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めぐる春の章
12 桜の下で
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繋いでいた手は部屋を出るとき、するりとほどかれた。廊下には誰もいない。そのことに、ほっとする。
ここは左門邸。
かれにとっては馴染み深い生家でも、自分にとっては違う。成り行きとはいえ、恩ある呉服屋“み穂”の看板を背負うことになった、大事な『場』だ。
間違っても醜聞の種など蒔いてはならない。
――事実無根とは、言いづらいので。
いまの自分は早苗の名代。店のことや装い以外の話題を提供するわけにいかない。
かれは、ここの厳然たる跡取りだから。お家としてももっと、お似合いのお嫁さんをもらうべきだろう。
でも、もう。
(忘れては……もらえない、かもしれない)
まだ何も答えていない。
言葉にしてはいないのに、伝わってしまった想いがある。
悟らせてはいけなかったのに。
* *
縁側に揃えておいた草履に足を通して、庭先へ。客棟の周囲に張り巡らされた細い砂利道を越え、ゆったりと中央の垂れ桜をめざす。律の案内を受けている。
先代当主夫妻を囲む和装婦人らの一部からは刺さるような視線を感じたが、できるだけ気にしないことにした。
平常心、平常心……。
風下なので花の香が濃い。
いざ近づけば、照明を浴びて浮かび上がる古びた幹と幾筋もの花房に、あっという間に意識を絡めとられた。
散りどきでも艶やかな八重咲き。下から当たる光の加減で、花弁は薄紅と仄かな白が混ざる。闇は藍。
まるで大地そのものの神秘的な佇まいに、花びらが散って夢幻のよう。気づけば一歩、二歩と律よりも前に出てしまった。
「綺麗だね……」
うっとりと呟くと、律も、うん、と答える。
遠目ではわからなかったが、想像以上の幹回り。どっしりとした存在感に、坂の上の樹齢浅いソメイヨシノ達とは根本的に違うのだと察した。じわじわと好奇心が湧く。
「触っていい?」
「どうぞ」
おそるおそる訊くと、大人びた微笑で首肯される。
紋付き袴の効果は絶大で、今日の律はいつも以上に『若君』だ。
そういえば、初めて会ったときも和装だった。大胆に居眠りを……などと思い出しながら、体はさらに前へ。
しなる枝を支える枯れ竹色の柱を避け、右手を伸ばす。
乾いた幹の手触りに、かさり、と指が擦れる。年季の入ったささくれだった。
浅い色の樹皮。
不思議だが、桜の場合は枝や樹皮を煮出せば草木染めができるという――花びらではなく。つまり、この樹は花の有無に関係なく、身の裡を満たすものが、ずっと『桜色』なのだ。
うらやましいな、と、ふと思った。
胸にかかる感傷が叢雲のように心を塞ぐ。
満たされているのに、どこか遠い。寂しいような。
かさなる枝振りを見上げた湊は苦笑し、そっと足を後ろに引いた。
「もういいの?」
「うん。ありがとう」
さりげなく目尻を拭いて、視線を落とす。
花びらに埋もれた地面はうねうねと隆起し、ところどころが固い根だ。土は苔に覆われて柔らかい。草履では注意しないと転んでしまう。
(?)
桜から数歩、離れて気づいた。静かすぎる。
顔を上げて辺りを見回すと、律と二人、取り残されたように誰もいない。はて、と首を傾げる。
「律君、他のお客様は?」
「喜恵さんが連れていったよ。ほら。和菓子屋の女将さんが差し入れにカステラ持ってきてくれたって。あとでおいでってジェスチャーされた」
「あぁぁ……なるほど」
律の視線を追うと、20メートルほど向こうの硝子越しに四角く光がこぼれている。
自分達も休憩していた広い洋間は、いま、にわかに活気づいていた。
篤志はいない。
代わりに篁が若い女性らに囲まれ、際限なく料理を持って来られて、慌ててオーダーストップをかけている。ちょっと可笑しい。
くすりと笑うと、律も同様に目をすがめていた。
――若干、笑みが意地悪そうなのは気のせいだろうか?
