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番外:サイドストーリー&後日談

SS2 大司教様と実家 中編

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 夜も更けて、月は西へと傾き始めている。

 月明かり。星明り。

 カラカラと車輪の軽い音が、街灯もまばらな国道に響く。

 荷台の上へと横座りに腰を下ろす少女のあわい影。

 恒太こうたは、アスファルトの上に落ちるその影を眺めながら、自転車を押している。

 ソフィーは一緒に歩くと言ったが、流石に裸足の彼女を、そのまま歩かせる訳にはいかない。

 道すがら、二人は互いの身に起こった出来事を語り合った。話の内容は、いずれも大まかなものではあったが、おおむ辻褄つじつまは合う。

 ソフィーは、レイモンドが魔王の身体を乗っ取ったことを聞いて、盛大に眉をしかめた。

彼奴きゃつが姫に劣情をいだいておったのは気づいておったが、まさかそんな無茶を……いや、そうか、わしとて変わらぬか……」

『恋と発狂はよく似ている』

 かつて、ドナへと告げたその言葉が、巡り巡ってソフィーへと返ってくる。

 何もかも捨ててコータを追い求め、果ては異世界にまで辿り着いてしまった彼女が、レイモンドを笑うことなど出来はしない。

 自嘲気味に微笑むソフィー。それを不思議そうに眺めながら、恒太は問いかけた。

「ソフィーさん、さっきの話の中で気になることがあるんだけど……。古竜エンシェントドラゴンは、ヌーク・アモーズの方に飛んで行ったんだよね?」

「ん? そうじゃが?」

「あちゃー……魔王に悪い事しちゃったなぁ」

「なにがじゃ?」

「たぶん、古竜エンシェントドラゴンは、僕との約束を果たそうとしたんだと思うんだよね」

「約束?」

「うん、もし僕が魔王を倒せなくて、ヌーク・アモーズに魔王が迫る様なことがあったら、魔王を撃退してほしいって頼んでたんだよね……」

 すなわち、古竜エンシェントドラゴンが動いたということは、その先に魔王がいたということに他ならない。

 ソフィーの脳裏を、エルフとともにヌーク・アモーズに向かったゴブリンの姿がよぎった。

「……まさか……な」

 流石にそんなはずはないだろうと、その考えを打ち消して、ソフィーは苦笑した。

「もうすぐ着くから」

 そう言って角を曲がると、アスファルトの道が途切れ、砂利じゃり道へと変わる。やがてブロック塀に囲まれた一軒の家の前で恒太は足を止めた。

「ついたよ、ここが僕ん

「ほう、なかなか立派な家じゃのう。木と土で出来ておるようじゃが、この世界ではこれが普通の家なのか?」

「うーん、どうかな……」

 普通かと言われると正直、返答に困る。海外では石造りの家もあるし、土壁の家なんて今となっては、逆に珍しいかもしれない。

 田舎の一軒家。庄屋という訳ではないが、恒太の家は代々続く農家なだけに、土地と建物だけはデカい。

 築八十年。そこらじゅうひび割れの入った白漆喰の壁。古民家といえば聞こえは良いが、ずっとここで育ってきた人間にとっては、只のボロい家でしかない。

 庭先でソフィーを降ろして、自転車をブロック塀に立てかける。

 すでに深夜ではあるが、家の中には煌々と灯りが灯っていた。

「はぁ……」

 恒太は小さく溜め息を吐く。気が重い。さっきからずっと、両親に彼女のことを、どう説明したものかと考えていたのだが、ぶっちゃけ、どうなるのか想像もつかない。

 恒太は彼女の手を引いて、玄関の扉に指を掛ける。

 そっと扉を開くと、わずかに開いた扉の向こうに、仁王立ちの母親の姿が見えた。

「恒太っ!」

 母親は上がりがまちからたたきへと裸足で降りると、開きかけた扉に指をかけて、一気に開け放つ。

「あんた、今、何時だと思ってん……の?」

 甲高い怒鳴り声は、末尾につれて小さくなって、最後は疑問形で途切れた。

「の」の口の形のまま、呆然とする母親。

 それもまあ、当然といえば当然。

