最強魔術師は褒められたい

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最強魔術師は褒められたい 1

最強魔術師は褒められたい 1

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 甘くつんとした蜂蜜と、それに混じるふわりとしたバター、香ばしいトーストと、すっきりとしたコーヒーの香り。
 レースのカーテンから差し込む柔らかな朝日を浴びながら、まだ少しぼんやりとする頭のまま両手を合わせ「いただきます」と口にして、トーストに手を伸ばした。
 さくっと香ばしい音がして、口のなかいっぱいに、バターがじゅわりと広がっていく。

「あれ、黒羽くろはもう食べてる~。はや~い」

 男にしてはやや高めの甘いアルトボイスに視線を向けると、ライトグレーのスウェットを着たままのご機嫌な兄貴の姿があった。
 寝起きでも、兄貴の黒い髪はふわふわとしている。アーモンド形のぱっちりとした大きな赤い目が、にこやかに笑っていた。

「はよ」
「おはよ~」

 俺の正面の席に座ると、兄貴の手は迷うことなく焼かれたトーストと蜂蜜のボトルをとって自分の席に予め用意されている空の皿にパンを置き、手にした蜂蜜の瓶を傾けて、そのまま小さくあくびを一つ。
 相変わらずの小さい口が、次にはにんまりと形を変えた。

「黒羽もとうとう高校生かぁ~…。あんなにちっちゃかったのにさ~あ~?」

 こーんなに、と、豆粒でも掴むように人差し指と親指でサイズ感を作ってしみじみと口にする兄貴に、俺は乾いた笑いが出そうになる。

「いやいや、一歳しか違わないから…」

 兄貴は小さい頃を思い出している様だったが、それにしたってサイズ感が小さすぎる。
 俺が兄貴の言う通り豆粒ぐらいの体だったんなら、俺よりも小柄な兄貴はもっと小さかった事だろう。
 そんな風にふざけているからだ。

「蜂蜜垂れてるぞ」

 滴は窓から入る光りに照らされて琥珀の様に輝いて、お前もバターからこの蜂蜜に乗り換えなさいと言っているようだ。まるで、誘惑の一しずく。

「ああ…ほんとだ」

 蜂蜜の容器をようやくもとに戻すと、兄貴は、溢れて皿にこぼれた蜂蜜を気にすることなくトーストにかじりつく。かじった所からまた蜂蜜が垂れてきているのも、全くお構いなしだ。
 そんな兄貴を横目にテレビを点けると、ちょうど朝のニュース番組にチャンネルがあっていた様で、キャスターがスーツを着て、原稿を読み上げているところだった。
 朝のニュース番組ともあって落ち着いた雰囲気のスタジオに馴染む、いかにも真面目そうな雰囲気だ。目を惹くオーラのようなものも、ある。

(あ、この人Domだ)

「あ、あの人Domだ」

 俺が思った事を代弁するように、兄貴がテレビに映るキャスターに向かってぽつりと呟いた。

『次のニュースです。昨日、雪井道篩別市ゆきいどうしべつしで、第二性に係る性被害に対するサミットが行われました。この取り組みは日の岩はじまって以来の取り組みで、今回の会議では、被害者に対し、どのような支援を行っていくのかが重点的に話し合われました。雪井道では近年、第二性に関連した組織的な犯罪率が増加しており、雪井道庁が今後どのような対応をとっていくのかについても言及がありました』

 画面は外国の代表者らしき人たちが、大きめの会場に集まっているところを映し出すものの、キャスターは、淡々とした口調のままだ。
 仕事だからそうしているんだろうが、同じDom性として、このキャスターはいったいどんな気持ちでこの原稿を読んでいるんだろうか。

「あんたたち、早く食べちゃいなさい。今日はフェリー、来るんでしょう?」

 キッチンに居たはずの母さんが水に濡れた手をエプロンで拭きながらリビングに来ると、いつもの席について、俺がつけたテレビに視線を向けた。

『――また、世界各地で広がるDomによるSubへの暴力的な被害を減らすべく尽力していく、と、道知事は述べています』

「世界各地って言ったって、自分の管轄内ですらままならないやつが何を言っても信用できないよねぇ…」

 兄貴は呆れたように肩をすくめ、蜜付けトースト― ハニートーストと言うには少し蜂蜜が足りない気がする ―をかじる。
 琥珀色の、誘惑の一しずくに負けて、俺もとうとう蜂蜜を手に取ってしまった。

