時の女神の宿命

堂宮ツキ乃

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 白夜が姉をかばう直前のこと。

 神里かむりの家の前で家主が倒れていた。多くの村人に囲まれて。

 女たちが自分の寝間着の裾を破って止血しているが、もう手遅れだった。

 皆、口々に彼女に呼びかけている。中には彼女の本当の名前である”若紫”を口にする者もいた。

神里かむり様!」

 白夜が子どもの手を引いたまま名前を叫ぶ。

 察した村人が子どもを預かる。村人たちは隙間を作り、白夜のことを輪に入れた。

 師は血だまりを作り、腹部を押さえていた。そばでは小さな少女が地面に伏していた。誰よりも響く声で泣きじゃくっている。

 聞けば、母親を失ったこの子が果敢にも獣に噛みついたらしい。それに怒った獣に刃を向けられ、神里かむりがかばった。

 彼女が身を挺した姿は親のように勇ましかっただろう。

 白夜が少女の肩に手を置くと、彼女は顔を上げた。目は真っ赤で涙にまみれている。

「わたっ……わたしのせいで……っ!」

「お前は悪くない……。悪いわけがないよ……」

 神里かむりが弱々しい声で手を上げた。子どもの頭をなでると、白夜に力なく笑ってみせた。

「後はまかせたぞ、白夜……。朱里と二人で皆のことを……。ここではないどこかでもいい……。生きろ」

 いつもよりか細い声だが言葉に重みがある。白夜は一言も聞き逃すまいと、顔を近づけた。

 紫水晶のように美しい瞳から、光が少しずつ失われていく。

 血で汚れるのも構わず、白夜はその手を握った。大粒の涙が雨のように地面に吸い込まれていく。

 弟子入りしてから数年。神里かむりと朱里に遊ばれることも多かったが、笑っていることの方が多かった。

 親を覚えていない白夜にとって、彼女は様々なことを教えてくれる母だった。

 鼻をすすると神里かむりは目を細めた。震える手で白夜の手を握り返す。

「お前たちと過ごせて楽しかったなぁ……」

 考えていたことは一緒だったらしい。彼女は遠くを見つめるような目になった。

 白夜は何度もうなずき、”僕もです”と返す。

 命のあたたかさが空へ消えていく。

 生涯神に仕えることを誓い、恋に見向きしなかった彼女。真面目な彼女は、どんな病も治したいと薬草の研究に熱心だった。

「お疲れ様でした。若紫様……」

 名前のような美しさの瞳がとざされ、手の力が徐々になくなっていく。

 白夜は手を額に押し付けると顔をゆがめた。歯の隙間から嗚咽にも似た息がもれた。










 森で身を潜めていた千郷と青一郎。

 火の手やら叫び声やら、村の異変に気づいて聖域へ戻ってきた。煤が風に乗って飛んでくる。

 聖域に向かいながら凄惨な状況を目の当たりにした。

 親を目の前で殺された子ども、妻をかばって倒れた夫、女きょうだいを身を挺して守ろうとする少年。

 物陰に身を隠しながら移動する二人は、涙を呑んで目を背けてきた。

 もしかしたら家族は。千郷は幼い姿の女の童たちが心配だった。

 特に青玉。彼女は一回寝るとなかなか起きないし、寝起きはぼんやりしていて本当に起きているのか怪しい。

 あの透き通った瞳たちに会えないかもしれない、と思うと胸が苦しくなった。

「私が行けば……」

「ダメだ!」

 もう見ていられない。自分のせいで村人たちが犠牲になっている。連中が狙っているのは千郷だ。彼女が見つかるまで暴れ回るつもりだろう。

 ご神体の後ろに身を潜めていたが、飛び出そうとして背中から抱きしめられた。

「好きな女を行かせられるわけないだろう……。まるで生贄じゃないか……」

「でもこのままでは村の人たちが!」

 青一郎が千郷に体重をかけた。何が何でも行かせないつもりなのだろうか。

