アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸

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第四章 黒狼 波間に立つ

第二十九話 艦上のメリークリスマス

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 十二月二十三日。イギリス海峡を望む軍港の町、ポーツマスに旭日旗を翻して入港してくる艦があった。
 六隻の駆逐艦が輪形陣を組み、その真ん中には何隻かの油槽船や揚陸艦で構成された船団が入る。
 大西洋での死闘を制し、敵潜の魔の手から逃げ切った第五駆逐隊とA51船団であった。







「両舷前進微速」
 わたし―初霜実は、近づきつつある英国の街並みを見ながら指示を出した。
「両舷前進微速!」
 後方に控える夏芽がエンジンテレグラフを回す。
「係船索用意!」
 岸壁と艦との間で係船索が投げ渡され、ボラードに結ばれた。
(そろそろ乗員たちを上陸させてあげたいわね・・・)
 敵潜水艦につけ狙われるストレスで精神をすり減らした乗員たち。今の彼ら、彼女らに必要なものは、十分な休養と楽しみだ。
「永信」
「何?実」
 わたしは永信に対し問う。
「今、早急に行わなきゃダメな作業はある?」
「特にないね。所定の作業を済ませるだけ」
「そう・・・・」
 わたしがそう言うと、艦橋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼するよ」
 主計長の山雲風華が入ってくる。
「艦長。主計課烹炊員の全員に外出許可が欲しい」
「いったいどうしたのよ?」
 わたしが問うと、風華はわたしの耳元に口を寄せてささやく。
「まだ艦のみんなには秘密だけど、二十四日の夕食はサプライズでクリスマスパーティーにしようと思っているんだ」
「なるほど、その材料の買い出しに行きたいということね」
 わたしが言うと、風華は大きくうなずいた。
「今艦にあるのは貯糧品ばかりだからさ、必要な生糧品が欲しいの。もちろん、全部業者に頼んで納入してもらうんだけど、こまごまとしたものはわたしたちで買いに行きたいな」
「わかった。外出許可証を今書くから、舷門当直に上陸札を渡しておきなさい」
 わたしがそう言うと、風華はにっこり笑って艦橋から出ていく。
 しばらくして、主計科の徽章をつけた乗員たちが舷梯を降りていくのが見えた。
「初霜艦長」
 舷門当直担当の愛蘭が艦橋に入ってくる。
「艦長にお客様がお見えになっています。お名前はパウル・ライトさん。『注文の品を届けに来た』とのことです」
「了解。艦長公室にお通しして」
「わかった」
 愛蘭が出ていくのと同時に、わたしも艦橋を出て艦長公室に向かう。
 室内に入ると、机の上を片付けて椅子に腰かけた。

 コン、コン、コン

 ドアを三回ノックする音が響く。
「どうぞ」
 椅子から立ち上がって言うと、ドアが開いて、その向こうから一人の英国人男性が顔をのぞかせた。
「初めまして、パウル・ライトさん。駆逐艦『陽炎』艦長の初霜実です。わが艦はあなたを歓迎します」
 脳内を英語モードに切り替えて言う。
「初めまして、初霜さん。私はパウル・ライト。海洋画家をしております」
 そういうパウルさんに座るよう促すと、わたしはソファーに腰かけた。
「今回は、無理な注文をして申し訳ありません」
「いえいえ、いいんですよ。日本の駆逐艦デストロイヤーを描くいい機会になりましたし」
 パウルさんが笑いながら小脇に抱えていた段ボール箱を机にのせる。
「こちらがご注文の品です。ご確認ください」
 わたしが箱を開けると、中から大きな絵が出てきた。大きさはF8号くらいだろうか。そのキャンパスには、堂々と波を切って敵艦隊に向かう「陽炎」の姿が描かれていた。
「おお・・・」
 思わず感嘆の声が漏れる。
「期待以上の出来です。当初の報酬では足りないくらい・・・・」
「いえ、描きたいものを描いただけです」
 謙遜するパウルさん。
「それでも、こちらの絵は素晴らしい。わが艦の艦長室を飾るにふさわしい一枚です」
 わたしはそう言うと、その絵を背後の壁に掛けた。
「こちらが、絵のお代です」
 かなり大きく膨らんだ茶封筒をパウルさんに差し出す。
「ありがとうございます」
 彼はそれを受け取ると、中身を確認して言った。
「おっと・・・」
 パウルさんが時計を見て言う。
「私は次の予定があるので、このあたりで失礼いたします」
「そうですか。ご足労いただき、ありがとうございました」
 わたしは立ち上がると、パウルさんを舷門まで案内する。「大和」ほどの大きさでないにせよ、艦内で迷う来艦者は結構多いの。
「本日はご来艦、誠にありがとうございました」
 舷梯を降りたところで、わたしはパウルさんに右手を差し出す。もちろん、チャレンジコインを忘れずに。
「明日からイベントも行いますので、またのご来艦をお待ちしております!」







