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O Holy Night
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彼女と目が合った瞬間、言いあらわしようのない激しい動悸が、ダヴィッドを襲った。
まるで、身体中の血が逆流しはじめたような、背きがたい興奮。原始的ななにかが身体の芯から湧いてきて、喉の奥がからからに乾き出すのを、たしかに感じた。
「ん……」
と、少女はもう一度声を漏らした。
続けて小振りな唇がわずかに動いて、何かを言おうと思考しているようだったが、結局言葉にならないで止まる。
熱で疲労したのだろう、肌は青白く、汗で光っていた。
髪は女中の手によって結われていたが、寝返りを繰り返したせいで遊び毛がぱらぱらと頬や額の辺りに散っていて──まるで長毛種の仔猫みたいだと、ダヴィッドは思った。
彼女の瞳は、しばらくダヴィッドに釘付けにされていた後、ゆっくりと周囲を見回しはじめた。
天井に、壁……ダヴィッドの後ろで燃えている暖炉。
初めて目にするはずの光景を前に、しかし、少女は比較的落ち着いているように見えた。騒ぎ出すわけでもなく、興奮し出すわけでもなく、目に入る情景を静かに受け入れている。
ダヴィッドは、なにかを言おうとして、なにを言うべきか考えていなかった自分に気が付いた。
もともと饒舌な性質とは違ったが、かといって、人前で言葉を詰まらせるような遠慮っぽい性格ではない。それが、まるで舌を縛られたように言葉が出なくなったのだ。
自分が自分ではなくなったようだった。
そんな時だ。
ベッドサイドで彼女を覗き込みながら立ち尽くしていたダヴィッドへ向かって、少女が手を差し出してきた。
なにかをねだるように持ち上げられ、宙に広げられた両腕。
ぶかぶかの寝着の袖が二の腕のあたりでくしゃりとたまっていて、細い腕をさらに華奢に見せている。そして、指先がダヴィッドの両頬に届くと、少女はベッドの上で上半身を起こした。
まったく、予想もしていない動きだった。
少女の瞳は悩ましいほど潤んでいた。そして、ダヴィッドを見つめていた。
ダヴィッドだけを。
岩のように硬直していたダヴィッドの身体に、この少女はゆっくりと近付いてきて……両手を彼の頬に置いたまま、目を閉じ、唇を近づけてきた。
「!」
その時、さすがにダヴィッドの金縛りが解けた。
頬にあった少女の手を両手でつかむと、乱暴に身体ごとベッドへ押し返した。
「何をしようとした?」
ああ、違う。
なにをしようとしたのかは分かる。聞きたいのは、なぜ、それをしようとしたかだ。
しかし、それでなくとも怪しげだったダヴィッドの平常心は、今の行為ですっかり消え去っていた。混乱したのは少女も同じだったようで、窓から差し込む夕日に照らされて金色に輝く瞳をまたたきながら、ダヴィッドを見返している。
「上手じゃ……なかったの?」
初めて耳にした少女の声は、予想していたよりも少しハスキーで、甘ったるい響きがした。
おまけに、『上手じゃなかった』とは?
