あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

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帰宅、それから

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 くらやみ亭のさくやは、はたして何者なのか。正体をさぐろうとする螢介は亭主の顔を凝視した。男として美形の部類に見える。ネコも豊満な肉づきでかわいらしい人型をみせるが、螢介の興味は前者のほうが強い。

「どうなんだ? おれに、あなたの話を聞かせてもらえるか。知ったあと、消されたら困るけどな」

「……そんなことはしませんよ」

 螢介はわざとらしく肩をすぼめ、亭主も、くすッと小さく笑った。戸棚の抽斗からメモ帳をとりだし、鉛筆で「幽闇咲也」と記したものを渡された。

「これは?」

「わたしの、もうひとつの名前です」

「先生は、ふたりいるのか?」

「その人物の足跡そくせきを調べる許可をあたえます。褒美は、以上です。また、あした」

「ち、ちょっと待てよ! おれがほしいのは、先生のことばで説明……」

 ガタッと椅子を立つ螢介の脇を、亭主は「おやすみ」といって、すり抜けた。此度の件で、探偵の素質を評価されてもうれしくない。謎ばかり残される螢介は、溜め息を吐いた。とはいえ、じっとして動くなと云われるより、ずっとマシである。


「ったく、ここまでらされると、力づくで白状させたくなるぜ」


 半分冗談のつもりで愚痴ると、「やってみろよ」と低い声がきこえた。赤髪の炎估えんこである。亭主と入れちがいに姿をあらわすと、緋色ひいろで螢介をにらみつけた。

「炎估」

「咲夜に手をだしてみろ。案外、素直に応じるぞ」

「知ったふうな口だな(それ、既成事実じゃねぇだろうな?)。おまえこそ、先生を灼き殺せるものなら、やってみろよ。あのひとは、おれが守る」

 亭主の存在が悪人ならば、十翼が放っておくとは思えない。炎估は目的を持って、咲夜のそばを離れないのだ。宣戦布告ともいえる螢介の発言に、炎估は「上等だ」と皮肉めいた笑みを浮かべて立ち去った。……あいつ、なにしにきたんだよ。厭味いやみか?

 ひさしぶりに見た炎估の顔は、男ぶりがよく、悪意があって攻撃してきた場合、勝ち目はないと思った。……それなら、おれは亭主と心中するまでだ。どうせ、おれのタマシイはあのひとにつかまれている。


 螢介はグラタン皿やマグカップを洗って片づけると、風呂にはいってからパジャマに着がえて就寝した。さくや亭の夜は、静かに明けてゆく。

 翌朝、亭主はどこかへ出かけたようで、螢介はひとりで朝食をすませた。ネコを呼んでみたが、返事はない。玄関の靴箱のうえに、屋敷の合鍵あいかぎが置いてある。螢介は戸締まりをして、雑貨商へ向かった。樹々の葉が、ざわざわと風にゆれている。枝葉のすきまから見える空に、灰色雲が浮かんでいた。……雨がふりそうだな。傘を持たずに出てきた螢介は、いったんひき返そうか悩んだが、結局、なにも持たずに歩いた。

「ごめんください。なめこさん、いますか」

 奥から、風估ふうこの話し声がきこえる。螢介は舗側みせがわからあがりこんでおじゃました。


「であるからしてな、少年。わしとしては、おぬしさえよければ商會ここで働いてもらいたいと考えておる。こう見えて、わしはずいぶんな老体なのじゃ。若者わかものの手があると、たのもしいのだがな」

「なめこさん」

「天蔵か、よう来た」

「あ、あなたは、ぼくの母を!」

 
 螢介を見るなり、布団から飛び起きた雪里は、「ごめんなさい」と、畳のうえで土下座した。これまでのことをひと息に詫びる少年は、もはや、帰る場所を失っている。風估の舗を手伝うかたちで、商家へ居候いそうろうの身となった。


「顔をあげてくれ。そんなに謝らなくていいよ。……雪里が、ユッくん、なんだろう? あの日、おれの家に亭主の黒傘をとどけたのは、このときのためだったのか?」

「そ、それは……」

 どぶ川にタマシイごと忘れていく螢介を見ていた雪里は、からだが勝手に動いた。螢介は辛抱屋で忍耐強く、まだ、多くを知らない。真実のほうへ近づくたび人間ひとは姿を変えてしまうが、雪里は恐怖と勇気を持つ少年で、悲鳴を挙げずに沈んでゆく螢介に、まだ死ぬなと、心の片隅で願った。母親のえさになると思った。同時に、生きのびてほしいとも思った。どれほどの苦痛に耐えたのか、話がしてみたかった。

 涙をこぼす雪里をよそに、風估は、あえて黙っていた。時空ときを越えて使命をはたした螢介と少年は、友人として手をとりあい、まなざしを交わした。


〘つづく〙
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