 皆が救われるならこの身を捧げるつもりだ。青一郎にもそれを分かってほしい。たとえ彼の想いを裏切ることになっても。彼の夢を叶えてあげられなくなっても。

 彼を押し返そうとするが、筋肉質で重たい男の体には勝てない。

 まるで自分の体重を支える力がなくなったような。

「兄様……?」

 呼びかけると、青一郎が地面にずり落ちた。

 その背中には一本の矢。

「兄様!」

 矢羽根の色は赤と黒。

 青一郎は千郷の呼びかけに答えることはなく、腕を投げ出して地面に伏した。

「やっと見つけた」

「誰!?」

 ご神体の向こう側に年若い青年が現れた。

 黒髪に黄金色の瞳。黒い着物姿の彼は手に弓、腰に刀を提げている。

 この村の者ではない。敵だ。

 千郷は青一郎とご神体を背に腕を広げた。

 紫の瞳を細めると、凛とした声を放った。

「あなた、隣村の?」

「そう。君は聖なる血を持つ娘だね?」

 押し黙る千郷に青年は舌なめずりをした。歳は千郷と同じくらいだろう。瞳はらんらんと光り、獲物に早く飛びつきたいのをこらえているように見えた。

「……だとしたらどうするの」

「その聖なる血を頂くよ。やっと手に入れた姿だ……。保つにはまだ足りない」

 まるで、すでに血を飲んだことがあるような口ぶりに悪寒が走った。

 幼い頃に神里かむりに、吸血して生き永らえる魔物の伝承を聞かされた。もしや目の前にいる彼はそれなのか。

 千郷は身震いし、呼吸が浅くなるのを感じた。

 青年は猫のような瞳を細めて薄く笑う。

「……君はその二つを失うのが嫌なんだね。絶望を味わった血の方がうまいから……その岩も壊そう」

 彼の背後に現れたのは、様々な武器を手にした獣たち。いつの間に集結していたのだろう。彼らは闇にまぎれてひざまづいていた。

「……やれ」

 青年の合図で甲高い音が響いた。頭の奥に突き刺さるような音に、思わず耳をふさいだ。

「ご神体がっ……!」

 獣たちが農具で岩を打ち付け始めた。上によじ登る獣もいる。

「やめて!」

 千郷の悲鳴は甲高い音でたちまちかき消されてしまった。

「なんてことを……!」

 ここで毎朝、祈りを捧げていたことを思い出す。青一郎に供え物の野菜をつまみ食いされたことも、想いを伝えられたことも、想いをさらけだしたことも。

 ここにいると、時の女神が優しく見守ってくれているようで心が安らぐ。千郷にとって、他の村人にとっても大切な場所でこの村の象徴だ。

「ひどいって?」

 千郷がうなだれていると、青年が冷ややかな声になった。

「槍を持った大男や、刀で暴れまわってる女も大概じゃないのか?」

「玄吾さんと白里さん……?」

 彼の話に当てはまるのは鍛錬組しかいない。

「襲撃に加わっていない者たちを殺してるよ、わざわざ隣村へ行って。少年みたいな女は」

「そっ、それはあなたたちが襲ってきたからでしょう!?」

 尚も言い返そうとすると、袖を引かれた。

「千郷……」

「にいさまっ……」

 青一郎が青白い顔でささやいた。

 千郷は幼い泣き顔で彼にすがる。

 村はめちゃくちゃ、想い人の命は遠い空へ飛び立とうとしている。

 自分がいつまでもいたい場所、共に生きたい人はなくなってしまう。それならもう、ここにいる理由はない。

 青一郎が腰に提げた小刀を手にすると、彼に奪われた。どこに残っていたのか、と聞きたくなる力強さで。

「ダメ、だ……。お前は死ぬんじゃねぇ……」

「いやっ!! あなたのいない世界なんて!」

「酷でも……これが、お前の運命さだめなんだ」

 頭を打ち付けられたような、心臓を鷲掴みにされたような。

 痛みと苦しみに顔が歪んだ。

「いやだ……」

 子どもみたいに舌足らずな声で首を振ったが、彼は優しくほほえむだけだった。今までで一番苦しい痛みに早く意識を失いたいだろうに。

(私のせいだ……)

