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15. チヨコレイト
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久方ぶりの入浴を終えて、何やら話があるという千夜子の部屋へとお邪魔する。
コンッ、コンッ、コンッ―――。
「千夜子~、入るぞー。」
カチャ―――。
ドアを開けるとすぐ、部屋の中の違和感に気付く。その違和感の正体――それは、ベッドの脇に置かれた敷布団と薄手のタオルケットだった。
「これ...どうしたんだ?」
「おにぃ、今日はここで寝なよ。」
「…え?」
全くもって、想像だにしていなかった提案に思考が追い付かない――。
ようやく捻り出した『なぜ?』という問いかけも、口にする前に答えが返ってくる。
「どうせ今日も、電気代節約してエアコン使わないんでしょ?
最近ずっと朝にシャワー浴びてるけど…それって、夜中に汗かいてるからだよね?」
「あ・・・。」
「きれい好きなおにぃが、お風呂も入らずにそのまま寝てるなんて変だよ…。こんなことでよければ私だっていつでも協力するからさ。」
「こんなこと…って、千夜子はいいのか…?」
「いいって何が?」
「その・・・兄弟とは言え、一応僕たちも男女な訳だし…。」
「いいよ...別に、おにぃなら。」
…僕が自分の部屋を与えられ、一人で寝るようになったのは小4の時。一人でお風呂に入ると言い出したのに合わせてのことだったと思う。僕が小学校に上がる頃には、当時中学生の兄さんは既にお風呂も寝室も別だったので、大人になると自然とそうなっていくもの…くらいに考えていた。
でも...小5,小6,中学,と大きくなるにつれ、異性という概念が定着し、男女が一緒にお風呂に入ったり寝室を共にするということが、特別な意味を持つことに少しずつ気付いていった。
千夜子も、あの時の僕と同じ小学4年生。女の子は男の子よりも大人になるのが早いなんて話も聞くし…兄貴を自分の部屋で寝させることに対して、何の抵抗もない筈がない。
…それなのに、僕のことを心配してここまでしてくれているのだ――その純真な想いを、くだらない世間一般の男女感に囚われて無下にするわけにはいかない…。
「そっか...分かった。それじゃあ、今日はここで寝させてもらうよ。」
「うん、そうして。」
こうして...現在中学2年生の僕はまたしても、年端もいかない妹の厚意に甘えることとなった。
月明かりが差し込む薄暗い部屋の中――普段は意識して聞くこともない、エアコンの駆動音だけが静かに鳴り響いている。
結局…千夜子の言っていた話というのはこの事だったのか、寝る準備を整えて、こうして電気が消えるまでの間、特別深い内容の話をすることもなかった。ゆっくりと目を閉じ、意識も明日へと向かおうというところで、千夜子がポツリと呟いた。
「おにぃ...もう寝た?」
「ううん、まだ起きてる。」
「そ・・・。あのさ...おにぃ。
…わたし、なにもしてなくてごめん…。」
「何言ってるんだよ?千夜子が連絡してくれなかったら、茜さんを連れていくこともなかったわけだし。」
「今日の事もそうだけど…それだけじゃなくてさ…。
お母さんのこととか、家事とか…全部任せっきりにしちゃってるから…。」
「千夜子…?いま、”お母さん”って…」
「うん。ママって呼ぶのも何か子供っぽいし…もう卒業しようと思って。」
「千夜子・・・。そんなに無理して大人になろうとなんてしなくてもいいんだぞ…。」
「……ぃだって…」
「え…?」
「おにぃだって、ずっと無理してるじゃん!なんで...何でもっと、わたしのことも頼ってくれないの…」
「それは・・・」
「わたしだって、言ってくれたら何でもするよ…?掃除だって、洗濯だって、お皿洗いだって…。料理だってこれから覚えるし、草むしりだって...交代でならする…。」
(草むしりはちょっと嫌なんだな…。)
