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【乃亜の章】
「ダグラス・ジョンソン・マクブライト」①
しおりを挟むあまりの情報量の多さに、乃亜はそれこそ自分が心臓発作を起こすのではないかと思った。だって、そんな。
「親父? 心臓発作? 入院中?」
乃亜は畳み掛けるようにそう繰り返した。
「あなたは……ウィリアムさんの息子なんですか? 彼は心臓発作を起こしたの? だから病院にいて、会えないのですか?」
灰色の瞳は疑わしげに乃亜を見つめている。
そして矢継ぎ早な乃亜の三つの質問にそっけなく答えた。
「イエス、イエス……そしてイエスだ」
ああ……。
なんていう展開だろう。
もちろんウィリアム・マクブライトが高齢なのはわかっていた。なんと言っても曽祖母よりもさらに数年年上だったのだ。すでに百歳近いはずで、生きているだけでも万々歳な長寿である。それは曽祖母も同じ。
乃亜ががっくりと肩を落としている横で、男はさっきよりも少しリラックスした姿勢をとった。
視線だけは乃亜をとらえたまま離さない。
仕方なく、乃亜もそろりと彼に視線を向けた。
(そんな……。つまりこのひとは……)
もしこんな状況でなかったら、彼のような男性にじっと見つめられるのは、悪い気分ではなかっただろう。むしろ、ときめいたはずだ。
でも乃亜にはときめいてはいけない理由がいくつかある。
(ウィリアムの息子……なんだ。子供がいたのね)
色々な意味でショックを受けつつ、乃亜は目の前の男性を見つめ返した。頬が火照ってしまうのは、おそらくコロラドの太陽のせいだけではない。
彼はそのくらいハンサムだった。ただ単に整った顔というより、その奥から溢れる男性らしさがすべてを圧倒するような……。
「それで?」
ぶっきらぼうな低い声が乃亜の思考をさえぎる。
「それで、って……」
「親父には会わせられない。俺でさえまだ決まった時間以外は面会謝絶の状態だ。このまま……意識の戻らない可能性もある。彼に会うのだけが目的なら、大人しく日本に帰ったほうがいい」
「日本に帰る……」
乃亜はボンネットが開いたままの惨めなレンタカーに懐疑の目を向けた。帰れるものなら帰りたいが、これでどうしろというのだ。
「それは……できません。まず車が動かないのと……どうしても、ウィリアムさんに届けなくちゃいけないものがあるんです」
「俺が渡しておくよ。親父が目を覚ましてくれたらの話だが」
「それじゃ駄目なんです」
「なぜ」
「どうしても」
乃亜は口論が好きではない。
それにできれば、出会ったばかりの長身美形に楯突くような真似はしたくなかったし、もしかしたら──もしかしたらだけど──血縁関係にあるかもしれない彼に、悪い印象は持たれたくなかった。
乃亜は役立たずなレンタカーの助手席の扉を開けて、座席にあるバッグから一枚の封筒を取り出した。
百聞は一見にしかず。多分。
「これをウィリアム・マクブライトさんに渡さなくちゃいけないんです。直接、わたしの顔を彼に見せて手渡しなさいと言われています」
それはなんの変哲もない横長の白い封筒で、几帳面に糊で封がしてある以外、目立ったところはない。
当然、彼は不可解そうに眉間に皺を寄せた。
「なんの書類だ?」
「書類じゃありません。個人的な手紙です、手書きの」
「親父宛の?」
「そういうことになりますね……はい」
会話のやり取りをしながら、乃亜はもしかしたらこれは人違いではないかと思いはじめていた。
目の前の男性はおそらく三十代のはじめか、せいぜい半ば……。乃亜よりは明らかに年上であるが、もうすぐ百歳を迎える父親を持つような年齢には見えない。
ウィリアムもマクブライトも珍しい名前ではないはずだし……。
「あなたは本当にウィリアムさんの息子なんですか?」
男の眉間の皺がさらに深まり、疑いの余地のない不快感を表した。
「す、すみません。聞き方が悪かったですね。つまり……わたしの探しているウィリアムさんは来年には百歳になるはずなんです。あなたが彼の息子のような歳には見えなくて。息子じゃなくて、孫とか……ひ孫とか? もしくは人違いで、まったく違うウィリアムさんのことだったりとか……」
「この辺りにウィリアム・マクブライトはひとりしかいない」
低くてざらついた声が断言した。
怒っているようにも聞こえたし……どこか傷ついているようにも響く。
「そして俺は正真正銘、彼の息子だ。得体の知れない日本からの小娘にわざわざ教える義理もないが」
確かに。正論だ。
事前連絡もせずにいきなりアメリカまできたのは乃亜で、この……ウィリアムの息子がいきなり諸手を挙げて歓迎する義務はない。
乃亜はうなだれた。
「そうですね……。失礼なことを言ってごめんなさい。でも、この手紙を届けなくちゃいけないのは本当なんです。もしウィリアムさんが目を覚まして面会できるようになったら、わたしに知らせてくれますか? どこか近くにホテルを見つけて滞在しますから」
幸い、空港でレンタルした米国用SIMカードの番号がある。乃亜はダッシュボードにあったメモ用紙にその番号書きつけた。
実際のところ、乃亜が予約しているホテルはコロラド・スプリングにあって、車で数時間かかる。手紙を渡したらすぐ戻れると思っていたからだ。
乃亜の差し出したメモを、彼は無言で受け取った。許諾や、ましてお礼のような言葉はもちろん返ってこない。
「お願いします! じゃあ、お世話になりました!」
無理に明るく振る舞って、乃亜は問題のレンタカーに向き直った。
動きますように! 動きますように!
なんとかボンネットのフードを自分で元に戻すと、精一杯の虚勢を張ってイグニッションに鍵を入れる。
動き、ます、ように……! 動け!
──ぷすん!
(そんなぁ!)
レンタカーのエンジンは聞き覚えのある「ぷすん」音をもう一度上げただけで、いくら乃亜が鍵を回し直しても最初の数秒しか反応しない。
(ああ……。どうしよう)
ハンドルに額を乗せて絶望する乃亜を、ウィリアムの息子は同じ姿勢のまま見つめている。……多分。
恥ずかしくて彼の反応を見られなかったから、予想だけれど。
涙目になって泣くのをこらえていると、助手席側の窓をコンコンと叩く音がした。幸い電気系統だけは点いたので、乃亜はボタンを押して助手席の窓を開けた。
「はい……?」
「動かないんだろう?」
が、彼の第一声だった。
笑顔ではないが、少なくとも馬鹿にしたりするような表情ではなかったのに安堵して、乃亜は薄く微笑む。
「わかっちゃいますか?」
「なんとなくね。そのホテルとやらはすでに予約してあるのか?」
「コロラド・スプリングに予約しています。でも遠すぎるのでキャンセルしようかと思って。どこか……ここから歩いていける距離におすすめのモーテルはありますか?」
すると、どこかから牛がモーと鳴いているのが聞こえた。
多分、二、三日歩けばどこか見つかるかもしれない……。地平線の果ての、さらに先あたりに。
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「君の名前は?」
「乃亜です。ノア・ヒロセ」
乃亜は外国人にも発音しやすい自分の名前に感謝した。
よく考えたら乃亜の名付け親は曽祖母であるのだけれど……これも偶然だろうか?
「あなたは?」
「ダグラス」彼はゆっくりと答えた。「ダグラス・ジョンソン・マクブライト」
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