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最終話 ガラスの靴はその場で
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「カオ愛してる!」
「ちょっ今食器洗い中!」
薫子の肩にコウの腕が絡みついた。
回された腕は思いのほか筋肉質だ。聞けば大学では様々なスポーツを経験したらしい。今でも高校の運動系の行事では必ず選手になるそうだ。
「食器割れちゃうじゃん。危ないでしょー」
反省する色はなし。むしろ頬に唇を寄せてくる。彼に背中を向けていたら何をされるか分からない。
ふと、彼が腕の力を緩めた。
「あれ? このシュシュ────」
気付いたか。薫子はくすぐったい気持ちで口元をゆるめた。最後の食器に水を流すと手を拭いた。
背中に広がるほど長かった髪は、就職を機に肩先で切りそろえた。伸びてきたので最近は肩の上でヘアゴムでまとめることが多い。しかし今日は。
「コウちゃんにホワイトデーにもらったやつだよ。久しぶりにつけてみたんだ」
これは薫子が高校を卒業した日にコウがくれたもの。
彼と初めて写真を撮れた日も嬉しかったが、彼からの贈り物はそれ以上だった。
自分のために選んでくれたのだろう、と彼が店先にいる姿の妄想が止まらない。
コウは薫子の肩にアゴをのせると、一層体重をかけて抱きしめた。
「あ、バレンタインのお返し渡さなきゃ」
「え!? くれるんですか……?」
卒業式が終わった化学室。告白して告白し返された薫子は、突然のサプライズに後ずさった。お返しなんて微塵も期待していなかった。
「ちょっと早いけどね」
コウはジャケットの内ポケットに手を入れた。そこから現れたのはリボンのついた小さな紙袋。
中に隠れていたのはパステルグリーンのシュシュだった。手に取るとふんわりとした感触で、白いレースで縁取られていた。
「可愛い……。ありがとうございます!」
「よかった。絶対似合うと思ったんだ」
コウは胸をなでおろしたようだ。
その時、薫子のスマホに母から連絡が入った。卒業式が終わったら車で一緒に帰る約束をしていたのを忘れていた。
コウは昇降口まで送ってくれ、最後に連絡先を交換した。
三年生の校舎からは人の気配が消えている。皆、親と帰ったり駅前で集まったりしているのだろう。
アンとミツヤには改めて連絡しようと思った。ちゃんとお別れを、ではなくこれからも会おうねと伝えたい。大切な友だちだから。
「カオちゃんが家に着いた頃に連絡するよ」
「待ってます」
薫子がスマホを握りしめると、コウが頭に手をのせた。
先ほど抱きしめた腕とは違い、遠慮がちな力加減。驚いて顔を上げたら、やさしく撫でられた。
「敬語……消していいよ? 俺も君のことカオって呼ぶつもりだし。アンさんとミツヤ君がうらやましくてしょうがなかったよ」
「じゃあ私も────コウちゃんって呼んでも……?」
彼は鼻の頭をかきながらうなずいた。今、顔が赤らんだような。照れているところなんて見たことがない。
貴重な赤面をじっと目に焼き付けたていたら、コウが背中を軽く叩いた。
「ほら、もう行かないと。ご両親が待ってるんでしょ?……ん。このまま挨拶に行くのもいいかもしんない……」
「気が早いです」
「へへ、ついつ」
おどけて笑うコウにツッコんだが、心では全く反対のことを思い描いていた。
交際が長く続いて"お嬢さんをください"なんて日が来たら。
薫子はこのままコウと一生を共にしたいとひそかに願っていた。高校生だから、まだ幼いからこそ抱いてしまう淡い夢。
(私はコウちゃんが最後の人に……)
「どうかした? 顔赤いけど」
コウが頭に手を乗せたまま顔をのぞきこんだ。まるで小さい子どもにやるように目線を合わせる。
これだけ彼の顔を間近で見たのは初めてだ。陽に透き通る瞳、長めのまつげ。形のよい眉は毎日整えているのだろうか。よく見たら目元に小さなほくろがある。
「なんかついてる?」
穴が開くほど観察していたらコウが小首をかしげた。
「物足りなさそうな顔だね。大丈夫だよ、またすぐ会おう」
彼のほほえみに、間近に迫った別れを思い出す。
やっと気持ちを伝えることができ、彼も同じ気持ちだったことを知った。あともう少し、一緒にいられたら。彼の背中を見るといつも名残惜しくなる。
そんな薫子の気持ちに気づいたのか、彼は優しい笑みを浮かべた。
「しょうがないなぁ……」
コウは素早く周りを見渡し、かがんだ。と思ったら、唇でお互いの体温を共有していた。
不意打ちのキスに心の準備ができていなかったせいか、唇から激しい鼓動がバレてしまいそうだ。だが、そんな心配はすぐにどうでもよくなった。
唇の甘さにいつまでも浸っていたい。とろけるような感覚に頭がふわふわする。
ファーストキスのときめきは一生忘れられそうにない。
最初で最後の相手がコウで良かった。
コウはびっくりするほどあの頃と変わらない。むしろ年々若返っていくようだった。
(顔に似合わずくっつきたがりで、誰よりも優しいあなたのことがずっとずっと大好きだよ……)
薫子は高校時代から増え続けている写真を見返しながらほほえんだ。
Fin.
