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3章

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 「mishina」を出てトボトボと歩き、信号が青に変わるのを待った。

 今日は一葉は彼氏とデートらしいので、駅前で適当に晩御飯を食べていくつもりだ。日頃の自分のご褒美を兼ねて。

 6時を過ぎても明るい広小路。

 居酒屋が多いここは、この時間帯になると店員が出てきてクーポンを配ったり声掛けをする。特にスーツ姿の団体に。

 私服の上に1人の志麻は、声をかけられたことはない。

 あるとしたらいつの日かの変な輩と────

「シマリスちゃん」

「…?」 

 なんとなく自分の名前と似てるのと、記憶に引っかかる声がして振り向いた。

「やっぱり。俺だよ、アヤト」

 シルバーのスーツにコートを羽織ったアヤトは、志麻のことを見てニッコリと笑った。

 シマリスとは、歓迎会でアヤトと神楽坂に名付けられたあだ名だ。

「あ…歓迎会ではどうも」

 ぎこちなく会釈をする。

 歓迎会であちこちに呼ばれた志麻は、夜の人間とはあまり話せなかったが、自己紹介だけはし合った。名刺を渡されながら。

「硬いよ、シマリスちゃん。この前はあんなに笑っていたのに。嫌なことでもあった?」

 顔をのぞきこまれ、綺麗な顔が間近にあることに驚いてあとずさりかけると、アヤトが志麻の背中に手を添えた。"逃がさない"と言いたげに。 

「悩みがあったら聞くよ? 可愛い女の子が暗い顔してるの、見てらんないから」

「あの、大丈夫なので…。これからご飯食べに行かなきゃ」

「だったらウチにおいでよ。この前約束したでしょ? 一度ウチにおいでって。タダにしてあげるからさ」

 さりげなく誘導されかけ、志麻は力を入れてその場に踏みとどまって首をブンブン振った。

「大丈夫ですから! ホスト行くの怖いし…」

 警戒心をあらわにすると、アヤトが一瞬悲しそうな顔をしてうつむいた。

「…やっぱりシマリスちゃんみたいな純情なコには、俺たちみたいな夜の人間は悪いヤツにした見えないかな…」

 さすがにやりすぎたかと、志麻は慌てて手を振った。

「そうじゃなくて! アヤトさんと神楽坂さんはそんな風に見えないですよ」

「ホントに?」

「ホントにです」

 じっと瞳をのぞきこまれ、再び硬直する。

 アヤトの瞳は透明で吸い込まれそう、という表現が合う。

 数秒見つめ合った後、彼は表情を崩して志麻の頭をなでた。

「ありがと。シマリスちゃんはマジモンの小動物みたいに警戒心強すぎな女の子だと思ったよ」

「あの…似合わないのでシマリスちゃんとか小動物とかやめて下さい…」 

 そう呼ばれる度にむず痒くなる。

 彼はホストだからか、やっぱり女の子扱いが上手い。今まで言われたことないような甘いことばかりささやいてくる。



 ホストは信用できない、と思っていたのに気づけば彼の店に入っていた。

 しかし、通されたのは店舗の上の2階の部屋。 

 ごく普通のテーブルとイスがあり、下の階がホストクラブであることが信じられないほどの、シンプルな部屋の作りだった。

「こっちの方が安心できるかなと思って」

「ここは?」

「俺たちの休憩室的な。別の部屋はオーナーの家でもあるよ」

「へー…」

 アヤトは内線で下の厨房に連絡を取って、上の階に軽食を持ってくるように言った。志麻の向かいに座りながら説明する。 

 志麻はキョロキョロと辺りを見回していた。

 その様子にアヤトは目を細めて笑った。

「…可愛いね。ホントにシマリスみたい」

「そういうのやめて下さいよ。キャラじゃないし…」

「と言いつつ照れてるね? 顔赤いよ」

 ツン、と頬をつつかれて志麻は片目を閉じた。異性からのこんなスキンシップも初めてだ。

「それで。何が原因で悲しい顔してたの?」

 この数十分でアヤトのことを信用できると分かり、志麻は焔が好きだったことを話した。

 今日、「好きになってはいけない相手」と知り、手作りしたお菓子を渡すのをやめたことも。

 アヤトはうなずきながら、まっすぐに志麻のことを見て話を聞いた。

 志麻がだまると、今度はアヤトが口を開いた。

「…ねぇ。その人にあげる予定のお菓子って今持ってるの?」

「ありますよ」

「じゃあそれ…俺がもらっていいかな?」

「え?」

「せっかくシマリスちゃんが好きな人のことを考えながら作ったお菓子でしょ? このまま持って帰って自分で食べるシマリスちゃんを想像したくないから」

 真剣な瞳を向けられ、言われるがままにアヤトに差し出した。

 受け取った彼はほほえみ、慶司に渡す用以上にお金をかけたラッピングにキスをした。

 自分がされたわけじゃないのに志麻の顔が赤くなる。

「ん? どしたの?」

「えっ…と。その…」

 アヤトが肘をついた手の上にアゴをのせて首をかしげると、ドアをノックする音が響いた。

 ボーイが静かに入室し、2人の間のテーブルにサンドイッチを置いて再び部屋を出た。その背中に「ご苦労様」とアヤトが声をかけ、つられたように志麻は会釈をした。

「ちょっとドキドキした?」

 正直にうなずくと、アヤトは細い人差し指の先で志麻の唇をなぞる。

 心臓が飛び上がった気がした。

 志麻は大げさなほど驚いて後ろにひっくり返りそうになったが、アヤトが立ち上がって彼女を支えた。

 お互いの膝がぶつかるほど狭いテーブル。アヤトは志麻の頭の後ろを左手で支え、右手は彼女の唇にふれていた。

「ホントはこっちにしてほしかった────?」

 なんとも言えない妖艶な笑みに目を奪われ、この状況に歓喜することも拒否することもできなくなる。

 志麻はただ、真っ赤な顔で瞳を見開いてアヤトのことを見つめ返すだけ。

 彼は何も言えなくなった彼女にフッとほほえみ、顔をかたむけながら近づいていった────
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