氷の副社長にマル秘任務で溺愛されています

有允ひろみ

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1巻

1-2

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「はい。たとえば、着ているスーツやネクタイはどこのメーカーなのか。お気に入りのブランドとか……あと、好きな女性のタイプは、とか――」
「くだらない。それを聞いてどうする? もっと建設的な質問かと思えば、低俗すぎて答える気にもならない」

 話の腰を折られ、芽衣は秒速でひるんで固まる。彼の冷ややかな言動は、あっという間に芽衣のやる気に冷水を浴びせかけた。ビジネスにおいては鬼のように厳しいと聞いているので、こういった質問をこころよく思わないだろう事は予想していた。
 芽衣は、出鼻をくじかれたままではいられないとばかりに奮起する。

「副社長は『エゴイスタ』全社員の注目のまとなんです! ビジネスパーソンとしてだけでなく研究者としても超一流の副社長は、我が社の誇りであり、社員の憧れの存在です。だからこそ、いろいろな事を知りたいと思うし、知る事で副社長をもっと身近に感じられるようになるんだと思います」

 芽衣は斗真の冷めた視線に対抗するように、声を大きくする。

「『会社は、ひとつの家族』――これは、社長が『エゴイスタ』を創業した当初から掲げてきた社訓なので、副社長もよくご存じだと思います。社員が副社長を深く知る事で距離が縮まり、会社という家族の結束が強くなる……社長は、そうお考えになって今回の企画を私に依頼してくださったんです。そういう事ですので、お忙しいとは思いますがこれからどうぞよろしくお願いいたします!」

 話し終えても、斗真は不機嫌な表情のまま、芽衣を見つめている。その視線の強さと冷たさに内心で震え上がりながらも、芽衣は彼から目をそむけなかった。

(目を逸らすな! 今、逸らしたらこっちの負け!)

 そんな芽衣のしつこさをいとわしく思ったのか、斗真が表情をいっそうけわしくして口を開いた。

「ふん……好きにしろ」

 彼は、そう言うなりソファから腰を上げた。

「ほんとですかっ!?」
「本当だ。以後、僕の答えをいちいち確認するのはやめろ。二度手間になるし、時間の無駄だ」

 斗真がくるりと背中を向けると同時に、芽衣は勢いよく立ち上がって声を上げた。

「承知しました――ってか、やった! 副社長の許可、しっかりいただきました!」
「うるさい!」

 自分では抑えたつもりだったが、思ったよりも大声を出してしまったみたいだ。
 一喝いっかつされ、芽衣はすぐに振り上げた両手を下ろし、その場でかしこまった。

「すみません! つい――」
「ここは山の中じゃなく執務室だ。今のようにやたらと声を張るのはやめてくれ。神経に障る」

 デスクに着いた斗真が、強い視線で芽衣をにらみつけた。
 芽衣は極力小さな声で「はい」と返事をして、小さくなる。

「君が提出した企画書を見たが、いろいろと問題がありすぎる。取材内容がくだらない週刊誌並みに低俗だし、君がやろうとしている事は、まるで芸能人を追いかけ回すパパラッチと同じだ」

 斗真が、テーブルの上に置いてあった企画書を指で弾いた。

「ですが、さきほどお話ししたとおり――」
「君の言い分はもう聞いた。同じ話を繰り返すのもやめろ。理由はさっきと同じだ」

 ぴしゃりと言われ、芽衣は即座に口を閉じた。
 はじめが肝心だというのに、これ以上機嫌を損ねたら、今後の取材に支障をきたしかねない。

「まったく馬鹿馬鹿しい。ただでさえ忙しいのに、一カ月もこんな幼稚な企画に付き合わされるとはな。社長の意向だから、取材は許可する。ただし、僕の半径三メートル以内には入るな。大声を出されるのは迷惑だし、不要なオーバーアクションも目障りだ」

 強い口調で言われ、芽衣はさすがに目を伏せて返事をするだけに留めた。
 勢い込むあまり、いろいろやらかしてしまったらしい――

(失敗した……)