 夢が現実になったのだ。今頃になって思い出した。自分が想いを告げてしまったから彼は。

 多くの人を巻き込んで自身も不幸になる。なんてはた迷惑な力なのだろう。

 千郷は悲しみと絶望で歪んだ顔で、震える手を見つめた。

 青一郎は荒い息で小刀を放ると顔をしかめた。痛みのせいなのか、最後に千郷を叱るためなのか。

 彼は千郷の長い髪を手に取り、毛先を指で梳いた。

「今、あちらの世界に一緒に向かうことになっても……。俺はお前のことを振り返らない。絶対許さないからな……」

「でもっ……」

「来世で、一緒になろう……」

 あいしてる。

 千郷の髪にふれていた手は地面に落ちた。木の幹から枝が切り落とされたように。

 顔は穏やかで、いつもの微笑みを浮かべていた。血さえ流していなければ寝ているようにしか見えないだろう。

「うぅっ……うっ……! やだぁ……っ……。にいさまぁ!」

 千郷は青一郎に覆いかぶさると、ひどく嗚咽をもらした。

 この村で何度も人を見送った。もちろん、誰であろうと悲しかった。だが、こんなに泣くことはなかった。

 もっと早くに結ばれていたら。二人の間に子どもがいたら。

 想い合っていたのだから、それらを叶えられた未来もあったのかもしれない。ただただ静かに彼を想っていただけの時間が惜しくて仕方ない。

(青一郎さんっ……!)

 あなたに好きと言われた瞬間に心臓が破裂したらよかった。

 あなたに好きと言った瞬間に喉が切り裂かれたらよかった。

 ────あなたが先に死ぬなんて嫌だ。

「……いやあぁっ!!」





 娘は気づいていないが、岩に大きな亀裂が走った。

 青年は口の端を上げる。

 この岩を、この村の住人がなぜこんなにも崇めているのか謎だった。伝説の女神のご神体らしいが。彼にしてみればこんな岩、大きな川にいくらでも転がっている。

 すると、男たちが声を上げた。どうやら岩に走った亀裂が深くなったらしい。

「君も見てみなよ、岩がついに────ん?」

 死んだ恋人にすがりつく娘は目もくれない。

 それもそうだろう。崇め奉っているとはいえ、その岩が何かしてくれるわけではない。好きな男を優先したいだろう。

 すると、その娘に異変が起き始めた。体が黄金色に輝き始めたのだ。

 衣が光でとけると肌が露わになり、見たことのない衣服が彼女を包んだ。真っ白な布を円筒状にし、二本の紐で肩で吊ったような。腰から下を覆う布はひらひらと舞っている。

 まっすぐな黒い髪は波打ち、光り輝く金色へと変わった。

 こんな人間、見たことがない。

「うぐわぁああああああ」

「たすけっ……」

「あっ……さまぁ! あつい!」

 男たちの声に顔を上げると、岩を砕いていた男たちが黄金の光によって焼かれていた。岩から下りていたものも例外なく。地面でのたうちまわっている。岩の上で動かない人影は、逃げることも叫ぶこともできずに黒焦げになったのだろう。

「あーあ……」

 助けるでもなく同情するでもなく。青年はため息をもらして眺めていた。

「ご神体が……!!」

「水だ! 井戸から水を汲み上げろ!」

 騒ぎに気がついた住人が駆けてきたようだ。汗だくで煤だらけの男たちは傷を負っている。

「……君の血だけは頂いていこうか」

 青年は娘に近づいたが、彼女がまとう光に手が熱くなった。指先が赤くなって煙を上げている。

 彼女は黄金の光と共に浮かび、青年の方へ振り返る。黄金色の髪と真っ白な服が美しく翻った。

 振り返った彼女の瞳は水色に変わっていた。流した涙が水晶玉となって彼女の顔にはめられたように。

 やはり人間ではない。同じ存在にやっと会えたのかもしれない……。青年は娘の生き血を忘れ、彼女に笑いかけた。

「僕は悪鬼あっき。隣村で崇められている悪魔の化身。君は?」

 問いかけると仏頂面になった。恋人に泣きすがっていた無垢な娘と同じには思えない。変わったのは姿だけではないようだ。ますます興味が湧く。

 すると、彼女は声を発する代わりに悪鬼の腰元を指さした。冷たい目で見下ろす様子は、孤高の氷の女神のようだ。

「刀……? が、どうしたの?」

 鞘ごと外して彼女に向けると、水色の瞳がキッと吊り上がった。

 悪鬼に飛びつくと刀を勢いよく抜き、彼の胸を貫いた。

 見事な速さだ。

 胸の痛みは感じなかった。彼女がまとう光の熱さの方が痛かった。

「……あっ…………!」

 かすかな叫びを上げることしかできず、地面に膝をつく。胸に突き刺さった刀が重さを増し、胸から下が真っ二つにでもなったような痛みが全身を走った。

 彼が最期に見たのは娘の顔だった。冷ややかで無表情なのに、その瞳から一筋の涙がこぼれた。
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