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1章

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 矢弦川に訪れた帰り、夜叉は軽トラの中から見えた小さな神社が気になると言って車を止めてもらった。

 堤防を下りて田んぼの間を抜けていった所に突然現れた鎮守の森の前に鳥居を見つけたのだ。

 夜叉はいそいそとシートベルトを外して両手を合わせながら早口に言い残した。

「すぐに戻るんで! ちょっと待っててください!」

「大丈夫だよ、土曜日なんだからゆっくりでいいよ」

「やー様、自分も────」

「ん~…大丈夫!」

 突然はじかれたように車を下りたがった彼女を見送る毘沙門天は優しく笑んだ。

 軽トラを下りてあぜ道を踏みしめる。冬だから田んぼには何も植わっていないが、秋の収穫の時の残りであろう稲がちらほらと背丈を伸ばしている。

 地元の富橋とみはしでは街の方に住んでいたので田んぼとは無縁だったが、時々外れの方に車で出かけた時によくぼんやりと見つめていた。

(小さくて可愛い神社…)

 いつの間にか走り出してたどりついた神社。自分でもよく見つけたと思う。よく見かける真っ赤な鳥居とは違い、ここのは石で造られている。

 特別神社が好きということはないし初詣にも行かないタイプだがここには心惹かれる。惹かれるというよりは体が引っ張られている気さえした。

 鳥居から神社の敷地を覗こうとしたら急な階段が現れた。ここだけ木々が高い場所にあると思ったら土地が高くなっているらしい。

 お邪魔します、と小さく口の中でつぶやいて鳥居をくぐると後ろから強い風に吹かれて長い髪が舞い上がった。

「おっ!? 」

 振り返ると遠くに軽トラとバイクと見守るようにこっちを見ているらしい人影。追加で吹いてきた風で前髪がさらさらと揺れる。

「びっくりした…」

 髪を雑に後ろに流して気持ち整えると夜叉は石の階段をのぼった。一段、二段とのぼってから首を傾げると彼女は膝をくっと軽く曲げて最上段へひとっ跳びした。

 危なげなく着地すると舞い上がった後ろの髪が遅れて背中に広がる。こうして人気の少ない場所では昼間に跳躍移動してもバッタリ人と会うことがない。阿修羅には怒られそうだが。

「こんな時間に人が来るなんて珍しいな」

「んひっ!?」

 振り返って田園風景でも────と思ったら突然聞こえた女性の声に驚いて跳び上がった。凛としているがなめらかさを併せ持った心地よい声。夜叉は全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。

 体を神社側に向けると、そばにある大きな木に巫女服を身に纏った女性が腰掛けていた。夜叉と同じくらい長い紫の髪を持った彼女は目を細める。

「お前、この辺りの子どもじゃないだろう」

「え、えぇまぁ…」

 夜叉は心臓をバクバクとさせたまま相手の話すことにただただうなずいた。

 それにしても綺麗な女の人だ。切り揃えた前髪の下には髪と同じ色をした透き通るような瞳。木々から差し込む陽の光を浴びた肌は白い。────まるで夜叉のように。

(私今、私と同じって思った…)

「あの、あなたはここの神社の人ですか?」

 初対面にも関わらず何故か彼女とは近いものを感じた。夜叉はまだ興奮が抑えられていない心臓を落ちつかせるように胸の前で手を組んだ。

 夜叉の問いに巫女は視線を宙に泳がせたのちに、少し困ったようにうなずいた。

「あぁ、一応な。居候みたいなもんだろうか」

「巫女さんの居候…」

「お前さんこそどうした? わざわざ知らない土地の神社に来るなんて物好きだね」

「あはは…なんだか気になっただけで。小さくて可愛い神社ですね」

「そうだろう。私も気に入っている。もう何年ここにいるんだろうな…」

 巫女は懐かしそうに目を細めて空を仰ぎ、腕をだらんと下げて幹に体を預けた。夜叉も一緒になって空を見上げる。

 この神社には背の高い木が多い。てっぺんの枝まで見上げようとするとひっくり返りそうになるくらい。小ぶりの木と言えば今巫女が体を預けている八重桜。

 衣ずれの音がして視線を戻すと巫女にまっすぐに見つめられていた。

「そういえば名前は?」

「夜叉です。桜木夜叉」

「ほう…夜叉────」

 巫女はスッと目を鋭く細めるとアゴを人差し指の背で撫でた。

 その様子に夜叉はしゅんとなって後ろ手で頭をかいた。

「変わった名前でしょう。友だちにはよく鬼強そうな名前だって言われます」

「鬼、か。私は良い名前だと思う。せっかく親につけてもらったのなら大事にしろ」

「はい────」

 巫女さんだから達観しているのだろうか。“夜叉”という単語に臆することなく微笑んだ。初めてかけられた言葉に夜叉は彼女に思わず見惚れながらうなずいた。

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