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最終章 願望
第一話
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走る。走る。
ウリアは走る。
一枚の紙を持って。
それは、今日朝起きたときにテーブルに置いてあった。
―――読めない手紙。
文の最後に゛常葉”という見慣れた記号がある。
゛トコノハ”とはそう書くはずだ。
「―――クレハ!」
ウリアは目標の少女を見つけ、半ば叫ぶように声をかけた。
大きな羽の生えた白い少女は少し驚いて振り向く。
「なっ…なんですの!?常葉はどうなさいましたのよ」
ウリアは呼吸を整えつつ、とりあえず手紙を暮葉に渡した。
暮葉はそれを読むと、みるみる表情が青ざめていく。
「頼む…俺じゃ読めねぇんだ…!トコノハは…トコノハはなんて書いてるんだ…!?」
暮葉はしばらく固まっていたが、ウリアの必死の問いにハッと意識を取り戻し、唇をわななかせながら答えた。
「゛私は…願いを取り消します。ウリアくんには二ヵ月と少し、そして九年前の九月九日と、たくさんの幸せな夢を見せてもらいました。…ありがとう、そして…さよなら”…そう書いてありますわ…」
嫌な予感がする文章だ。
ウリアは半ば暮葉を睨みつけるようにして、問う。
「…どういうことだ」
しかし暮葉はその問いには答えず、虚ろに゛わたくしのせいですわ”と絶望に染まった表情で繰り返し呟いている。
「おいっ!クレハ!」
ウリアが彼女の肩を掴み、揺さぶり、呼びかけて正気に戻す。
「何か知ってるんだな…?クレハ、トコノハになんて言った…?」
おそらく、はじめの夜に常葉の耳元で囁いたであろう言葉を、暮葉はぽつりと答えた。
「―――゛貴方が消えれば、願いは取り消されますわよ”って―――…」
ウリアは再び走り出す。
暮葉は少しおどおどし、やがて羽を羽ばたかせた―――。
―――。
――。
***
街はずれの高台に、その少女は立っていた。
真っ白い少女が立っていた。
ウリアはその少女の名前を呼んだ。
「トコノハ―――!!」
しかし。
それが合図かのように、白い少女の体はゆっくり傾き、なにも抵抗がないまま重力に従い、地へ倒れた。
右手に持っていた鈍色のナイフが、太陽の光を照り返し、臙脂色の欠片を振りまく。
「トコ…ノ、ハ…?」
目の前の光景に目を奪われ、信じがたいことが目の前で起きていると理解もできず、してやる由もなく、ただ茫然とウリアは彼女の名前を呟いた。
「常葉―――!!」
遅れて暮葉が常葉の下へ降りてくる。
しかし―――ふたりの呼びかけに応えはない。
かわりに、白の少女を中心に、深紅の水たまりが広がっていく。
一目散に常葉の元へ駆けていく暮葉にハッとして、ウリアも彼女の元へ駆ける。
―――間に合わなかった。
―――止められなかった。
目の前にある死を、初めて真剣に考えていた。
「常葉っ!ごめんなさいっ!!あの時はただ貴方が憎くてあんなことを…!今なら他の方法を探しましたのに…!!」
暮葉の涙が、常葉の頬に落ちる。
閉じられていた瞼が薄く開かれ、不規則な呼吸と共にその美しい睫毛が揺れる。
「おいバカっ!いきなりすぎだろ…!こんなこと…許さねぇからなっ!!」
ウリアも負けじと声を張る。
常葉はぎこちなく笑った―――幸せそうに笑った。
なんで笑ってんだよ…。
苦しいはずだろ…まだやりたいこといっぱいあったはずだろ…。
このまま死ぬのか?コイツ…。
あのバカな行動や発言は、もう聞くことはできないのか―――?