「何を言いたいのか分からない。君は、ずっと熱で寝込んでいたんだ。ここは俺の屋敷で──」
ダヴィッドが演説でもするような調子で話し始めると、なぜか、少女は嫌々をするように首を横に振りだした。
「だめなの。お金持ちのおじさんのお家へいったら、さいしょにこうしなさいって、言われたの。そうしなきゃ、鞭で打たれちゃうって……」
そして、ますますじっくりとダヴィッドを見つめる。
「おじさんは、お金持ちでしょう?」
ダヴィッドは再び硬直した。つい、自分の服に目を落としてみる。確かにそれなりに上等な服を着ていた。
少女は続ける。曰く──
「だから、おじさんが、私を買ったひと……?」
ダヴィッドは、もはや、自分がなににショックを受けていいのか分からない気分になった。
人から生まれて初めて「おじさん」呼ばわりされたことか。幼女にキスをされそうになったことか。幼女趣味の変態貴族に間違われていることか。どれも違う気がする。
「違う、俺は──」
と、弁明を始めようとしたとき。
少女は突然、ぐっと喉をつまらせると、激しく咳き込み始めた。
ベッドの中で背を丸めて、乾いた咳を繰り返す……そのあまりに頼りなげな姿に、どうしようもない保護欲が胸の奥から沸いてきて、ダヴィッドは思わず身を屈めると少女を抱き寄せた。
「よし、よし」
と、抑えた声で言った。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吸うんだ。そう、いい子だ……」
そして小さな背中を慎重に撫でてみる。
時々、咳き込むにしたがってピクンと震える肩が痛々しくて、ダヴィッドを堪らない気分にさせた。しばらく背中をさすってやっていると少しずつ咳が落ち着きだしたので、ダヴィッドは片手を少女の額に滑らせた。軽くウェーブした金の遊び毛が指に絡まる。
彼女はまだ時々喉を詰まらせながら、言葉にならない声を漏らしていた。
泣いているようにも聞こえて、ダヴィッドは彼女の顔を覗きこんだ。
すると、大きな瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「泣いて」いるというより、赤ん坊が「ぐずって」いるという方がしっくりくる顔をしていた。
まだ子供だ。
どうしようもないくらい、子供じゃないか。
額に当てた手から、少女の熱が伝わってくる。
一時よりは確実に下がったとはいえ、まだ微熱が残っているのか、不自然な熱さが感じられた。
気が付くと少女は、ダヴィッドの胸に鼻の先を押し付けながら、静かに自分の居場所を探そうとしている。それこそ、赤ん坊が、親にすがろうとしているような感じで。ダヴィッドはベッドサイドに膝をつき、もっと彼女が自分に近づきやすいようにしてやった。
それがお気に召したのか、「マノン」 はますますダヴィッドの胸に体重を預けた。
もちろん、彼女の体重など、ダヴィッドには羽根のようにしか感じられなかったが……。
しかし、
とんでもないものを拾ってしまった。
今さら……本当に今さらだが。
そのまま逞しい胸に身体を預けると、再び眠入ってしまった少女を片手で抱きつつ、ダヴィッドは生まれてはじめて、途方に暮れるという感覚を深く味わっていた。
まるで、身体中の血が逆流しはじめたような、背きがたい興奮。原始的ななにかが身体の芯から湧いてきて、喉の奥がからからに乾き出すのを、たしかに感じた。
「ん……」
と、少女はもう一度声を漏らした。
続けて小振りな唇がわずかに動いて、何かを言おうと思考しているようだったが、結局言葉にならないで止まる。
熱で疲労したのだろう、肌は青白く、汗で光っていた。
髪は女中の手によって結われていたが、寝返りを繰り返したせいで遊び毛がぱらぱらと頬や額の辺りに散っていて──まるで長毛種の仔猫みたいだと、ダヴィッドは思った。
彼女の瞳は、しばらくダヴィッドに釘付けにされていた後、ゆっくりと周囲を見回しはじめた。
天井に、壁……ダヴィッドの後ろで燃えている暖炉。
初めて目にするはずの光景を前に、しかし、少女は比較的落ち着いているように見えた。騒ぎ出すわけでもなく、興奮し出すわけでもなく、目に入る情景を静かに受け入れている。
ダヴィッドは、なにかを言おうとして、なにを言うべきか考えていなかった自分に気が付いた。
もともと饒舌な性質とは違ったが、かといって、人前で言葉を詰まらせるような遠慮っぽい性格ではない。それが、まるで舌を縛られたように言葉が出なくなったのだ。
自分が自分ではなくなったようだった。
そんな時だ。
ベッドサイドで彼女を覗き込みながら立ち尽くしていたダヴィッドへ向かって、少女が手を差し出してきた。
なにかをねだるように持ち上げられ、宙に広げられた両腕。
ぶかぶかの寝着の袖が二の腕のあたりでくしゃりとたまっていて、細い腕をさらに華奢に見せている。そして、指先がダヴィッドの両頬に届くと、少女はベッドの上で上半身を起こした。
まったく、予想もしていない動きだった。
少女の瞳は悩ましいほど潤んでいた。そして、ダヴィッドを見つめていた。
ダヴィッドだけを。
岩のように硬直していたダヴィッドの身体に、この少女はゆっくりと近付いてきて……両手を彼の頬に置いたまま、目を閉じ、唇を近づけてきた。
「!」
その時、さすがにダヴィッドの金縛りが解けた。
頬にあった少女の手を両手でつかむと、乱暴に身体ごとベッドへ押し返した。
「何をしようとした?」
ああ、違う。
なにをしようとしたのかは分かる。聞きたいのは、なぜ、それをしようとしたかだ。
しかし、それでなくとも怪しげだったダヴィッドの平常心は、今の行為ですっかり消え去っていた。混乱したのは少女も同じだったようで、窓から差し込む夕日に照らされて金色に輝く瞳をまたたきながら、ダヴィッドを見返している。
「上手じゃ……なかったの?」
初めて耳にした少女の声は、予想していたよりも少しハスキーで、甘ったるい響きがした。
おまけに、『上手じゃなかった』とは?
