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第四章 友達
「う、うん。そうだよ。久しぶり、メルルさん」
「やっぱり。驚いちゃった。その、ドロシーさん、凄く変わったから」
言われて髪をバッサリ切ったことを思い出した。ついでに膝が見えるスカートを穿いていることも。メルルさんの視線に、私は思わず体を縮こまらせる。
「え? ドロシーさんって、うわっ、本当だ」
メルルさんと一緒にいた二人、センカさんとアリリアナさんもこっちにやってきた。
「ドロシーさん、イメチェンしすぎでしょ。誰? とか言っちゃった。アハハ、ごめ~ん」
金色のボブヘアーを揺らして笑うアリリアナさん。そんな彼女を、黒髪をポニーテールにしたセンカさんがギロリと睨む。
「アリリアナ、相手は貴族である上に次期王妃だぞ。言葉に気をつけたほうがいい」
「え~。でもクラスメイトじゃん。あっ、もう違うのか。えっと、謝ったほうがいい感じ? ドロシーさん……いや、様?」
「う、ううん。そんな、気にしないで。それにそもそも私、貴族辞めちゃったから。ゲルド王子との婚約も解消しちゃったし、もう次期王妃でもないの。今の私は舞台の配役で言うところの村人A、みたいな? だから気を使う必要なんて一切ないよ。普通に喋ってくれると嬉しいかな、なんて……あはは」
ああ、マズイ。三人のポカンとしたあの顔。何? 何か間違えた? フレンドリーさを全面に出しすぎ? うわ、こいつ必死すぎとか思われていたらどうしよう。貴族らしくもっと優雅な感じで話したほうがよかったかも。でも、もう貴族じゃないし。それに確かセンカさんとアリリアナさんは平民。……あれ? でもメルルさんは貴族だし。ああ、分からないわ。一体何が正解なの? お願いだから黙ってないで何か言ってちょうだい。
「アハハ! 笑える。何? 何? ドロシーさんってそういう冗談言う人だったんだ。めっちゃ意外。でもその辺の貴族にはないその笑いのセンス、嫌いじゃないぜ」
ビシッと親指を立てるアリリアナさん。そんな彼女に対して、隣にいるメルルさんがニッコリと微笑んだ。
「ゴメンね、アリリアナちゃん。その辺の貴族で」
「こわっ。その笑みこわっ。センカ、どうしよう。メルルがブラックメルルに変身しちゃった」
「お前が余計なことを言うからだろう。それとドロシー様、冗談だと分かっておりますが、身分については過敏な反応をする者が少なくありません。笑いを取るために今のような発言をなさるのは、控えたほうがよろしいかと」
「いや、真面目か!」
「真面目だぞ。相手は将来、主となるお方だ。いらないトラブルに主が巻き込まれる前に苦言を呈するのも臣下の務めだ」
見るからに気心の知れた三人のやり取り。学校でもこの三人はいつも一緒だった。
私にもそんな相手がいればな……ああ、本当に羨ましい。それはともかく――
「いや、あの、冗談じゃない……からね?」
「え? それってドロシーさん、お話のどの部分が?」
「分かった。王妃の部分だ。つまり王子との電撃破局。明日の伝達絵巻の一面はこれで間違いなしね」
「そうなのですか? ドロシー様」
「いや、そこもだけど、それだけじゃなくて貴族を辞めたとこも。私、王様の前で平民になるって宣言してお城を飛び出しちゃったから。だからもうドロテア家の者ではないし、ましてやゲルド王子の婚約者でもないの」
「「「え?」」」
三人は綺麗に声を揃えると、再びポカンとした顔をした。
ちょっとの間を置いてアリリアナさんが――
「ああ、もう。ドロシーさんの話がメッチャ聞きたいのに、時間が、時間がぁあああ!! ああ、できることなら学生に戻りたい。誰か時間を巻き戻せる魔法をプリーズ。メルル?」
ポカンとした顔から一転して頭を掻きむしったかと思えば、メルルさんの肩をこれでもかと揺さぶる。
「ごめんねアリリアナちゃん。その辺の貴族でしかない私にはそんな大魔法、ちょっと無理かな」
「貴族ではないが、右に同じく。そもそも時間の逆行なんて大魔法、実在するのかも疑わしい。歴史上扱えたとされた者達も殆どが箔をつけるのが目的で……このあたりは授業で習っただろう」
「夢も希望もないお話をありがとう。ドロシーさんは? 時間をパパッと戻せちゃうような魔法、使えない感じ?」
アリリアナさんが私の両手を掴んで潤んだ瞳で見つめてくる。……えっと、これは冗談で言ってるんだよね? 小粋なジョークでも返したほうがいいのかしら? そうしたら、面白い人と思って友達になってくれるかもしれないわ。よし。言うわよ。クラスの子達が言っていたような、笑いを誘う面白いことを……ことを……こと、を……
「………………ごめん。無理かな」
