汐留妖事件 帝都兄妹探偵1

七日町 糸

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第一章 怪しい噂

第一話 金剛ビル4階

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 大日本帝国東京市の一角にある女学校。終業の鐘が鳴る。
 わたしー初霜小春は、同級生たちにあいさつすると、真っ先に校門を飛び出した。
「焼き芋一つください!」
 校門の向かいに止めてある焼き芋屋の屋台。その先頭には蒸気を吐き出す珍しいバイクが連結されている。
「はいはい、毎日よく食べるね・・・・」
 苦笑しつつ、眼鏡をかけた焼き芋屋さんが新聞紙に焼き芋を包んでくれた。
「余計なお世話ですぅ。あ!一個多いですよ」
「いつも買ってくれるからおまけ」
 わたしが言うと、焼き芋屋さんは紺色の作務衣の袖に手を突っ込みながら言う。
「ありがとうございまーす!」
 わたしはそう言うと、神田区神保町に向かって歩き出した。
 田町駅の改札口を定期券で通過し、ちょうど入ってきた内回りの省線電車に乗り込む。

 ジリリリリリ・・・・・

「ドア締まります」
 ベルの音と車掌さんの声。

 プシュァー ゴトッ

 ドアの閉まる音。
 わたしは座席に腰かけると、鞄から文庫本を取り出した。今読んでいるのは、江戸川乱歩先生の「怪人二十面相」。ちなみに、わたしの一番好きな登場人物は、少年探偵団の団長である小林少年だ。
 自分が本を読んでいる間に、省線電車は浜松町、新橋、有楽町、東京・・・と順番に停車していく。
《神田、神田~》
 車掌さんの声にハッとして顔を上げると、電車はちょうど神田駅に滑り込むところだった。
 開いたドアからホームに降り立ち、定期券で改札口を通過。駅前から靖国神社の方へ歩を進める。
 しばらく歩くと、古書店の間に緑色の四階建てビルが見えてきた。一階には、「古書商い 白頭堂」と書かれた看板がかかっている。
「こんにちはー。お兄様います?」
「あ、小春ちゃん!武さんなら書斎にいると思いますよ」
 薄暗い白頭堂の店内に入ると、店の奥で帳面をめくっていた女の人が顔を上げた。年のころは二十五歳ほど、整った顔に切れ長の目が印象的な人だ。
「金さん、ありがとうございます」
 わたしはそう言うと、裏側の廊下に入り、階段を上る。この金剛ビルは、わたしの兄が所有しているビルで、一階と二階が古書店「白頭堂」、三、四階が兄の居住スペースになっている。

 コン、コン、コン

 わたしは四階の一室。「書斎」と書かれた札がついている扉の前に立つと、それを三回ノックした。
「誰だ?」
 中から男の人の声がする。
「小春です」
「入れ」
 そう言われるや否や、わたしは思いっきりドアを開けた。

 ドンガラガッシャーン!