「何を言いたいのか分からない。君は、ずっと熱で寝込んでいたんだ。ここは俺の屋敷で──」
ダヴィッドが演説でもするような調子で話し始めると、なぜか、少女は嫌々をするように首を横に振りだした。
「だめなの。お金持ちのおじさんのお家へいったら、さいしょにこうしなさいって、言われたの。そうしなきゃ、鞭で打たれちゃうって……」
そして、ますますじっくりとダヴィッドを見つめる。
「おじさんは、お金持ちでしょう?」
ダヴィッドは再び硬直した。つい、自分の服に目を落としてみる。確かにそれなりに上等な服を着ていた。
少女は続ける。曰く──
「だから、おじさんが、私を買ったひと……?」
ダヴィッドは、もはや、自分がなににショックを受けていいのか分からない気分になった。
人から生まれて初めて「おじさん」呼ばわりされたことか。幼女にキスをされそうになったことか。幼女趣味の変態貴族に間違われていることか。どれも違う気がする。
「違う、俺は──」
と、弁明を始めようとしたとき。
少女は突然、ぐっと喉をつまらせると、激しく咳き込み始めた。
ベッドの中で背を丸めて、乾いた咳を繰り返す……そのあまりに頼りなげな姿に、どうしようもない保護欲が胸の奥から沸いてきて、ダヴィッドは思わず身を屈めると少女を抱き寄せた。
「よし、よし」
と、抑えた声で言った。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吸うんだ。そう、いい子だ……」
そして小さな背中を慎重に撫でてみる。
時々、咳き込むにしたがってピクンと震える肩が痛々しくて、ダヴィッドを堪らない気分にさせた。しばらく背中をさすってやっていると少しずつ咳が落ち着きだしたので、ダヴィッドは片手を少女の額に滑らせた。軽くウェーブした金の遊び毛が指に絡まる。
彼女はまだ時々喉を詰まらせながら、言葉にならない声を漏らしていた。
泣いているようにも聞こえて、ダヴィッドは彼女の顔を覗きこんだ。
すると、大きな瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「泣いて」いるというより、赤ん坊が「ぐずって」いるという方がしっくりくる顔をしていた。
まだ子供だ。
どうしようもないくらい、子供じゃないか。
額に当てた手から、少女の熱が伝わってくる。
一時よりは確実に下がったとはいえ、まだ微熱が残っているのか、不自然な熱さが感じられた。
気が付くと少女は、ダヴィッドの胸に鼻の先を押し付けながら、静かに自分の居場所を探そうとしている。それこそ、赤ん坊が、親にすがろうとしているような感じで。ダヴィッドはベッドサイドに膝をつき、もっと彼女が自分に近づきやすいようにしてやった。
それがお気に召したのか、「マノン」 はますますダヴィッドの胸に体重を預けた。
もちろん、彼女の体重など、ダヴィッドには羽根のようにしか感じられなかったが……。
しかし、
とんでもないものを拾ってしまった。
今さら……本当に今さらだが。
そのまま逞しい胸に身体を預けると、再び眠入ってしまった少女を片手で抱きつつ、ダヴィッドは生まれてはじめて、途方に暮れるという感覚を深く味わっていた。
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