 芽衣が反省して肩を縮こめた時、開いたままになっていたドアの向こうから黒川が入ってきた。彼はにこやかな顔で二人の真ん中の位置で立ち止まる。

「まあまあ、ここは穏やかに行きましょう。社長から仰せつかった密着取材です。佐藤さんが意気込むのは当然ですよ。ねえ、佐藤さん」
「は、はい……」

 芽衣は、顔を引きらせながらもなんとか笑顔を作った。一方、斗真の顔には苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいる。

「社長から、あなたの提出した企画書を見せていただきました。とてもいい内容だと思いますし、是非これに沿って副社長を公私にわたり暴きまくってください」
「黒川!」
「はい、副社長」

 黒川が手に持った企画書を振って、にっこりする。斗真よりも二十歳年上の秘書は、直属の上司のしかめっつらをさらりと受け流すすべを心得ている様子だ。

(よかった! 黒川室長、感謝しますっ)

 思った以上に力強い味方の存在に、芽衣は救われた気持ちになる。

「……もう勝手にしてくれ」

 斗真がそう呟き、諦めたようにため息を吐いた。

「承知しました。さて、この件に関しては、私も社長から話を伺い、企画のスムーズな進行を見守るよう言われております。まずは、取材にあたって大まかなルールを決めておく必要がありますね。副社長、企画書はご覧になりましたね? 佐藤さん、一応ここで読み上げてくれますか?」
「は、はいっ……!」

 黒川に企画書を手渡され、芽衣はそこに書かれた文字を読み始める。

「その一、副社長って、どんな生活をしているの? その二、副社長のワードローブを拝見! その三、副社長のプライベート、ここが知りたい! あの、もし可能であれば、塩谷斗真副社長に聞く百の質問! をプラスさせてください――以上です」

 芽衣が読み終えるなり、斗真が呆れたような顔でフンと鼻を鳴らした。
 その直後、デスクのそばに立った黒川が、大きく頷く。

「いいですね。すでに社長の承認も得ている事ですし、百の質問も合わせて、このままスタートして問題ありません。副社長、取材に際しての注意事項はございますか?」

 芽衣は黒川とともに、デスクについている斗真を見た。

「確認するが、取材と称して僕の自宅に押し掛けてくる気か?」

 斗真が企画書を指でつつきながら、そうたずねてきた。
 ついさっき「うるさい」と言われてしまった芽衣は、声を出していいものかどうか躊躇ちゅうちょする。
 すると、それを察した黒川が、芽衣に向かって微笑みかけた。

「大丈夫ですよ。副社長は威圧感がありますが、こう見えて結構優しい方なんですよ」

 黒川がそう言い終えるなり、斗真がこぶしでデスクを叩く鈍い音が聞こえた。

「黒川!」
「ははっ、すみません、余計な事を言いました。佐藤さん。副社長の質問に答えてあげてください」

 軽く笑い声を上げると、黒川が芽衣に向かって話すよううながしてくる。
 芽衣は企画書を手にデスクの正面に向かい、そこで立ち止まった。

「と、当然、副社長のご自宅も取材させていただきます。そうでなければ、密着取材とは言えませんし、ワードローブを見せていただくには、そうする必要があります。もちろん、お邪魔する際はカメラマンとして男性社員が同行しますので、その点はご心配なく――」
「ちょっと待て。その点とは、どの点だ?」

 斗真がいぶかしそうな顔で口を挟む。

「えっと……私も一応女性ですので、副社長と二人きりになるのは、よろしくないのではと――」
「その心配は無用だ」

 斗真は、そう言うと芽衣の全身に視線を走らせる。

「たとえ、密室に二人きりで閉じ込められるような事態におちいっても、君が心配するような事には決してならないから安心したまえ」

 失礼な!
 さすがに今のは、カチンときた。
 なるほど、美人でもなくスタイルもイマイチな芽衣を相手に、色っぽい間違いなど起こりようがないという事だろう。
 だが、いくら立場に天と地ほどの差があろうと、今の視線は失礼すぎるのではないだろうか。
 けれど、斗真の機嫌をこれ以上損ねては、元も子もない。
 芽衣は、強張こわばりかけた顔を笑顔に変えると、努めて冷静な態度をよそおった。