柚子瑠ゆずるは人の事心配する前に自分の事を心配しなさい」
「えぇ~? なんでさ、僕だってちゃんと進級できたのに」

 中性的なその顔でわざとらしくかわい子ぶってみせる兄貴は、さまになると思う。頬を膨らませて、両手には蜜付けトーストなんて、見る人が見ればさぞ甘やかしたくなる事だろう。
 が、母さんには効果がない様で「そんな事言ってもだめ」と一蹴された。

「今年からは黒羽も行くんだから。二人とも、しっかりやりなさいよ?」
「はぁ~い」
「わかってる。大丈夫だよ、俺、兄貴と同じで入試は一位通過だし」
「あのねぇ、そういう慢心が危険なのよ?」

 呆れたと言いたげにため息をつく母さんに、俺は「わかってるよ」とだけ返し、砂糖とミルクを大量に入れたコーヒーを喉に通す。
 確かに母さんの言う通り、慢心というのはとても危険なものかもしれない。だが約一か月前まで通っていた中学でのクラスメイトの反応や、入試の結果を思い出すと、俺の『大丈夫』は慢心ではなく本当の事なんだよなとも思う。
 そもそも入試試験一位通過の時点で、母さんは、俺のことをもっと誇らしく思っても良いと思うし、もっと褒めてくれたって良いんじゃないだろうか。

『続きまして、本日より新年度を迎える各地の光景をお届けします。まずは日の岩の中央都・屯所付近です』

 淡々としていたはずのキャスターの声がわざとらしい程に明るく弾んだものへと変わり、俺と兄貴、母さんが、ほぼ同時にテレビへと視線を向けた。
 画面の向こう側は、すっかり色鮮やかな薄ピンク色の空模様だ。満開の桜は穏やかな風に乗り、幾つか花を散らせて薄桃色の絨毯をよりふわりと厚くする。
 次に川が映し出されると、今度は波打つ薄桃色。またカメラが切り替わると、穏やかな薄桃色からは一変して、中央都・屯所の厳格で重厚な鈍色の門を映しだした。
 門が重々しくゆっくりと開いていく。音までは聞こえなかったが、屯所内から白塗りの高級外車が数台出て行くのをカメラが映し出した。
 タクシードライバーとそう変わらない、スーツを着た初老の男性が白手をしてハンドルを握り、左右を確認してからハンドルを切る一連の動作がカメラに映る。
 だが、後部座席に乗っているだろう人まではカメラで捉えられなかった様だ。
 後部座席と前の席の間にはグレーのカーテンが下がっており、後部座席の窓も内側から黒いカーテンで覆われている。だから、どんな人があの車に乗っているのかなんて一般の人は誰も知らない。
 あの中に居るのが『軍服を着た偉い人』ぐらいの認識だ。

『屯所も本日から業務を開始する様で――』

「あの車、去年卒業した先輩のだったりして~」
「はいは、早く食べなさい! フェリーに乗り遅れたら大変よ?」

 けらけらと笑う兄貴に釘をさして、母さんも朝食を食べ始めた。


 諸々の準備を終えて、俺は、これから暫くの間は帰る事のない自分の部屋で真新しい制服に身を包む。
 どこにでもあるような制服だが、軍事養成高等学校というだけあってデザインは軍服のそれに近い。
 中学の頃もブレザーだった俺にとっては、極めてブレザーに近いデザインをした制服で助かった。学ランみたいなデザインだと、多分、首周りが慣れなくて変に苦しかっただろうから。

(まあ…。なんか、今日から高校生だ~って感じがしないのが、あれだけど…)

 緊張もせず難なく入試をクリアしてしまったからなのか、実感が湧かない。

(そういえば、なんか、あの白い人、凄かったっけ…)

