上 下
6 / 143
第一章 亡霊、大地に立つ

第二話 魂が覚えている。#1

しおりを挟む
 ――ああ、なんという懐かしい感触だろう。

 亡霊は目の端にまる涙を、指先でそっとぬぐった。

 だが、いつまでも感動に浸っている訳にはいかない。

 足元に転がるゴブリンの死骸しがいを見下ろして、その手からもう一本なたを拾い上げる。

 二本になったと言っても、みすぼらしい得物には違いない。

 恰好かっこうがつく訳でも無い。

 だが亡霊は、左右の手、それぞれにつかんだ得物の感触を確かめると、

 ――どうやら、私は元々こういうスタイルだったらしい。

 そう胸の内で独りごちて、満足げに頷いた。

 だが、亡霊は満足でもゴブリン達にしてみれば、たまったものではない。

 死んだはずの仲間が起き上がって、別の仲間を殺したのだ。

 人間であっても大混乱を起こすであろう事態に、知能で劣るゴブリン達が即応できる訳もなかった。

 少女のことなど、既にゴブリン達の意識の外。

 呆気に取られた様な空白の時間が、暗い洞窟に居座っていた。

 一際体格の良いゴブリンが、ハタと我に返る。

 その一匹が「ぐぎゃ!」と声を上げて身構えると、他のゴブリン達も慌てて得物を構え直した。

 静謐せいひつな洞窟の中に、次第に囲みを狭めていく、ゴブリン達のにじり寄るような足音が響く。

 押し殺した呼吸音。

 カンテラの灯りを宿して、爛々らんらんと輝く殺意に満ちた赤い目。

 空白の時間をどこかへと追いやって、張り詰めた糸のような緊張感が、狭い空間に満ちる。

 エルフの少女が表情を強張こわばらせながら、ゴクリと喉を鳴らしたその瞬間、殺気が爆発的にふくれ上がった。

 ぐぎゃぎゃあぁあ!

 ゴブリンたちが口々に激しく叫び始め、限界までふくれ上がった殺気が一気に破裂する。

 凶悪に顔を歪めたゴブリン達が、得物を振り上げて、一斉に亡霊の方へと雪崩なだれ込んできた。

 ぐぎゃああああああッ!

 雄叫びと共に突き出される、錆びた短槍ショートスピア

 だが、

 ――遅い!

 亡霊は軽く身体を傾けてそれをかわすと、突き出された腕を下から斬り上げ、即座に手首を返して、その一匹の首をねる。

 だが、それで終わりにはさせない。

 更にその勢いを駆って身体を回転させると、背後から襲い掛かってきた連中の胴を横なぎに払う。

 一匹、二匹、三匹ッ!

 ところが、おそらく偶然なのだろう。四匹目は足をもつれさせて倒れ込み、斬撃が空を斬った。

 ――三匹どまりか。

 やはり、この身体は動きが鈍い。

 バランスが悪い。

 フォロースルーの勢いに耐えきれずに、乗っ取ったゴブリンの身体がギシギシときしむ。

 外れそうになる肩をかばって、亡霊がよろけたその瞬間、一番体格の良いゴブリン、おそらくこの群れのボスなのだろう。それが、石鎚いしづちを高く振り上げるのが見えた。

 攻撃のタイミングとしては悪くない。

 むしろ、これを狙っていたのだとしたら、大したものだ。

 亡霊は他人事ひとごとのようにそれを眺めながら、胸の内で独り、こう呟く。

 ――まあ、やられてやる事は出来ないが。
しおりを挟む

処理中です...