翠の子

汐の音

文字の大きさ
48 / 87
4章 枷と自由

47 第三層への近道

しおりを挟む
 落ちる。落ちる、落ちる。

 穴は意外に大きく、真下へと続く形はほぼ真円。その筒状の縦に伸びた通路ーーと呼べるか定かではないがーーを、スイはくだった。
 精霊に助けは乞わない。ひたすら引力に任せ、落ちている。

 耳許では間断なく風が唸り、外套の裾はパタパタパタ……! とせわしなくはためく。風圧で目を開けるのはつらい。瞼は潔く閉じている。
 穴に飛び込んだときは足が下だったが、今は頭が下。このままいけば悲惨な状況となるだろう。
 が、そうはならないと熟知していた。

 (そろそろか)

 経験での目測。体感での距離。
 黒紫の目を薄くひらいた魔術師は、“風の子……”と、ささやいた。

 ーーーバッ!


 視界と風圧が、劇的なまでに変わる。
 つかの間、スイの体を支配したのはある種の滞空感。ひゅうぅぅぅ……と、落下に伴う風鳴かざなりが高く、乾いた音に変わった。

 広い。
 おそらくは円形のドーム状。その大空洞の広さは、ちょっとした村程度。
 且つ、明るい。
 ここが地底湖より更に深い下層だということを、忘れてしまうほどに。

 ーーー敷地の周縁、やや片側寄り。
 面積にしておよそ半分を占める黄金きん穂波ほなみは丹精に育てられた小麦畑。
 だんだんと近付いてくる白い正八角形は、《学術都市》の地下唯一の建造物である四阿あずまやの屋根。その周囲を柔らかそうな草地の緑が飾り、季節を問わず咲き乱れる花々が囲む。溢れんばかりの実をつけた木々も。

 その昔、ここを訪れた人びとの話がやがて、おとぎ話となってしまったのも頷ける。
 そんな夢幻のうつくしさだった。

 スイは、今度はしっかりと声に芯を通し、周囲の元素霊エレメンタルへ歌うように請願を織り上げる。 

“おいで。ありったけの風の子。ゆっくりと受けとめて。このまま真下へと運んで”

 決して大きくはない、高くも低くもない耳触りのよい声に乗せられた願いは、たちまち聞き届けられた。

 地下とは思えぬほど目映まばゆい緑の光の粒が、落ちる魔術師の身体を包む。
 その粒子、一粒一粒を視認できるスイの脳裡のうりには、かれらの思念のようなイメージまでが珍しく、つよく届いた。

 (……『もっと早く喚んで』、か)

 緊迫感の欠片もない整った顔に、にこっと笑みが浮かぶ。楽しげな口許は再び言語ルーンを紡いだ。

“ありがとう風の子。ごめんね、遅くなって。
 いま私を受けとめてくれたように、あとから来る三組も助けてあげてくれる? 怖がらせないように。出来ればとっっても、優しく”

“……”

 ややあって『是』と返されるイメージ。
 ーーどうやら大丈夫そうかなと、それなりに詰めていた息を吐き出した。


 ふわっ……と、ブーツの爪先が草地に触れる。
 ひゅうぅぅ……と一巻きの風が足元から頭へと抜けるように螺旋を描いて巡り、緩くほどけてゆく。
 サラサラと黒髪が肩と背に滑り落ち、衣服と外套はふたたび身体の線へと添い戻った。
 風の元素霊かれらへの魔術が継続しているのを肌で感じたスイは、まっすぐに四阿を目指す。

 地属性の宝石らにとって。また、命あるものの母として。
 朽ちた後はやさしく受けとめてくれる安らぎの象徴でもある、偉大なる大地の力の司グレートエレメンタル

 踏みしめる土とクローバーの柔らかさについ微笑を浮かべつつ、スイはまるで実家へ帰った娘のような気安さで彼女に語りかけた。

「ただいまアーシィ」

 ラウンド状に中央が盛り上がる八角形の四阿あずまやの屋根の下、階段を二段あがった先に開放的な席が設けられている。
 シンプルなテーブルと椅子が五つ。椅子は背もたれのない簡素な箱型のもの。そのすべてが質の良い大理石だった。

 奥の座に肘をつき、ゆったりと腰かけた美女は優雅な笑みを口許に湛え、心からの歓喜をあらわにする。

「おかえりスイ。いとしい、わたしの流転るてんの子」

 しゃらん、と硬質な響きが四阿を満たす。
 小首を傾げた地の司アーシィの、深く淡く色合いを違えて揺らぐ、紫の不思議な髪が奏でる音だ。
 瞳はつややかな黒。それはとびきり上質な黒曜石オブシディアンに似ていた。或いはーー……

 そこまで考え、スイはほろ苦く笑んでアーシィの左隣へと腰を降ろした。「流転、は言い返せないなぁ」などと溢しながら。

「他の子達は? 地の小人ノームを迎えに寄越したのだけど」
「あ、私だけ先に来たの。そろそろ来ると思う。風の子らに頼んでおいたから」
「ふうん?」

 母娘……というより、仲のよい姉妹にも映る彼女らの耳に、はしゃいだ少女の楽しげな声や絶叫に近い少年の声が届くまで、あと少しだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

これが普通なら、獣人と結婚したくないわ~王女様は復讐を始める~

黒鴉そら
ファンタジー
「私には心から愛するテレサがいる。君のような偽りの愛とは違う、魂で繋がった番なのだ。君との婚約は破棄させていただこう!」 自身の成人を祝う誕生パーティーで婚約破棄を申し出た王子と婚約者と番と、それを見ていた第三者である他国の姫のお話。 全然関係ない第三者がおこなっていく復讐? そこまでざまぁ要素は強くないです。 最後まで書いているので更新をお待ちください。6話で完結の短編です。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...