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序章

九話

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 図書室で感じた時と同じように体が後ろへ引かれるのかと思いきや、今回は逆だった。
 体が、前に引っ張られる。
 リードをつけた犬の様な、手足にロープをつけられた様な、なんとも言い難い引っ張られ方をするのは、かわらないが。
 自分の精神世界だと慎に言われた空間を抜け、仄暗い灰色の空間に変わる。
 そこで止まるかと思いきや、そのまま引っ張られ続けた。
 次第に辺りは真っ黒な空間へと変化した。
 真っ黒なのだが、遥を写真にでもおさめた様なものがあたり一面に貼り出されている。
 隠し撮りをして部屋の壁いっぱいに写真を貼っているなんてシーンを漫画でみかけた事があるが、まさにそれと同じだった。

「いい気分じゃないな、これ」

 遥がぽつりと呟いた。

 体が引かれる感覚に慣れた頃、奥の方がオレンジ色に揺らめいているのが見えた。
 赤とも似ているが、オレンジ色だ。
 まるで燃えている様な――

「―!」

 体が引かれていき、オレンジが次第に濃くなっていく。
 精神世界だからか熱さは感じないが、確かに中央で何かが燃えている。
 炎の様なオレンジ色なのではなく、炎オレンジ色なのだ。
 炎へ近づくにつれ、体を引く力が弱まっていった。
 終点は、オレンジ色の中心だった。

 そこに居たのは、慎と高島だった。
 慎は高島を蔑んだ目で見降ろしているが、高島は、まるで拷問でも受けたかのようで、口からよだれを垂らし、どこを見ているか分からない虚ろな表情だった。
 止めなければならない状態だが、どちらを心配しなければならないかというと、高島の方を心配しなければならないのだろう。

 慎の後ろで体の引きが止まった遥は、そこから一歩踏み出す。
 が、慎はそれに気付くことなく、高島に手を掲げた。
 その瞬間、周辺に漂っていた炎が一瞬にして高島―の精神体とでも言っておこうか―に集まる。
 一気に燃え上がった。
 人が燃えているという表現は間違っているだろうが、遥にしてみれば、まさにそれが目の前で起こっていた。
 いつの間にか止まっていた足を動かし、急いで慎のそばまで向かうと掲げている手を両手でそっと掴んだ。

「先輩、いい。いいんだ」

 遥が首を横に振り、慎に、微笑む。
 掴んだ慎の手は、氷の様に冷たかった。
 慎が目を見開き、遥に視線を向ける。

「私も優斗も、決めた事だ。それに、先輩とたくさん事前準備をしたおかげで、無事なんだ。だから、怒らないで良いんだ」
「…俺は」
「優斗に指一本触れさせないって事が達成できなかった事は、ごめんなさい。だけど――」
「違うんだ!そうじゃない!どうしてきみはそう、平然としていられるんだ!」

 驚いていたはずの慎の表情が、今度は悔しげになる。
 次に驚いたのは遥の方だった。
 高島の、優斗に対する所業に憤っているのかと思えば、そうではないらしい。

「早風さん、きみは本当に!」

 まだ何かを言いたそうにしながらも、口元を歪ませ言葉が続かない慎に、遥の表情は、次第に柔らかいものになっていく。

「…うん、そうか。先輩は、私のために怒ってくれていたんだね。ありがとう」

 遥の笑みは、ただの少女と同じだった。
 クラスメイトに向けるような王子様スマイルでもなく、大勝負に出るような騎士の様な笑みでもなく。

「だけど」

 その笑みはほんの一瞬で、次には、真剣な顔をする。

「これ以上はだめだよ。何も聞き出せなくなる。それじゃあ誰も幸せにならない。誰かの不幸を取り除くことも出来ないんだ。先輩なら、わかりますよね」

 まるで国の存亡でもかかっているかの様な、遥の真剣な表情に、慎は目を見開く。
 遥が包んでいる手には、次第に温度が戻っていった。

「──きみはまったく…戻るぞ」

 肩の力が抜けたように、慎の表情も柔らかなものになった。
 それからすぐに、図書室で感じた時と同じような感覚が全身を抜けていく。
 後ろに勢いよく引っ張られる。
 途中で通り過ぎた灰色も、遥の精神世界も通り過ぎる事無くほんの一瞬だ。
 そして次に目を開けた時には、外の騒がしさも、包んだ慎の手の温かさも感じられた。
 ゆっくりと目を開き、慎の手を離す。
 一仕事終えたかの様に息を吐き出し振り返ると、目を見開いている優斗が視界に入った。

「大丈夫なの?あなた」
「うん?なにが?」

 驚く優斗に、遥は、いつもの王子様ともアイドルとも思える笑顔を向ける。
 その笑顔を見て、優斗は途端に白けた顔をする。

「心配して損した気分ね」
「何言ってるの。何で?いや、まさか優斗に心配してもらえるとは思っていなかったから、嬉しいよ」
「本当、遥って無茶苦茶よね」
「まさか。そんな事ないよ」