 上半身裸でずぶ濡れになった息子が、深夜に幼い外国人の女の子と、手を繋いで帰ってきたのだ。

 しかも、その女の子はどう見ても裸の上にTシャツ一枚まとっただけの姿。

 うん……フルカウントでアウト。

 完全に幼児誘拐の現行犯である。

「あはは……」

 恒太が引き攣った微笑みを浮かべた途端、母親は眼球が落ちるのではないかと思うぐらい目を見開いて、奥へ向かって声を上げた。

「お、お父さーーーーん! 大変よ! 早く来てぇえ! 恒太がとうとう、女の子を攫ってきちゃったぁああ!」

「いや、ちょっと、ま、待ってってば! 母さん! 話を聞いて!」

「おだまり、性犯罪者!」

「我が子を性犯罪者呼ばわりする!? 普通!」

「隠したってダメよ! 母さん知ってるんだからね! アンタのパソコンの『哲学』ってフォルダの中身!」

「ちょま!?」

 恒太にクリティカルヒット。たった一撃で致命傷である。

「お父さんが『思春期の男の子なんだから、生暖かい目で見てやれ』なんていうから……こんなことなら、見て見ぬふりなんかするんじゃなかった!」

「父さんまで知ってんの!?」

 一気に削られる精神力ゲージ。恒太が思わず膝から崩れ落ちそうになったところで、

「なになに、おかーさん、何騒いでんの?」

 妹のあんずが、パタパタとスリッパをならして奥から出て来る。そしてやはり、ソフィーを見て固まった。

「いやいやいやいや、お兄ちゃん。流石にそれはひくわー。小学生はないわー」

「お前まで……」

「はっ!? まさかアタシのお気に入りのパンツが無くなったのも……」

「いや、それは洗濯機の裏に落ちてんの見たけど、汚いから放置した」

「汚くなんて無いよ!?」

 じたばたと足を踏み鳴らして憤慨するあんず。すると、その背後から作務衣さむえ姿の熊のような巨体が、ぬっと顔を出した。

「ひっ!?」

 こんどは、ソフィーが顔を引き攣らせて硬直した。

「コ、コ、コ、コータ! く、熊じゃ! 熊が出た!」

「えーと、紹介します。熊じゃありません。僕の父です」

 ちょっと傷ついた顔をした父と恒太の間を、何度も視線を往復させて、ソフィーは口を開く。

「に、似ておらぬにも限度というものがあるじゃろ。お主の父親はたぶん別におるぞ」

「お願いだから落ち着いて、ソフィーさん。今、君、かなり失礼なこと言ってるからね」

 もう、わやくちゃである。

「もう、お父さん! 恒太になんとか言ってください!」

「母さん、……もう少し我が子を信じちゃどうだ?」

 ――流石父さん。こういう時に頼りになるのは、やはり男親だ。

 恒太は、ホッと安堵の息を吐く。

 だが、

「父さんと一緒に警察へいこう」

「全然、信じてないよね!?」

 思わず声を上げる恒太の手を、ソフィーがぐっと引っぱった。

「ふむ、誤解は早めに解いておくべきじゃな」

 彼女は恒太を押し退けて、一歩前へと進み出る。

 そして、両親と妹。その顔をぐるりと見回して、こう言った。

「お父さま、お母さま、妹御いもうとごわしは勇者イノセ・コータの妻として、ここでコータの子を産み育てる所存じゃ。末永くよろしく頼む」

 もしかしたら向こうの世界には、『火に油をそそぐ』という言葉は無いのかもしれない。

 なんとも言えない凄まじい空気が充満して、しばらくの間、ソフィーを除く全員が全員、身じろぎ一つしなかった。

 そんな空気の中から、最初に立ち直ったのは杏だった。

「お、お兄ちゃん。その子、そんなびしょぬれじゃ、風邪ひいちゃうよ。お母さん、アタシこの子お風呂に連れて行ってくる」

 そのまま、ソフィーは杏に連れられてお風呂へ。

 で、恒太はというと、もちろん解放される筈などなく、居間で、ちゃぶ台を挟んで、両親の尋問を受けることと、あいなった。

 一言口を開くたびに金切声を上げる母を、父がなだめてくれたおかげで、事のあらましを一通り語り終えることができたが、父親の方は腕組みして目を瞑ったまま。母に至っては、やはり全く信じてくれる気配も無い。