律はにこにこと口をひらいた。
「流石だね、篁さん。もてもてだ」
「そうだねぇ」
「気になる?」
「べつに……って、だめだよ律君。ストップ」
「どうして?」
「どうもこうも。律君に良くないでしょ。危ないから、それ以上近寄らないで」
拐われそうになった左手を胸の前で抱え、とっさに後ずさる。
背中の帯が幹にぶつかり、それでも詰められる距離に、どきり、とした。
洋間の光が、かれの影で隠されてしまう。これはこれで由々しい。
「律君」
律は悪びれず、上体を傾げた。落ち着かない笑みで迫られる。
「一度聞いてみたかった。ね、俺にとって良いとか良くないって、どういうこと?」
「……」
「できれば正直に答えて。俺を、きらい?」
「…………」
「言ってくれないなら、強硬手段で――」
「わ、わかった! 待って。きらいなわけない。す……き。好きです。困って、ます」
「ッ!」
がらがらと胸のなかの砦が落ちる。
もうだめ。やぶれかぶれに言ってしまった。顔から火が出そう。
律が頬を赤くして息を飲んだので、余計に自棄に拍車がかかる。
それ以上黙っていられず、湊は早口で捲し立てた。
「だっ……だいたい、律君にとって何が良いかなんて、わかりきってるでしょう? きみは、家族からも親族からも愛されてる。跡継ぎとしての期待は……そりゃあ、重いかもしれないけど。おじい様やおばあ様を見たらわかるわ。ご両親だって、きっと大切にしてる。違う?」
「…………うん。まぁ、だいたい……違わないかな、多分」
「『多分』じゃない。火を見るより明らかよ。知ってるでしょ? 私の経歴も。年齢も。どうして、ここに来たのかも。離婚歴があって十も年上で、どうして釣り合えると思うの」
「聞いて、湊さ」
「聞けない。こればっかりは。……二年後とか、卒業してからとか。そんな不確かなもののために、あるかもしれない出会いを不意にしないで。私じゃなくていい。ちゃんと、幸せになってほしいの。こんな大事なこと、いっときの勢いで決めてしまわないで……!」
目の前が眩む。激情に震える。自分の言葉に容赦なく削りとられる。
声を潜めるので精一杯だった。――――とうとう。
こわくて律のほうを見られない。
大人のくせに気持ち一つままならない。上手に突き放すことも出来ない。
不甲斐なさに、くしゃりと顔が歪んで、誤魔化すように背を向けた。
幹の反対側へ。
揺れる花枝を愛でる振りで。
すぐに、やるせないため息と衣擦れの音が続く。俊敏な足運び。律の揺るぎない気配が動く。
かれの、こういう素振りにいつも、心底困らされる。
「湊さん」
「……なに?」
隣に立った律が、ぎりぎりの距離で同じ花枝に指を伸ばす。そのまま静かにこぼした。
洋間は幹の向こう側。こちら側は、仄かに暗い。
「あのさ。うちの喜恵さん、『ばあちゃん』って呼ぶと怒るんだ。覚えてて。それが一つ」
「…………うん?」
話が見えない。眉をしかめて、ぱち、と瞬くと途端に涙が引っ込んだ。
悩ましい横顔をまじまじと眺めるが、真意は一向に掴めない。
律は尚も供述する。
「今日は仕事でいないけど。おふくろは親父の四歳上だよ。それも一つね。」
「……四歳上……。うん」
噛みしめるように反芻。
よくわからないが、ふつうに許容範囲だろう。全然OK。
律は、さらに畳みかけてきた。
「さて問題。喜恵さんは、じいちゃんのいくつ上でしょうか」
「えぇっ、わからないわ。年下かと」
「だよね、俺も知らない」
「! 律君、ふざけてる?」
「ふざけてない。まじで誰も教えてくれないんだ。昔、気になってじいちゃんに尋ねたら渋々教えてくれた。『五つは下らんぞ』って」
「……ん? それってつまり」
「そう。つまり」
す、と思わせぶりに視線を流した律が、湊の手のなかの枝を掬いとる。
抗議の声をあげる間もなく、花弁に唇を寄せていた。指の隙間から、はらはらと花びらが散る。
「!!」
心臓が跳ねて、顔が熱くなった。まるで。
「そりゃ、十は離れてないかもだけど。厳密には俺たちだって九つ違いだし。ねえ、湊さん。じゃあ、こうしよっか」
「こう……?」
どぎまぎと脈打つ胸を両手で押さえて、身動き叶わず立ち尽くす。
桜ではない。去年よりも確実に背が伸びた、目の前のたった一人の少年にとらわれている。
律は、ふわりと笑んだ。
「約束はいらない。でも、お互いの気持ちには正直でいようよ。節度も守る。俺は根回しして、もっと努力する。それでもし――二年後でも四年後でも、貴女が俺に折れてくれるなら。そのときは」
「その、ときは?」
翳る。
薄暗がりに届くライトアップの光が遮られ、伏せられた律の顔が近づく。とっさに、ぎゅっと目を瞑った。
