上 下
4 / 31
1章

しおりを挟む
「阿修羅ー」

「やー様」

 1人で川のほとりを歩いていた阿修羅は振り向き、風にあおられた前髪を押さえつけた。

「どうしてこっちに来たの?」

が暮らしていたという故郷をよく見たくて」

 川の方に目をやった彼の隣に立ち、夜叉は胸いっぱいに風を吸い込んで目を閉じた。

「いい所だね。自然豊かで気持ちいい」

「えぇ。実際は堤防の向こう側に住んでいたそうですよ」

「そうだったんだ。私なんかあの時、失神してとは一言も話せてないんだよね…」

 夏休みの合宿の途中で行われた肝試しでは2人の前に現れた。しかし暗い場所や幽霊が苦手な夜叉が気を失うには条件が揃い過ぎていた。

「やー様はなぜ、非科学的なものが苦手なのですか?」

「お化けとかってこと? う~ん…パッと理由は出て来ないけど…怖いものは怖いです」

「なるほど…」

 理由らしい理由ではないが深く聞き出しても彼女を怖がらせるだけだろう。阿修羅は小さく咳払いをした。

は元々生きていた人間です。成仏できずに現世に居残るというのは何かしら理由があります」

「ん? うん…」

「後悔、やりきれない感情、呪い、残した者がいる────。そうした思いを抱えてこの世に居残ってしまった者がのような人々です。要するに元々は同じ生きていた者なのですよ。血が通っていたあたたかい生命体です」

「ほーお…」

 いまいちついていけてなさそうな夜叉に阿修羅はほほえみかけると、彼は彼女の頭についた木くずを取り払った。

「だから恐れる必要はないのですよ。よっぽどのことがない限り、霊体となった彼らが襲ってくることはありません。ただし例外もありますのでもしもの時はすぐに呼んで下さいね」

「分かった! …そういえばさ、幽霊って普通だったら見えないよね? なんで私たちは見ることができるの?」

「霊感というのは元々誰もが持っているものです。特に戯人族は人間より強い霊力を持っています」

「そうなの? 今まで見たことなかったのに突然見えたんだけど何かあるのかな?」

「やー様の場合…我々と関わるようになったから共鳴するように能力に目覚めたのかもしれませんね」

 共鳴。目覚める、ということには他にも心あたりがある。結城ゆうきと下校している時にひびき高校の喧嘩屋たちに絡まれたが、自分でも驚くほど軽やかに攻撃を交わしたり逆に力強く反撃をすることができた。今思えばあの時は阿修羅が高城市に出現した頃だった。

 そして今年の春、自分の身体は老いることを忘れて成長が止まった。

「今までとは違う私になっていくんだなー」

 彼女は半ばヤケになったような声になり、頭の後ろで手を組むと川の向こう岸に目をやった。

(私はやっぱり人間じゃないんだね…)

 今の家族である和馬とその両親。彼らは夜叉がワケありであることを知ってはいるが、まさか血の半分が人間ではないことまでは知らない。夜叉も話そうと思ったことも隠そうと思ったこともなかった。

 不意に手を取られて握られた。阿修羅が夜叉よりも少し大きな手の平で包み込んだ。

「やー様は…やー様ですよ。本来のご自分に近づいてきているのです。何も恐れることも心配することもありません」

「うん…ありがと、阿修羅」

 きっと彼なりに励まそうとしてくれているのだと思う。夜叉は首を小さくかたむけて笑った。その優しさを無下にすることはできない。彼女にとってはなんの慰めにもならない言葉であっても。
しおりを挟む

処理中です...