 ――ま、そりゃそうだよね。

 ソフィーが何百年も生きてる異世界の大司教様で、さっき求婚されたなんて、信じろと言う方が無理というものだ。

 逆の立場なら間違いなく信じない。

「嘘ついてもダメ。お母さん、アンタがおっぱいのちっちゃなこが好きなの知ってるんだからね」

「もうやめてよ……」

 親に性癖を把握されるという致命傷に身悶えながら、恒太はとりあえず、パソコンのパスワードを変えようと思った。

 古竜エンシェントドラゴンと戦った時よりも、遥かに疲弊している恒太の耳に、パタパタと廊下を走ってくる裸足の足音が聞こえてきた。

「すごいのじゃ! コータ! あれだけじゃぶじゃぶと湯が湧き出てくるとは、この世界の魔法は凄まじいのう! 釜焚きの奴隷もおらんというし」

 ソフィーの顔が上気しているのは、湯上りの所為だけではなさそうだ。確かに向こうの世界に居た時には、だいたい水浴びをするか、湯で身体を拭う程度。大きな町には公衆浴場があるが、釜で炊いた湯を奴隷たちが運んできて注ぐというもの。

 今、彼女が着ている服には見覚えがある。

 杏が小学生の時に着てた服だ。キラキラのスパンコールがついた段々のミニスカートにレギンス。ショッキングピンクのTシャツには『SHINY!』の文字が斜めに描かれていて、これまたスパンコールが散っている。

 ギャルっぽいといえばよいのか。やたら派手なのは、杏が面白がって着せ替え人形にしたのだろう。

 恒太の知るソフィーの厳格、悪く言えば、多少横柄な人柄を考えれば、すさまじいギャップである。

 ところが、そんなソフィーの傍の杏は、なんとも微妙な顔をしていた。

「ねぇ、お兄ちゃん。この子、頭大丈夫なの? 何でもかんでも、魔法か? って聞いてくるんだけど……」

「あはは……」

 恒太が渇いた笑い声を零すと、父親は片目を開けた。

「さて……じゃあこの子を家まで送って、それから父さんと警察に出頭しよう。心配するな。父さんの知り合いの弁護士に頼めば、たぶん執行猶予ぐらいは勝ち取れるだろう」

 ――ダメだこりゃ。

 恒太は深く溜息を吐くと、ソフィーへとひそひそと問いかける。

「ねぇ、ソフィーさん。こっちでも魔法使えるの?」

 ソフィーは少し考える様な素振りを見せて、頷いた。

「ふむ、問題は無さそうじゃな? たぶん大丈夫じゃ」

 こうなったら、無理やりにでも信じさせるしかない。

 恒太は唐突に立ち上がると、台所の方へ駆け出して、包丁差しから、果物ナイフを一本引き抜く。

 慌てたのは両親。二人は顔を蒼ざめさせて、必死に声を上げた。

「恒太! バカなことしないで!」

「は、早まるんじゃない!」

「まあ、見ててよ」

 恒太は、慌てる両親にニコリと微笑みかけて、掌の上でナイフの刃を滑らせる。母親と杏の悲鳴が響く。途端に、ジワリと赤い筋が掌に浮かび上がって、そこから血が溢れ出してきた。

