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1章
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会社で唯一、有休を取ったのは祖父母のお葬式だった。
一昨年に祖父が亡くなり、去年祖母が亡くなった。
祖父が亡くなってからは、翼の両親がここに引っ越してきて同居が始まった。しかし今、その両親は海外旅行中だ。
翼は家の香りに懐かしさを覚えながら、玄関からすぐの部屋に入ると正座した。
ここには仏壇が置いてある。仏壇には祖父と祖母の写真、一輪挿しに活けた花。
もしかしてアヤトが水を替えてくれたのだろうか。翼は仏壇に向かって手を合わせ、目を閉じた。
『いいなぁ、私もばっちゃと一緒に住みたい』
『来たらいいじゃない。仕事なんか辞めて』
祖父が亡くなって片付けを手伝いに行った日のこと。あれは桜が舞い散る季節だった。
休憩と称し、祖母が先にリビングへ下りた。彼女は温かいほうじ茶を淹れ、頂き物だという饅頭を出してくれた。
ほうじ茶が注がれた翼専用のマグカップは、二十年戦士。翼はそれを両手で持ち上げた。
『でもさぁ……残った人たちが大変になっちゃうのは嫌だなぁ……』
『ずっと文句ばっか言ってる仕事なら続ける価値ないわよ。ここに来るたび文句しか言わなくなったじゃない』
祖母は仕方なさそうな顔をしてティーカップを傾けた。仕事のことでもなんでも、両親より祖母の方が相談しやすかった。植物に囲まれたリビングで祖母と過ごすと、穏やかな気持ちになれる。祖母に話を聞いてもらうだけで心が楽になるから仕事を頑張れたと言っても過言ではない。
長年連れ添った伴侶が亡くなったというのに、最期まで祖母は何も変わらなかった。無理して気丈に振る舞ってるようにも見えない。
『翼は都会でバリバリ働くより、ここで好きな仕事をする方が似合ってるわよ』
『そうなの?』
祖母はティーカップを置くと片目をとじてみせた。そんなお茶目な表情が似合う老婦人だった。
『あんたはお母さんと違って自然の方が好きでしょ?』
『うん』
『それなら尚更ここに来たらいいじゃない。新海のおばあちゃまもいつも、あんたが元気か気にしてるわよ』
彼女は翼を幼い頃から散歩や畑に連れ出し、草木や野菜の名前を教えてくれる先生だった。花の簡単な手入れや畑仕事もよく手伝った。
今でも外を歩けば足元を眺め、これはあれ……などと都会に咲く花の名前を心の中で唱えていた。
リビングへ入ると、アヤトは椅子に座っていた。翼が戻ってくるのを待っていたらしい。
「お母さんたちにも会ったの?」
「ううん」
「どうやって入ったのよ?」
「合鍵を持ってるんだよ」
アヤトは鍵を掲げて見せた。
今は両親が住む家だがあまり変わりはなく、今にも祖父母が出迎えてくれそうな気さえした。
家の中には至る所にドライフラワーのアレンジメントが置かれている。どれも定期的に埃がはらわれているのかいつも綺麗だ。
外にある鉢植えは旅行中の両親に代わってアヤトが水やりをしているらしい。
植物に興味がなかった両親だが、この家に住んでからは変わったらしい。ネットで調べて肥料を買って来たり、ホームセンターで種や苗を楽しく選んでいるようだ。
「ある意味、風子の大事な子どもたちだから大切にしなきゃね」
「ばっちゃ……」
風子とは翼の祖母。
懐かしさに浸っていたが、男の無礼に気づいて翼は顔をしかめた。
「人の祖母を呼び捨てするんじゃない。あんた歳下でしょ」
「いいや? 俺の方が長いことこの世にいるんだ。君よりも、風子よりも」
「は……?」
ハリのある肌、艶やかな金髪。どこに老いを感じろと言うのか。翼と大して歳が変わらない見た目なのに。
「俺には悪魔の血が流れている」
突然何を言いだしたかと思いきや、そんな御伽噺のようなことを……。
「はいはい。祖母とは知り合いだって証明したいわけね……。もっとまともな嘘つきなさいよ」
「────信じられないなら見せてあげようか」
「だからもういいって────ひぃやぉ!?」
「おもしろい悲鳴だね。こんな人間は初めて見たよ」
大きく後ずさった翼は、アヤトの禍々しい姿に慄き震えた。
背中から生えた漆黒の羽。ガラス玉のような碧眼は赤黒くなり、瞳孔の中で稲妻が光っている。
明らかに人間ではない姿。翼はキャリーケースを頭上に持ち上げた。いろいろ詰め込み過ぎたのと筋力が落ちたのか、二の腕が震える。
「今すぐ出ていけ……。あんたの正体が気になった私がバカだったわ……。ばっちゃのことをどうやって知った!? この化け物!!」
彼女が凄んでもアヤトは動じず、アゴに手をやって翼のことを見つめた。
「やっぱり君は威勢がいいなぁ。見所があるね」
「えらそうに……うっ」
アヤトはバランスを崩した彼女の手からキャリーケースを奪った。
「大丈夫、何もしないよ。とりあえず話を聞いて? ね?」
「ますます意味が分からない……」
「ごめんごめん。まず俺の本当の姿がこれ。普段は人間のフリをしてる。……と言っても。さほど力が残っているわけじゃないんだけど」
それなら人の心が読めるような能力を持っていてもおかしくはないだろう。妙にしっくりくる素性だ。
翼が落ち着いたのを察し、アヤトは勝手知ったる様子でキッチンでお茶を用意し始めた。
