男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第2章 悪霊の爪痕

散り続ける後宮の花

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 不気味な大頭面の大女が、紫水宮から飛び出る。
 近くにいた官女や侍女たちは、悲鳴をあげ、蜘蛛の子のように散っていく。

 やはりこの格好は目立ちすぎるな。が、仕方あるまい。

 雲嵐とてこの格好がまずいのはわかっている。だが素顔を衆目に晒せない理由があった。
 それに何かとこの姿の方が都合が良いのだ。

「逃したか」

 明凛から話を聞いているとき、背後から不穏な視線を感じた。興味本位で覗き込む侍女たちとは違う、悪意を持ったものだ。

 すぐに反応して捕まえようとしたが、逃げ切られてしまった。女ものの服はやはり動きづらい。
 周囲に怪しいものがいないが伺うが、どちらかというと自分が怪しまれていた。

「うんら……雲母!」

 少年の声を思わせる涼やかな声が、自分の偽名を呼ぶ。薄鼠色の宦官服を着た連れが紫水宮から出てきていた。

「いったいどうしたんです」

「何者かが侍女に紛れていた。こちらに敵意を持っていたものだと思われる」
「ええっ、なんでまた」

 羅刹は気が付かなかったらしい。であれば雲嵐個人を狙った、今回とは関係ない別件の刺客だろうか。

「それはまだわからん。捕まえようとしたが、逃げられた」
「そうですか……手持ちの品はあなたがいないうちに私の方で見てみましたけど。特に目立って変なものはありません。雲母も見ますか?」
「見よう」
「あの、今周りに人がいないのは分かりますけど……喋る時、もうちょっと女口調にできません?」
「俺が下手に女口調で喋ってみろ。その方が怪しい。堂々と喋っている方が、ああ、こいつはこういうやつなんだ、と受け入れられるだろう」
「……まあ確かにその低音で女言葉は、かなり気持ち悪いですけど」

 その後雲母も品を確認したが、特筆すべきものは見られなかった。


 ◇ ◇ ◇


 貴妃である芙蓉妃に続き、羅刹たちは淑妃、賢妃に仕えていた侍女頭の元も訪れた。どちらも皇帝の寵愛厚く、淑妃鈴凛れいりん、賢妃蘭花らんかとも姫を出産している。しかしその後、芙蓉妃に初めてのお渡りがあった頃には身罷られている。すでに亡くなってから時間が経過しているため、身辺の品については整理が済んでおり、ほとんど見られるものはないという。

 そしてどちらの侍女頭も同じ話をする。
「妃は悪霊に殺されたのだ」と。
 命の灯火が消えゆく有様もまた、芙蓉妃と同じだった。

 羅刹と雲嵐は外朝に戻ってきていた。
「聞いた話を整理したいですね。どこか部屋を借りれますか」
 あてもなく歩きながら、羅刹は雲嵐に問う。話が後宮ネタなだけに、大っぴらには話しづらい。また悪霊の話は、外朝では表向き禁句でもある。これ以上悪霊怖さに後宮に入る娘が減っては困るということで、箝口令が敷かれているらしい。

「羅刹、お前は一人暮らしか」
「ええまあ。荒屋ですが皇城近くに一部屋借りています」
「では話が早い。お前の家へ向かう。そこで話をしよう」
「は? 何をおっしゃってるんですか! この間私を放り込んだ部屋があったじゃないですか。あそこはダメなんですか?」

 この緑の襦裙の大女(不気味な面つき)を家に連れ帰りでもしたら、とんでもない噂が立つのは目に見えている。

「志部に入りたくはないのか」
「っくぅぅ! 粗茶しか出せませんからね!」

 脅しだ。なんてひどい脅しなんだ。人の夢を逆手にとって!

 そう抗議したいのは山々だったが、それで話が立ち消えになっても困るので、泣く泣く羅刹は雲嵐の意見をのむ。西の白虎門を抜け、朱雀大路を背後にして歩き出したところで、背後の雲嵐に呼び止められた。

「こちらは西側だぞ」
「知ってますよ」

 悠長に歩いていると置いていきますよ、と言いながらずんずん歩いていく。
 華やかな街並みが背後に過ぎ去り、うらぶれた寂しい通りに入ったところ。崩れかけた門扉の前で羅刹は立ち止まった。

「この坊の一番奥にあるのが私の家です」

 坊というのはいくつかの民家がまとまった、防壁で囲まれた一区画のことを言う。羅刹が指差した先、ほとんど幽霊屋敷と言っていい家を見て、雲嵐が息をのんだのが聞こえた。

「……本当に荒屋だな」

 よく通る低音にそう言われると腹が立つが、見目の珍妙さに相殺されて怒る気になれない。羅刹は自宅の中に雲嵐を手招きすると、綿が潰れて薄くなった座布団を差し出した。大きな体を器用に折りたたむと、襦裙のままどっかりとあぐらをかく雲嵐の前に、羅刹は自分も座布団を敷いて座る。

「官は皆東側に住んでいるものだと思っていた」

 官吏たちが働く外朝、そして皇族の住まいや後宮のある内朝。その二つを合わせて皇城と呼ばれている。ほとんどの官吏は皇城の正門・朱雀門から伸びる朱雀大路の東側の地域に住んでいる。対して西側は、庶民の住む場所だ。官吏で住むものもいなくはないが、もとが貧しい家のものである。

「仕方ないではないですか。進士のお給金は安くはありませんが、まだ初年度ですし」
「だが状元とあらば支度金がしっかり出ただろう」
「私の場合家とも縁が切れているので、お金は大切にしておきたいんです」
「縁が切れているとは、養い親とか」
「ええ。私の正体が万が一バレても、家に被害が及ばないようにと、戸籍から外れるというのが科挙受験の条件でした」

 大頭面がこちらに向けて迫ってくる。雲嵐が前傾姿勢になったからだ。怖いのでできればもう少し離れてほしい。

「寂しくはないのか」
「寂しくはないかですって?」
「養い親と言っても育ての親だろう」
「ああ、親っていう感じじゃないんですよね。働き手としての養子縁組ですから、ほぼ奴隷と同じです。暴力とかは無かったので、その点は良かったですが」
「……お前も辛い思いをしたのだな」
「辛い? うーん、辛かったのかなあ。史書の世界に浸かれる時間があるだけで幸せだし、史書編纂事業のことを知ってからは、ずっと科挙に受かって史書を書くことしか頭に無かったですし」
「……そうか」

 雲嵐は両腕を組み、張り子の面のまま俯いた。不気味に笑う女の顔が前方に傾ぐ。
 なんだか腹を抱えて大笑いしているような格好になっている。が、中の本人は何か思案している最中なのだろう。とりあえずしばらく放っておくことにした。

 膝をたて、羅刹は立ち上がると、茶を入れるため竈門に火を入れに行った。水瓶から鍋に水を入れ、湯を沸かす。
 ぼーっとしながら鍋から湯気が上がるのを待っていると、板の間の方ですごい音がした。振り返ってみると雲嵐が腕を組んだまま真横に倒れている。

「嘘っ! ど、どうしたんですか!」

 慌てて土間から板の前へと駆け上がり、羅刹は雲嵐の脈を確認した。

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