 入試の実技試験の時にペアを組んだ先輩。
 試験の日、通称『ほぼ真っ白な人』は、試験が終わって簡易玄関口まで向かった俺をわざわざ追いかけてきた。
 いくらか言葉を交わしたが、碧眼が爛々と輝いていたのが印象的だった。
 興奮しているのに、それを隠すように言葉は穏やかで、平坦である事を装い、そして、言った。

『きみ、凄いねぇ。ユズルの弟だろう?』
『まあ…』

 俺たち兄弟は、色んな意味でよく目立つ。
 黒い髪に、日の岩人の光彩にしては珍しい赤い目。それに苗字だって珍しい方だと思う。
 試験管補佐なら、願書に記載の名前も把握しているだろう。この人が、俺を兄貴――里々春りりはる 柚子瑠ゆずるの弟だと位置づけるのは納得が出来た。

『その歳であんなにタイミングよくアシストできるなんて、きみ、センスあるよ。まるでOBとの実践試験の様にやりやすかった』
『それは、どうも。ってか、良いんですか? いくら先輩っていっても、試験管補佐でしょ? 俺と話してると贔屓だなんだって勘違いされません?』
『え? あはは、言いたい奴には言わせておくよ』

 他人の目などまるで気にしないというように、あの人は優雅な見た目にそぐわずからっとした笑顔を俺に向けた。

『もしも入学できたら、その時は、よろしく。きみとは同室になれたら楽しそうだ』

(あ、俺がSubだって知ってるのか)

 願書の内容をどこまで把握しているのかは知らないが、俺が『この人はDomである』と認識できるのと同じように、この人も、俺がSubであると認識出来ている。
 何もおかしな話ではない。相手が男か女かを見てわかるのと同じように、DomとSubが互いに認識し合うことだって自然な事だ。

『それじゃあね』

 その『ほぼ真っ白な人』は、俺に軽く手を振って、今度は見た目にそぐう柔らかな笑みを浮かべてから去っていった。
 俺はその時、まあ、同室になることはないだろうなと思ったのだけど。


 フェリー乗り場までは母さんに車で送ってもらった。
 入学試験の時と同様に大橋をそのまま渡ることもできたが、大橋は島へと向かう車線が交通渋滞を起こしていたから、兄貴と二人分、フェリーのチケットを父さんにとっておいてもらって正解だった。父さんとは仕事の関係で、朝、顔を合わせることが叶わなかったが…。
 いや、それで良かったのかもしれない。もし朝に顔を合わせたなら、きっと恥ずかしげもなく「暫く会えないなんて、やっぱり寮生活なんて選ばないでえええ!」と、俺や兄貴に泣きついてきたに違いない。
 そんな光景を想像して心の中だけで苦笑しつつ乗り込んだフェリーには、俺や兄貴と同じ制服を着た生徒がたくさん居た。
 緊張した面持ちで、少し袖が長いブレザーを着た生徒も多い。制服に着られている感がある人は、おそらく俺と同じ新入生だろう。

「黒羽、ぜ~んぜん緊張してないね」
「まあ…こんなもんだろうなって」

 波の音にかき消されないように、いつもより大きな声を出しながら兄貴が笑う。
 風にあおられて髪が乱れると、兄貴はそれを手で何度も直していた。自分の可愛さを分かっているからって、いくらなんでも気にしすぎだ。

「ってか、友達いるんだろ? 兄貴、行かなくていいのか?」
「え~? 良いのいいの~。どうせこれから一年間は一緒に過ごせるんだし。それよりも、学年が違うぶん黒羽と過ごせる時間の方が少ないんだから」

 兄貴は、学校に着くまで俺と一緒にいるつもりらしい。

「まあ、兄貴が良いならいいけど…」

 兄貴の友達も俺たちと同じようにフェリーで来ているのかもわからないし、もしかしたらこの前後のフェリーに乗っているかもしれない。
 俺はそれ以上、兄貴にはなにも言うことなく、フェリーが走る先にある島をじっと見据えた。
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