「お母さんの介護も、茜おねえちゃんや伯母さんに教えてもらって出来るようになる。おにぃが夜、エアコン使わないならわたしも使わない。」
(ああ…千夜子…やめてくれ。)
「・・・。」
「なんでも一人でやろうとしないで…わたしにだって…みんなにだって、もっと協力させてよ…。」
(違うんだ、千夜子…。僕はもう、十分みんなに助けて貰っている。これ以上望んだら罰が当たってしまう…。)
「・・・。」
「・・・おにぃ…?泣いてるの?」
「―――グズッ...ごめん・・・ごめんな…千夜子ぉ…。」
「もう...なんでおにぃが謝るの…?おにぃのバカ…。」
千夜子にだけは、こんな想い…させたくなかった。家事をしているときはなるべく楽しそうにしたし、疲れた様子も見せないように頑張った。僕になんか遠慮せず...伸び伸びと生きて欲しかった。
(・・・ああ、そうか――。
母さんもきっと…こんな気持ちだったんだろうな。)
最後まで大事にしたかった何か――それも、もう欠けてしまった…。
(なんかもう・・・いいや…完璧じゃなくても。残ってるものだけでも大事にすればいいし、壊れたら直せばいい。失くしたら見つければいいし、無くなったら新しく作ればいい。そうやって…適当に生きていこう。)
「なあ、千夜子…。兄ちゃん明日からエアコン付けて寝るよ。」
「うん。」
「家事も...これから、ちょっとずつ頼むことになるけど…いいか?」
「いいっていってるじゃん…。いつまでも子供扱いしないでよ。」
「そっか・・・分かったよ。でも…母さんの事は、まだ”ママ”って呼んであげてくれるか?きっと悲しむから…。」
「うん...そうする。でも、おにぃの前では”お母さん”って言うね。おにぃには、もう甘えるの終わりにするから。」
「…兄ちゃんにだけ甘えてくれないっていうのも、それはそれで寂しいなぁ…。これからも、たまにでいいから甘えてくれてもいいんだぞ…?」
「…ま、気が向いたらね。おにぃは逆に甘えなさ過ぎ。わたしでもいいし…誰でもいいから、おにぃはもうちょっと甘えることも覚えなよ。」
「甘える・・・か―――。」
千夜子にそう言われ…真っ先に頭に思い浮かんだのは、茜さんの顔だった…。
コンッ、コンッ、コンッ―――。
「千夜子~、入るぞー。」
カチャ―――。
ドアを開けるとすぐ、部屋の中の違和感に気付く。その違和感の正体――それは、ベッドの脇に置かれた敷布団と薄手のタオルケットだった。
「これ...どうしたんだ?」
「おにぃ、今日はここで寝なよ。」
「…え?」
全くもって、想像だにしていなかった提案に思考が追い付かない――。
ようやく捻り出した『なぜ?』という問いかけも、口にする前に答えが返ってくる。
「どうせ今日も、電気代節約してエアコン使わないんでしょ?
最近ずっと朝にシャワー浴びてるけど…それって、夜中に汗かいてるからだよね?」
「あ・・・。」
「きれい好きなおにぃが、お風呂も入らずにそのまま寝てるなんて変だよ…。こんなことでよければ私だっていつでも協力するからさ。」
「こんなこと…って、千夜子はいいのか…?」
「いいって何が?」
「その・・・兄弟とは言え、一応僕たちも男女な訳だし…。」
「いいよ...別に、おにぃなら。」
…僕が自分の部屋を与えられ、一人で寝るようになったのは小4の時。一人でお風呂に入ると言い出したのに合わせてのことだったと思う。僕が小学校に上がる頃には、当時中学生の兄さんは既にお風呂も寝室も別だったので、大人になると自然とそうなっていくもの…くらいに考えていた。
でも...小5,小6,中学,と大きくなるにつれ、異性という概念が定着し、男女が一緒にお風呂に入ったり寝室を共にするということが、特別な意味を持つことに少しずつ気付いていった。
千夜子も、あの時の僕と同じ小学4年生。女の子は男の子よりも大人になるのが早いなんて話も聞くし…兄貴を自分の部屋で寝させることに対して、何の抵抗もない筈がない。
…それなのに、僕のことを心配してここまでしてくれているのだ――その純真な想いを、くだらない世間一般の男女感に囚われて無下にするわけにはいかない…。
