔が白くなっている気がするけど」

「ふふ、私も同じことを聞いたわ。でも、律が熱心に話していたAIの話なんだか凄かったわ。AIに勝てない未来がすぐそこまで来てるのかしらね」

「便利そうだけど、そんなのが普及したら俺たち『人間』の出番がなくなっちゃうな」

健一が冗談めかして笑い、美咲の肩をそっと抱き寄せた。

その確かな温もりに包まれながら、美咲は、今の自分たちにそんな魔法もようなAIは必要ないと心から確信していた。
しかし、その幸福な余韻を切り裂くように、健一が申し訳なさそうに言葉を続けた。

「あ、そうだった。ごめん、美咲。今度の土曜日、また会社の同僚とゴルフに行くことになったんだ」

美咲の胸の奥で、小さな火が消えるような感覚があった。

「……またなの?」

思わず声が漏れた。先月も、その前もそうだった。

「本当に申し訳ないと思っている。でも、営業マンにとってこういう場は大事なんだ。部長も来るし、そこでしか聞けない情報もある。仕事に繋がるんだよ。接待みたいなものだと思って理解してくれないかな。この積み重ねが、将来の俺たちの生活を支えるんだから。それこそAIなんかにはない、人の繋がりなんだからさ。」

健一は何度も手を合わせて謝った。
普段の献身的な彼を知っているからこそ、美咲はそれ以上強く言えなくなる。

仕事のため。家族を養うため。
そう言われると、美咲は自分の抱いた小さな不満が、とても我儘で恥ずべきもののように思えてくる。

「分かったわ。お仕事なら仕方ないものね。」

美咲は無理に口角を上げて、いいわよ、と頷いた。

健一は「ありがとう、助かるよ」と安堵した表情を見せ、美咲の頭を優しく撫でてから、陽太を連れて寝室へと向かった。一人残されたリビングで、美咲は飲みかけの茶を啜った。

すっかり冷めてしまった茶は、先ほどまでの温もりを嘘のように消し去っていた。
自分には帰る場所があり、共に歩む人がいる。

この平穏な幸福が、このまま波立つことなく続いていく。
美咲はそう自分に言い聞かせた。けれど、心の底に沈んだ小さな澱は、消えることなくそこに留まっていた。
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