優しい彼女がいるのにドSなお姉さんとどうにかなってしまう話

霜月このは

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 後日、わたしはまたバーに訪れた。マスターとの約束の、一日半額デーをしてもらうつもりだった。

「いらっしゃい」
「ほんとに、いいんですか? わたし、いっぱい飲みますよ?」
「約束だからね。どうぞ、なんでも」

 ここぞとばかりに、わたしは高いウイスキーの名前を口にする。ロックをダブルで。
 今日は木曜日だし、天気が悪いのもあって、いつもよりお客さんが少なくて。だからマスターと二人でゆっくり話すことができるし、お酒もたくさんオーダーしやすい。一応、それも計算ずくで来てはいた。

「そういえば絵里ちゃんて、恵と知り合いだったんだ?」

 この間の合コンのときの様子で、マスターは気づいていたらしい。美香の会社の先輩で、前に一度話したことがあったのだと簡単に伝えると、マスターはなるほど、といった顔をして言った。

「こないだ来た時にね、恵、絵里ちゃんのこと、可愛いって言ってたから」
「え、恵さんって、女が好きなんですか」
「あ、いけない。……内緒ね。こういうことは勝手に言う話じゃなかった」

 しまった、という顔をするけど、こちらは聞いてしまったのだからもう遅い。結局わたしたちは、流れで恵さんの話をすることになった。
 恵さんはやっぱりずいぶんとモテるらしく、しかもバイセクシャルだから、このあいだの合コンでも、男女両方を物色していたらしい。今までに泣かされてきた者たちは数知れないとのこと。

「ドSって、自分で言ってましたけど……痛いことするんですかね。やられる側はつらくないのかな」
「僕も経験したわけじゃないから、よくわからないんだけどね。お互いに楽しんですることだから、暴力とかとは違うみたいだけど」

 そんな話をしていれば、急にドアが開いて、一人客が入ってくる。まさかのその人は、恵さんだった。

「あ、噂をすれば」
「なになに、何の話?」
「な、なんでもないですっ」
「そうそう、絵里ちゃんがSMに興味があるとかなんとか」

 マスターはよりによって、そんなことを恵さんに告げ口してしまう。

「へえ、絵里ちゃん、興味あるんだ」
「別に、そんなんじゃ……」
「そうなの? つまんないの」

 恵さんはさらっと話を引っ込めてしまう。だけどそんなふうに言われると、なぜだか心がざわざわしてしまって。

「興味、全くないわけじゃ、ないですけど」
 
 ついつい、そんなことを言ってしまう。
 すると恵さんは、さっきとは別人のような優しいトーンで応えてきた。

「だったら……試してみる?」

 恵さんの話だと、その手の趣味の人が集まるバーのようなものがあるらしい。詳しいことはまったくよくわからなかったのだけれど、たまたまこの近所にあるということだったので、酔った勢いで連れて行かれることになってしまった。SMバーと呼ばれる、その場所に。

 さっそく、ということで、お会計を済ませてバーを後にした。ドアを閉めるなり、恵さんはわたしの腕をすっと引いて、夜道を誘導し始める。

 こちらが避ける暇なんて与えないくらい、それは自然な動きだった。わたしはわたしで、変に抵抗するのもおかしいし、なんて思ってされるがままで。思えばいつもよりたくさん飲んだからか、かなり気持ちのいい状態になっていた。

 どこをどう歩いたのか、方向音痴のわたしにはあまりよくわからないまま、恵さんに腕を引かれるままにSMバーにたどりついた。

 重そうなドアを開けると、恵さんは慣れたような雰囲気で二本指を立てながら、わたしを中に入れる。バーカウンターの向こうのスタッフと思しき人が、わたしの顔を見るなり、お店のシステムを説明してくれた。

 最初にドリンクを注文するように言われたので、わたしはまたウイスキーを注文した。さっきまで飲んでいたものとは違って、もっと安いメーカーのものだけれど。

 注文したお酒を持って、恵さんと一緒に奥の方の座席に腰を下ろした。いくつか並んでいるソファーのような席には、男女のカップルと思しき人たちがイチャイチャしていたり、薄暗い店内のさらに奥のほうにはカーテンの仕切りがあって、個室になっているようだった。

 お店の中央にはちょっとしたステージのようなものがあり、上から吊るされたロープのようなものや、床から天井まで延びている銀色のポールが、赤紫色の間接照明に照らされて光っていた。

 初めての光景に見惚れていると、なにやら音楽が流れ始めて、ステージに人が集まってきた。どうやら何かのイベントがおこなわれるらしかった。

「こういうの、初めて?」

 隣にいたカップルの女の人のほうが、わたしに話しかけてきた。

「その人、気をつけたほうがいいよ。遊び人だから」

 彼女はそう言って、カラカラと笑う。

「うるさいなー、今日はそういうんじゃないから」

 恵さんはそう言うけど、笑っていた。

 イベントが始まり、ステージ上にM嬢と思しき、ベビードール姿のきわどい衣装の女性が出てきた。つづいて、明らかに女王様という風の黒いボンテージ姿の女性が出てきて、一気に場の空気感が変わる。

 女王様はM嬢をステージの端に追い詰めると、彼女の顎に手を当てる。顎クイ、というやつだ。M嬢はされるがままに女王様にキスされていた。

 ショーとはいえ、そういう場面というのは、なんだかドキドキしてしまう。

 女王様は自然な流れで、M嬢を真っ赤な縄を使って縛り始めた。縄がかかっていくごとに、M嬢は切なげな吐息を漏らす。官能的な光景に、目が離せなくなった。

「すごいでしょ」

 ステージに夢中になっているわたしの耳元で、恵さんがささやく。急に耳に触れた吐息がくすぐったくて、つい身体がびくっとなってしまう。

「実は私も昔、ああいうの、やってたんだ」
「……そうなんですか!?」

 ショーはどんどん盛り上がりを増していった。女王様は黒い鞭を使って、縛られたM嬢のお尻を叩く。ピシイッっという音とともに、M嬢から悲鳴が上がる。

 あんなに痛そうなことをしているのに、どうしてだろう。悲鳴はいつのまにか甘い色を帯びて、とろんとした目のM嬢はなんだかすごく気持ちよさそうで。

 自分の心臓がドクドクと動くのを感じる。身体がやけに熱いのは、さっき飲んだウイスキーのせいなのか、それとも。

 ひときわ大きな悲鳴とも嬌声ともつかない声がM嬢から上がり、それがクライマックスのようだった。身体の力が抜けてくにゃっとしている彼女の髪を、女王様は愛おしそうに撫でて労った。

 その光景を見て、なぜだろう。

 わたしは、つい思ってしまったのだ。「羨ましい」だなんて、そんなことを。

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