「ですよね~。では、もしカメラマンがなんらかの理由で同行できなくても、安心して取材を敢行させていただきます!」

 若干言い方にとげがあったかもしれないが、このくらいの反撃は気にも留めないだろう。案の定、彼は特に反応する事もなく、再び芽衣を見た。

「取材に際しての注意事項だが、仕事中はもちろん、プライベートでも極力僕の視界に入らないようにしてくれ。必要以上に話しかけたり、気が散るような行動を取るのも禁止だ。それと、目障りだから、そういう意味もなくヒラヒラした恰好は今日を限りにやめてもらいたい」

 斗真が芽衣の服を指さしながら、キッパリと言い放った。

「承知しました。では、明日からは黒子のようにひっそりと、なおかつピッタリと副社長に張りついて取材をさせていただこうと思います」

 芽衣も負けじとそう言い返し、にっこりする。

「とにかく、できる限り早く終わらせるように。時間がもったいない」

 どうしてこうも突き放すような物言いをするのか――
 思っていた以上の塩対応に閉口しつつ、芽衣はどうにかいきどおる気持ちを抑え込んで「はい」と返事をした。

「わかったなら、もういいだろう。黒川、出かけるから車の準備をしてくれるか」

 そう言ったきり、斗真はもう芽衣を見ようともせず外出の準備を始めた。
 冷遇の次は、無視を決め込むつもりらしい。

「かしこまりました。佐藤さん、では明日からよろしくお願いします」

 黒川に見送られ、芽衣は副社長室をあとにした。
 急ぎ足で廊下を歩き、エレベーターホールを突っ切って外階段に続くドアを開ける。

「何よ! イケメンだからって偉そうに! せっかく、おしゃれしてきたのに目障りだなんて失礼しちゃう! ほんと、感じ悪い!」

 芽衣は怒りに任せて、一歩一歩踏みしめながら階段を下りていく。
 外見に惑わされ、うっかりときめいてしまったのは一生の不覚だ。しかし、これほどわかりやすく冷淡な対応をされると、むしろ清々すがすがしい気もしてくる。

「そっちがそうなら、こっちだって遠慮なくいかせてもらいますからね!」

 芽衣は立ち止まり、さっきの当たりにした斗真の顔を思い浮かべた。そして、さらに悪態をつこうとして、なぜか頬が熱くなってあわてる。
 腹が立つし、彼がこれまでに会った人の中で最上級に感じが悪い人であるのは確かだ。
 けれど、美男なのは否定できないし、まっすぐこちらをにらみつけてきた目力の強さには参った。

「悔しいけど、認める。あんなにかっこいい人、他にいない……」

 とはいえ芽衣は、男は顔じゃなく内面が大事だと思っているし、面食いでもなかった。
 いずれにせよ、こちらの予測どおり取材は一筋縄ではいかなそうだ。
 それでも、決して途中で投げ出すまいと心に誓う芽衣だった。


 次の日から、芽衣の「副社長密着取材」が本格的に始まった。
 昨日同様、朝一で黒川秘書に連絡し、副社長のスケジュールを確認する。それによると、今日の斗真は、自宅から直接取引先に出向き、出社は午後二時の予定だそうだ。その後は一時間ほどデスクワークをこなし、午後三時から市場調査に向かうらしい。
 スケジュール調整の結果、芽衣は午後の市場調査に同行し、そこから取材をスタートさせる事になった。

『出かける前に、一度社長室に寄ってください』

 黒川にそう言われ、芽衣は指定された午後二時四十分の五分前に席を立ち、七階に向かった。歩きながらジャケットのしわを伸ばし、てのひらで髪の毛を撫でつける。

(着慣れないから落ち着かないな……。でも、取材が終わるまでスカートは封印するって決めたんだから)

 芽衣は今日、ダークグレーのパンツスーツを着ている。
 普段はスカートを穿く事が多いが、ヒラヒラはやめろと言われたため昨日急遽デパートで購入したのだ。
 髪の毛は耳の高さでまとめてお団子にしているし、メイクは最小限にして、ルージュも落ち着いたベージュブラウンにした。

(なんだか、前にドラマで見た女性SPみたいじゃない?)