―――嫌だ。
こんなのは嫌だ。
「常葉!貴方が死んだら、貴方の願いのおかげで生きていた人はみんな死ぬのよ…!?もう生き返ることはなくなりますのよ…!?」
暮葉が必死に呼びかける。
「ウリアだって―――もう二度と生き返りませんのよっ!!」
泣き叫ぶ。
常葉は最期の力で言った。
「それが―――本来あるべき状態だから―――」
それだけ言って―――再び瞼を閉じた。
ひゅーひゅーと空気が漏れる呼吸を繰り返しながら、常葉から体温が失われていく。
心臓を中心に、赤い海がさらに広がっていく―――。
嘲笑うような、心臓を思わせるその花弁から赤紫の雫を垂れ下げている無数の華鬘草に囲まれて。
「常葉っ!わたくしが…このわたくしがウリアと幸せになりなさいって言いましたのにっ…!!」
―――そうか。
常葉がいるから、九年生きてこられた。
本来ならば、ウリアは九歳でもうその一生を閉じていたのだ。
ないはずの九年を過ごせたのは、今目の前で命尽きようとしている少女のおかげ。
―――自分の死が目の前にある感覚。
死にたくないと、初めて思う。
この少女と一緒に生きていたい、と。
「トコノハ!俺はまだ―――」
ウリアが常葉の肩に触れようとした時。
ウリアの手は常葉に触れることなく、血の海に沈んだ。
「時間―――ですわね…」
暮葉はその様子を理解し、呟いた。
―――時間?
常葉が死ぬ時間。
ウリアが死ぬ時間。
街のたくさんの人が死ぬ時間。
あのバカが死ぬ時間。
暮葉はウリアの目をしっかりと見据える。
強い意志を灯したアメジストの瞳。
「わたくし、あなたと常葉のこと、とっても大好きでしたわ。ふふ、本当に恋って、ヒトを自己中心的に変えてしまいますのね」
湿った声で、暮葉はその声が震えないように言う。
そして暮葉は、神に許されたたった一つの願いを―――
「神様、どうか常葉とウリアがずーーーっと幸せで過ごせますように―――!!」
辺り一面白い光に包まれる。
ウリアは消えていく自分を感じながら叫んだ。
「おいクレハ!お前…願いを叶えたらその代償に命をー―」
すぅ、と消えていく。
光に包まれて。
暮葉は―――笑った。
まるで、そんなこと百も承知だと言わんばかりに。
それがどうした、と言わんばかりに。
やがて一際大きな光が舞い―――
―――その後、何も残っていなかった。
ウリアは走る。
一枚の紙を持って。
それは、今日朝起きたときにテーブルに置いてあった。
―――読めない手紙。
文の最後に゛常葉”という見慣れた記号がある。
゛トコノハ”とはそう書くはずだ。
「―――クレハ!」
ウリアは目標の少女を見つけ、半ば叫ぶように声をかけた。
大きな羽の生えた白い少女は少し驚いて振り向く。
「なっ…なんですの!?常葉はどうなさいましたのよ」
ウリアは呼吸を整えつつ、とりあえず手紙を暮葉に渡した。
暮葉はそれを読むと、みるみる表情が青ざめていく。
「頼む…俺じゃ読めねぇんだ…!トコノハは…トコノハはなんて書いてるんだ…!?」
暮葉はしばらく固まっていたが、ウリアの必死の問いにハッと意識を取り戻し、唇をわななかせながら答えた。
「゛私は…願いを取り消します。ウリアくんには二ヵ月と少し、そして九年前の九月九日と、たくさんの幸せな夢を見せてもらいました。…ありがとう、そして…さよなら”…そう書いてありますわ…」
嫌な予感がする文章だ。
ウリアは半ば暮葉を睨みつけるようにして、問う。
「…どういうことだ」
しかし暮葉はその問いには答えず、虚ろに゛わたくしのせいですわ”と絶望に染まった表情で繰り返し呟いている。
「おいっ!クレハ!」
ウリアが彼女の肩を掴み、揺さぶり、呼びかけて正気に戻す。
「何か知ってるんだな…?クレハ、トコノハになんて言った…?」
おそらく、はじめの夜に常葉の耳元で囁いたであろう言葉を、暮葉はぽつりと答えた。
「―――゛貴方が消えれば、願いは取り消されますわよ”って―――…」
ウリアは再び走り出す。
暮葉は少しおどおどし、やがて羽を羽ばたかせた―――。
―――。
――。
