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92 夢現
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城内は騒がしさで溢れていた。しかしそんなことなどお構いなしに、春輝は与えられた離宮でいちかと穏やかな日々を過ごしている。
今一度魔王へ立ち向かわせるならば、充分に休養させてからの方が良いという、ジェンツによる計らいがあったからだ。
春輝は城の一角にある美しい庭園の中の東屋で、いちかを膝の上に座らせその透き通るような白い髪を丁寧に梳いていた。
さわやかな日差しと心地の良い風が二人を包み込み、二人が居る空間には穏やかで優しい空気で溢れている。
魔王討伐の凱旋以降の春輝の記憶は、霞が強くかかったように曖昧だ。ジェンツからの説明によれば魔王と戦いは壮絶を極めるほどで、その衝撃で記憶の混濁が起きているのだろうと説明された。
しかし自身の記憶が混濁していようと、春輝にとっては些細なことだ。今この瞬間、目の前にいちかが居ると言うことだけで幸せなのだから、それ以外のことなどどうでもいい。
離れていた時間を取り戻すように、春輝はいちかから少しも離れようとはしなかった。
ふわりと流れる風に混じる可愛らしい鼻歌に、春輝の表情は自然と緩む。春輝の膝の上で足を揺らすいちかに整えた髪型をどうするか聞けば、少し考え込んだあとに満面の笑みを向けてきた。
「二つ結びが良い! そこにリボンも付けたいなぁ」
可愛らしいお願いに、春輝は穏やかな笑みを浮かべて了承すれば、すかさず大きな影が春輝の後ろからスッと伸びてきた。
視線を上げれば、表情を引き締めているトビアスがいちかのお気に入りのリボンを差し出している。
「気が利くな、トビアス」
トビアスから受け取ったパステルカラーのリボンを、いちかの髪の毛をくくるのに使う。さらさらした長い髪が肌に滑り、心地が良かった。
穏やか過ぎる日々に、春輝はこの世界に溶けてしまいそうな感覚に陥る。殺伐とした日々を過ごしていた元いた世界よりも、この世界は居心地がいいのだ。
討伐の遠征時はこうではなかったのだろうが、記憶が霞んでいるので春輝にとってこの世界での記憶は心地のいい物ばかりになっている。
まるで心地の良い夢現を揺蕩うように。
日中を穏やかに過ごし日が落ち夜が訪れれば、いちかは春輝の側から離れることになる。本当は寝る時すらも離れがたいのだが離れていた間に成長したのか、再会してからいちかは春輝と共に寝ることはなかった。
「お兄ちゃんまた明日ね!」
「おやすみ、いちか」
春輝が腰を屈め背を低くすれば、いちかが春輝の頬に軽く唇をつけてくる。そのくすぐったさに思わず笑みを零す。
一緒の部屋で寝なくなったからと言っても、こういうところは変わらずで微笑ましい。少しづつ手を離れていくのだろとは思いはするのだが、まだまだ幼いいちかを春輝は手放すつもりはない。
そんなことを考えながらふと手元を見れば、いちかが大事にしているはずのうさぎのぬいぐるみをなぜか春輝自身がずっと抱えていたことに気が付いた。
なぜいちかではなく、春輝自身が持っているのか。これはいちかが春輝の次に大事にしているぬいぐるみで、片時も離さないはずなのに。
思えば再開してから、いちかがこのぬいぐるみを欲したことがあっただろうか。
微かに過った違和感の正体を考えようとすれば、頭は途端に動きを鈍くし思考が段々とどうでもよくなっていってしまう。
考えることを放棄した春輝は、トビアスに促されるまま身支度を整えベッドへと入る。うさぎのぬいぐるみをいちかの代わりに抱き込もうとすれば、その首元に光る赤いブローチがキラリと月明りに反射した。
「なぁトビアス、このブローチを俺はいつうさぎに着けた?」
「王都に戻られる前です」
「そうか、なんだかこの色を見ると落ち着くな」
普段は赤く透き通りいちかの瞳の色に似ているが、暗がりで光るブローチは今は深みのある赤い色をしていた。
その色を見ていると、何故だか心が絞られるような不思議な感覚に陥るが、それが不快ではなかった。
むしろその色が、ないはずの不安を取り除くような安心感すらある。どこかで見覚えがあるその色合いとブローチから感じる心地よさに、春輝は魅入られたようにそれを見続けた。
