4 / 9
第一章 怪しい噂
序 貨物駅ののっぺらぼう
しおりを挟む
昭和十二年初春、帝都の摩天楼の間を吹き抜ける風はまだ冷たく、宮城の森を震わせていた。
大日本帝国東京市新橋。その近くに位置する汐留貨物駅は、この東京へ届けられる物資の集まる場所の一つである。
夜も更け、街灯がともり始めたころ。汐留貨物駅に勤める操車係、並木宗助は点呼を終え、汐留貨物駅の正門を出た。
「ふぅ~。寒寒・・・・」
暦の上では春とはいえ、通りを吹き抜ける風はまだ冷たい。彼は帰りがてら、近くの屋台で熱燗を引っかけてから帰ることに決めた。
宗助は一人暮らしである。少しぐらい帰りが遅れても咎める者はいない。
「ん?」
彼の耳に、女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「なんだぁ・・・・?」
その方向に目を向けると、線路際に着物を着た若い女がうずくまって泣いているのが見えた。
(まさか、飛び込む気じゃあるまいな!?)
たまにではあるが、男に振られた女などが列車の前に飛び出し、自らの命を絶つことがあるのだ。
(こんな所で事故られて、保線区や駅に迷惑かけられても困る)
そう考え、宗助は彼女のほうへ近づいた。
「もしもしお嬢さん。こんな所で泣いていらして、一体どうしたんでい?」
女はすすり泣きながら答える。
「わたしのこの顔があまりにもひどいもので、絶望して泣いているのです」
「そうですかい。ま、言っちゃ悪いですが、下には下がいるもんですぜ」
「そうでございましょうか?」
宗助の言葉に、女が返した。
「そうとも。どれ、俺に顔を見せてみな。本当にひでぇ顔なのか見てやるよ」
「では・・・・」
女が言う。
「お願いします」
宗助の目に映ったのは、顔のない女の姿。いや、正確には顔はある。しかし、目や鼻、口・・・。人間の顔を構成する部品が全く欠如していたのだ。
「う・・・・」
宗助の口から言葉にならない声が漏れる。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
宗助は悲鳴を上げ、女と反対方向に向かって駆け出した。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
一体どれくらい走り続けただろうか?本当は数分だけのはずだが、宗助には永遠に近いほど長く感じられた。
「おぁ・・・・」
宗助の瞳に、屋台の明かりが映る。
彼は、取り合えすその屋台で一杯ひっかけることにした。操車場での激務と、走り続けていたために、全身の筋肉に疲労がたまっていたのである。
「開いてるかい?」
宗助はのれんを手でかき分け、店内に入る。
「へい、空いてますよ」
店主が宗助に背を向けて答えた。
不思議なことに、客は宗助一人であった。労働者たちが帰るこの時間帯であれば、もっと混んでいてもよいものである。
「そういえばお客さん・・・・」
店主が宗助に話しかける。
「息が上がっておられますが、一体どうされました」
「いや、それがねぇ。顔のない女に会ったんでさぁ」
宗助が言うと、店主は背を向けたまま答えた。
「そうですかい。で、どんな顔だったんです?」
「どんな顔も何も、本当に顔の部品がねぇんだよ。目鼻も、口も・・・・・」
「それはもしかして・・・・・」
店主がゆっくりと振り向く。
「・・・こんな顔でしたかい?」
完全に宗助のほうを向いた店主。その顔には、目鼻と口が無かった。
翌日の朝。東京日日新聞をはじめとする朝刊の一面に、「怪異!鉄道省操車手気絶状態で発見さる!」の文字が躍った。
紙面の記事によると、「今朝がた、東京市内を流る隅田川沿いの小堀に、鉄道省汐留操車場にて勤務する操車係、並木宗助が腰ほどまで水に浸かって倒れているのが発見された。当人は当初意識朦朧とし、何もかも認識できないようであったが、意識が戻ってからもしきりに妖の類に出遭ったと人に語っているそうである。」とのことだ。
新聞は最後に、「これはまったくもって不思議な事件である。警察をもってしても、この事件の解決は難しいであろう」と締めくくっていた。
事件はこれだけには留まらなかった。汐留貨物駅周辺で、怪異の目撃情報が相次いだのである。
ある時は、貨物列車の機関士が、向こうから高速で向かってくる火の玉を発見。非常制動をかけるも、列車が止まった瞬間に火の玉が消えうせた。
ある時は、駅の宿直者が夜中に機関車の音や人のざわめきを聞いたものの、ホームには誰もいなかったという。
しかし、圧倒的に多いのが、「のっぺらぼうが出る」といったものであった。汐留駅で入換を行う機関士や勤める助役。多くの人物がそれを見たというが、ついぞその正体をつかんだものはいなかった。
果たして、この事件の謎を解けるものは、現れるのであろうか・・・・
大日本帝国東京市新橋。その近くに位置する汐留貨物駅は、この東京へ届けられる物資の集まる場所の一つである。
夜も更け、街灯がともり始めたころ。汐留貨物駅に勤める操車係、並木宗助は点呼を終え、汐留貨物駅の正門を出た。
「ふぅ~。寒寒・・・・」
暦の上では春とはいえ、通りを吹き抜ける風はまだ冷たい。彼は帰りがてら、近くの屋台で熱燗を引っかけてから帰ることに決めた。
宗助は一人暮らしである。少しぐらい帰りが遅れても咎める者はいない。
「ん?」
彼の耳に、女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「なんだぁ・・・・?」
その方向に目を向けると、線路際に着物を着た若い女がうずくまって泣いているのが見えた。
(まさか、飛び込む気じゃあるまいな!?)
