【R18】月華の夜、龍と贄はつがいとなりて

琴音 結月

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第弐話:秘められた真実

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 消えゆく命を目の当たりにした。
 最初に父が死んだ。その後まもなく、母も死んだ。
 両親は泣いていてた。それは、病に蝕まれる恐怖ではなく、幼い娘をひとり残して逝くことへの悲痛な思いからだった。
 孤独にさいなまれ、死斑病に侵された。それでもどうにか生きてこられたのは、この身が贄として選ばれたから。
 醜い自分が役に立てるのなら——そう考え、瑠璃は微塵も抗うことなく承諾した。
 幸せな人生だったとは言えないけれど、これが運命さだめだというのなら、粛々と受けいれるまで。
 ——龍神様。この身、お返しいたします。

 ◇

 嗅いだことのない匂いが鼻翼に触れる。
 ほんのり甘く、穏やかで閑雅な匂い。瞼を開けば、最初に映ったのは広い天井だった。
 はっきりとしない頭で、数回まばたきをする。
 精緻な彫刻が施された漆黒の梁。美しく並んだその中心には、巨大な龍の画が嵌め込まれていた。
 白銀の鱗。琥珀の瞳。
 なぜだろう。どこかで見たことがあるような——。
「……っ!」
 はっと、瑠璃は飛び起きた。……濡れていない。たしかに自分は滝壺に身を沈めたはずなのに。
 首をめぐらせ、辺りを見回す。
 見覚えのない場所。着ているものも、打掛ではなく、白い無地の小袖だった。
 そのとき、直前まで布団に横たわっていたということに、ようやく気がついた。
「……わたし、死んだの?」
「死んでない」
「!」
 一驚を喫した瑠璃が声のしたほうへ目線をやると、そこにはひとりの男性が立っていた。
 低く澄んだ声に、ひときわ目を惹く髪と瞳。腰まで伸びた髪は白銀で、双眸は天然の琥珀を彷彿とさせた。
 年の頃は二十代半ばだろうか。純白よりも白い単衣ひとえを纏った、かなり長躯の美丈夫だ。
「死んでない。ちゃんと生きてる」
 彼はそう言うと、いまだ状況の把握できていない瑠璃の元へと歩み寄った。かたわらに腰を落とし、胡坐をかく。見れば見るほど、この世のものとは思えぬほどの玉貌だった。
 何を言えばいいのか。とりあえず謝意を伝えようとした瑠璃に向かって、彼はこんなことを口にした。
「まだこんな愚かなことを続けているのか。お前の村は」
 どこか憮然とした態度で、嘆息を漏らす。その表情には、はっきりと侮蔑が滲んでいた。
 これに対し、怪訝そうに瑠璃が訊ねる。
「……あなたは?」
 謝意を伝えるはずだった口を、きゅっと引き結ぶ。自分の置かれた立場も、この男性のことも、依然としてなにひとつわからない。だが、初対面の人物にいきなり故郷を腐されたのには、少なからず腹が立った。
 ほんの一拍の後。
 彼から返ってきた意想外の答えに、瑠璃は声を詰まらせ瞠目した。
「俺の名ははく。……お前たちが勝手に神と崇め、娘を寄越す、この地に住まう龍だ」
 まさか。
 そんな。
 瑠璃自身、龍神が存在しないと思っているわけではなかった。信仰心とて、ないわけではない。
 しかし、よもや実際に会話ができる存在だったなど、夢にも思わなかった。
「りゅう、じん……さま? 本当に……?」
「その呼び方はやめてくれ。たしかに俺はこの地を守護している龍だ。……が、だからといって見返りに娘を要求したことなど一度もない」
 吐き捨てるようにこう言うと、珀はその長い腕をすっと伸ばした。ひやりとした指先が、瑠璃の左頬に触れる。とっさに瑠璃が肩をすくめれば、珀はすぐさまその指をひっこめた。
「悪い。……その痣、痛むのか?」
「い、いえっ、大丈夫です。申し訳ございません。お見苦しいものを」
 布団から離れ、両手をついて、畳につくほどこうべを垂れる。一度水に濡れた瑠璃のその顔からは、白粉が落ちてしまっていた。瑠璃自身視認はできないが、おそらく黒い痣が露わとなっているのだろう。
「何を謝る必要がある。頭を上げてくれ。見苦しくなどない」
 震える小さな身体を気遣うように、珀は瑠璃に布団で休むことを促した。断る瑠璃の言を聞き入れることなく、無理やり横たわらせる。
「お前のそれは死斑病か」
「ご存じ、なのですか?」
「俺は病とは無縁だが、こうも長く生きているとな。……肺をやられているんだろう? たまに呼吸が乱れてる」
「!」
 驚いた。村でも、今も、隠しているつもりだったのに。どうやら彼に隠し事は通用しないらしい。
「今回も、近隣の村に逃がそうと思っていた。だが、その身体では厳しそうだな」
「……え?」
 思わず訊き返す。
 近隣の村? 逃がす?
 そういえば……と、瑠璃は考えた。珀が娘たちを必要としないのなら、歴代の彼女たちは、村に戻らずいったいどこで何をしているのか。
 そんな瑠璃の胸中を知ってか知らずか、淡々とした口調で珀は続ける。
「前回も、その前も、俺は娘たちを近隣の村へと逃がした。今なお住み続けている者もいれば、そこから町に移っていった者もいる」
「どうして、村に帰さなかったのですか?」
「……殺されるからだ」
 刹那、整い過ぎているくらいに整っている珀の顔が歪んだ。
 至極忌々しそうに、悔いるように、奥歯を噛みしめる。
「そ、んな……」
「お前も言われているはずだ。『振り返ることなかれ。戻ることなかれ』と」
「……っ!」
「一度俺に捧げたものが村に戻れば、俺がいかって村を沈めると本気で思っているらしい。愚かしいにもほどがある。……しかもなんだ、あの文言は。俺に返す? そもそもお前たちは誰の所有物でもないだろう」
 信じられなかった。信じたくなかった。自分の生まれ育った村が、そんな非道な仕打ちを行っていたなんて。
 けれど、瑠璃も含め彼女たちの、ある意味奪われてしまった尊厳を救ってくれた珀が、嘘をついているとも思えなかった。
 内臓が、ずしんと重みを増す。確実に訪れる緩慢な死を待つよりはるかにおぞましい話に、瑠璃の身体はぞくりと総毛立った。
 死ぬことなど、恐れていなかったはずなのに。
 そんな瑠璃の不安を拭うように優しく微笑むと、珀はその場にゆっくりと立ち上がった。
「疲れただろう? 今日はもう休め」
 そう言って踵を返した珀を、
「……はく、さま」
 瑠璃は、躊躇いがちに呼び止めた。
「どうした?」
「……あ、あの……っ、ありがとうございました。助けて、くださって」
 訥々と、まだ伝えられていなかった謝意を伝える。これを受けた珀は、無言で麗しい笑みを湛えると、静かに部屋をあとにした。
 瑠璃は確信した。
 間違いない。滝壺で意識を失う寸前に見た美しい白龍は、彼だ。
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