「ちょっ今食器洗い中!」
薫子の肩にコウの腕が絡みついた。
回された腕は思いのほか筋肉質だ。聞けば大学では様々なスポーツを経験したらしい。今でも高校の運動系の行事では必ず選手になるそうだ。
「食器割れちゃうじゃん。危ないでしょー」
反省する色はなし。むしろ頬に唇を寄せてくる。彼に背中を向けていたら何をされるか分からない。
ふと、彼が腕の力を緩めた。
「あれ? このシュシュ────」
気付いたか。薫子はくすぐったい気持ちで口元をゆるめた。最後の食器に水を流すと手を拭いた。
背中に広がるほど長かった髪は、就職を機に肩先で切りそろえた。伸びてきたので最近は肩の上でヘアゴムでまとめることが多い。しかし今日は。
「コウちゃんにホワイトデーにもらったやつだよ。久しぶりにつけてみたんだ」
これは薫子が高校を卒業した日にコウがくれたもの。
彼と初めて写真を撮れた日も嬉しかったが、彼からの贈り物はそれ以上だった。
自分のために選んでくれたのだろう、と彼が店先にいる姿の妄想が止まらない。
コウは薫子の肩にアゴをのせると、一層体重をかけて抱きしめた。
「あ、バレンタインのお返し渡さなきゃ」
「え!? くれるんですか……?」
卒業式が終わった化学室。告白して告白し返された薫子は、突然のサプライズに後ずさった。お返しなんて微塵も期待していなかった。
「ちょっと早いけどね」
コウはジャケットの内ポケットに手を入れた。そこから現れたのはリボンのついた小さな紙袋。
中に隠れていたのはパステルグリーンのシュシュだった。手に取るとふんわりとした感触で、白いレースで縁取られていた。
「可愛い……。ありがとうございます!」
「よかった。絶対似合うと思ったんだ」
コウは胸をなでおろしたようだ。
その時、薫子のスマホに母から連絡が入った。卒業式が終わったら車で一緒に帰る約束をしていたのを忘れていた。
コウは昇降口まで送ってくれ、最後に連絡先を交換した。
三年生の校舎からは人の気配が消えている。皆、親と帰ったり駅前で集まったりしているのだろう。
アンとミツヤには改めて連絡しようと思った。ちゃんとお別れを、ではなくこれからも会おうねと伝えたい。大切な友だちだから。
「カオちゃんが家に着いた頃に連絡するよ」
「待ってます」
薫子がスマホを握りしめると、コウが頭に手をのせた。
先ほど抱きしめた腕とは違い、遠慮がちな力加減。驚いて顔を上げたら、やさしく撫でられた。
「敬語……消していいよ? 俺も君のことカオって呼ぶつもりだし。アンさんとミツヤ君がうらやましくてしょうがなかったよ」
「じゃあ私も────コウちゃんって呼んでも……?」
彼は鼻の頭をかきながらうなずいた。今、顔が赤らんだような。照れているところなんて見たことがない。
貴重な赤面をじっと目に焼き付けたていたら、コウが背中を軽く叩いた。
「ほら、もう行かないと。ご両親が待ってるんでしょ?……ん。このまま挨拶に行くのもいいかもしんない……」
「気が早いです」
「へへ、ついつ」
おどけて笑うコウにツッコんだが、心では全く反対のことを思い描いていた。
交際が長く続いて"お嬢さんをください"なんて日が来たら。
薫子はこのままコウと一生を共にしたいとひそかに願っていた。高校生だから、まだ幼いからこそ抱いてしまう淡い夢。
(私はコウちゃんが最後の人に……)
「どうかした? 顔赤いけど」
コウが頭に手を乗せたまま顔をのぞきこんだ。まるで小さい子どもにやるように目線を合わせる。
これだけ彼の顔を間近で見たのは初めてだ。陽に透き通る瞳、長めのまつげ。形のよい眉は毎日整えているのだろうか。よく見たら目元に小さなほくろがある。
「なんかついてる?」
穴が開くほど観察していたらコウが小首をかしげた。
「物足りなさそうな顔だね。大丈夫だよ、またすぐ会おう」
彼のほほえみに、間近に迫った別れを思い出す。
やっと気持ちを伝えることができ、彼も同じ気持ちだったことを知った。あともう少し、一緒にいられたら。彼の背中を見るといつも名残惜しくなる。
そんな薫子の気持ちに気づいたのか、彼は優しい笑みを浮かべた。
「しょうがないなぁ……」
コウは素早く周りを見渡し、かがんだ。と思ったら、唇でお互いの体温を共有していた。
不意打ちのキスに心の準備ができていなかったせいか、唇から激しい鼓動がバレてしまいそうだ。だが、そんな心配はすぐにどうでもよくなった。
唇の甘さにいつまでも浸っていたい。とろけるような感覚に頭がふわふわする。
ファーストキスのときめきは一生忘れられそうにない。
最初で最後の相手がコウで良かった。
コウはびっくりするほどあの頃と変わらない。むしろ年々若返っていくようだった。
(顔に似合わずくっつきたがりで、誰よりも優しいあなたのことがずっとずっと大好きだよ……)
薫子は高校時代から増え続けている写真を見返しながらほほえんだ。
Fin.
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