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 週明けに出勤した朝、事務所の出入り口付近に箱入りのクッキーが置かれていた。

 誰か旅行にでも行ったのかと思って近づいてよく見ると、箱のフタを立たせ「皆さんでどうぞ!!」と手書きの文字があった。

 ありがたく頂戴しておやつに食べるかね、と一つ手に取って自分のデスクに行くとレイトがすでに出勤して着席していた。

「おはよ、桧山君」

 声をかけられたレイトは椅子ごと振り向き、背もたれ側に向かってまたいだ。セイラが手にしている物に気づくと背もたれに肘をついて歯を見せた。

「はよーございます。あ、それ俺が買って来たんスよ~」

「そうなんだ。頂きます」

「どーぞどーぞ。この前の出張のお土産です」

「あ、そっか」

 そういえばそうだっけ。週が明けたら忘れてしまった。コートを脱いで椅子の背もたれにかけていたらレイトがニヤニヤしながら口元に拳を当てた。

「セイラさん、俺がいなくて寂しくなかったですか~? 久しぶりに三日くらい会わなかったけど」

「ちょっとね。おしゃべりさんがいないと静かすぎて……。君のおしゃべりは私にとっていいBGMなのかもね」

「あ……はぁ……。飲み物買ってくる!」

「え、今?」

 椅子から飛び降りた桧山は朝一とは思えない速さで事務所を飛び出た。セイラはやっぱり若いな……とその後ろ姿に感心した。

 さて今日もお仕事お仕事とパソコンを起動し、いつものようにほうじ茶を準備した。

 飲み物だったら事務所でも手に入るのになんで和えて買いに行ったんだろう。確かに会社内には自販機もあるが。

(ここにはないものを飲みたかったのかな……)

 セイラはほうじ茶のティーバッグをマグカップに入れながら他のティーバッグやインスタントコーヒーの粉末が入ったビンを眺めた。





(あんなこと言う人だっけ? いや、そうだったかもな……)

 レイトはお手洗いに駆け込み、洗面台に手をついて今しがたの出来事に心臓をバクバクとさせていた。

 レイトがいないだけでセイラが寂しいだろうなんて冗談で言ったことだ。まさか彼女から自分の存在が生活を彩る一部のように返ってくるとは思わなかった。

 今までの彼女たちにはレイトがいてこその幸せと言われることがあり満更でもなかった。むしろよく言われていたことなのに、セイラからだと特別な物をもらったような気分になって思わず事務所を飛び出たくなった。否、本当に飛び出てしまった。

 セイラと付き合いたい、というのは彼女にしか伝えていない。今の所彼女には響いていないようで小さなアプローチではスルーされる。今まで甘くささやいてきた女性で堕とせなかったり動揺させられなかった相手はいない。セイラ相手ではどうやら一筋縄ではいかないようだ。

 今まで簡単に堕とせていたのは逆になぜだろう。やっぱり顔か。

 レイトは手をついたまま顔を上げて鏡越しに自分の目をのぞきこんだ。

 杏色の短髪にチョコレートコスモスの瞳。瞳は時々とろけたように艶を帯び、相手を甘く誘う。

 簡単にセイラに好かれなくてもそれを楽しんでいる自分がいた。うまくいかない恋なんて自分とは無縁でドラマだけの話だと思っていたが、このもどかしさは癖になりそうだった。これを本人に話したら変態扱いされそうな気がする。彼は片手で目元を覆って首を曲げた。

(あとでなんて話そうか……。セイラさんのことだからさして気にしてないのかもな……)

 外で飲み物を買ってくるなんて滅多にない。大抵のものは事務所にあるからだ。ほうじ茶を淹れるセイラに便乗して安いインスタントコーヒーを用意するのは日常茶飯事。

(一緒にあったかいモンでも飲んで出張の話でもしてごまかそ……)

 レイトは観念して手を離し、事務所に戻った。
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