祖母もよく、客が来たり家族が帰ってくるとお茶を用意していた。特に、暑い夏に飲む冷たい麦茶は格別だった。
一昨年に祖父が亡くなり、去年祖母が亡くなった。
祖父が亡くなってからは、翼の両親がここに引っ越してきて同居が始まった。しかし今、その両親は海外旅行中だ。
翼は家の香りに懐かしさを覚えながら、玄関からすぐの部屋に入ると正座した。
ここには仏壇が置いてある。仏壇には祖父と祖母の写真、一輪挿しに活けた花。
もしかしてアヤトが水を替えてくれたのだろうか。翼は仏壇に向かって手を合わせ、目を閉じた。
『いいなぁ、私もばっちゃと一緒に住みたい』
『来たらいいじゃない。仕事なんか辞めて』
祖父が亡くなって片付けを手伝いに行った日のこと。あれは桜が舞い散る季節だった。
休憩と称し、祖母が先にリビングへ下りた。彼女は温かいほうじ茶を淹れ、頂き物だという饅頭を出してくれた。
ほうじ茶が注がれた翼専用のマグカップは、二十年戦士。翼はそれを両手で持ち上げた。
『でもさぁ……残った人たちが大変になっちゃうのは嫌だなぁ……』
『ずっと文句ばっか言ってる仕事なら続ける価値ないわよ。ここに来るたび文句しか言わなくなったじゃない』
祖母は仕方なさそうな顔をしてティーカップを傾けた。仕事のことでもなんでも、両親より祖母の方が相談しやすかった。植物に囲まれたリビングで祖母と過ごすと、穏やかな気持ちになれる。祖母に話を聞いてもらうだけで心が楽になるから仕事を頑張れたと言っても過言ではない。
長年連れ添った伴侶が亡くなったというのに、最期まで祖母は何も変わらなかった。無理して気丈に振る舞ってるようにも見えない。
『翼は都会でバリバリ働くより、ここで好きな仕事をする方が似合ってるわよ』
『そうなの?』
祖母はティーカップを置くと片目をとじてみせた。そんなお茶目な表情が似合う老婦人だった。
『あんたはお母さんと違って自然の方が好きでしょ?』
『うん』
『それなら尚更ここに来たらいいじゃない。新海のおばあちゃまもいつも、あんたが元気か気にしてるわよ』
彼女は翼を幼い頃から散歩や畑に連れ出し、草木や野菜の名前を教えてくれる先生だった。花の簡単な手入れや畑仕事もよく手伝った。
今でも外を歩けば足元を眺め、これはあれ……などと都会に咲く花の名前を心の中で唱えていた。
リビングへ入ると、アヤトは椅子に座っていた。翼が戻ってくるのを待っていたらしい。
「お母さんたちにも会ったの?」
「ううん」
「どうやって入ったのよ?」
「合鍵を持ってるんだよ」
アヤトは鍵を掲げて見せた。
今は両親が住む家だがあまり変わりはなく、今にも祖父母が出迎えてくれそうな気さえした。
家の中には至る所にドライフラワーのアレンジメントが置かれている。どれも定期的に埃がはらわれているのかいつも綺麗だ。
外にある鉢植えは旅行中の両親に代わってアヤトが水やりをしているらしい。
植物に興味がなかった両親だが、この家に住んでからは変わったらしい。ネットで調べて肥料を買って来たり、ホームセンターで種や苗を楽しく選んでいるようだ。
「ある意味、風子の大事な子どもたちだから大切にしなきゃね」
「ばっちゃ……」
風子とは翼の祖母。
懐かしさに浸っていたが、男の無礼に気づいて翼は顔をしかめた。
「人の祖母を呼び捨てするんじゃない。あんた歳下でしょ」
「いいや? 俺の方が長いことこの世にいるんだ。君よりも、風子よりも」
「は……?」
ハリのある肌、艶やかな金髪。どこに老いを感じろと言うのか。翼と大して歳が変わらない見た目なのに。
「俺には悪魔の血が流れている」
突然何を言いだしたかと思いきや、そんな御伽噺のようなことを……。
「はいはい。祖母とは知り合いだって証明したいわけね……。もっとまともな嘘つきなさいよ」
「────信じられないなら見せてあげようか」
「だからもういいって────ひぃやぉ!?」
「おもしろい悲鳴だね。こんな人間は初めて見たよ」
大きく後ずさった翼は、アヤトの禍々しい姿に慄き震えた。
背中から生えた漆黒の羽。ガラス玉のような碧眼は赤黒くなり、瞳孔の中で稲妻が光っている。
明らかに人間ではない姿。翼はキャリーケースを頭上に持ち上げた。いろいろ詰め込み過ぎたのと筋力が落ちたのか、二の腕が震える。
「今すぐ出ていけ……。あんたの正体が気になった私がバカだったわ……。ばっちゃのことをどうやって知った!? この化け物!!」
彼女が凄んでもアヤトは動じず、アゴに手をやって翼のことを見つめた。
「やっぱり君は威勢がいいなぁ。見所があるね」
「えらそうに……うっ」
アヤトはバランスを崩した彼女の手からキャリーケースを奪った。
「大丈夫、何もしないよ。とりあえず話を聞いて? ね?」
「ますます意味が分からない……」
「ごめんごめん。まず俺の本当の姿がこれ。普段は人間のフリをしてる。……と言っても。さほど力が残っているわけじゃないんだけど」
それなら人の心が読めるような能力を持っていてもおかしくはないだろう。妙にしっくりくる素性だ。
翼が落ち着いたのを察し、アヤトは勝手知ったる様子でキッチンでお茶を用意し始めた。
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