太陽と月の終わらない恋の歌

泉野ジュール

文字の大きさ
22 / 33
O Holy Night

08

しおりを挟む
 彼女と目が合った瞬間、言いあらわしようのない激しい動悸が、ダヴィッドを襲った。

 まるで、身体中の血が逆流しはじめたような、背きがたい興奮。原始的ななにかが身体の芯から湧いてきて、喉の奥がからからに乾き出すのを、たしかに感じた。

「ん……」
 と、少女はもう一度声を漏らした。

 続けて小振りな唇がわずかに動いて、何かを言おうと思考しているようだったが、結局言葉にならないで止まる。
 熱で疲労したのだろう、肌は青白く、汗で光っていた。

 髪は女中の手によって結われていたが、寝返りを繰り返したせいで遊び毛がぱらぱらと頬や額の辺りに散っていて──まるで長毛種の仔猫みたいだと、ダヴィッドは思った。

 彼女の瞳は、しばらくダヴィッドに釘付けにされていた後、ゆっくりと周囲を見回しはじめた。
 天井に、壁……ダヴィッドの後ろで燃えている暖炉。
 初めて目にするはずの光景を前に、しかし、少女は比較的落ち着いているように見えた。騒ぎ出すわけでもなく、興奮し出すわけでもなく、目に入る情景を静かに受け入れている。

 ダヴィッドは、なにかを言おうとして、なにを言うべきか考えていなかった自分に気が付いた。

 もともと饒舌な性質たちとは違ったが、かといって、人前で言葉を詰まらせるような遠慮っぽい性格ではない。それが、まるで舌を縛られたように言葉が出なくなったのだ。
 自分が自分ではなくなったようだった。

 そんな時だ。
 ベッドサイドで彼女を覗き込みながら立ち尽くしていたダヴィッドへ向かって、少女が手を差し出してきた。

 なにかをねだるように持ち上げられ、宙に広げられた両腕。

 ぶかぶかの寝着の袖が二の腕のあたりでくしゃりとたまっていて、細い腕をさらに華奢に見せている。そして、指先がダヴィッドの両頬に届くと、少女はベッドの上で上半身を起こした。

 まったく、予想もしていない動きだった。
 少女の瞳は悩ましいほど潤んでいた。そして、ダヴィッドを見つめていた。
 ダヴィッドだけを。
 岩のように硬直していたダヴィッドの身体に、この少女はゆっくりと近付いてきて……両手を彼の頬に置いたまま、目を閉じ、唇を近づけてきた。

「!」
 その時、さすがにダヴィッドの金縛りが解けた。
 頬にあった少女の手を両手でつかむと、乱暴に身体ごとベッドへ押し返した。

「何をしようとした?」
 ああ、違う。
 なにをしようとしたのかは分かる。聞きたいのは、なぜ、それをしようとしたかだ。

 しかし、それでなくとも怪しげだったダヴィッドの平常心は、今の行為ですっかり消え去っていた。混乱したのは少女も同じだったようで、窓から差し込む夕日に照らされて金色に輝く瞳をまたたきながら、ダヴィッドを見返している。

「上手じゃ……なかったの?」
 初めて耳にした少女の声は、予想していたよりも少しハスキーで、甘ったるい響きがした。

 おまけに、『上手じゃなかった』とは?

「何を言いたいのか分からない。君は、ずっと熱で寝込んでいたんだ。ここは俺の屋敷で──」

 ダヴィッドが演説でもするような調子で話し始めると、なぜか、少女は嫌々をするように首を横に振りだした。

「だめなの。お金持ちのおじさんのお家へいったら、さいしょにこうしなさいって、言われたの。そうしなきゃ、鞭で打たれちゃうって……」
 そして、ますますじっくりとダヴィッドを見つめる。
「おじさんは、お金持ちでしょう?」

 ダヴィッドは再び硬直した。つい、自分の服に目を落としてみる。確かにそれなりに上等な服を着ていた。
 少女は続ける。曰く──

「だから、おじさんが、私を買ったひと……?」

 ダヴィッドは、もはや、自分がなににショックを受けていいのか分からない気分になった。

 人から生まれて初めて「おじさん」呼ばわりされたことか。幼女にキスをされそうになったことか。幼女趣味の変態貴族に間違われていることか。どれも違う気がする。

「違う、俺は──」
 と、弁明を始めようとしたとき。
 少女は突然、ぐっと喉をつまらせると、激しく咳き込み始めた。

 ベッドの中で背を丸めて、乾いた咳を繰り返す……そのあまりに頼りなげな姿に、どうしようもない保護欲が胸の奥から沸いてきて、ダヴィッドは思わず身を屈めると少女を抱き寄せた。

「よし、よし」
 と、抑えた声で言った。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吸うんだ。そう、いい子だ……」

 そして小さな背中を慎重に撫でてみる。
 時々、咳き込むにしたがってピクンと震える肩が痛々しくて、ダヴィッドを堪らない気分にさせた。しばらく背中をさすってやっていると少しずつ咳が落ち着きだしたので、ダヴィッドは片手を少女の額に滑らせた。軽くウェーブした金の遊び毛が指に絡まる。

 彼女はまだ時々喉を詰まらせながら、言葉にならない声を漏らしていた。
 泣いているようにも聞こえて、ダヴィッドは彼女の顔を覗きこんだ。
 すると、大きな瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。

 「泣いて」いるというより、赤ん坊が「ぐずって」いるという方がしっくりくる顔をしていた。

 まだ子供だ。
 どうしようもないくらい、子供じゃないか。


 額に当てた手から、少女の熱が伝わってくる。
 一時よりは確実に下がったとはいえ、まだ微熱が残っているのか、不自然な熱さが感じられた。

 気が付くと少女は、ダヴィッドの胸に鼻の先を押し付けながら、静かに自分の居場所を探そうとしている。それこそ、赤ん坊が、親にすがろうとしているような感じで。ダヴィッドはベッドサイドに膝をつき、もっと彼女が自分に近づきやすいようにしてやった。

 それがお気に召したのか、「マノン」 はますますダヴィッドの胸に体重を預けた。
 もちろん、彼女の体重など、ダヴィッドには羽根のようにしか感じられなかったが……。
 しかし、

 とんでもないものを拾ってしまった。

 今さら……本当に今さらだが。

 そのまま逞しい胸に身体を預けると、再び眠入ってしまった少女を片手で抱きつつ、ダヴィッドは生まれてはじめて、途方に暮れるという感覚を深く味わっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...