――俺のものになって、と、囁かれた。
* *
「若いっていいよねぇ」
「若けりゃいいってもんじゃ、ないですよ」
賑わう室内で、それとなく窓をカーテンで隠した篤志は、側のソファーに掛ける篁ににやにやと話しかけた。いける口だろ? と、グラスに秘蔵のウィスキーを注ぐ。
篁は、むっつりと口の端を下げた。
それから、とくに話しかけられることはない。前当主直々に女払いをしてくれているらしいと察して、ありがたくグラスを傾ける。眉間が深いのは勘弁してほしい。
ふふっ、と篤志が笑む。
「なるほどなぁ。いつの間に。そうか、そうか」
「……お孫さんと、仲がいいんですね」
「まぁな」
ひとには勧めるが、自分は茶請けのカステラを切り分けながら茶を飲んでいる。マイペースな御仁だ。
ふと、訊きたくなった。
「あなたは」
「篤志、だ」
「……篤志さんは、あの二人を?」
「うん。まぁ、いいんじゃないかなって思うね。律があぁだし。約束もした」
「約束?」
「いや。こっちのこと」
かたん、と湯飲みを置いて合掌。平らげている。悠々と立ち上がった。
じゃあ、迎えに行くとしようか、と。
――――――――
散る桜。
芽吹く新芽も、色づく葉も。真白の枝も。
ぜんぶ、ぜんぶ、愛しいあなたとともに。
幾代もひそやかに交わされた誓いや約束ごと。そのすべてを、ひょっとしたら樹は覚えてるんじゃないかな、と、いつかきみは言うかもしれない。
そんなとき、もしも隣に在れたなら。
――ありがとうを伝えさせて。
わかりました、としか返せなかった。あの日の拙さも、きっと、照れながら思い出せるから。もっと素直に。
いまと同じ、変わらぬ気持ちで、また逢えますように。
水色の空をあたたかに染める。
桜並木の、その下で。
〈了〉
ここは左門邸。
かれにとっては馴染み深い生家でも、自分にとっては違う。成り行きとはいえ、恩ある呉服屋“み穂”の看板を背負うことになった、大事な『場』だ。
間違っても醜聞の種など蒔いてはならない。
――事実無根とは、言いづらいので。
いまの自分は早苗の名代。店のことや装い以外の話題を提供するわけにいかない。
かれは、ここの厳然たる跡取りだから。お家としてももっと、お似合いのお嫁さんをもらうべきだろう。
でも、もう。
(忘れては……もらえない、かもしれない)
まだ何も答えていない。
言葉にしてはいないのに、伝わってしまった想いがある。
悟らせてはいけなかったのに。
* *
縁側に揃えておいた草履に足を通して、庭先へ。客棟の周囲に張り巡らされた細い砂利道を越え、ゆったりと中央の垂れ桜をめざす。律の案内を受けている。
先代当主夫妻を囲む和装婦人らの一部からは刺さるような視線を感じたが、できるだけ気にしないことにした。
平常心、平常心……。
風下なので花の香が濃い。
いざ近づけば、照明を浴びて浮かび上がる古びた幹と幾筋もの花房に、あっという間に意識を絡めとられた。
散りどきでも艶やかな八重咲き。下から当たる光の加減で、花弁は薄紅と仄かな白が混ざる。闇は藍。
まるで大地そのものの神秘的な佇まいに、花びらが散って夢幻のよう。気づけば一歩、二歩と律よりも前に出てしまった。
「綺麗だね……」
うっとりと呟くと、律も、うん、と答える。
遠目ではわからなかったが、想像以上の幹回り。どっしりとした存在感に、坂の上の樹齢浅いソメイヨシノ達とは根本的に違うのだと察した。じわじわと好奇心が湧く。
「触っていい?」
「どうぞ」
おそるおそる訊くと、大人びた微笑で首肯される。
紋付き袴の効果は絶大で、今日の律はいつも以上に『若君』だ。
そういえば、初めて会ったときも和装だった。大胆に居眠りを……などと思い出しながら、体はさらに前へ。
しなる枝を支える枯れ竹色の柱を避け、右手を伸ばす。
乾いた幹の手触りに、かさり、と指が擦れる。年季の入ったささくれだった。
浅い色の樹皮。
不思議だが、桜の場合は枝や樹皮を煮出せば草木染めができるという――花びらではなく。つまり、この樹は花の有無に関係なく、身の裡を満たすものが、ずっと『桜色』なのだ。
うらやましいな、と、ふと思った。
胸にかかる感傷が叢雲のように心を塞ぐ。
満たされているのに、どこか遠い。寂しいような。
かさなる枝振りを見上げた湊は苦笑し、そっと足を後ろに引いた。
「もういいの?」
「うん。ありがとう」
さりげなく目尻を拭いて、視線を落とす。
花びらに埋もれた地面はうねうねと隆起し、ところどころが固い根だ。土は苔に覆われて柔らかい。草履では注意しないと転んでしまう。
(?)