 遥からしてみれば、一体どこがなのかを問いたかったが、それはやめておくことにした。

「容疑者を確保!」

 周囲にいたスタッフの一人が合図を出すと共に、高島へと数人が向かって行く。
 後ろから、慎の細いため息が聞こえてきた。
 高島の声は聞こえないから、恐らくは、精神世界と同じような状態に陥っているのだろう。
 それが回復するかどうか心配ではあるが、それも高島自身を心配しての事ではなく、贈り物レガロ狩りをする組織に繋がる情報を手に入れる事が出来るかどうかの心配だ。

「これで、解決かな」

 遥が振り返り、捕らえられる高島へと視線を向けた。
 やはり遥が想像した通り、精神世界同様、高島は動けなくなっていた。

「ええ。じきに高島の贈り物の力を受けた生徒たちも、その影響から解放されていくでしょうね」
「斎藤はどうなるんだろうね」

 遥の問いに、慎が振りむく。

「退院でき次第、学校に戻ってくるだろうな」
「斎藤を襲ったっていう人は、もう捕まってるんですか?」
「ああ、こちらで既に捕らえているよ」

 慎の言葉に、遥は頷く。
 国家機密ともなれば、無暗に情報を流すわけにもいかない。
 が、こうして今回の主犯だろうと思われる人物が捕まったとあれば話は別だ。
 しかも問いかけてきたのが協力者ともなれば、答えても良いと慎は判断したんだろう。

「まあ…やっぱりまやかしの人気じゃあだめって事ですね」

 遥はそう言って、キラキラとエフェクトが見えそうな程の笑みを、慎に向けた。

「きみは一体どこを目指しているんだ?!まぶしっ!」

 ぎょっとする慎に、遥は王子様の様な笑みを向け続けた。



   ***



 後日、遥は昼休みの中庭で、優斗と慎から真相を聞かされた。
 機構の取り締まりの部署が睨んだ通り、高島は贈り物狩りの組織と関与があったらしい。
 だが、高島は遥に執着する様になった。
 遥と優斗が高島によって連れて行かれたマンションは、高島自身が住んでいたマンションの一室で、優斗が華麗な背負い投げを食らわせた女性は、高島に金で雇われただけの人だった。
 その女性には贈り物の力がなく、ただ、斎藤の夫人と紹介されても違和感がなさそうだという理由だけで雇われた。
 そして高島自身の部屋には――

「よくまあ、こんなにあるなぁ…」

 遥の手には、一枚の写真があった。
 写っているのは高島の家の一室で、壁中、天井のいたるところまで、遥の写真で覆いつくされていた。
 大小さまざまある写真は、一体どこでシャッターを切ったのかがわからない様なものもある。
 いわゆる隠し撮りをしていた様だ。

「教員っていうだけでもこれが露呈すれば大問題だっていうのに、今までよくバレなかったね」

 怖がるどころか、寧ろ感心さえしてしまう遥に、優斗も、そして慎も互いに顔を見合わせてため息をつく。

「遥、あなた、危機感がないの?」
「強いからというのが、その回答かな」

 実際、勉強はそこそこだがスポーツ万能だと自他共に認めている。
 その実力を優斗も知っているからこそ余計にタチが悪いと、この兄妹に思われている事を遥は知らない。

「はぁ…問題にならなかったのは、高島の贈り物の能力にあるんだ。やつは印象操作の能力を有していた。高島の有する印象操作の能力は限定的なもので、そもそも贈り物の能力を持っていない人間のみに効果があるみたいなんだ」
「だから優斗も先輩も能力の対象から除外された、と」

 なるほど、と頷き、遥は写真を慎に渡してから、総菜パンにかじりつく。
 贈り物の力も、上手に付き合えば役に立つのかもしれないが、人類がそれを自由に使うというのは、少々持て余してしまうような気がした。
 贈り物という力を使っている様で、実際には、その力に振り回されているんじゃないかとさえ思う。
 もっとも高島の敗因は、その贈り物の能力を見くびったというより、優斗を見くびった事にあると思うが。

「それから、斎藤先生は気が付いていたんだ。高島の行動が可笑しい事に。だから常日頃から気をつけていた。早風さんのスカートが校則の規定内だとも気付いていた様だ」

 慎の言葉に、遥は目を丸くする。
 まさか斎藤が気付いてたとは、誰も思わないだろう。
 校則、校則、規定、規定、学校が定めたからという理不尽な理由だけで、注意されたのかと思っていた。
 だが、実際にはそうではないらしい。
 職員室で遥が答えた時、顔を真っ赤にして怒りながらも言葉に出せなかったのは、その場に高島が居たからだ。

「―…それは…意外だね。今度から男子制服にでもしようかな」
「きみなあ…」
「斎藤も贈り物の力を?」
「いや、そうじゃない。高島が贈り物の力を斎藤に使えなかったのは、臨時の担任を務めるという理由を作りたかったからだ。高島の能力は、印象操作であって相手を操る能力ではないからな」
「ああ、なるほど」

 何にしても、これで斎藤が戻ってくれば、学校はまた平和になるのだろう。
 高島という教師の穴を埋めるのは容易ではないだろうが、それは学校側が対処する事であって、遥たちが考える事でもない。

 遥は、総菜パンをかじりながらそんな事を考えた。
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