ポーカーフェイス

堂宮ツキ乃

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一章 ポーカーフェイスとパーフェクト人間

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 加奈かなは華の姉で、今年高校二年生になる。

 今日は高校の始業式で、午前中で学校が終わった。その帰り道に母校に訪れた。

 二年目の付き合いになる赤い自転車を、懐かしい校門の前に停める。そこにはシルバーやらモスグリーンの自転車が何台か停めてある。加奈と同じく、母校に訪れた高校生が他にもいるのだろう。

 その中に見知った同級生がいたらいいな、と思いながら校門をくぐった。

 今年は寒暖差が激しかったせいか、桜の開花がいつもより遅かった。おかげで春休み明けに見ごろを迎えることができた。

 そんな満開の桜たちに出迎えられると、ますます懐かしさがこみ上げる。加奈はスマホをポケットから取り出すと、薄桜色の景色を画面に収めた。

 高校から中学校に向かっている途中で曇ってきたが、雨が降らなくてよかった。

 思えば自分たちの学年は学校行事の度に曇りになることが多かった。修学旅行や自然体験活動の最終日、最後の運動会。運動会なんかは前日の夜に雨が降り、開催が危ぶまれた。結局開催されたが、強い日差しがなくてかえってよかった。

 ここに通った三年間は本当に楽しかった。大好きな同級生たちに囲まれて過ごした日々、バスケ部で遅くまで練習したことも。学校行事はどれも最高の思い出だ。

(心残りもあるけど……)

 今日の空のように表情が曇り、後輩ののことがよみがえる。

 雰囲気が大人っぽかった。一歩引いたところで穏やかな笑みを浮かべていることが多かった。その横顔が誰よりも綺麗で、何度見とれたことか。

(タイム君……)

 自分の同級生よりも大人びた彼のことが好きだった。否、今でも好きなのだと思う。妹から彼の話題を聞く度に耳が反応してしまう。

『華……のお姉さん、ですよね』

 初めて会ったのは二年前。ちょうどこれくらいの時期だった。あの時は桜が早々に満開を迎え、舞い散る花びらが地面を美しく染めていた。

 妹の華は中学校に入学したばかりで、慣れない環境に熱を出して休んだ。今朝家を出る時も、早く学校に行きたいとうわごとをつぶやいていた。

『そうだけど……君は?』

『俺は華と同じクラスの紺野こんのタイムです。川添先生に言われてこれを渡しにきました』

 体育館につながる渡り廊下で、そう声をかけられた。風のある日で、桜の木から離れているここにも桜の花びらが舞ってきていた。

 彼は華の同級生と名乗ったが、新一年生には見えない落ち着きと貫禄を持っている。同じ三年生かと思ったくらいだ。

『提出物の期限を延ばす、というメモと宿題です。宿題は読み物らしいんですけど、無理しない程度に目を通してくれ、とのことです』

『分かった。華に渡しておくね』

『よろしくお願いします。華にお大事に、って伝えてもらっていいですか』

『わぁ……お気遣いありがとう』

 スマートにそんなことが言える男子は見たことがない。加奈は歳上としての威厳を保つのに必死だった。

 それよりも、だ。加奈は受け取った物を体の前で抱きしめ、上目遣いになった。

 桜が舞う中、彼の姿に釘付けになってしまった。

 よく見たらイケメンだし、同級生の男子よりも高めの声が可愛い。だけど身長はすでにそこそこあり、小柄な加奈の頭一つ分大きい。

 会話は続くことはなく、タイムは”それじゃあ”と颯爽と立ち去った。加奈は彼を見えなくなるまで見つめ、彼の名前を反芻した。

 要するに一目惚れだ。だが、学年も部活も委員会も違う。その後、彼と話すことはなく卒業式を迎えた。

 彼のことは校内で見かけた時に目で追うか、妹から話を聞くか、先生たちの噂を聞くか。まるで接点がなかった。

 タイムが先生たちの噂になるのは、彼があまりにも優秀だから。勉強も部活も、彼の右に出る者はいない。加奈の周りでも”とんでもない一年生がいる”、と時々話題に上がっていた。

