翠の子

汐の音

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6章 掌中に収まらぬ宝

80 風の通り道

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 追憶の底に眠る、砕かれた感触をスイは思い出した。

 かたかたと震えそうになる体を、念入りな魔法で女性化したセディオが再び抱き締める。

「スイ」
「セディ……」

 言葉に詰まる魔術師の唇に、小豆アズキ色の髪の美女が人差し指で触れる。
 目線の高さはほぼ同じ。身長差がないのは不思議な気がした。「『セディア』でいい」と素早く囁かれ、こく、と頷く。
 セディアは瞳に焦れた光を浮かべたまま、苦い思いで口の端を上げた。

「あんたを迎えに来ただけのはずが、なんでこうなっちまうかな。あの爺さん、やばいだろ?」
「うん。……辛いけど、かれとはどうしたって相入れない。……ミゲルの息子なのに。一応、小さいときから母親代わりだった」
紫水晶アメシストの精霊の姿で?」
「精霊の姿で」

(えーと……それは……)
 おそらく凄まじくうつくしかったろう。
 今ですら、人目を奪う美人だ。
 人ならぬ存在。母のように優しく側にいた存在は、やがて姉のように。妹のように。いずれ娘や孫ほども外見差がひらいてしまう。

 この際、彼女よりも先に死ぬのは本望だったのかもしれない。――……彼女達の命。精霊核を粉にするなどという外法を、思い付きさえしなければ。

 わずか三秒ばかりの想像だったが、セディアは大いに悟るものがあった。

「そりゃ、こじらせてんな」
「? 何を?」
「思慕。初恋、独占欲。憧憬に……あと、なんだ……情欲? 所有欲とも言えるかな。本体は指輪だったんだろ?」

 さらり、と肩をすくめておよそ人間らしい感情を並べ立てた美女は、明らかに違う色を滲ませてスイを眺めた。
 女性体なのに。
 スイは、思わず唇を引き結び、胸を押さえた。頬が熱い。

(――セディオこのひとが言うと、とてもまっとうで素直だと思えるのに)


「はいはーい! そこまでっ」
「お師匠様! どうにかしないと! あれ、良くないですよね? 黒真珠さんがっ……!」

 ばたばたと駆け寄る弟子達に、美女二人はハッとした。

 ヨーヴァは蓋を開けた小瓶を床に置き、膝をついている。横たえられた黒真珠の体を検分しているらしい。核――宝石の精霊の本体を探しているのだと、本能で察した。

 忠実なアナエルは番犬よろしく、隙なく身構えている。時おり主の動向を視認するものの、体はこちらに向いており、誰かが黒真珠を助けに一歩踏み出そうものなら、必ず何らかの魔法を発動させると見てとれた。

 うごめく、霧状の黒縄。
 それが彼女の周囲にずっと漂っている。人間だった頃の思念の形なのかもしれない。
 スイは、痛ましい気持ちで眉をひそめた。


 でも。
 今このとき、何より優先させるべきは黒真珠の奪還。

「師匠……、ねぇ、スイってば!!」

 痺れを切らしたらしいエメルダが、とうとう半泣きでしがみついてきた。

 良くみると、ふわぁ……と、翠の髪が風を受けたように流れている。白い外套も。さっきまでの自分のように。
(――そうか、風!)

 突如、あざやかに紫の光を煌めかせた黒瞳に、エメルダは驚いて動きを止めた。自分の両肩に手を置き、屈んで視線を合わせるスイの一挙手一投足を注視する。
 まなざしは、真剣だった。

「……さっき、壁を崩してくれたね。同じことを天井にこっそり。できる? ほんのちょっぴりでいいんだ」
「できるわ」

 即答。
 言い終わるや否や、サラサラ……と、頭上から砂が落ちてきた。早い。異変を察知したアナエルが動く。

「!」
「何をするつもりかは知りませんが。無闇にあちこち、壊さないでいただけますか。翠の姫」
「った……痛たたっ!」

 瞬時に近寄ったアナエルの手は、容赦なくエメルダの後ろ手を捻り上げた。「やめろ!」と、キリクが。苛立った表情のセディアが無言で割って入るも、びくともしない。

 が。
 痛みに盛大に顔を歪めつつ、エメルダは叫んだ。

「…………開いた! 届いたよ、外まで。!!」
「ありがとうエメルダ。待ってて、すぐに助ける」

「? 待ちなさい、何を……??」

 疑問符を浮かべた敵方の女性を無視して、スイは集中した。
 ――空気の流れを感じる。先ほどまではなかった、外気の通り道。
 細い。紅筆一本通るか通らないかだ。それでも、やる。

 術の構成イメージを練り上げたスイは、伏せていた顔を、きっ、と上げた。意思はおもてをつよく彩っている。

「あなたなら、充分なはずだ――……“行って、風の子。翠の子から分けてもらえた、その耀かがやかしい息吹で駆けなさい。そら高く。極みまで。行って、届けて。大至急、んできて!!”」


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