 そう思ったら、心なしか背筋がシャキッとする。
 これで準備はバッチリだ。
 ただ、取材に同行する予定だった京本が、出社を前に体調を崩し今日も有休を取って休んでいる。これについては、黒川を通して斗真と優子に報告済みだ。

(一日目だし、とりあえず今日のところはカメラマンなしでもいけるよね)

 一人二役になるが、もともと自分でもオフショット的な写真を撮るつもりでいたし、問題はないだろう。エレベーター内の鏡の前で表情筋をほぐしたあと、社長室の前に立ってドアをノックする。

「どうぞ」

 うながされて中に入ると、優子が部屋の窓際に立って観葉植物に水をやっているところだった。
 デスクの横には黒川が控えており、互いに挨拶あいさつを交わす。

「いらっしゃい。あら、今日は、雰囲気が違うのね。もしかして、副社長に何か言われた?」
「はい、ヒラヒラした恰好はやめるように、と」
「だから、そんな勇ましい恰好をしているのね。でも、それはそれで素敵よ」
「ありがとうございます!」

 優子にめられた事が嬉しくて、芽衣は晴れやかな笑みを浮かべた。

「今日は午後から副社長と出かける予定だそうね。取材、頑張ってちょうだい」
「はい、心して取り掛かります」

 水やりを終えた優子が、芽衣をソファに誘導する。
 黒川は彼女の斜め前に、芽衣は優子の正面に座り、背筋をピンと伸ばした。

「副社長とは、昨日はじめて会話したって感じかしら?」
「はい、そうです」
「どうだった? 噂どおりのいけ好かない人だったでしょう?」
「い、いえ……そんな――」
「隠さなくてもいいわよ。今のあなたの顔を見れば、昨日副社長がどんな対応をしたのか想像がつくわ」
「えっ? 顔っ……」

 芽衣は、自分の顔を手で触った。
 昔から感情が顔に出やすいと言われていたし、自分でもそれはわかっている。だからこそ、昨日今日と表情管理をしていたつもりだったが、効果はなかったようだ。

「黒川からも、大体の様子は聞いているわ。本当に、しょうがないわね。もっと人当たりをよくしてもらわないと……。そのために、取引先めぐりをさせているのに、効果がないようね」

 優子いわく、ここ何カ月かにわたり、自分がやってきた仕事を少しずつ斗真に引き継いでいるのだという。内容は主に対外的な交渉などで、以前より外回りの仕事が増えたのはそのためであるらしい。

「放っておくと、研究所に入りびたるから困ったものだわ。将来、この会社を背負っていく者として、いつまでも今のままじゃいけないのに。……やっぱり、大々的に意識改革をする必要があるようね」

 優子が、微笑んだまま小さく肩をすくめた。
 彼女に手招かれ、芽衣は立ち上がって優子のすぐそばに立った。座面をてのひらで示され、彼女の隣に腰かける。

「佐藤さん、ここからは社長としてではなく、斗真の母親として話すんだけど――」

 優子が唇に人差し指を添えて〝内緒〟のジェスチャーをした。

「はい、なんでしょうか」

 芽衣が居住まいを正すと、優子はやや声のトーンを落として話し始める。

「先日も話したとおり、斗真は『冷淡』で『毒舌家』で『気難しい』。彼自身もそれをわかっていると思う。でも斗真は、この間も言ったとおり本当は優しい子なの。だけど、基本的にあまり人が好きじゃないのよ。人間嫌いと言うのか……女性を嫌っているの。もちろん、ビジネスをする上ではうまく隠しているし、今のところ支障ないわ。でも、うちは化粧品メーカーだし、社内外ともに女性と接する機会が多いでしょう?」

「エゴイスタ」は男性化粧品も扱ってはいるが、メインは女性向けのラインナップであり、世間的にもそちらのほうがよく知られている。
 それに、化粧品メーカーの多くがそうであるように男性社員よりも女性社員の比率が高い。

「普段から私以外の女性は、必要がない限りそばに寄せ付けない。それもあって、斗真が直接関わっている部署に女性社員は一人もいないの。うちの会社には優秀な女性がたくさんいるのにもかかわらず、よ」

「エゴイスタ」は事あるごとにメディアに取り上げられるほど、女性にとって働きやすく活躍の場が多い会社だ。実際に、役員の五割近くが女性であり、役職者も多い。

「もちろん、男尊女卑思想ってわけじゃないのよ。意図的に遠ざけているというのも違う気がするし……なんというか……斗真のあれは、嫌いを通り越して恐怖を感じていると言ってもいいくらいなの」
「恐怖……ですか?」
「そうよ。大袈裟おおげさかもしれないけど、『女性恐怖症』のようなものなんじゃないかと思ってるの。誰が見てもそうだってわかるレベルではないけれど、よく見ていたらわかるわ」

 優子の顔には、いつもどおりの微笑みが浮かんでいる。しかし、眉尻は下がっており、強いうれいが感じられた。

「あの子もいい年だし、これまで何人かの女性とお付き合いはあったみたい。だけど、誰一人本当の意味で斗真のテリトリーに入れた人はいなかったようね。しかも、年々女性と縁遠くなって、ここ二年くらいは仕事ばかりしてデートなんか一回もしてないんじゃないかしら」

 突然斗真のプライベートの話になり、芽衣は少なからず面食らった。斜め前に座っている黒川は、すべてを承知しているのか穏やかな表情を浮かべたまま微動だにしない。

「それでね、佐藤さん。あなたには、今回の密着取材のついでに、是非やってもらいたい事があるの」

 真剣な表情で言われ、芽衣は緊張で顔が強張こわばるのを感じた。そんな芽衣の手を、優子が取ってしっかり握ってくる。

「……はい。私でできる事なら、なんなりとお申し付けください」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ。では、改めて依頼するわね。佐藤さん、あなたに斗真の『女性恐怖症』を治してもらいたいの」

 突拍子とっぴょうしもない事を言われ、芽衣は思わず驚きの表情を浮かべた。

「私が、副社長の『女性恐怖症』を治す!? で、でも、いったいどうやって……」
「それは、あなたに任せるわ。手段は選ばないし、あなたのやりたいようにやってくれて構いません」
「ですが、私、あまり男の人に詳しくなくて……というか、まったく知らないし、もっと言えば、今まで男性と付き合った経験がなくて、つまり恋人がいた事がないんです」

 まさか、こんなところで自分の恋愛経験ゼロを暴露する事になるとは……
 芽衣は恥じ入って、肩をすぼめた。
 彼氏いない歴二十五年の自分に、そんな大役が務まるはずがない。何より、普通の男性ならまだしも、斗真はハイスペックである上に超がつくほどのイケメンなのだ。
 自分程度の者がそんな人の「女性恐怖症」を治そうなど、おこがましいにもほどがある。
 芽衣の戸惑いをよそに優子は満足そうな表情を浮かべて頷いた。

「実はね、話していて、そうじゃないかと思っていたの」
「へ……? そ、そうじゃないかって――」
「男性を知らない――だからいいのよ。もしあなたが、男性を知り尽くしているような女性なら、こんな事頼まないわ」
「で、ですが――」
「斗真の『女性恐怖症』が治れば、彼の人間嫌いも自然と解消されるだろうし、それは『エゴイスタ』の明るい未来にも繋がると思うのよ。佐藤さん、あなたの肩には、我が社の将来がかかってるわ。心して取り掛かってね」

 今一度ギュッと手を握られ、にっこりと微笑まれる。

「は……はい、最善を尽くします」

 期待を込めた顔で目をじっと見つめられ、さすがに断る事などできなかった。

「でも、どうして私に、そんな大役を任せてくださるんですか?」
「もちろん、佐藤さんと話してみて、あなたならお願いできると判断したからよ。あなたは、人を見かけや噂だけで判断しないと言ったわ。それに、あなたの事は、入社してすぐここに来てくれた時から、強く記憶に残っていたの」
「えっ? あの時の事を、覚えていてくださってるんですか?」
「もちろん。素直で元気いっぱいで、明るくて前向き。それもあって、今回の企画を佐藤さんにお願いしようと思ったのよ」