ゆらゆらと煌めくブローチを眺めていれば、春輝は誘われるように気が付けばゆっくりと眠りに落ちていた。
今一度魔王へ立ち向かわせるならば、充分に休養させてからの方が良いという、ジェンツによる計らいがあったからだ。
春輝は城の一角にある美しい庭園の中の東屋で、いちかを膝の上に座らせその透き通るような白い髪を丁寧に梳いていた。
さわやかな日差しと心地の良い風が二人を包み込み、二人が居る空間には穏やかで優しい空気で溢れている。
魔王討伐の凱旋以降の春輝の記憶は、霞が強くかかったように曖昧だ。ジェンツからの説明によれば魔王と戦いは壮絶を極めるほどで、その衝撃で記憶の混濁が起きているのだろうと説明された。
しかし自身の記憶が混濁していようと、春輝にとっては些細なことだ。今この瞬間、目の前にいちかが居ると言うことだけで幸せなのだから、それ以外のことなどどうでもいい。
離れていた時間を取り戻すように、春輝はいちかから少しも離れようとはしなかった。
ふわりと流れる風に混じる可愛らしい鼻歌に、春輝の表情は自然と緩む。春輝の膝の上で足を揺らすいちかに整えた髪型をどうするか聞けば、少し考え込んだあとに満面の笑みを向けてきた。
「二つ結びが良い! そこにリボンも付けたいなぁ」
可愛らしいお願いに、春輝は穏やかな笑みを浮かべて了承すれば、すかさず大きな影が春輝の後ろからスッと伸びてきた。
視線を上げれば、表情を引き締めているトビアスがいちかのお気に入りのリボンを差し出している。
「気が利くな、トビアス」
トビアスから受け取ったパステルカラーのリボンを、いちかの髪の毛をくくるのに使う。さらさらした長い髪が肌に滑り、心地が良かった。
穏やか過ぎる日々に、春輝はこの世界に溶けてしまいそうな感覚に陥る。殺伐とした日々を過ごしていた元いた世界よりも、この世界は居心地がいいのだ。
討伐の遠征時はこうではなかったのだろうが、記憶が霞んでいるので春輝にとってこの世界での記憶は心地のいい物ばかりになっている。
まるで心地の良い夢現を揺蕩うように。
日中を穏やかに過ごし日が落ち夜が訪れれば、いちかは春輝の側から離れることになる。本当は寝る時すらも離れがたいのだが離れていた間に成長したのか、再会してからいちかは春輝と共に寝ることはなかった。
「お兄ちゃんまた明日ね!」
「おやすみ、いちか」
春輝が腰を屈め背を低くすれば、いちかが春輝の頬に軽く唇をつけてくる。そのくすぐったさに思わず笑みを零す。
一緒の部屋で寝なくなったからと言っても、こういうところは変わらずで微笑ましい。少しづつ手を離れていくのだろとは思いはするのだが、まだまだ幼いいちかを春輝は手放すつもりはない。
そんなことを考えながらふと手元を見れば、いちかが大事にしているはずのうさぎのぬいぐるみをなぜか春輝自身がずっと抱えていたことに気が付いた。
なぜいちかではなく、春輝自身が持っているのか。これはいちかが春輝の次に大事にしているぬいぐるみで、片時も離さないはずなのに。
思えば再開してから、いちかがこのぬいぐるみを欲したことがあっただろうか。
微かに過った違和感の正体を考えようとすれば、頭は途端に動きを鈍くし思考が段々とどうでもよくなっていってしまう。
考えることを放棄した春輝は、トビアスに促されるまま身支度を整えベッドへと入る。うさぎのぬいぐるみをいちかの代わりに抱き込もうとすれば、その首元に光る赤いブローチがキラリと月明りに反射した。
「なぁトビアス、このブローチを俺はいつうさぎに着けた?」
「王都に戻られる前です」
「そうか、なんだかこの色を見ると落ち着くな」
普段は赤く透き通りいちかの瞳の色に似ているが、暗がりで光るブローチは今は深みのある赤い色をしていた。
その色を見ていると、何故だか心が絞られるような不思議な感覚に陥るが、それが不快ではなかった。
むしろその色が、ないはずの不安を取り除くような安心感すらある。どこかで見覚えがあるその色合いとブローチから感じる心地よさに、春輝は魅入られたようにそれを見続けた。
ゆらゆらと煌めくブローチを眺めていれば、春輝は誘われるように気が付けばゆっくりと眠りに落ちていた。
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