桜並木の、その下で

汐の音

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初暁の章

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 ――“合格祈願、一緒に行きませんか”

 メッセージが届いたのは、そんな週半ばのことだった。
 いわく、電車で一時間ほどかけて県境を越えた辺りに、菅原道真公を祀った大きな社があるらしい。本祀は大国主命らしいが。

(電車)
 すごく、久しぶりに乗る気がした。高校は電車通学だったが、免許を取って、旅館に勤め始めてからは車ばかりだったので。

 ――“初詣のシーズンは人だらけですけど。今の時期なら静かだし穴場です。駅からはバスが出てますし”

 車を出そうかな、とは一瞬考えたが、何となく二人っきりで密室状態になる遠距離ドライブは避けたほうが良い気がした。

(参ったな。まだ、逃げたがってる)
 こんなことでも自分の狡さが透けて見える。
 だって、『断る』って選択肢を、最初から潰してる。

 ――……“ありがとう。じゃあ、駅で待ち合わせだね? 良さそうな時間があれば、当日までに教えてください”

 送信。
 既読、返信。相変わらず間隔が短い。
(若いなぁ)

 ……これはデートなんだろうか。いやいや友人との真面目な遠出のはず、と思い直してごそごそと布団に入る。メッセージのやり取りは“おやすみなさい”で、おしまい。

 そうして週末、かれと会うことになった。



   *   *   *



みなとさん、こっち」

「あ、おはようりつ君。ごめんね、遅かったかな」

「いや? 全然大丈夫。ていうか、待ち合わせぴったり。電車にも余裕だよ」

「そっか。よかった」

 朝の九時。
 海沿いに建つ最寄りの駅は、かろうじて有人である程度の小ぢんまりとした駅舎だった。
 いちおう暖房の入った待合室はあるが、完全防寒装備の律は気合万全。改札横の切符販売機あたりで待っていた。

 人出はさほどない。
 部活のためか、見慣れない制服姿の学生がちらほらと見える。
 ぼうっと、改札向こうの曇りがちな空や発車待ちのオレンジ色の車体を眺めていると、カシャン、と発券の音が響いた。「はい」と、片道分の切符を手渡されてしまう。

「えっ、もう!?」

「うん。買っちゃった。どうぞ」

 にこにこしつつ、律の足は既に改札へと向いていた。
 湊もあわてて後を追う。事務的な係員に、もらったばかりの切符を差し出した。

 すると、パチン、と鋏で切られたときに「行ってらっしゃい~」と緩く話しかけられ、思わず笑んでしまう。軽く礼を告げて受けとった。
 律は、改札を出た先でこちらを向いて待っていた。表情が微妙だ。

「湊さん、もてるよね」

「もて……? それはどうかな。確かに、お店の人とかにはよく話しかけられるかも。でも、それをいうなら律君はもっと、ガチでもてるでしょう」

 発車待ちの車体はどれも空いていて、三両編成だったがり取りみどり。律は先頭車両に向かった。
 向かい合う四人席が一つ、ぽっかり空いていたのでそちらに座る。二人とも進行方向を向く形で律の厚意により、湊は窓側を譲られた。

 あと五分後に発車の旨のアナウンスを聞きつつ、律は、どこか目を据わらせてぶつぶつとこぼす。

「……好きな人に好かれなきゃ、意味なんてないんですが……あ、だめだこれ。いわゆるブーメラン」

「ん。律君?」

 よく聞き取れなかった、と覗き込む湊に、律は自嘲ぎみに笑んだ。

「なんでも。あ、湊さん。この電車、乗り換え駅まではローカル線なんだけど、景色すごいと思う。味わってね」

「うん……?」

 何やら、盛大にうやむやにされた感がありつつも、流された。





 ――――――――

 十五分後。

「!! 律君、これ、確かにすごいんだけど。落ちない……?」

「大丈夫。落ちたってニュースは一度も聞いたことないです」

「そうじゃなくて! えっ。ほら、だってこれ、崖……? 地面ないよ??」

 この際、年齢は関係ないとばかりに、ひそひそと騒ぐ湊がいた。対する律は落ち着き払っている。

 進行方向、向かって左側の景色に陸はなかった。前方に線路はちらちら見えるものの、左の車窓からは基本的に海しか見えない。
 しかも、カーブに差しかかろうものなら、ひやりとする程度に車体も揺れる。あまつさえ、若干左に傾いでいる。(気がする)

 ――戦々恐々。
 まるで海上を。宙に敷かれたレールを走っているようだった。右側は切り立った崖が目立つ。
 発車してしばらくは並走していた車道も、トンネルのなかに消えてしまった。三両ぽっちの電車は、ひたすらガタゴトと海沿いをゆく。
 落ちそうで落ちない。超マイペースだ。

「……怖くない?」

「俺も、初めて乗せられた子どものころは怖かったですけど。ちょっと遊園地っぽくて、そのうち面白くなったっていうか。……ごめん、怖かった? 席、代わろうか」

「! ううん。平気。ありがとう」

 つい、予想外の景観に浮き足だっていたが、ふいに声を低められ、中腰で窓枠に手をかけられては反射で断るしかない。

 かれは気づいていないんだろうか?
 こう、学祭の壁トン再びというか――非常に近いんですが。

 固まり、身を縮こまらせた湊に、律は「そう?」と、あっさり戻っていった。
 それが、結露して拭いた窓硝子ガラスにうっすらと映って。
 湊は、ばくばくと騒ぎそうになる胸元をこっそり押さえる。

(何だろうこれ。律君がやたらと男のひとっぽい。困る……!)

 我ながら微妙な表情かおで窓側に張りついていると、陸でも海でもない、景色の変化に「あ」と、声が漏れた。

「なに? ……あ」

 つられて窓側に視線を寄せた、律も呟く。

 ひらり、一片。
 やがてはらはらと続けざまに車窓を彩り、海上に舞う白のつぶてが。

 遠く、雲の切れ間には柔らかな天使の梯子。
 ほの明るい灰空と光を背景に、この冬、初めての降雪だった。

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