たまにではあるが、男に振られた女などが列車の前に飛び出し、自らの命を絶つことがあるのだ。
(こんな所で事故られて、保線区や駅に迷惑かけられても困る)
そう考え、宗助は彼女のほうへ近づいた。
「もしもしお嬢さん。こんな所で泣いていらして、一体どうしたんでい?」
女はすすり泣きながら答える。
「わたしのこの顔があまりにもひどいもので、絶望して泣いているのです」
「そうですかい。ま、言っちゃ悪いですが、下には下がいるもんですぜ」
「そうでございましょうか?」
宗助の言葉に、女が返した。
「そうとも。どれ、俺に顔を見せてみな。本当にひでぇ顔なのか見てやるよ」
「では・・・・」
女が言う。
「お願いします」
宗助の目に映ったのは、顔のない女の姿。いや、正確には顔はある。しかし、目や鼻、口・・・。人間の顔を構成する部品が全く欠如していたのだ。
「う・・・・」
宗助の口から言葉にならない声が漏れる。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
宗助は悲鳴を上げ、女と反対方向に向かって駆け出した。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
一体どれくらい走り続けただろうか?本当は数分だけのはずだが、宗助には永遠に近いほど長く感じられた。
「おぁ・・・・」
宗助の瞳に、屋台の明かりが映る。
彼は、取り合えすその屋台で一杯ひっかけることにした。操車場での激務と、走り続けていたために、全身の筋肉に疲労がたまっていたのである。
「開いてるかい?」
宗助はのれんを手でかき分け、店内に入る。
「へい、空いてますよ」
店主が宗助に背を向けて答えた。
不思議なことに、客は宗助一人であった。労働者たちが帰るこの時間帯であれば、もっと混んでいてもよいものである。
「そういえばお客さん・・・・」
店主が宗助に話しかける。
「息が上がっておられますが、一体どうされました」
「いや、それがねぇ。顔のない女に会ったんでさぁ」
宗助が言うと、店主は背を向けたまま答えた。
「そうですかい。で、どんな顔だったんです?」
「どんな顔も何も、本当に顔の部品がねぇんだよ。目鼻も、口も・・・・・」
「それはもしかして・・・・・」
店主がゆっくりと振り向く。
「・・・こんな顔でしたかい?」
完全に宗助のほうを向いた店主。その顔には、目鼻と口が無かった。
翌日の朝。東京日日新聞をはじめとする朝刊の一面に、「怪異!鉄道省操車手気絶状態で発見さる!」の文字が躍った。
紙面の記事によると、「今朝がた、東京市内を流る隅田川沿いの小堀に、鉄道省汐留操車場にて勤務する操車係、並木宗助が腰ほどまで水に浸かって倒れているのが発見された。当人は当初意識朦朧とし、何もかも認識できないようであったが、意識が戻ってからもしきりに妖の類に出遭ったと人に語っているそうである。」とのことだ。
新聞は最後に、「これはまったくもって不思議な事件である。警察をもってしても、この事件の解決は難しいであろう」と締めくくっていた。
事件はこれだけには留まらなかった。汐留貨物駅周辺で、怪異の目撃情報が相次いだのである。
ある時は、貨物列車の機関士が、向こうから高速で向かってくる火の玉を発見。非常制動をかけるも、列車が止まった瞬間に火の玉が消えうせた。
ある時は、駅の宿直者が夜中に機関車の音や人のざわめきを聞いたものの、ホームには誰もいなかったという。
しかし、圧倒的に多いのが、「のっぺらぼうが出る」といったものであった。汐留駅で入換を行う機関士や勤める助役。多くの人物がそれを見たというが、ついぞその正体をつかんだものはいなかった。
果たして、この事件の謎を解けるものは、現れるのであろうか・・・・
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる