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第三章 運命の人

55 王女の恋

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「ヨルナ! ちょっと付き合いなさい……!」

「はい?」

 宴の翌日。ちょうど朝食を終えたところ。
 なんだかつらい夢をみてしまい、胸もお腹もしくしくとしてあまり食べられなかったのだが、食堂から出ようとして出会い頭の派手な邂逅だった。

 ヨルナは、ちょこん、と首を傾げた。気のせいかロザリンドの息は荒い。肩が上下している。本来つけられて然るべき供も連れていない。きたのか。
 問う声は自然と諌めるものとなり、眉がひそめられた。

「ローズ様、大丈夫ですか? まさか走っておいでだったんですか? ご朝食は召し上がりましたか??」

「ああぁっ! もう、うっさいわね! 私が自分の家で走ろうと朝食を抜こうと関係ないでしょうが。ちょっと来なさい。――そこの。借りるわよ」

 ぱしっ、とヨルナの手を握り、颯爽ときびすを返して来た方向に戻ろうとしている。
 (連行……)という言葉が脳裡を掠めた。
 扉口で立っていたサリィには一言だけ断ったが、彼女もまた引き下がらない。

「お待ちください、王女殿下。どちらにヨルナ様を?」

 過去、突然床に倒されたり(※一度め)、池に落とされたり(※三度め)した経緯もあって、サリィが王女を見る目は至極しごく厳しい。
 ロザリンドは面倒くさそうにため息をつき、カツン、とヒールを鳴らして振り向いた。

「私の部屋よ。ちょっと話したいだけ。心配ならお前も来るといいわ」

「……では、お言葉に甘えて。お供つかまつります」

 慇懃に、完璧なまでの角度で淑女の礼を返されたロザリンドは、やりにくいわねぇと呟いて歩調をあらためた。
 一拍遅れでヨルナの手を掴んだままだったことに気づき、ぽいっとぞんざいに放り出す。

 王女と令嬢と侍女の三名は、しずしずと王城の客棟を出て王族の住まいへと移った。



   *   *   *



 ――控えの間があるから、うちの侍女とお茶でもしてなさいよ。

 そう告げたロザリンドは深い紫の絨毯が敷かれた部屋へと入って行った。手前の部屋でサリィと別れたヨルナは、急いでその背を追う。
 開きっぱなしだった扉の向こうは、まさに王女の私室だった。

 応接セットの布張りソファーは小ぶりで、バラの模様が規則正しく織られている。家具はマホガニーのように艶のある焦げ茶で統一され、落ち着いた華やぎがあった。トルコ桔梗のような花が白からピンクのグラデーションを描き、瑞々しい葉ものを差し色に愛らしくテーブルの上を飾っている。
 入って正面が広々としたパノラマのテラス。
 右手にはまた別の扉。
 ――おそらく、あそこは続きの間で寝室なのだろう。

 ヨルナは、ふかふかと長い毛足の絨毯を踏みしめ、そっと入室した。失礼に当たらない程度に部屋を見渡す。

「うわぁ。ご兄妹のお部屋は間取りが同じみたいですけど、雰囲気が全然違いますね。やっぱり女性らしいです。素敵」

「…………ありがと。まぁ、座んなさいよ」

「はい」

 パタン、と扉を閉められ、意外にも応接セットをスルーしてテラス席へ。
 硝子ガラスの扉を開けると、ふわりと微風が頬を撫でる。眼下の池は晴天の朝陽を映し、きらきらと光を乱反射させて眩しい。

 白い丸テーブルに椅子が二脚ある。
 ロザリンドが卓上に掛けられていた布をとると、なかから蓋付きの器に焼き菓子の詰め合わせ。銀のトレイには白磁のポットに伏せられたカップも現れた。準備万端だ。

 ヨルナはおとなしく椅子に座り、王女が手ずから淹れる紅茶を待つ。
 ちょうど飲みごろの濃さと温かさを感じさせる水色すいしょくと湯気に気持ちが和み、目元が緩んだ。

「――いただきます」
「どうぞ」

 つかのまの静かな時間。
 そこは、ごく普通の令嬢がたのように振る舞う二人だった。









「参ったわ……ショタじゃないって自分では思ってたのに」

「はぁ」

「心のなかには、ゲーム画面のユーグラシルが燦然と輝いてるの。お子様なんかお呼びじゃないと思ってたのに…………悪く、ないのよ」

「はい?」

 気持ちが落ち着くと、現金なもので小腹が減る。ヨルナはありがたく木の実のカップケーキをいただいていた。目の前で恋する乙女と化したロザリンドを、余すことなく観察させられながら。


 紅茶にも手をつけず、組み合わせた指が所在なさげに交互に入れ替わっている。
 潤んだような水色の瞳はきつい印象だがいわゆるツンデレ。デレのほう。

 ――そういえば王女は十七歳。この世界では立派な結婚適齢期だと思い出した。
 今までは素行不良を楯に、あらゆる縁談を突っぱねてきたのだろうけれど。

(これ……。ユウェンさんに直接見せたほうが早いんじゃ)
 カリ、コリ、とアーモンドのような歯応えを味わい、紅茶を含む。
 器を金縁の受け皿に置いたヨルナは、思ったままを提案してみた。

「つまり、ときめかれたのですよね? 前世の好みに反して少年姿のあの方に。でしたら、ご両親に素直にお願いして縁組みをしていただけば」

「!? ふぁっ!?!? ばっ、バッカじゃないの??? 相手は見た目子どもよ? あんたと同じくらいじゃない! そそそそれに、よっぽど国の方針にそぐわなきゃゼローナの王女が他国になんか嫁げないわ!」

「……はぁ……」

 なるほど。反応から察するに、とっくに脳内シミュレーションは済ませているらしい。
 くすくす、と笑ったヨルナは「そう言えば」と、再び紅茶をとった。

「ユウェンさんとシュスラさんは? しばらく王城こちらに滞在なさるのですか?」

「うん。ちょっと取り決めもあるみたいだし。わたしたちを誘拐したベティとエキドナの民の処遇とか。まぁ……、その……。嬉しくないことはないわ。晩餐で会えるし、辺境のこととか聞いたら、意外に優しく教えてくれるから」

 頬を染めたロザリンドは思い出したように紅茶を飲み、ヨルナにつられて焼き菓子を手にとった。


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