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スーツの下の化けの皮
第26話
しおりを挟む手芸用品店とは、各種糸類や染料、生地や木彫、陶芸用品などを取り揃えている専門店である。幸田が姫季と向かった〈ハンドメイド/なゆた〉という店は、大学の裏通りに面した場所にあり、学生たちの行きつけのようだった。ピンク色の看板を目にした幸田は、一瞬、場違い感に捉われたが、姫季は慣れた足取りで、店のなかへはいってゆく。
「いらっしゃいませ」
優雅なクラシック音楽が流れる店内の棚には、アートクラフト商品がびっしり並んでいる。エプロン姿の女性店員が、にっこりと微笑んでくる。幸田は(なんとなく)視線が泳いだが、姫季は無言で奥の商品棚へ歩いていく。平台にはロール状の布地が豊富にあり、創作に必要な単位でカットし、自由に購入することができた。また、カーテンやカーペットなど、おしゃれなインテリア家具も見受けられた。姫季に誘われなければ、訪れる機会など、一生なかった場所だと思われた幸田は、小さく溜め息を吐いた。加工前の素材布を手に取る姫季の横顔は真剣につき、幸田は創作活動の邪魔をしないよう、少し離れた位置からようすを見まもった。
「これと、これを買います」と、
姫季は女性店員に断裁を注文し、手に入れた生地を持って会計を済ませた。紙袋をさげて駐車場にでてくる。先に店の外で待っていた幸田に、「マンションへ寄ってかないか」と訊ねる。まだ時間に余裕があるため、幸田は「そうしよう」といって頷いた。姫季の部屋に上がるのは4回目につき、間取りは承知していた。
「なに飲む?」と、キッチンに立つ姫季は、食器棚からマグカップを取りだして訊く。幸田はスーツの上着を脱ぎながら、
「珈琲を、ミルク少々で」
と、こたえた。勝手にリビングまで移動すると、カウチソファへ腰かけてくつろいだ。
「そういえば、いつかの約束が、まだだったね」
「なんのこと?」
「きみに、ラーメンと炒飯をご馳走することだ」
「あっ、たしかに。幸田さんの手料理、興味あるから作ってよ」
「今夜?」
「あしたは日曜だし、泊まっていけば?」
「さすがにそれは無理だろう。着がえもなにも用意していない」
「だったら、ホームセンターに行こうぜ。歯ブラシとかパジャマとか、いっしょに選んでやるよ」
姫季はマグカップをテーブルにおくと、外泊の準備を提案してきた。
✰つづく
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