 一平社員の自分に、それほどの信頼と期待を寄せてくれているとは……
 芽衣は少なからず感動し、自分を見る優子を見つめ返した。

「精一杯頑張ります」
「よかった。あなたなら、そう言ってくれると思ってたわ」

 優子が嬉しそうに微笑み、芽衣の手をギュッと握った。

「これは『副社長密着取材』と並行して行われる極秘任務よ。どちらも仕事の一環であり、斗真自身の未来を大きく左右するかもしれない重大な任務だという事を忘れないで」

 にこやかだった優子が、そう言いながら、ふいに真剣な表情を浮かべた。

「それと、念のため言っておくけど、斗真に恋愛感情を抱いたりしないようにね。『女性恐怖症』を治す方法はあなたに任せるけれど、間違っても恋をしちゃダメよ。これは、あくまでも任務である事を忘れないで。そうでないと、あなたが傷つく事になりかねないわ。いいわね?」
「わ、わかりました……」
「結構。では、よろしくお願いね。――黒川室長、あとは任せたわ」
「はい、社長。では、行きましょう」

 黒川がソファから立ち上がり、芽衣もそれに続いた。彼に連れられて社長室を出て、そのまま副社長室に向かう。

「黒川室長……。私、大丈夫でしょうか?」

 芽衣は今さらながら不安になり、黒川にそっとたずねた。彼は芽衣を見て、微笑みながら頷く。

「社長の人を見る目は確かですし、きっと大丈夫です。何かあれば私に相談してください」
「はぁ……、よろしくお願いします」

 芽衣がそう言った時、黒川が副社長室のドアをノックした。中に入り、デスク前に立っている斗真と対峙する。

「遅い。時間ギリギリまで、何をしていたんだ?」

 彼はそう言い放つと、二人の間をすり抜けてドアに向かった。
 芽衣は黒川とともに彼のあとを追い、エレベーターホールでようやく追いついて立ち止まる。

「お待たせして申し訳ありません。今日は車でお出かけになって、そのまま直帰なさるんでしたね」
「そうだ」

 階下に向かうエレベーターが到着し、芽衣は先に乗り込んで斗真を待つ。彼が芽衣の横を通り過ぎて、エレベーターの奥に進んだ。

「承知しました。では、私はこれで。佐藤さん、あとはよろしく――」

 エレベーターホールに立つ黒川が、閉じたドアの向こうに消えた。見送ってくれた彼の表情が、やけに意味ありげだったような気がする。
 それにしても、沈黙が気まずい。
 元来おしゃべりな芽衣は、誰かといると用がなくても何かしら話しかけたくなる性分しょうぶんだ。
 しかし、必要以上に話しかけるなと言われている以上、迂闊うかつに口を開くわけにもいかない。
 エレベーターは止まる事なく下降し続け、地下一階の駐車場に到着する。先に降りた斗真のあとをついて歩き、黒いセダンタイプの車の前で立ち止まった。

「乗って」

 斗真が短く言い、助手席のドアを開けてくれた。

「あ、ありがとうございます」

 芽衣は礼を言い、運転席へ回る彼の背中を目で追った。斗真の態度はこの上なくそっけない。しかし、ドアを開けるタイミングや座るよううながす動作が、実にスマートで紳士的だ。

(きっと、女性をエスコートし慣れているんだろうな)

 確かに、冷たい感じはする。けれど、優子から聞かされていなければ、とてもじゃないけれど彼が女性を嫌悪し、恐怖を感じているとは思わないだろう。
 シートベルトを締めた芽衣を確かめたのち、エンジンをかけた車がゆっくりと動き出した。二人とも一言もしゃべらないまま車は走り続ける。
 ものすごく気づまりだが、斗真からの言いつけだから致し方ない――
 芽衣は堅く口を結んだまま、沈黙を守った。車が赤信号で止まると同時に、芽衣のほうを見た斗真が、おもむろに口を開く。


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