汐留妖事件 帝都兄妹探偵1

七日町 糸

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第一章 怪しい噂

序 貨物駅ののっぺらぼう

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 昭和十二年初春、帝都の摩天楼の間を吹き抜ける風はまだ冷たく、宮城の森を震わせていた。
 大日本帝国東京市新橋。その近くに位置する汐留貨物駅は、この東京へ届けられる物資の集まる場所の一つである。
 夜も更け、街灯がともり始めたころ。汐留貨物駅に勤める操車係、並木宗助は点呼を終え、汐留貨物駅の正門を出た。
「ふぅ~。寒寒・・・・」
 暦の上では春とはいえ、通りを吹き抜ける風はまだ冷たい。彼は帰りがてら、近くの屋台で熱燗を引っかけてから帰ることに決めた。
 宗助は一人暮らしである。少しぐらい帰りが遅れても咎める者はいない。
「ん?」
 彼の耳に、女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「なんだぁ・・・・?」
 その方向に目を向けると、線路際に着物を着た若い女がうずくまって泣いているのが見えた。
(まさか、飛び込む気じゃあるまいな!?)
 たまにではあるが、男に振られた女などが列車の前に飛び出し、自らの命を絶つことがあるのだ。
(こんな所で事故られて、保線区や駅に迷惑かけられても困る)
 そう考え、宗助は彼女のほうへ近づいた。
「もしもしお嬢さん。こんな所で泣いていらして、一体どうしたんでい?」
 女はすすり泣きながら答える。
「わたしのこの顔があまりにもひどいもので、絶望して泣いているのです」
「そうですかい。ま、言っちゃ悪いですが、下には下がいるもんですぜ」
「そうでございましょうか?」
 宗助の言葉に、女が返した。
「そうとも。どれ、俺に顔を見せてみな。本当にひでぇ顔なのか見てやるよ」
「では・・・・」
 女が言う。
「お願いします」
 宗助の目に映ったのは、顔のない女の姿。いや、正確には顔はある。しかし、目や鼻、口・・・。人間の顔を構成する部品が全く欠如していたのだ。
「う・・・・」
 宗助の口から言葉にならない声が漏れる。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 宗助は悲鳴を上げ、女と反対方向に向かって駆け出した。





「はぁ、はぁ・・・・・・」
 一体どれくらい走り続けただろうか?本当は数分だけのはずだが、宗助には永遠に近いほど長く感じられた。
「おぁ・・・・」
 宗助の瞳に、屋台の明かりが映る。
 彼は、取り合えすその屋台で一杯ひっかけることにした。操車場での激務と、走り続けていたために、全身の筋肉に疲労がたまっていたのである。
「開いてるかい?」
 宗助はのれんを手でかき分け、店内に入る。
「へい、空いてますよ」
 店主が宗助に背を向けて答えた。
 不思議なことに、客は宗助一人であった。労働者たちが帰るこの時間帯であれば、もっと混んでいてもよいものである。
「そういえばお客さん・・・・」
 店主が宗助に話しかける。
「息が上がっておられますが、一体どうされました」
「いや、それがねぇ。顔のない女に会ったんでさぁ」
 宗助が言うと、店主は背を向けたまま答えた。
「そうですかい。で、どんな顔だったんです?」
「どんな顔も何も、本当に顔の部品がねぇんだよ。目鼻も、口も・・・・・」
「それはもしかして・・・・・」
 店主がゆっくりと振り向く。
「・・・こんな顔でしたかい?」
 完全に宗助のほうを向いた店主。その顔には、目鼻と口が無かった。










 翌日の朝。東京日日新聞をはじめとする朝刊の一面に、「怪異!鉄道省操車手気絶状態で発見さる!」の文字が躍った。
 紙面の記事によると、「今朝がた、東京市内を流る隅田川沿いの小堀に、鉄道省汐留操車場にて勤務する操車係、並木宗助が腰ほどまで水に浸かって倒れているのが発見された。当人は当初意識朦朧とし、何もかも認識できないようであったが、意識が戻ってからもしきりに妖の類に出遭ったと人に語っているそうである。」とのことだ。
 新聞は最後に、「これはまったくもって不思議な事件である。警察をもってしても、この事件の解決は難しいであろう」と締めくくっていた。
 事件はこれだけには留まらなかった。汐留貨物駅周辺で、怪異の目撃情報が相次いだのである。
 ある時は、貨物列車の機関士が、向こうから高速で向かってくる火の玉を発見。非常制動をかけるも、列車が止まった瞬間に火の玉が消えうせた。
 ある時は、駅の宿直者が夜中に機関車の音や人のざわめきを聞いたものの、ホームには誰もいなかったという。
 しかし、圧倒的に多いのが、「のっぺらぼうが出る」といったものであった。汐留駅で入換を行う機関士や勤める助役。多くの人物がそれを見たというが、ついぞその正体をつかんだものはいなかった。
 果たして、この事件の謎を解けるものは、現れるのであろうか・・・・
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