「皆さん、戦争が始まりました」
 わたしー駆逐艦「陽炎」主計長の山雲風華は、目の前にポーツマス港敷地内に並べられた冷凍トラックの群れを前にして宣言した。
「艦内にいる手すきの総員、舷門に集合!生糧品搭載用意!」
 艦内放送のスピーカーから、艦長の声が聞こえる。
 多くの時間を海の上で過ごす軍艦乗り。娯楽の少ない海上で、毎日の楽しみとなるのが食事だ。
 特に、ボストンを出港して以降はずっと洋上にいたから、乗員たちは生糧品、つまりはすぐに腐るようなものに飢えている。
「だから、クリスマスくらいは派手に行こうってね・・・」
 続々と埠頭に入ってくるトラック。その全てが停止した瞬間・・・・
「始めるよ!総員生糧品搭載始め!」








 十二月二十四日の昼下がり・・・・
「さて!クリスマスパーティーの準備だ!」
 わたしは厨房に集った主計科烹炊員たちを見まわして言った。
「第一班は主菜のガランデンチキンをわたしと一緒に!第二班はデザートのロールケーキを作って!。第三班は主食、汁物のチキンライスとポタージュスープをお願い!」
 班ごとに仕事を割り振ると、わたしは大きく息を吸い込んで、指示を出す。
「それじゃあ、作業始め!ぼさっとしてるとしゃもじでケツ引っ叩くわよ!」
『はい!』
「喜んでー!」
 ほとんどの頼もしい返事と約一名のとても不安な返事とともに、わたしたちは調理作業に取り掛かった。



 十二月二十四日、十七時ヒトナナマルマル。駆逐艦「陽炎」の艦内に、夕食を告げるラッパの音色が響き渡った。
「永信さん!」
 僕―神崎永信の横に、この艦の艦魂である陽炎が姿を現す。
「なんか美味しそうな匂いがしますね!鶏肉でしょうか?」
「どうだろうね。今日は特別な日だからね」
 僕が言うと、陽炎は驚いたように口元に手を当てる。
「永信さんと実さんの結婚記念日ですか?」
「違う!」
 即座に否定すると、僕は陽炎にクリスマスの説明を始める。
「陽炎、クリスマスって聞いたことない?」
「聞いたことはあります!三笠さんが故郷の風習って言ってました」
「そう、もとは欧米の風習だ。キリスト教で神の子とされるイエス・キリストの誕生日を祝うお祭りなんだよ」
「そうなんですね!」
 目を輝かせる陽炎。
「その時にね、欧米では夕食に七面鳥の丸焼きを食べる風習があるんだ。ただ、日本では七面鳥が手に入りにくいから、鶏肉で代用する場合が多い」
「なるほど、つまりこれはクリスマスのための鶏肉を焼いていると・・・」
 陽炎が舌なめずりをして僕を見た。
「そうだね。このにおいからすると、ガランデンチキンみたいだ」
「やった!一番好きなんです、あれ」
 ガランデンチキンとは、味付けしていない丸鶏の中に、味が濃い目の肉だねとゆで卵を入れて焼いた料理。作るのが大変なので、たまにしか食べられない料理だ。
「山雲さん、今日は結構奮発したな・・・・」
 僕はつぶやくと、陽炎を伴って食堂へと向かった。




「メリークリスマス!」
『メリークリスマス!』
 駆逐艦「陽炎」艦内。かつての下士官、兵用食堂。
 わたしー初霜実は居並ぶ乗員たちを前に、サイダーの入ったグラスで乾杯した。
『カンパーイ!』

 チン!

 乗員たちがお互いに乾杯し、中身に口をつける。
 わたしはそんな人垣の間を通り、あらかじめ指定されていた席についた。
「お疲れさま。いつもこういうの任せちゃってごめん」
 永信がわたしに言う。
「いいのよ。艦のソフト面はわたし。ハード面は永信の担当だし」
 わたしはそう言うと、テーブルに置かれていたナイフとフォークを手に取った。
「いただきます!」
 切り分けられ、皿に盛られたガランデンチキンをナイフで切り分け、フォークで刺して口に運ぶ。
 モグモグ・・・・
 しっかりと間で味わい、嚥下。
「おいしいわね・・・・・」
 うちの艦の烹炊員たちが作った料理は、長いこと粗食で耐えてきた乗員たちの疲れを癒すのには、十分すぎるほどおいしかった。
「さすが、うちの烹炊員は優秀だね」
 永信も料理を口に運び、そのおいしさに顔をほころばせている。
「風華がきっちり仕込んでるものね。さすが、料理屋さんの娘だわ」
 わたしはそう言うと、フォークをスプーンに持ち替え、チキンライスを口に含んだ。
「なにか懐かしいわね・・・・・」
 昔、めったに帰ってこないお母さんに連れられ、広島の洋食屋さんに行った時を思い出す。その時も、こんな感じの味のチキンライスを食べたんだった・・・・。
「思えば遠くまで来たものね・・・・・」
 ほんの数か月前には日本の呉にいたのに、今は粉雪の舞うポーツマスにいる。なんか不思議な気分だ。
「とりあえず、A-51船団を無事にラ・スペツィアに送り届け、到着報告するまでは気が抜けないわね」
「そうだね。そのためにも、ここでしっかり補給をしないと・・・」
 永信がスープをすすりながら言う。
「そうね」
 わたしがそう言って、さらにチキンライスを口に含もうとした瞬間・・・・
「艦長にご来客です」
 舷門当直を担当していた乙葉が入ってきて、わたしに言う。
「どなた?」
「クラウディア・リュッチェンスと名乗っています」
 え!?
「とりあえず、食堂に案内して」
「わかった」
 乙葉が食堂から出ていく。そして、その数分後・・・
「グーデンナハト!」
 食堂の中に一人の少女が入ってくる。歳はわたしの一つ上の十七歳。紺色の軍服に黒鞘のサーベルをつるし、黒革の乗馬ブーツを履いていた。
 彼女はスカートからのぞくすらりとした足でしっかりと床を踏みしめ、わたしのもとに向かってくる。
「久しぶり~!」
 流暢な日本語でわたしに言うと、永信とわたしの間に腰を下ろした。
「リュッチェンス、自分の艦はどうしたのよ?」
 彼女はクラウディア・リュッチェンス。ドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」艦長だ。
「この前の海戦で被弾しちゃって・・・今はラ・スペツィアで修理中」
 リュッチェンスが声のトーンを落として言う。
「それは災難だったわね。で、ラ・スペツィアで修理を受けてる艦の艦長がポーツマスにいるのよ?」
「実に伝えたいことがあったから、Fw200を飛ばして来たの」
 なんとも軽い口調で言うリュッチェンス。
「何よ?伝えたいことって・・・・」
 わたしが言うと、リュッチェンスはガランデンチキンのもも肉部分を食べながら言う。ちょっとそれ、わたしの分なんですけど!
「ふぁふぃふぁっふぃりふぁふぇ」
「いいわよもう!それを飲み込んでから話しなさい!」
 ふぁふぃふふぇふぉ星人語で話すリュッチェンスの頭をはたくと、わたしは目の前の料理を手早く食べ始めた。
「次はこっち!」 
 わたしの料理を狙うリュッチェンス。
「ちゃんとリュッチェンスさんの分も用意しましたから!」
  リュッチェンスにも料理が振舞われる。
「じゃ、これを食べ終わってから話すね」
 彼女はそう言うと、料理にかぶりついた。
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