***
街はずれの高台に、その少女は立っていた。
真っ白い少女が立っていた。
ウリアはその少女の名前を呼んだ。
「トコノハ―――!!」
しかし。
それが合図かのように、白い少女の体はゆっくり傾き、なにも抵抗がないまま重力に従い、地へ倒れた。
右手に持っていた鈍色のナイフが、太陽の光を照り返し、臙脂色の欠片を振りまく。
「トコ…ノ、ハ…?」
目の前の光景に目を奪われ、信じがたいことが目の前で起きていると理解もできず、してやる由もなく、ただ茫然とウリアは彼女の名前を呟いた。
「常葉―――!!」
遅れて暮葉が常葉の下へ降りてくる。
しかし―――ふたりの呼びかけに応えはない。
かわりに、白の少女を中心に、深紅の水たまりが広がっていく。
一目散に常葉の元へ駆けていく暮葉にハッとして、ウリアも彼女の元へ駆ける。
―――間に合わなかった。
―――止められなかった。
目の前にある死を、初めて真剣に考えていた。
「常葉っ!ごめんなさいっ!!あの時はただ貴方が憎くてあんなことを…!今なら他の方法を探しましたのに…!!」
暮葉の涙が、常葉の頬に落ちる。
閉じられていた瞼が薄く開かれ、不規則な呼吸と共にその美しい睫毛が揺れる。
「おいバカっ!いきなりすぎだろ…!こんなこと…許さねぇからなっ!!」
ウリアも負けじと声を張る。
常葉はぎこちなく笑った―――幸せそうに笑った。
なんで笑ってんだよ…。
苦しいはずだろ…まだやりたいこといっぱいあったはずだろ…。
このまま死ぬのか?コイツ…。
あのバカな行動や発言は、もう聞くことはできないのか―――?
―――嫌だ。
こんなのは嫌だ。
「常葉!貴方が死んだら、貴方の願いのおかげで生きていた人はみんな死ぬのよ…!?もう生き返ることはなくなりますのよ…!?」
暮葉が必死に呼びかける。
「ウリアだって―――もう二度と生き返りませんのよっ!!」
泣き叫ぶ。
常葉は最期の力で言った。
「それが―――本来あるべき状態だから―――」
それだけ言って―――再び瞼を閉じた。
ひゅーひゅーと空気が漏れる呼吸を繰り返しながら、常葉から体温が失われていく。
心臓を中心に、赤い海がさらに広がっていく―――。
嘲笑うような、心臓を思わせるその花弁から赤紫の雫を垂れ下げている無数の華鬘草に囲まれて。
「常葉っ!わたくしが…このわたくしがウリアと幸せになりなさいって言いましたのにっ…!!」
―――そうか。
常葉がいるから、九年生きてこられた。
本来ならば、ウリアは九歳でもうその一生を閉じていたのだ。
ないはずの九年を過ごせたのは、今目の前で命尽きようとしている少女のおかげ。
―――自分の死が目の前にある感覚。
死にたくないと、初めて思う。
この少女と一緒に生きていたい、と。
「トコノハ!俺はまだ―――」
ウリアが常葉の肩に触れようとした時。
ウリアの手は常葉に触れることなく、血の海に沈んだ。
「時間―――ですわね…」
暮葉はその様子を理解し、呟いた。
―――時間?
常葉が死ぬ時間。
ウリアが死ぬ時間。
街のたくさんの人が死ぬ時間。
あのバカが死ぬ時間。
暮葉はウリアの目をしっかりと見据える。
強い意志を灯したアメジストの瞳。
「わたくし、あなたと常葉のこと、とっても大好きでしたわ。ふふ、本当に恋って、ヒトを自己中心的に変えてしまいますのね」
湿った声で、暮葉はその声が震えないように言う。
そして暮葉は、神に許されたたった一つの願いを―――
「神様、どうか常葉とウリアがずーーーっと幸せで過ごせますように―――!!」
辺り一面白い光に包まれる。
ウリアは消えていく自分を感じながら叫んだ。
「おいクレハ!お前…願いを叶えたらその代償に命をー―」
すぅ、と消えていく。
光に包まれて。
暮葉は―――笑った。
まるで、そんなこと百も承知だと言わんばかりに。
それがどうした、と言わんばかりに。
やがて一際大きな光が舞い―――
―――その後、何も残っていなかった。
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