桜から数歩、離れて気づいた。静かすぎる。
顔を上げて辺りを見回すと、律と二人、取り残されたように誰もいない。はて、と首を傾げる。
「律君、他のお客様は?」
「喜恵さんが連れていったよ。ほら。和菓子屋の女将さんが差し入れにカステラ持ってきてくれたって。あとでおいでってジェスチャーされた」
「あぁぁ……なるほど」
律の視線を追うと、20メートルほど向こうの硝子越しに四角く光がこぼれている。
自分達も休憩していた広い洋間は、いま、にわかに活気づいていた。
篤志はいない。
代わりに篁が若い女性らに囲まれ、際限なく料理を持って来られて、慌ててオーダーストップをかけている。ちょっと可笑しい。
くすりと笑うと、律も同様に目をすがめていた。
――若干、笑みが意地悪そうなのは気のせいだろうか?
律はにこにこと口をひらいた。
「流石だね、篁さん。もてもてだ」
「そうだねぇ」
「気になる?」
「べつに……って、だめだよ律君。ストップ」
「どうして?」
「どうもこうも。律君に良くないでしょ。危ないから、それ以上近寄らないで」
拐われそうになった左手を胸の前で抱え、とっさに後ずさる。
背中の帯が幹にぶつかり、それでも詰められる距離に、どきり、とした。
洋間の光が、かれの影で隠されてしまう。これはこれで由々しい。
「律君」
律は悪びれず、上体を傾げた。落ち着かない笑みで迫られる。
「一度聞いてみたかった。ね、俺にとって良いとか良くないって、どういうこと?」
「……」
「できれば正直に答えて。俺を、きらい?」
「…………」
「言ってくれないなら、強硬手段で――」
「わ、わかった! 待って。きらいなわけない。す……き。好きです。困って、ます」
「ッ!」
がらがらと胸のなかの砦が落ちる。
もうだめ。やぶれかぶれに言ってしまった。顔から火が出そう。
律が頬を赤くして息を飲んだので、余計に自棄に拍車がかかる。
それ以上黙っていられず、湊は早口で捲し立てた。
「だっ……だいたい、律君にとって何が良いかなんて、わかりきってるでしょう? きみは、家族からも親族からも愛されてる。跡継ぎとしての期待は……そりゃあ、重いかもしれないけど。おじい様やおばあ様を見たらわかるわ。ご両親だって、きっと大切にしてる。違う?」
「…………うん。まぁ、だいたい……違わないかな、多分」
「『多分』じゃない。火を見るより明らかよ。知ってるでしょ? 私の経歴も。年齢も。どうして、ここに来たのかも。離婚歴があって十も年上で、どうして釣り合えると思うの」
「聞いて、湊さ」
「聞けない。こればっかりは。……二年後とか、卒業してからとか。そんな不確かなもののために、あるかもしれない出会いを不意にしないで。私じゃなくていい。ちゃんと、幸せになってほしいの。こんな大事なこと、いっときの勢いで決めてしまわないで……!」
目の前が眩む。激情に震える。自分の言葉に容赦なく削りとられる。
声を潜めるので精一杯だった。――――とうとう。
こわくて律のほうを見られない。
大人のくせに気持ち一つままならない。上手に突き放すことも出来ない。
不甲斐なさに、くしゃりと顔が歪んで、誤魔化すように背を向けた。
幹の反対側へ。
揺れる花枝を愛でる振りで。
すぐに、やるせないため息と衣擦れの音が続く。俊敏な足運び。律の揺るぎない気配が動く。
かれの、こういう素振りにいつも、心底困らされる。
「湊さん」
「……なに?」
隣に立った律が、ぎりぎりの距離で同じ花枝に指を伸ばす。そのまま静かにこぼした。
洋間は幹の向こう側。こちら側は、仄かに暗い。
「あのさ。うちの喜恵さん、『ばあちゃん』って呼ぶと怒るんだ。覚えてて。それが一つ」
「…………うん?」