 あの彼なら難関高校も易々と入学できるはず。今年は受験の年。彼の進路は気になるが、加奈の通っている高校ではないだろう。

「私も優秀だったらなぁ……」

 そんなぼやきがついついこぼれてしまう。

 原因は進路のことだ。二年生の終わりに進路希望を提出したら、希望している地元の大学は”お前の成績では難しいな……”と担任に苦笑いされてしまった。

『大学は他にもっとあるぞ。ここじゃなくてもいいじゃないか』

『でもっ、私はここで学びたんです。成績は……三年生になったらもっと頑張ります』

 成績が足りないのは重々承知している。頑張るのが遅いことも。それでもこの大学に通いたかった。

 歴史のある広いキャンパス。小さい頃、家族で出かける度に前を通って漠然と憧れていた。

 この話を両親にしたところ、”法が許すならぶっ飛ばしたい”とどちらも言っていた。母親には晩御飯の準備を手伝っている時に、父親には晩御飯を食べている時に。

 華の実力はそんなもんではない、もっと伸びると信じてくれた両親の応援が嬉しかった。同時に、同じことを返す二人の仲の良さがうらやましかった。

 なれるものならタイムとそういう風になりたい。知らず知らずのうちに似てくる二人に。










「えー何この花? 実? 可愛いー!」

「おいハルヒ、よそ見するな。置いてくぞ」

「まぁまぁ。ゆっくり行こうよ」

 アルトと双子、タイムはグランドの外周にある花壇の前で立ち止まった。ハルヒが気になるものを見つけたのか、花壇の前にしゃがみこんだ。

 アルトとタイムは川添に提出物を出した後、”時間があるなら双子に校内を案内してやってくれ”と言われたのだ。

 双子もアルトに案内してほしい! とのことで、職員室や各教室を回った後にグランドへ出てきた。

 グランドではサッカー部とソフトボール部、陸上部が敷地を分けて活動していた。威勢のいい声や、顧問のスピーカーを通した声が響いている。

 体育館ではバスケ部と卓球部が、校門の前にある道の反対側にはテニス部のコートがある。時々、パコーンと乾いた音がグランドまで聴こえる。

 グランドの周りには花壇や花をつける木が並んでいる。どれも園芸委員会や用務員によって綺麗に管理されていた。

 アルトは髪を耳にかけながら、ハルヒの横に並んだ。

「えっと……なんだっけ」

 花壇の周りには種がとんで毎年花を咲かせるようになった、キンギョソウやペチュニアが生えている。他にもカタバミやシロツメクサが群を成していた。

 その中で一際目立っているのが紫色のつぶつぶが茎に連なっている花だ。まるでぶどうを逆さにして地面に突き刺さっているよう。

「知ってるのか?」

「ん……昔聞いたんだけど……」

 なんだかんだでミカゲもアルトの隣にしゃがんだ。アルトは小さくうなずくと、紫色の花をじっと見つめた。

「そういえばタイム。部活はいいの……?」

 アルトはしゃがんだまま振り返った。一緒になって道草を食ってる場合ではない。

 今日は学校が半日で終わるので、午後からは部活動の生徒が多いはず。

 アルトは帰宅部だが、タイムはサッカー部のエースだ。一年生の頃からレギュラーメンバーとして大会に出ていたらしい。

 練習試合や大会に出れば、他校の女子生徒から黄色い声援が上がると川添が言っていた。

 後ろにいるタイムは、アルトと目が合うと”ん?”と眉を動かし、人差し指を唇に当てた。

「川添先生に言われたからね。今日くらい許してくれるんじゃないかな」

「あ、そっか……」

 納得して前を向くと、タイムではない声が後ろから響いた。

「アールト。何してんだ」

「うわっ」

「アルト!?」

 アルトは後ろから背中を押され、花壇にダイブしそうになった。しかし、すんでのところで双子に肩を掴まれたので花をつぶさずに済んだ。

「なんなの……」

 立ち上がって振り向くと、短髪の男子が悪びれもせずニヤニヤしていた。どうやら膝で押したらしい。

 体操服姿で短く刈り込んだ髪は、いかにもな運動部の男子だ。

「今年も同じクラスだぜ」

「そうなんだ。よろしく、テツ」

 アルトにテツ、と呼ばれた男子は口の端を上げた。憎たらしい笑い方だが、悪意は感じられない。

「テツ、部活は?」

「タイムもだろ。迎えに来てやったんだぞ」

 ちょっかいをかけられたアルトよりも、ムッとした表情を見せたのはタイムだった。

「アルトも来るか? たぶんドジって転ぶけど」

「なんで連れてこうとするの……」