「そっか...分かった。それじゃあ、今日はここで寝させてもらうよ。」
「うん、そうして。」
こうして...現在中学2年生の僕はまたしても、年端もいかない妹の厚意に甘えることとなった。
月明かりが差し込む薄暗い部屋の中――普段は意識して聞くこともない、エアコンの駆動音だけが静かに鳴り響いている。
結局…千夜子の言っていた話というのはこの事だったのか、寝る準備を整えて、こうして電気が消えるまでの間、特別深い内容の話をすることもなかった。ゆっくりと目を閉じ、意識も明日へと向かおうというところで、千夜子がポツリと呟いた。
「おにぃ...もう寝た?」
「ううん、まだ起きてる。」
「そ・・・。あのさ...おにぃ。
…わたし、なにもしてなくてごめん…。」
「何言ってるんだよ?千夜子が連絡してくれなかったら、茜さんを連れていくこともなかったわけだし。」
「今日の事もそうだけど…それだけじゃなくてさ…。
お母さんのこととか、家事とか…全部任せっきりにしちゃってるから…。」
「千夜子…?いま、”お母さん”って…」
「うん。ママって呼ぶのも何か子供っぽいし…もう卒業しようと思って。」
「千夜子・・・。そんなに無理して大人になろうとなんてしなくてもいいんだぞ…。」
「……ぃだって…」
「え…?」
「おにぃだって、ずっと無理してるじゃん!なんで...何でもっと、わたしのことも頼ってくれないの…」
「それは・・・」
「わたしだって、言ってくれたら何でもするよ…?掃除だって、洗濯だって、お皿洗いだって…。料理だってこれから覚えるし、草むしりだって...交代でならする…。」
(草むしりはちょっと嫌なんだな…。)
「お母さんの介護も、茜おねえちゃんや伯母さんに教えてもらって出来るようになる。おにぃが夜、エアコン使わないならわたしも使わない。」
(ああ…千夜子…やめてくれ。)
「・・・。」
「なんでも一人でやろうとしないで…わたしにだって…みんなにだって、もっと協力させてよ…。」
(違うんだ、千夜子…。僕はもう、十分みんなに助けて貰っている。これ以上望んだら罰が当たってしまう…。)
「・・・。」
「・・・おにぃ…?泣いてるの?」
「―――グズッ...ごめん・・・ごめんな…千夜子ぉ…。」
「もう...なんでおにぃが謝るの…?おにぃのバカ…。」
千夜子にだけは、こんな想い…させたくなかった。家事をしているときはなるべく楽しそうにしたし、疲れた様子も見せないように頑張った。僕になんか遠慮せず...伸び伸びと生きて欲しかった。
(・・・ああ、そうか――。
母さんもきっと…こんな気持ちだったんだろうな。)
最後まで大事にしたかった何か――それも、もう欠けてしまった…。
(なんかもう・・・いいや…完璧じゃなくても。残ってるものだけでも大事にすればいいし、壊れたら直せばいい。失くしたら見つければいいし、無くなったら新しく作ればいい。そうやって…適当に生きていこう。)
「なあ、千夜子…。兄ちゃん明日からエアコン付けて寝るよ。」
「うん。」
「家事も...これから、ちょっとずつ頼むことになるけど…いいか?」
「いいっていってるじゃん…。いつまでも子供扱いしないでよ。」
「そっか・・・分かったよ。でも…母さんの事は、まだ”ママ”って呼んであげてくれるか?きっと悲しむから…。」
「うん...そうする。でも、おにぃの前では”お母さん”って言うね。おにぃには、もう甘えるの終わりにするから。」
「…兄ちゃんにだけ甘えてくれないっていうのも、それはそれで寂しいなぁ…。これからも、たまにでいいから甘えてくれてもいいんだぞ…?」
「…ま、気が向いたらね。おにぃは逆に甘えなさ過ぎ。わたしでもいいし…誰でもいいから、おにぃはもうちょっと甘えることも覚えなよ。」
「甘える・・・か―――。」
千夜子にそう言われ…真っ先に頭に思い浮かんだのは、茜さんの顔だった…。
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