話が見えない。眉をしかめて、ぱち、と瞬くと途端に涙が引っ込んだ。
悩ましい横顔をまじまじと眺めるが、真意は一向に掴めない。
律は尚も供述する。
「今日は仕事でいないけど。おふくろは親父の四歳上だよ。それも一つね。」
「……四歳上……。うん」
噛みしめるように反芻。
よくわからないが、ふつうに許容範囲だろう。全然OK。
律は、さらに畳みかけてきた。
「さて問題。喜恵さんは、じいちゃんのいくつ上でしょうか」
「えぇっ、わからないわ。年下かと」
「だよね、俺も知らない」
「! 律君、ふざけてる?」
「ふざけてない。まじで誰も教えてくれないんだ。昔、気になってじいちゃんに尋ねたら渋々教えてくれた。『五つは下らんぞ』って」
「……ん? それってつまり」
「そう。つまり」
す、と思わせぶりに視線を流した律が、湊の手のなかの枝を掬いとる。
抗議の声をあげる間もなく、花弁に唇を寄せていた。指の隙間から、はらはらと花びらが散る。
「!!」
心臓が跳ねて、顔が熱くなった。まるで。
「そりゃ、十は離れてないかもだけど。厳密には俺たちだって九つ違いだし。ねえ、湊さん。じゃあ、こうしよっか」
「こう……?」
どぎまぎと脈打つ胸を両手で押さえて、身動き叶わず立ち尽くす。
桜ではない。去年よりも確実に背が伸びた、目の前のたった一人の少年にとらわれている。
律は、ふわりと笑んだ。
「約束はいらない。でも、お互いの気持ちには正直でいようよ。節度も守る。俺は根回しして、もっと努力する。それでもし――二年後でも四年後でも、貴女が俺に折れてくれるなら。そのときは」
「その、ときは?」
翳る。
薄暗がりに届くライトアップの光が遮られ、伏せられた律の顔が近づく。とっさに、ぎゅっと目を瞑った。
――俺のものになって、と、囁かれた。
* *
「若いっていいよねぇ」
「若けりゃいいってもんじゃ、ないですよ」
賑わう室内で、それとなく窓をカーテンで隠した篤志は、側のソファーに掛ける篁ににやにやと話しかけた。いける口だろ? と、グラスに秘蔵のウィスキーを注ぐ。
篁は、むっつりと口の端を下げた。
それから、とくに話しかけられることはない。前当主直々に女払いをしてくれているらしいと察して、ありがたくグラスを傾ける。眉間が深いのは勘弁してほしい。
ふふっ、と篤志が笑む。
「なるほどなぁ。いつの間に。そうか、そうか」
「……お孫さんと、仲がいいんですね」
「まぁな」
ひとには勧めるが、自分は茶請けのカステラを切り分けながら茶を飲んでいる。マイペースな御仁だ。
ふと、訊きたくなった。
「あなたは」
「篤志、だ」
「……篤志さんは、あの二人を?」
「うん。まぁ、いいんじゃないかなって思うね。律があぁだし。約束もした」
「約束?」
「いや。こっちのこと」
かたん、と湯飲みを置いて合掌。平らげている。悠々と立ち上がった。
じゃあ、迎えに行くとしようか、と。
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散る桜。
芽吹く新芽も、色づく葉も。真白の枝も。
ぜんぶ、ぜんぶ、愛しいあなたとともに。
幾代もひそやかに交わされた誓いや約束ごと。そのすべてを、ひょっとしたら樹は覚えてるんじゃないかな、と、いつかきみは言うかもしれない。
そんなとき、もしも隣に在れたなら。
――ありがとうを伝えさせて。
わかりました、としか返せなかった。あの日の拙さも、きっと、照れながら思い出せるから。もっと素直に。
いまと同じ、変わらぬ気持ちで、また逢えますように。
水色の空をあたたかに染める。
桜並木の、その下で。
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