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『恵です。昨日はおつかれさま。美香から連絡先教えてもらったよ』
そんなメッセージが届いたのはお昼休みのことだった。わたしは『昨日はすみません』と、それから、『忘れ物の件、美香から聞きました。ありがとうございます』と事務的なメッセージを返す。
昨日の件に言及するのは、たったそれだけのことでもなんだか恥ずかしくて。まだ会社にいるっていうのに、心臓がバクバクと鳴り出した。
『今日、いつものバーに行くなら、そのとき渡せると思うけど』
今日は金曜日だから、いつものバーは人が多いだろうし、そこまで長居することにはならないだろう。それなら昨日みたいな妙なことにはならないはずだ。
そこまで考えて、わたしは『行きます』と返事をする。
午後の仕事を終えて、定時きっかりに退社して。そしていつものバーへまっすぐに向かった。なるべく早く用事は済ませてしまいたかった。
わたしが一番乗りかな、なんて思っていたのだけど、バーのドアを開けるとそこには既に恵さんの姿があった。
「あ、絵里ちゃん。お疲れ様」
「恵さん、すみません、わざわざ」
「ううん。はいこれ、忘れ物。今日は忘れちゃダメだよ」
そう言って恵さんはすぐに鞄からわたしの化粧ポーチを取り出して、渡してくれる。
「ありがとうございます」
「いえいえ。……それさ、さすがに美香に見られるとちょっと嫌でしょ」
それ、といって指差したポーチの外ポケットには、目立つ濃いピンク色のカードが挟まっていて。それは昨日のSMバーでもらった名刺だった。
そうか、だから美香に渡さずにいてくれたんだ。
「お気遣い……すみません」
「美香、今日この後出かけるって言ってたしね。温泉行ってくるんだって?」
そう、金曜の今日は、いつもならうちに美香が来る日だけど、三連休の今週に限っては、彼女は予定があるから、わたしは一人で過ごすことになっていた。なんでも学生時代の友達と何人かで温泉に行くとかで、せっかくだから二泊してくるのだそうだ。
「じゃあ、今夜はゆっくりできるね」
恵さんはそう言ってにやりと笑う。何を考えているのかわからないけど、このまま一緒にいて、また昨日みたいなことになったら、さすがにまずい。
一回だけならまだ、一時の過ちで済ませられる、かもしれないけど。
……二回目は、絶対だめだ。
そう、思うのだけど。
「ちょうどよかったね、絵里ちゃん。今日は久しぶりに入ったんだよ、これ」
マスターのそんな言葉と差し出したそれに、ついつい絆されてしまう。そこにあったのは、近年品薄になっていてなかなか手に入らない、国産の高級ウイスキー。
「これ、常連さんにしか出さないから。飲むなら今のうちだよ」
そんなこと言われたら、仕方ない。
「じゃ。改めて、乾杯」
「乾杯!」
恵さんが差し出すグラスに、自分のそれを軽くぶつけて。
ああ、お酒に目がない自分を呪いたい。
わたしはその日、生まれて初めて、酔い潰れてしまうのだった。
*
「絵里ちゃん。大丈夫?」
気づけばそこは、どこかのホテルの一室だった。
「えっ……!?」
「もしかして覚えてない?」
目の前にいたバスローブ姿の女性……恵さんは、目を覚ましたわたしにお水を運んできてくれる。
「大丈夫? 絵里ちゃんお酒強いって聞いてたから全然気にしてなかったんだけど、ペースみておけばよかったね、ごめん」
「いえ……わたしが勝手にたくさん飲んだだけなので。あのウイスキー、美味しかったし」
一応ぎりぎり、それだけは覚えている。
しかしいい歳して、記憶がなくなるくらい酔うなんて、恥ずかしくてたまらない。
「家に送ってあげられたらよかったんだけど、絵里ちゃんがここがいいって言うから……」
恵さんは言い訳がましくそんなことを言う。
ここはラブホテルで。スマホを見れば、とっくに日付が変わっている時間で。当然のように終電はもうない。
そこまで考えて、思い出した。歩くのがだるくて、家に帰るのが面倒なんて言って、自ら恵さんに甘えてしまっていたのだ。ああ、こんなときでも、お酒に強い身体が恨めしい。わたしはただ寝不足のせいで眠くなって寝てしまっただけで、すでに頭はしゃっきりとしていたし、頭痛も気持ち悪さも一切なかった。
つまりは、わたしは完全に正気で。
だからもう、言い訳なんてできるはずもなかった。
「絵里ちゃん、元気そうでよかった。……じゃあ、遠慮なく、できるね」
そう言って笑った恵さんは、わたしの頬に手を当てて。
「……こうしてほしかったんでしょ?」
そう言ってわたしの手首を掴んで、ベッドの上に押し倒す。
抵抗なんて簡単にできたはずだったけど。
無理やりに見せかけて優しい恵さんの腕を、力一杯押し返すこともせずに。
