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2.性格
しおりを挟む人というのは不思議なもので、どれほど分かりたい、理解したいと思ってもできないものだ。
同じ人なんていない、そう思うのに、この国の人は「同じであること」を求めてくる。
確かに同じであることはホッとするけれど、居心地はいいけれど、完璧に同じであることがありえないことだと、わかっているくせに。
それはどれだけ不毛なことなんだろう。
同じことに安堵を覚えて、同じであることに依存しているような気がしてならない。
それは、私にとっても同じことだった。
「あ、七種さんこれお願い出来る?」
「あ、はい。わかりました」
上司から渡された書類を受け取って中身を確かめる。
なんてことはない、ただの諸経費精算の申請書類だ。処理にそう時間はかからない。
経理事務としてこの会社に入ってからもう5年目。慣れたといえば慣れた。ミスだって新人の頃よりはない。
大きくもなければ小さくもない、いわゆる中小企業。
ここが私の職場で、戦場で。
毎日必死に生きている。
大きければそれなりにうもれていただろうが、この会社はそれを望める会社でないことは、もう充分理解している。
埋もれることもかなわない個人は、足並みをそろえることしかできないのだ。
とはいえ仕事は真面目にやっている。お金をもらっているのだからそれは当然の義務だろう。
たまに残業もあるが、帰宅時間に概ね変動はない。
賞与も出るし、福利厚生もしっかりしているから、いい会社なんだとは思う。
金庫から現金を出して、申請された金額を確認した。
間違いがあって、出納が合わなければ帰れない。
現金精算は慎重に、今はもう寿退社してしまって在籍していない先輩の言葉は忠実に守っている。
現金を規定の封筒に入れて出来上がった伝票を処理していると、肩を叩かれた。
「や、萌」
「……春花、どうしたの?」
「今大丈夫? 明後日の金曜日さぁ、ちょっと予定開けておいて欲しいんだけど」
「明後日? なんかあるの?」
話しかけてきたのは同期で同僚の久原春花(ヒサハラハルカ)だった。
厳密に言えば、今は勤務時間中で雑談をしていい時間ではないが、そんな学級委員長みたいなことをしたらつまはじきにされてしまう。
周りに不快を与えないように慎重に小声で問いかけると、彼女は顔の前で手を立てた。
「ごめん、どうしても人足りなくてさぁ! 合コンなんだけど、萌、いけない?」
「合コンかぁ…。相手は?」
「デザイナー、クリエイター、ITエンジニアに画家」
「…え、何そのメンツ、どこで集めたの…!?」
「ちょっと友達の頼みで。ね? お願い! いい男揃いだっていうし! 会費は安くするし! ね!?」
大げさな手振りで頭を下げた彼女にこっちがアタフタとしてしまう。
そんな姿を見られては何事かと上司が来てもおかしくない。
今は仕事をしていなければいけない時間で、こんな雑談はお昼休みにするべき事柄だ。
普段はそれをきっちりと分ける春花がこうしてなりふり構わず私に頼んできたということはよほど切羽詰まっているということなのだろうが、今は先に彼女の顔を上げさせるほうが先決だった。
「い、いいよそんな事しなくて! 行く! 行くから!」
「ほんと?!」
「うん。平気平気。金曜ね? 時間とかあとで聞くからお昼までまっててよ」
「萌~! ありがとう! 恩に着る」
「また大げさな。いいって、私も久しぶりだし、楽しみにしてるわ」
笑いながら答えて、自分の席に戻っていった春花の背中を見送った。
今は、ちゃんと笑えていただろうか。
ぎこちなくはない笑みで彼女の背中を見れていただろうか。
パソコンのディスプレイに向き直って、こぼれそうになったため息は噛み殺した。
合コンなんて、気が重い。
男の人なんて怖いだけだ。彼氏が欲しいと思ったこともない。
一瞬脳裏に浮かんだ苦い記憶に、私は思わず身体を震わせた。
どれくらいの年齢の男性がくるかは知らないが、さすがに10代の子供が来るわけじゃないだろう。
だから私の心配など不要以外の何者でもないのだが、やはり怖いものは怖い。
頷かなければよかったと思うのはいつも快く返事をしてしまってからだ。
