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第6章 寝返りは青薔薇の香り
6-18.有能ならば、噂すら操り味方につけるもの
弟が側近と物騒な会話を楽しんでいた頃、聖女は魔女とお茶を飲んでいた。
「久しぶりですわね、リリーアリス様」
お茶会が、ではない。ここ数ヶ月は戦後の処理でごたごたしていたため、王城へ足を運ぶことを控えたのだ。向かえば歓迎してくれるので、彼らの負担になるとリリーアリス側が自粛した。またウィリアムの行方不明事件を知った教会が、治安の悪化を理由に外出を許さなかった事情もある。
聖女は教会の宝であり、もっとも重要視される人物だ。そんな女性が、万が一ケガや誘拐などの事件に巻き込まれれば……考えるだけでも恐ろしい事態だった。信者達は暴走し、教会を襲う可能性も出てくる。保身と平穏を望む教会は、彼女の外出願を受け付けなかった。
隣国アスターが拉致したウィリアムが戻り、新たな戦争の前である今が最高のタイミングなのだ。ここを逃すとしばらく外出禁止になりそうだった。弟に会いたいと口にしたリリーアリスのため、多少の情報操作を行った魔女は、菫色の瞳を細めて笑う。
「ラベンダーの精油も集まったし、エリヤに花束も持っていきたいわ」
「同じラベンダーになさいますの?」
「そうね。あの子は紫色が好きだから」
すべてを奪われ続けてきた少年王が望んだ己の片割れも、唯一手元に残った大切な家族である姉も。どちらも紫の瞳を持っている。青紫のウィリアム、高貴な紫のリリーアリス――エリヤの宝物である2人によく似た菫色の瞳を持つドロシアは穏やかに茶菓子を勧めた。
「出立は明日にいたしましょう。もうすぐお祈りの時間ですわ」
窓の外はやや日が陰り、周囲を赤く染めつつあった。これから暗くなる時間に外へ出ることもあるまい。他国にとって聖女は手に入れたい必須の人物であり、狙われ続ける彼女を守るのに教会ほど適した場所はなかった。
男子禁制、女性だけの園は部外者を排除するのに向いている。修道女であっても顔をさらす教会内は、見知らぬ者が簡単に入り込むことは出来ず、一番奥の花園に入れるのは両手に足りる信頼を得た者だけ。鎖された空間で守りの要となる魔女は、整った顔に笑みを浮かべた。
「朝摘みのラベンダーがいいわ」
「素敵ですわね、お手伝いいたします」
朝の新鮮なハーブの香りを漂わせる王女を想像しながら、ドロシアは紅茶を口に運ぶ。頭の中は護衛のために必要な手順と情報を整理し、手配すべき項目を洗い出していた。
「軍部の書類課、ですか」
自国を見捨てて寝返った男は、嬉しそうに声を弾ませた。ウィリアムの執務室に呼ばれたアスター国の宰相は、初老に差し掛かる年齢だ。自分の息子より若い執政の前で、感情をあらわにする。その姿に、ウィリアムは笑顔で頷いた。
「優秀な方だとお伺いしておりますからね。我が国は能力に応じた役職や地位を与えるのが流儀、ご満足いただけたようで嬉しいかぎりです」
外向きの笑顔で彼を送り出す。白髪交じりの男を見送って、自ら扉を閉めて寄り掛かる。おかしくなって肩が揺れた。
「楽しそうだな」
続き部屋から入り込んだエリヤは、自分も口元を緩めながら揶揄う。三つ編みの穂先をくるりと回し、ご機嫌のウィリアムはすたすたと歩み寄った。執務机の椅子に沈む主の黒髪にキスを降らせ、机の端に腰掛ける。
「あんなに単純で、本当に……噂なんて当てにならないな」
事前にドロシアから話を聞いていなかったら、何かの罠を疑ったくらいだ。優秀だと吹聴された噂と裏腹に、単純すぎて騙し甲斐がなかった。しかし手を抜くつもりもない。足元の蟻を踏みつぶすにしても、全力を尽くすのがウィリアムの流儀だった。
「お前の噂も派手だぞ」
「おやおや、噂に惑わされるような主君じゃないだろ?」
「失望されない程度に有能なつもりだ」
謙遜にならない返しに、ウィリアムが笑いながら頬にキスをくれた。ぷくっと唇を尖らせて不満を表明するエリヤに「まだ子供だけどね」と囁いて、唇を重ねる。
「そろそろリリーアリス姫が着く頃じゃないか?」