「だっておもしろそうじゃん。ボール蹴ったら空振りしそう」

 吹き出すテツの脇腹を、アルトは”うるさいな……”とはたく。

 彼はアルトに話しかける変わっている男子だ。先ほどのようにちょっかいをかけることも多い。

 クソガキ感は先生の前でも変わらず、タメ口で話すほど。だが、サッカー部のことになると一転し真面目に取り組むので、そのギャップにやられる女子は多い。

「あ、じゃあ私たちも同じクラスってことか!」

「だな。よろしく」

 双子たちに軽く手を挙げたテツだが、顔をかいた。

「誰?」

「転校生のハルヒとミカゲだよ」

「あ、あぁー。アルト、もう仲いいの?」

「二人は幼馴染で、幼稚園の頃によく遊んでいたんだ」

「ふーん」

 テツはアルトの肩に肘をかけると顔をのぞきこんだ。

「肇に殴られたって聞いたけど大丈夫? なんか腫れてね?」

「うん。ちょっと痛い」

「肇もやりすぎだよな。華に怒られてたぜ」

「……そっか。二人は部活?」

「おう。肇はしょげた顔でボール蹴って川添にいじられてる。華はバスケ部……って、あれ華じゃね?」

 テツが指を差した方向を全員で見ると、こちらに向かって走ってくる女子がいた。

 ポニーテールにした桃色の髪を激しく揺らしている。

 部活が始まっているはずだが、彼女は制服姿だった。

「アルト、チャンスだね」

 タイムはさりげなくテツをアルトから引き離し、背中を押した。

 今はタイムからの応援に胸を高鳴らせている場合ではない。アルトは短く息を吸うと、ゆっくり吐き出した。

 華の厚意を素直に受け取る、普通に接すると決めた。今までのことを謝る、とも。

「あの、華────」

「助けて、アルト!」

「え?」

 尋常ではない様子にアルトは固まった。タイムたちも怪訝な顔つきになる。

「お姉ちゃんが……! バスケ部の皆が!」

 それ以上は続けられず、華は膝に手をついて激しく咳き込んだ。動揺するアルトはおそるおそる声をかけた。

「どうしたの……?」

「変な男の人がっ、ナイフを持って体育館にいるの……!」

 青ざめた華の顔色に全員が凍り付いた。

 不審者だ。いつの間に入ったのだろう。体育館にいる生徒や教師たちはどうしているのか。

「中はどうなってるの……?」

「今日はショウちゃんと日直だったから部活に行くのが遅くなって、入口を開けた瞬間に変な声がしたからそっとのぞいたの。そしたら遊びに来た先輩たちが男につかまってて……。他のバスケ部の子たちも……。慌てて出てきたの」

 校舎から体育館へは渡り廊下でつながっている。バスケ部はそこから移動し、ステージの脇にある空間で着替えてから体育館へ入るようになっていた。

「警察呼ばないとまずいんじゃね?」

「それはショウちゃんが先生に伝えてくれたから大丈夫……」

「じゃあなんでアルトのとこに?」

 ミカゲとハルヒがアルトの横に出ると、校舎から一斉に教師や用務員が飛び出してきた。校長、教頭問わず。彼らは近くにいる生徒たちに慌てて、すみやかに帰るように声をかけていった。もちろんアルトたちも。

 何があったのか知らない生徒たちは突然部活が終わったのを喜んだり、理由を聞こうとしている。しかし教師たちは厳しい顔で早く帰れと繰り返すばかり。顧問の教師は耳打ちされると、同じようにグランドから追い出し始めた。

 校舎からも生徒が出てきて、雰囲気にのまれて足早に帰っていく。

「お前ら、何してんだ。早く帰れ!」

 ジャージ姿の川添だ。いつもより厳しい顔をしている。しかし、声は抑えていた。

「いや……帰れないです」

「何? アルト、こういう時の冗談は笑えねーぞ」

 川添が怒りで顔を真っ赤にさせた。本気で怒っている時の彼だ。かつて誰よりも恐れられていただけある。

「華に謝るためだから……これぐらいのこと、しなきゃダメだから」

 その瞬間、アルトが校舎に向かって駆け出した。他の生徒とは真逆の方向に。しかし、その足は遅い。

「アルトってドジの上に体育苦手なんだよな……」

 テツが笑っていると、その横を風が走り去った。

「アルト!」

 彼女の後をタイムが追い、彼女の手を取って前を走りだした。

(タ、タイム……!)

 好きな人と手をつないでいる、一緒に走っている。これには激しく動揺してしまう。隠せそうにない。

 だが、タイムは何も意識していないようだ。後ろを走るアルトからは何も伺えなかった。
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