いつも自分の本音が言えない。
せっかく、珍しく、今週は金曜日の予定がなかったから、買い物をして、翌日の土曜日に読書して、土いじりをしようと思っていたが、恐らくそれは無理だ。
久原春花はオシャレや化粧、女性としての身だしなみを全力で楽しんでいる女性だと思う。いわゆる派手な人の部類に入る女の子。彼女が悪い人だと思っている訳ではないが、それでもこうして何度も何度も合コンに誘ってくる彼女は少し苦手な人だ。
それを口にするわけにもいかず、だからといって自然と距離を取るなんていう器用なことが出来るわけでもない。
結果、はっきりと自分の気持ちを口にできない私は、誘われるままに頷くことしかできないでいる。
男の人が怖いと思っている私に、その場に言ってもどうにもできない大きな壁があることを彼女は知らないのだから、仕方ないと言えば仕方ないことだが、もう私を誘わないでいて欲しかった。
このままじゃダメだとはわかっていれど、それすらも口にすることはままならない。
同じでなきゃ、同じでいなきゃ、ノリがよくて、愛想がよくて、付き合いのいい七種萌じゃなければ、受け入れてなどもらえない。
記憶がいつまでも私を雁字搦めにしていて、身動きを取れなくする。
はあと小さくため息をついて、指をキーボードの上に置いた。
今はもう、その憂鬱すぎる予定が入ったことを考えたくない。仕事に集中しよう。
◇◇◇◇◇
洋服、新調したほうがいいのかな。
帰り道、トボトボと歩きながらそんな事を考えたが、その時間がめんどくさいと瞬時に思ってしまう。
だが、表面上でもやる気を出していなければ、また何かを言われてしまいそうで怖い。
ため息が止まることはなく、悩みは苦悩に色を変えている。
男の人が怖いなんて誰にも言えない。
今だって、お父さんぐらいの年齢の人でなければ怯えてしまうのに。
会社内で平気で話せる男性は上司ぐらいだ。同年代の男性との会話は、表面上なんでもない風を装って心の中は恐怖で埋め尽くされている。
私はもう社会に出てて、周りにいる人たちだってみんな社会人で、それなのに、なんで私はこうも臆病なんだろう。
いい加減この性格を変えたいと思うけれど、正直どうすればいいのかなんてまるでわからない。
再びついたため息に、肩がまた一つ重くなった気がした。
そんなことを考えながらぼんやり歩いていたせいかもしれない。
気がつかないうちに落ちていた視線に、陰った影を認識する前にドンっと身体に衝撃が走った。
「あっ…」
「って」
肩にかけていたカバンがその衝撃でアスファルトに落ちてしまう。
ボタン一つで止める形だったせいで、中身がばらけてしまった。
「ご、ごめんなさい…っ!」
「……いや、俺も、すみません」
散乱した自分のカバンの中身が恥ずかしくて、慌てて散らばったそれを広い集める。
しゃがみこんだ私に習うように、ぶつかってしまったその人もしゃがみこんで、荷物を拾い始めてくれた。
「す、すみません、お手数おかけしてしまって…っ」
「俺もよそ見してたんで。本当すみません」
「いえ…っ」
親切な人でよかったとほっと胸を撫でおろすのと同時に、胸を恐怖が支配する。
言葉はぶっきらぼうだが、優しげな男の人の声だった。
知らない男の人と、こんな近くで話してる。
脳裏をかすめた嫌な記憶を、慌ててかき消した。
「―――これで全部だな。本当すみませんでした」
「い…いえ…私の方こそ…っ」
いくら怖いからといって、顔も見ずにお礼を言うのも謝罪を述べるのも、失礼だろう。
一瞬だ、一瞬でいい。それくらいなら我慢できる。
そう自分に言い聞かせて、顔を上げた。
「――――何か?」
顔を上げた瞬間固まった私に、相手の男性は不思議そうな顔をして首をかしげていた。
「…い、いえ…あの、本当に、すみませんでした…っ」
「あぁ、もういいっすよ、謝らなくて。俺も悪かったんだし。それじゃ」
彼はニコリともせずにそう言って、雑踏の中に姿を消していく。
あんなかっこいい人、見たことない。
私は素直にそう感じて、ただただ消えた背中の方を見つめていた。
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