わたしはただ為されるがままに、やがて近づいてくる恵さんのの唇を受け止めてしまったのだった。
そんなメッセージが届いたのはお昼休みのことだった。わたしは『昨日はすみません』と、それから、『忘れ物の件、美香から聞きました。ありがとうございます』と事務的なメッセージを返す。
昨日の件に言及するのは、たったそれだけのことでもなんだか恥ずかしくて。まだ会社にいるっていうのに、心臓がバクバクと鳴り出した。
『今日、いつものバーに行くなら、そのとき渡せると思うけど』
今日は金曜日だから、いつものバーは人が多いだろうし、そこまで長居することにはならないだろう。それなら昨日みたいな妙なことにはならないはずだ。
そこまで考えて、わたしは『行きます』と返事をする。
午後の仕事を終えて、定時きっかりに退社して。そしていつものバーへまっすぐに向かった。なるべく早く用事は済ませてしまいたかった。
わたしが一番乗りかな、なんて思っていたのだけど、バーのドアを開けるとそこには既に恵さんの姿があった。
「あ、絵里ちゃん。お疲れ様」
「恵さん、すみません、わざわざ」
「ううん。はいこれ、忘れ物。今日は忘れちゃダメだよ」
そう言って恵さんはすぐに鞄からわたしの化粧ポーチを取り出して、渡してくれる。
「ありがとうございます」
「いえいえ。……それさ、さすがに美香に見られるとちょっと嫌でしょ」
それ、といって指差したポーチの外ポケットには、目立つ濃いピンク色のカードが挟まっていて。それは昨日のSMバーでもらった名刺だった。
そうか、だから美香に渡さずにいてくれたんだ。
「お気遣い……すみません」
「美香、今日この後出かけるって言ってたしね。温泉行ってくるんだって?」
そう、金曜の今日は、いつもならうちに美香が来る日だけど、三連休の今週に限っては、彼女は予定があるから、わたしは一人で過ごすことになっていた。なんでも学生時代の友達と何人かで温泉に行くとかで、せっかくだから二泊してくるのだそうだ。
「じゃあ、今夜はゆっくりできるね」
恵さんはそう言ってにやりと笑う。何を考えているのかわからないけど、このまま一緒にいて、また昨日みたいなことになったら、さすがにまずい。
一回だけならまだ、一時の過ちで済ませられる、かもしれないけど。
……二回目は、絶対だめだ。
そう、思うのだけど。
「ちょうどよかったね、絵里ちゃん。今日は久しぶりに入ったんだよ、これ」
マスターのそんな言葉と差し出したそれに、ついつい絆されてしまう。そこにあったのは、近年品薄になっていてなかなか手に入らない、国産の高級ウイスキー。
「これ、常連さんにしか出さないから。飲むなら今のうちだよ」
そんなこと言われたら、仕方ない。
「じゃ。改めて、乾杯」
「乾杯!」
恵さんが差し出すグラスに、自分のそれを軽くぶつけて。
ああ、お酒に目がない自分を呪いたい。
わたしはその日、生まれて初めて、酔い潰れてしまうのだった。
*
「絵里ちゃん。大丈夫?」
気づけばそこは、どこかのホテルの一室だった。
「えっ……!?」
「もしかして覚えてない?」
目の前にいたバスローブ姿の女性……恵さんは、目を覚ましたわたしにお水を運んできてくれる。
「大丈夫? 絵里ちゃんお酒強いって聞いてたから全然気にしてなかったんだけど、ペースみておけばよかったね、ごめん」
「いえ……わたしが勝手にたくさん飲んだだけなので。あのウイスキー、美味しかったし」
一応ぎりぎり、それだけは覚えている。
しかしいい歳して、記憶がなくなるくらい酔うなんて、恥ずかしくてたまらない。
「家に送ってあげられたらよかったんだけど、絵里ちゃんがここがいいって言うから……」
恵さんは言い訳がましくそんなことを言う。
ここはラブホテルで。スマホを見れば、とっくに日付が変わっている時間で。当然のように終電はもうない。
そこまで考えて、思い出した。歩くのがだるくて、家に帰るのが面倒なんて言って、自ら恵さんに甘えてしまっていたのだ。ああ、こんなときでも、お酒に強い身体が恨めしい。わたしはただ寝不足のせいで眠くなって寝てしまっただけで、すでに頭はしゃっきりとしていたし、頭痛も気持ち悪さも一切なかった。
つまりは、わたしは完全に正気で。
だからもう、言い訳なんてできるはずもなかった。
「絵里ちゃん、元気そうでよかった。……じゃあ、遠慮なく、できるね」
そう言って笑った恵さんは、わたしの頬に手を当てて。
「……こうしてほしかったんでしょ?」
そう言ってわたしの手首を掴んで、ベッドの上に押し倒す。
抵抗なんて簡単にできたはずだったけど。
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