 痛い。めっちゃ痛い。

 けど、異世界で散々斬り合いをしてきたのだ。片手が千切れかけたことだってある。うん、これぐらい、なんてことない。

 だが、駆け寄ってきたソフィーは、珍しく本気で怒った顔をしていた。

「このたわけが! いかな理由があろうと、神が自らの身体を傷つけることをお許しになるはずがなかろう!」

「うん、まあ、そうだろうね」

「はぁ……わが婿殿にも困ったものじゃの……。主よ、祈りに応え給え、善き物に善なる恩寵を垂れ給え――キュア・インジュアリー」

 祈りの言葉とともに、恒太の掌を包み込むソフィーの手が光ると、みるみるうちに傷口が跡形もなく塞がっていく。

 口を半開きにしたまま唖然とする両親と妹。恒太は、傷跡一つない掌を見せつけながら口を開いた。

「これでもまだ、信じられない?」


 ◇ ◇ ◇


 血を見せたのは、流石にやりすぎだったかもしれない。

 やけに大人しくなってしまった母を気遣って、「明日の朝もう一度話をしよう」。父はそう告げると、母を連れて寝室へとひっこんだ。

 流石に、今度はちゃんと話を聞いてもらえるだろう。

あんず、ソフィーさんを、お前の部屋に泊めてほしいんだけど」

「え!? いや……あの……」

「頼むよ」

「う、うん……いいけど……大丈夫だよね?」

「別に噛みついたりしないから」

 ビビりすぎだろうとは思うが、魔法なんて得体の知れないものを見せられたら、こういう反応になってもおかしくはない。

 恒太はあんずの髪をわしゃわしゃと撫でると、ソフィーの方へと顔を向ける。

「じゃあ、ソフィーさん。今日はもう遅いですから、妹の部屋で寝てください」

「な、なんじゃ……夫婦なのにとこを分けるのか?」

「ソフィーさん、僕、『一年待ってください』って言いましたよね。まだ、夫婦になったわけじゃありません」

 唇を尖らせるソフィーに、恒太はわざと厳しい声音で言う。そう、ソフィーの告白に対する恒太の返事は、『一年待ってください』。

 恒太はまだ十七歳。日本国の法律で言えば、まだ結婚できるような年齢ではないのだ。

「むぅ……わかったのじゃ」

 しぶしぶといった様子であんずの後についていくソフィー。そのぺたぺたという裸足の足音が、廊下の奥へと消えてしまうと、

「はぁあああああ……」

 恒太は、盛大に肩を落とした。

 急展開にも程がある。

 恒太は、居間の隅で火のついたまま忘れ去られている蚊取り線香を盆ごと手にすると、縁側へと出て、柱にもたれ掛かる。

 すごく疲れた。でも、すぐには眠れそうにない。

「ソフィーさんが、僕のお嫁さんになるんだ……」

 信じられない。

 正直に言えば、ものすごく嬉しい。

 考えれば考える程に、頬が熱を帯びてくるような気がする。

 今日、家を飛び出す頃に感じていた『異世界に戻らなければ』という焦りは、もう何処かへ消え去ってしまった。

 やり残したことがたくさんある。そう思っていた筈なのに、こうなって初めて分かったのだが、結局、そのどれもが彼女のもとに帰るという一点に、まっすぐに繋がっていたのだ。

 ゆらゆらと立ち昇る蚊取り線香の煙。

 それが消えていく先。そこに浮かぶ月をぼんやりと眺めていると、障子がすっと開いて、ソフィーが顔を覗かせた。

「……コータ」

「ソフィーさん、どうしたの? 眠れない?」

「うむ、そうじゃの。わし存外ぞんがい繊細なようじゃ」

「繊細……ね」

 恒太が思わず口元を緩めると、ソフィーがぷぅと頬を膨らませる。

わしとて人の子じゃぞ。つとめて平然としておったが、正直驚いておる。なんじゃ、この家は。部屋の中は昼の様に明るく、ベッドもふわふわ。家中見たことのない調度品ばかりで、王侯貴族の邸宅かと見紛みまがうようじゃ」

「只の古い農家なんだけどね」

 苦笑する恒太に、突然、ソフィーが顔を近づけてきたかと思うと、彼の額に自分の額を押し当てる。ふわふわの金髪が恒太の鼻先を掠って、妹が使っているシャンプーの臭いがした。

「……ご両親はただ、お主が心配なのじゃよ」

「また、キスされるのかと思った」

「茶化すでない」

「……わかってるんだけどね」

 恒太が苦笑すると、ソフィーが額を離して、すぐ隣へと座り込む。

「家族というのは……良いものじゃな」

「ソフィーさんの家族は?」

「何百年も前に死んでおる」

「……ごめん」

「かまわんよ。いつ死んだかも知らんのじゃから。わしは十二の時に神の声を聴いて以来、親元を離れて大聖堂で生きてきたんじゃからの」

「じゃあ、そこから一度も会ってないってこと?」

「そうじゃ、じゃから最早まともに顔も思い出せんが、わしにも父がいて、母がいて、兄がおった」

 思わず目を伏せる恒太の髪を、ソフィーの指が弄ぶ。

「たわけ。そんな顔するでないわ。顔は思い出せずとも、今でも自慢の家族じゃぞ。特に兄は……ほれ、バルタザールが使っておった二刀流の剣術を覚えておるか?」

「もちろん覚えてるけど……? アシュラ流だっけ?」

「あれは、我が兄の剣術を模倣して成立した流派なのじゃぞ、すごいじゃろ」

「へぇ……そうなんだ」

「まあ……その兄もいつ死んだのか、どんな風に死んだのかも知らんのじゃがな」

 ソフィーは恒太の肩に、こてんと頭を載せて月を見上げた。

「……正直、お主が羨ましいのじゃ」

 月をじっと眺めるソフィーの横顔がとても綺麗で、『月が綺麗ですね』などと、気取ったことを言ってみようかと迷ったけれど、結局、恒太は、彼女が飽きるまで、同じ月をただ眺めることにした。
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