たとえこの恋が世界を滅ぼしても7(完結)

堂宮ツキ乃

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 和馬よりも小さな体。白い肌に長いまつ毛、桜の花弁のように小さなピンク色の唇。右目はガーゼで覆われていた。

 夜叉は保育園では見たことないほど可愛い女の子だった。

 初めて会った、というか同じ空間に居合わせたのはお互いに赤子の時。

 成長してから聞いたが、夜叉はある日突然庭に現れたらしい。籠の中に大切に入れられて。まるでかぐや姫やおやゆび姫のように祖父母の元にやってきた。彼らは夜叉のことを”預かっている”と説明したらしい。

 物心がついたばかりの夜叉との記憶はほとんど無いに等しい。

「さくら、よ」

「さくら……?」

 和馬はその頃、人見知りが激しい質だったのでまともに顔を合わせられなかった。いつも両親の足を壁にしていた。

「誕生日は和馬より早いから、さくらちゃんがお姉ちゃんね」

 さくら、と呼ばれた夜叉は祖父母の間であくびをしていた。まるで客人に興味が無いと言わんばかりに。

 その頃は無気力で子どもらしくない子どもだった。

「さくら、和馬と遊んだら?」

 祖父母が背中を押すも首を振るだけ。和馬も緊張で遊ぶことはできないだろうが、若干ショックを受けた。

「おばあ、寝てなくていいの?」

 夜叉は背伸びをして祖母の袖を引いた。

 以前から祖父母の体が弱いことは両親から聞いていた。祖父母の家へ遊びに行く予定が急遽キャンセルになることがあったからだ。入退院を繰り返す二人のお見舞いに行ったこともある。

「平気よ。和馬たちが来てくれたのが嬉しくて元気になっちゃった」

「……おじいも?」

 夜叉は顔を曇らせた。祖父母は顔の皺を増やし、小さな頭を撫でる。

 部屋の隅で体をツチノコのように伸ばしていた大型犬が身を起こす。のろのろと夜叉に歩み寄ると、薔薇色の頬をなめあげた。

「くすぐったい、ロン……」

 夜叉は自分より背丈も体重もあるゴールデンレトリーバーの首筋に顔を埋めた。

 その数年後だった。優しい祖父母と穏やかな老犬が亡くなったのは。

 夜叉が頬を涙でびしょびしょに濡らした姿を見たのはその時が最初で最後だった。

 一人になってしまう彼女と一緒に暮らす、と両親から聞かされた時、和馬も覚悟を決めた。もう人見知りだなんだと言っている場合ではない、と。

 小さくて人形のようにかわいらしい夜叉。大好きな人を亡くした彼女を守るのは自分だ、と使命感に駆られた。

 しかし、和馬はまだ知らなかった。彼女が見た目に反して性格が美少女らしくないことを。










「さっ、さくらちゃん!? 何があったの!?」

 保育園に迎えに来た愛瑠はハンドバッグを放り出した。夜叉の目の前で膝をつき、鼻がふれあうほど顔を近づける。

 園指定のポシェットを肩に掛けた和馬はうつむき、肩を落とす。

 夜叉の頬は腫れあがり、ガーゼに覆われていた。右目を覆うアイパッチは毎朝着ける物と違う。額にはキャラクターの絆創膏。

「実は……おともだちとケンカしちゃいまして……」

「まっ、また……」

「いつも止めに入るのが遅くなり、申し訳ございません!」

 保育士の首の下で結んだ髪が激しく揺れる。その横にはいつの間にか現れた園長。迎えに来た他の保護者たちが何事かと様子を伺っている。

 これは定期的に起こる現象。夜叉は顔や腕、足に傷を作って両親を驚かす。

(オレのために……)