 何かが崩れる音がしたけど、気にしない気にしない。
「お前なぁ・・・・」
 ドアの向こう側で呆れた顔をしているのは、わたしの兄である初霜武。今を時めく売れっ子小説家であり、この金剛ビルの所有者だ。
「ちょっとくらいいいでしょ?」
 ちらりと後ろを確認すると、なんだかよくわからない馬の置物が床に転がっているのが見えた。
「ハァ・・・・。これ、高かったんだぞ・・・」
 ため息をつきながら棚に置きものを戻す兄さん。
「進捗はどうですか?」
 わたしは部屋の一番奥。通りに面した窓の方へと歩を進め、窓際の机に置かれた原稿用紙に目を落とした。
「明日には編集が来る。何とか書き上げんとな・・・・」
「今回は何になるの?」
「読んでみろ」
 兄さんは原稿用紙を指さした。締め切りぎりぎりの時と構想を描いているとき、うちの兄は決まって、わたしに原稿を読ませる。「読者と同年代の人間が読んで面白いのか知りたい」らしい。
「何々・・・・。『奉天激闘録』?」
「ああ。三月十日の陸軍記念日増刊号に掲載するらしい。それで、今連載しているのの締め切りを延ばしてでも書いてほしいだとさ」
 そう言うと、兄さんはわたしの手から原稿用紙を取り上げる。
「で、面白いか?」
「うーん・・・」
 わたしは少し考えると、口を開いた。
「面白いと思う。とりあえず、これで出していいんじゃない?」
「ありがとう。自信が持てたよ」
 兄さんはそう言って、執筆作業に戻る。
「今日も本を読みに来たけど、いいよね?」
「勝手にしたまえ」
「はいはーい」
 ここには、兄さんの集めた古今東西の本やこれまでに兄さんが書いた小説、それの載った雑誌のバックナンバーが収められている。
 わたしは何竿も並んだ書架の間を歩き、お目当ての本を探した。と、その時・・・
「小春ちゃーん!お友達ですよー」
 下から金さんの声が聞こえる。
「はーい、今行きまーす」
 階段を降りて一階にある「白頭堂」店舗に向かうと、わたしと同じ制服を着た女の子が立っていた。長くのびるまっすぐな黒髪と茶色の瞳が印象的。
「あら、智江じゃない、どうしたの?」
 この子は春谷智江。わたしの唯一無二の親友であり、昔から一緒に冒険を繰り返してきた悪友だ。
「小春。また学校に忘れ物してたでしょ。届けに来たよ」
 智江が鞄の中を探り、教本を取り出す。
「いつも悪いね。今度からは気を付けるよ」
「この前に忘れたときもそう言っていた」
 ため息をつく智江。
「そうだっけ?まあまあ、中に入りなよ」
 智江を建物の中に導く。
「いらっしゃいませー!」
 金さんが本を読みながら言った。
「お邪魔します」
 智江が金さんにお辞儀をする。
「じゃ、兄さんの書斎で本でも読もう!」
「そうさせてもらうわ」
 智江と一緒に階段を上ろうとした時、金さんがわたしを呼び止めた。
「智江ちゃん、すっごくいい人だね」
「そうですか?」
「うん、わたしにちゃんと挨拶してくれた。親にちゃんとしつけられたんだろうね・・・」
 金さんは朝鮮出身だ。きっとこれまで、何回も困難なことを乗り越えてきたんだろう。
「じゃ、智江を待たせるわけにはいかないので、わたしはこれで」
 わたしはそう言うと、階段を上って四階に向かう。
「待たせちゃってごめんね」
「ううん、武さんに色々教えてもらったから、退屈はしていないよ」
 わたしが書斎に入ると、智江は兄さんと一つの本を読みながら、何かについて教えてもらっているようだった。
「何教えてもらっていたの?」
「恐竜についてだ」
 兄さんが億劫そうに答える。
「きょうりゅう・・・・?」
「人間が生まれる遥か前に、地球上を闊歩していた生物のことだ。分類学的に言うと、トカゲと同じ爬虫類の系統になるらしい」
 兄さんが本を読みながら説明する。
「トカゲと同じ・・・・では、さぞかし小さいんでしょうね?」
「いや、そうでもないぞ」
 わたしが言うと、兄さんは本の一ページを開いて、そこに乗っている写真を見せた。その写真には、両手で抱えるほど大きな骨を持った男の人が映っている。
「これは、恐竜の足の骨と言われているものだ」
「こんなものが残っているんですね。とっくの昔に腐って消えちゃっているかと思いましたよ」
 わたしが言うと、兄さんは本の一節を指さした。
「化石と言ってな。骨が石になって残っていたりするんだ。長い間に肉体は腐り、骨だけが残される。残った骨には土中の成分がしみこみ、固い石となるんだ」
「そんなこともあるんですね?」
 本当に兄さんの知識はすごい。
「だろう。だから勉強するのは面白いんだ」
 兄さんはそう言うと、さらに言葉を継ぐ。
「だが、化石の中には風雪にさらされ、今にも崩れてしまいそうなものだってある。小春。お前ならどうやってそれを掘り出す?」
 また始まった。兄さんの難しすぎる問答。
「わたしだったら、周りの土ごと掘り出して、そのあと少しづつ削り出していくかな」
 まだ学のないわたしには、こう答えるのが精いっぱいだった。
「惜しいな」
 兄さんがニヤリと笑って言う。そして、机の上に置いてあったものをわたしに見せた。
「答えはこれ、和紙だ」
「和紙?」
 わたしが問うと、兄さんは近くに置いてあった張り子のお面を手に取る。
「張り子を作る要領で、濡らした和紙を化石の表面に貼り付けるんだ。和紙は乾くと、驚くほどの強靭さを発揮する。それを利用して、化石の形を保ち、保護するわけだ」
 なるほど。何言ってるかさっぱりわからないけど、まあいいか。
 そう考えて、手元の本に目線を戻した時だった。

