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第陸譚
【鬼の子】
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あれは、僕がまだ幼稚園に通っていた頃のこと。
母と二人で、小さなマンションに引っ越したばかり。
引っ越し当初は、何もかもが新鮮で、少しだけ大人になったような気分でした。
だけど、あの部屋に住み始めて――半年ほど経った頃だろうか。
まるでずっとそこにいたかのように、ある日当然の顔をして、僕の世界に入り込んできた。
――兄弟。
年の近い、見知らぬ兄弟。
弟は髪の短い、よく笑う子だった。
顔立ちもはっきりしていて、どこにでもいる普通の子供という感じがした。
だけど、兄の顔は……どうしても思い出せない。
黒い影みたいにぼやけていて、どんなに近くにいても、何度一緒に遊んでも、決して顔が見えなかった。
話す声がすぐそこにあるのに、そこに“顔”がない。
目の焦点がどうしても合わなくて、僕はいつも、誰と遊んでいるのか分からないまま笑っていた。
それでも最初は、楽しかった。
二人はよく僕の部屋に現れて、ままごとやブロックで遊んだ。
母が見ていない時だけやって来て、僕の話をよく聞いてくれた。
“この子たちは僕の友達なんだ”と、子供なりにそう思っていた。
……でも、それは長くは続かなかった。
季節が変わる頃、兄弟は少しずつ変わっていった。
遊びに誘っても無視されるようになり、気がつけばおもちゃを壊され、絵本が破られていた。
弟の顔は相変わらず笑っていた。
でもその笑い方は、もう"友達の顔"じゃなかった。
あのとき初めて、彼の笑い声が“音”に聞こえなかった。
ただ、引きつった顔だけが、ずっとこちらを向いていた。
ある日、眠っていたはずの僕の耳元で、ぼそりと声がした。
――「出てけ」
――「おまえなんか、死んでしまえ」
まるでお経みたいに、何度も何度も、同じ言葉を繰り返していた。
怖くて、眠るのが嫌になった。
家の中にいることが、どんどん苦しくなっていった。
気づけば僕は、あの兄弟のことを“鬼の子”と呼ぶようになっていた。
救いが訪れたのは、祖父母が遊びに来た日のことだった。
その日、鬼の子たちは現れなかった。
……いや、正確には、「隠れていた」のだ。
僕をあれほど追いかけまわしていたくせに、祖父――大人の男の人がいると、まるで怯えるようにして息をひそめていた。
僕は、勇気を出して祖父に頼んだ。
「お願い言って、出てけって。……あの子たちに」
祖父は笑って、「よし、わかった」と言うと、部屋の隅――僕が指さした方向に向かって、大きな声で言った。
「出ていけッ!!」
その瞬間だった。
空気が、ばさりと裂けたような音がして、部屋の温度が一気に下がった。
……けれど、不思議と怖くはなかった。
それ以来、鬼の子たちは現れなくなった。
後日、僕は母にあの兄弟のことを話した。
母は少し驚いた顔をしたあと、ご近所の人に聞き込みをしてくれた。
――この部屋には、かつて兄弟が住んでいたことがあるらしい。
片方の子が事故で亡くなり、もう片方はしばらくして引っ越していったそうだ。
生きている方の子が、"生霊"となってここに戻ってきていたのかもしれないと、母は言った。
……兄弟にとって、この部屋で過ごした時間が、一番幸せだったんだろう。
だからこそ、僕ら家族の存在が、"邪魔"だったのかもしれない。
あのとき、祖父が追い払ってくれなければ……
僕は、今ここにいなかったのかもしれない――
母と二人で、小さなマンションに引っ越したばかり。
引っ越し当初は、何もかもが新鮮で、少しだけ大人になったような気分でした。
だけど、あの部屋に住み始めて――半年ほど経った頃だろうか。
まるでずっとそこにいたかのように、ある日当然の顔をして、僕の世界に入り込んできた。
――兄弟。
年の近い、見知らぬ兄弟。
弟は髪の短い、よく笑う子だった。
顔立ちもはっきりしていて、どこにでもいる普通の子供という感じがした。
だけど、兄の顔は……どうしても思い出せない。
黒い影みたいにぼやけていて、どんなに近くにいても、何度一緒に遊んでも、決して顔が見えなかった。
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それでも最初は、楽しかった。
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“この子たちは僕の友達なんだ”と、子供なりにそう思っていた。
……でも、それは長くは続かなかった。
季節が変わる頃、兄弟は少しずつ変わっていった。
遊びに誘っても無視されるようになり、気がつけばおもちゃを壊され、絵本が破られていた。
弟の顔は相変わらず笑っていた。
でもその笑い方は、もう"友達の顔"じゃなかった。
あのとき初めて、彼の笑い声が“音”に聞こえなかった。
ただ、引きつった顔だけが、ずっとこちらを向いていた。
ある日、眠っていたはずの僕の耳元で、ぼそりと声がした。
――「出てけ」
――「おまえなんか、死んでしまえ」
まるでお経みたいに、何度も何度も、同じ言葉を繰り返していた。
怖くて、眠るのが嫌になった。
家の中にいることが、どんどん苦しくなっていった。
気づけば僕は、あの兄弟のことを“鬼の子”と呼ぶようになっていた。
救いが訪れたのは、祖父母が遊びに来た日のことだった。
その日、鬼の子たちは現れなかった。
……いや、正確には、「隠れていた」のだ。
僕をあれほど追いかけまわしていたくせに、祖父――大人の男の人がいると、まるで怯えるようにして息をひそめていた。
僕は、勇気を出して祖父に頼んだ。
「お願い言って、出てけって。……あの子たちに」
祖父は笑って、「よし、わかった」と言うと、部屋の隅――僕が指さした方向に向かって、大きな声で言った。
「出ていけッ!!」
その瞬間だった。
空気が、ばさりと裂けたような音がして、部屋の温度が一気に下がった。
……けれど、不思議と怖くはなかった。
それ以来、鬼の子たちは現れなくなった。
後日、僕は母にあの兄弟のことを話した。
母は少し驚いた顔をしたあと、ご近所の人に聞き込みをしてくれた。
――この部屋には、かつて兄弟が住んでいたことがあるらしい。
片方の子が事故で亡くなり、もう片方はしばらくして引っ越していったそうだ。
生きている方の子が、"生霊"となってここに戻ってきていたのかもしれないと、母は言った。
……兄弟にとって、この部屋で過ごした時間が、一番幸せだったんだろう。
だからこそ、僕ら家族の存在が、"邪魔"だったのかもしれない。
あのとき、祖父が追い払ってくれなければ……
僕は、今ここにいなかったのかもしれない――
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