 和馬は夜叉の靴下を見つめ、裾をぎゅっと握った。その下にも絆創膏があるのを彼は知っている。





「やーい、ひょろがり!」

「デカいのによわっちぃー!」

「おい、やりかえしてみろよ! おい!」

 周りの子どもたちに比べて身長がある和馬。しかし、彼は引っ込み思案でいつも猫背。年長組の少年にはもちろん、生意気な年少の少年に舐めた態度を取られがちだった。

 和馬はしょっちゅう、同情した少女たちの仲間に加えてもらっていた。それが原因でますますいじめられることになった。

 そんな折、夜叉が保育園に一緒に通うようになった。他の少女と比べものにならないほど可憐な彼女がきょうだいだと知った少年たちはそれが気に入らないらしい。

「かずま、だれ?」

 夜叉が一緒に通い始めた次の週。外遊びの最中に和馬は三人のいじめっ子たちに囲まれた。滑り台の影に隠れているせいで保育士たちは気づいていない。

 震えてうずくまっていると聞き慣れた声が乱入した。

「さくら……!」

 鼻水が垂れた顔を上げると夜叉は目を見開いた。

「ひょろがりのいもうとかよ」

「いもうとじゃない」

「みてんじゃねーよ! さっさときえろ!」

 少年たちがアニメの悪役を真似た口調と拳で夜叉に近づいていく。

 彼女は口を閉ざすと少年たちの顔を順番に見た。

「にげてさくら!」

 可憐な少女を巻き込むわけにはいかない。和馬は生まれて初めてお腹の底から声を出せた気がした。その様子に少年たちが振り向く────

「がっ……」

「や、やめ……うわぁっ!?」

 一人がその場に崩れ落ちた。二人目は震える声で後ずさり、横に吹っ飛んだ。

 彼らがやられるところなんて見たことがない。保育士たちですら手を焼いていた。

「どうし……て……?」

 知らず内に口からこぼれた疑問はすぐ解決することになった。

「おまえっ、せんせーにいってやるからな! ひきょうもの!」

「わたしが?」

 可憐な声に三人目がビクッと肩を震え上がらせた。

 その瞬間、彼は地面に伏した。頭をもみじで押さえつけられて。

「よんでくれば、せんせい」

「いた、い……」

 夜叉は冷めた目で少年のことを見下ろしていた。





「さくらちゃん、人を殴るのはダメよ……」

「かずまがかわいそうだったから」

「人のためにふるう拳はいいが……。この歳の子には使わせたくないな……」

 母親の車で帰ると、すぐに父親が帰ってきた。

 彼はジャケットを脱ぎながら保育園での事件に頭を悩ませた。

「ダメよ、女の子なんだから。さくらちゃんにはおしとやかに育ってほしいのに……」

 夜叉は和馬以外との子どもと関わるのは、保育園が初めてだったと後に話した。

 人を寄せ付けない見た目のよさと無気力さで大抵一人。和馬がいじめられていることに気づけば助けに行く。

 それは小学校、中学校でも同じだった。

 小学校低学年までいじめられることがあった和馬は、相変わらず夜叉に守ってもらっていた。小学校に上がるとクラブや部活で技を身につけた男子が増える。反撃されるようになった夜叉には生傷が絶えなかった。










「誰も行かない高校に行きたいです」

「誰も……どういうこと?」

 中学三年生の夏。その日は保護者会で、夜叉は愛瑠と並んで担任と向かい合っていた。

「この中学で誰も志望していない高校、ありませんか?」

「市内でそんな学校はないなぁ、さすがに」

「じゃあ市外はどうですか?」

蒲里がまりも多いよ、進学する子。そんなこと言ったらだいぶ遠い高校になっちゃうよ」

 担任の女性教師は頭を抱え、広げた高校のパンフレットへ順番に目をやった。私立に公立、十校程度ある。

 当然、夜叉は難関高校を勧められた。彼女ならどの高校にも進学できると太鼓判を押されている。しかし、夜叉は勉強やスポーツに興味が湧かなかった。

「高城……はどうかしら。結構大きい私立があるんです」

 愛瑠が出した地名は久しぶりに聞いた場所。夜叉が目を見開くと、担任は首と手をブンブンと振った。

「お母さん! 高城はだいぶ遠いですよ! ウチで志望する生徒は0かせいぜい一人です!」

「じゃあちょうどいいわね! どう、さくらちゃん」

「いいと思う」

「桜木さん……!」

 もちろん、高城にあるという私立高校のパンフレットはない。しかし、夜叉と愛瑠はその気になっている。

 ”今度取り寄せておくから”と言った担任の顔には”もったいなさすぎる……”と書かれていた。

「いいの、母さん……」

「距離なら心配しないで! 引っ越そう!」

 和馬の分の保護者会も終わり、三人は帰路についた。車内では愛瑠が好きなひと昔前のJ-POPが流れている。

「ウチ一軒家じゃん」

「あ、そうか……」

 残念そうな顔に和馬が口を開いた。

「さくら、なんで遠い高校がいいの? 行きたい高校なんてない、って言ってたじゃない」

 夜叉は窓枠に肘をつくと瞳を細めた。肩先に届くか届かないかという中途半端な長さの髪がエアコンの風に煽られる。

 この九年間、学校で楽しかったことはなかった。誰とも気が合わなかった。勉強もスポーツもなぜかできてしまう彼女は、男子にモテても女子の反感を買うことが多かった。

「新天地で……生まれ変わったつもりで生きたいな、って」

「いいじゃない~。高校デビューしちゃいましょ!」

「それなら俺も一緒に行く!」

 和馬が拳を握った。彼もまた、地元には思い出したくない出来事の方が多いだろう。

 夜叉は彼を一瞥すると、再び窓の外に目をやった。

「……シスコン」

「シスコンだよ!」

 そうして二人は藍栄らんえい高校に入学し、高城で二人暮らしを始めた。

「えーめっちゃ美人! ねーどこ中?」

「名前は? 私たち、同じクラスだよ!」

「あ……桜木夜叉です。よろしくお願いします」

「なんで敬語?」

 入学式後のオリエンテーションで声をかけてきたのは瑞恵と彦瀬。夜叉にとって人生で初めての友だちだ。

 その後、クラスメイトともすぐ打ち解けた。それは和馬も同じらしい。

「やーちゃんって和馬に”さくら”って呼ばれてるじゃん? なんで?」

「私も知らないな……。おばあとおじいに呼ばれてたからかな」

「夜叉って名前、もしかして誰かが犬〇叉オタだから?」

「ちょっと何言ってるか分かんない」










 幼い頃のある日。公園へ家族で遊びに行った日のこと。

 和馬が放ったボールを追いかけた夜叉が茂みに突っ込んでいった。

「さくらー! ごめーん……」

 その後を追いかけると、金髪の女の人が姉と話しているのを見つけた。その直後、宙に浮いた着物の女性が夜叉のことを愛おしそうに頬を撫でるのも。

 どちらも夜叉に劣らない美しさ。着物の女性は麗しく、どこか夜叉に似ているように見えた。










「俺たちはこっちの世界でも居場所ができるように、ってもう一つの名前で呼ぶことにしたんだよ」

 和馬はほほえむと、夜叉の頭をなでた。まるで幼子にするように。

 その瞬間、彼女が子どものように顔をくしゃりとゆがめた。

「うっ……かずまぁ……」

 和馬が見た、二度目の涙だった。左目からこぼれる涙は大粒で、片目でしか泣けない分まで流れているようだった。

「桜の木の下にいた女の子……。こんなに可愛いコが家族になってくれて本当に嬉しかったんだよ。さくら」

 和馬は人目もはばからず泣く彼女の肩に手を置いた。
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