 バン!

「武!お前の力を貸してくれ!」
 勢いよくドアが開き、一人の男性が入ってくる。鼠色のスラックスとベスト、白いワイシャツを着て、頭にはハンチング帽をかぶっていた。
「信綱。来るときは連絡してくれと言ったはずだろう」
「悪い悪い。急いでたものでな」
 男性は頭の後ろを掻きながら言う。悪いとは言いつつも、まったく悪びれていない顔だ。
 彼の名は木村信綱。兄さんの大学時代からの友人で、今は東京日日新聞で記者をしているらしい。
「それはいいんだ!そんなことより、これを見てくれ!」
 信綱さんが新聞記事を見せる。そこには大きく、「皇軍大失態!陛下より預かりし武器盗まれる!」と書いてあった。
「あぁ、それなら俺も新聞で読んだぞ」
 兄さんがさほど興味もなさそうに言う。
「で、俺に協力してほしいことは何だ?」
 兄さんが言うと、信綱さんは口を開いた。
「この事件で盗まれた軍の装備品―九七式鉄道牽引車とか言うらしいが・・・。それがいまだに見つかっていないんだよ。銃の一丁や二丁なら、隠せなくもない気はするが、果たして車両のようなデカブツを隠しておけると思うか?」
「普通なら、無理だろうね」
 兄がそっけなく言う。
「だろう!?そこで・・・・・」
 信綱さんが目を輝かせた。
「お前の頭で、この車両のありかを突き止めて欲しい!そうすれば、俺は大スクープを得ることができるし、お前は事件を解決した功労者だ。恩賜の煙草ぐらいは貰えるかもしれんぞ!」
「興味ないね」
 にべもなく断る兄さん。
「なんでだ?」
 信綱さんが首をかしげる。
「その理由は二つある・・・・」
 兄さんは原稿を書きながら、信綱さんに言った。
「第一に、俺にはそこまで協力する理由も義理もない。やるならお前ひとりでやれ」
 信綱さんが大きくため息をついた。
「第二に、俺は今忙しい。できるだけ用事を増やすな」
「仕方ない。アレを出すか・・・・」
 信綱さんが懐から手帳を取り出す。
「あ、対兄さん秘密兵器の登場ですか?」
 わたしは信綱さんに声をかける。この手帳には、兄さんの好きな甘いもののお店情報がずらりと書いてあるのだ。
「武。この前九段に開店したカフェー知ってるか?」
「ああ、『間宮』だろう?まだ行ってないけど、知ってはいるぞ」
 信綱さんが言い、兄さんが答える。
「そこの茶菓子がとても旨いと話題なんだ」
 兄さんの肩がピクリと動いたような気がした。
「もし、私に協力してくれたら、それを奢ってやってもいいんだがな・・・・・」
 再び、兄さんの肩がピクリと動く。
「確か、パフェが美味しいって話題でしたね」
 わたしの援護射撃。
「しょうがないなぁ・・・・・」
 兄さんが立ち上がる。
「そこまで言うなら、協力してやる」
「ありがとう!」
 頭を下げる信綱さん。
 相変わらず、単純な兄だ。
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