「出迎えるぞ」
キスの甘い雰囲気も、悪だくみする子供の顔も、両方消し去ったエリヤの無邪気な顔にウィリアムは両手を上げて降参した。
「久しぶりですわね、リリーアリス様」
お茶会が、ではない。ここ数ヶ月は戦後の処理でごたごたしていたため、王城へ足を運ぶことを控えたのだ。向かえば歓迎してくれるので、彼らの負担になるとリリーアリス側が自粛した。またウィリアムの行方不明事件を知った教会が、治安の悪化を理由に外出を許さなかった事情もある。
聖女は教会の宝であり、もっとも重要視される人物だ。そんな女性が、万が一ケガや誘拐などの事件に巻き込まれれば……考えるだけでも恐ろしい事態だった。信者達は暴走し、教会を襲う可能性も出てくる。保身と平穏を望む教会は、彼女の外出願を受け付けなかった。
隣国アスターが拉致したウィリアムが戻り、新たな戦争の前である今が最高のタイミングなのだ。ここを逃すとしばらく外出禁止になりそうだった。弟に会いたいと口にしたリリーアリスのため、多少の情報操作を行った魔女は、菫色の瞳を細めて笑う。
「ラベンダーの精油も集まったし、エリヤに花束も持っていきたいわ」
「同じラベンダーになさいますの?」
「そうね。あの子は紫色が好きだから」
すべてを奪われ続けてきた少年王が望んだ己の片割れも、唯一手元に残った大切な家族である姉も。どちらも紫の瞳を持っている。青紫のウィリアム、高貴な紫のリリーアリス――エリヤの宝物である2人によく似た菫色の瞳を持つドロシアは穏やかに茶菓子を勧めた。
「出立は明日にいたしましょう。もうすぐお祈りの時間ですわ」
窓の外はやや日が陰り、周囲を赤く染めつつあった。これから暗くなる時間に外へ出ることもあるまい。他国にとって聖女は手に入れたい必須の人物であり、狙われ続ける彼女を守るのに教会ほど適した場所はなかった。
男子禁制、女性だけの園は部外者を排除するのに向いている。修道女であっても顔をさらす教会内は、見知らぬ者が簡単に入り込むことは出来ず、一番奥の花園に入れるのは両手に足りる信頼を得た者だけ。鎖された空間で守りの要となる魔女は、整った顔に笑みを浮かべた。
「朝摘みのラベンダーがいいわ」
「素敵ですわね、お手伝いいたします」
朝の新鮮なハーブの香りを漂わせる王女を想像しながら、ドロシアは紅茶を口に運ぶ。頭の中は護衛のために必要な手順と情報を整理し、手配すべき項目を洗い出していた。
「軍部の書類課、ですか」
自国を見捨てて寝返った男は、嬉しそうに声を弾ませた。ウィリアムの執務室に呼ばれたアスター国の宰相は、初老に差し掛かる年齢だ。自分の息子より若い執政の前で、感情をあらわにする。その姿に、ウィリアムは笑顔で頷いた。
「優秀な方だとお伺いしておりますからね。我が国は能力に応じた役職や地位を与えるのが流儀、ご満足いただけたようで嬉しいかぎりです」
外向きの笑顔で彼を送り出す。白髪交じりの男を見送って、自ら扉を閉めて寄り掛かる。おかしくなって肩が揺れた。
「楽しそうだな」
続き部屋から入り込んだエリヤは、自分も口元を緩めながら揶揄う。三つ編みの穂先をくるりと回し、ご機嫌のウィリアムはすたすたと歩み寄った。執務机の椅子に沈む主の黒髪にキスを降らせ、机の端に腰掛ける。
「あんなに単純で、本当に……噂なんて当てにならないな」
事前にドロシアから話を聞いていなかったら、何かの罠を疑ったくらいだ。優秀だと吹聴された噂と裏腹に、単純すぎて騙し甲斐がなかった。しかし手を抜くつもりもない。足元の蟻を踏みつぶすにしても、全力を尽くすのがウィリアムの流儀だった。
「お前の噂も派手だぞ」
「おやおや、噂に惑わされるような主君じゃないだろ?」
「失望されない程度に有能なつもりだ」
謙遜にならない返しに、ウィリアムが笑いながら頬にキスをくれた。ぷくっと唇を尖らせて不満を表明するエリヤに「まだ子供だけどね」と囁いて、唇を重ねる。
「そろそろリリーアリス姫が着く頃じゃないか?」
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