何も思いつかなかった。結局出たのは何の面白みもない台詞だ。はぁ、どうして私ってこうなんだろ。
「だよね。アハハ。仕方ないか。それじゃあ労働が呼んでる感じなんで、私は行くわ」
アリリアナさんは親指を立てると、未練なさげに私に背を向けた。
遠くなっていく元クラスメイトの背中。これでお別れかと思うと残念すぎて泣けてくる。もしもまだ私達がクラスメイトなら、明日話しかけるきっかけになったのに。どうしてこんな展開を在学中に起こせなかったのだろ。勉強に捧げた時間を後悔したくない。したくないのに――
「あっ、そうだ」
「え?」
その時、何の前触れもなく、アリリアナさんが振り返った。
「せっかくなんだしドロシーさん、今度一緒にお茶しない?」
「うん。……って? へっ!? わ、私と?」
「そう。駄目な感じ?」
「だ、駄目じゃない。全然。むしろお茶したくてたまらない。うん。しよう。お茶。絶対。是非」
「おお。嬉しいこと言ってくれるね。またドロシーさんの意外な一面を知れた気分です。それじゃあこれ、私の連絡先。手紙でもいいし、魔法文字でもいいから、後で遊べる日にちを教えてね」
「う、うん。絶対連絡するから」
「オッケー。待ってる! それじゃまたね」
手を振りながら去っていくアリリアナさん。私は彼女が見えなくなるまで手をブンブンと振り続けた。
……う、嘘みたいだ。私の手に友達の連絡先がある。
友達? 友達って言ってもいいのかな? それともまだ早い? 知人と友人の線引きってどこからなんだろう。いや、それよりも大切なのはこれからだ。これをどう発展させればいいか。後で友人関係について書かれた本を探さなきゃ。うん、そうしよう。
「騒がしい奴だ。申し訳ありません、ドロシー様。ですが、気安すぎるところはあっても決して悪い奴ではありません。もしもお気に障ったようでしたら後で私から言っておきますので、とりあえず今日のところはアリリアナの無礼を大目に見ていただければ助かります」
「え? ぶ、無礼なんて。そんなことないからね。凄く嬉しかったし。それと私に敬語は必要ないよ。本当にもう貴族じゃないの」
「……そうですか。いや、そうか。なら、一ついいだろうか」
「うん。何でも言って。まぁ、今の私にできることなんてあんまりないけど」
むしろちゃんと働いているセンカさん達のほうが、できることは多いだろう。オオルバさんの提案は嬉しかったが、週に二回って話だし……魔法店以外にも仕事を探したほうがいいかもしれない。
「いや、そんなに大したことではないんだ。アリリアナとのお茶会、私も参加していいだろうか?」
「えっ!? う、うん。それは勿論」
「はい! 私も参加したいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええっ!?」
手をビシッと上げたメルルさん。私にとって願ったり叶ったりな展開に、思わず声が出る。
「あれ、ひょっとして駄目だったかな?」
「う、ううん。そんなことない。そんなことないよ」
むしろ大歓迎だ。
「よかった。実はドロシーさんとは、ゆっくりお話してみたかったの」
「わ、私もメルルさんとお話ししたいと思ってたわ。あっ、勿論、センカさんやアリリアナさんともね」
「本当? 嬉しいな」
「私もだ。だがすまない。そろそろ休み時間が終わる。もう行かなければならない。アリリアナに連絡してくれれば私にも伝わるので、お茶会の時にゆっくり話そう。私の連絡先もその時に渡す」
「う、うん。楽しみにしてる」
「ああ、私もだ。メルルはまだ時間大丈夫なのか?」
「ううん。私もそろそろ行かないと。それじゃあドロシーさん、また今度」
「うん。ま、またね」
またね。そう言ってクラスメイトと別れる。こ、こんな出来事が私に訪れるなんて。これだけでもお父様のもとを離れた甲斐があったわ。
嬉しさが込み上げてきて、いても立ってもいられなくなった。
「よし。入ってみよう」
一度は諦めかけたプリンパフェにチャレンジしたくなる。
私はおっかなびっくりとお店に入り、多種多様なスイーツの中から目的のものを注文した。
「お待たせしました。特大プププ三盛りパフェです」
「わぁ」
テーブルの上にドンッと君臨するスイーツのボリュームに、開いた口が塞がらない。何これ? 三層になっているプリンの上にこれでもかとクリームが載っていて、そのプリンが思ってた以上に大きい。というか大きすぎない? いや、確かに特大と書いてあったものの、まさかここまでとは。初めてのプリンパフェ記念に一番大きなのを選んじゃったけど、食べられるかな?
何はともあれ、まずは一口。
「頂きます。……うわ!? お、美味しい」
家の格ばかりにこだわるお父様のもとにいた私は、常にテーブルマナーに気を配らねばならず、一人であることを除けば、味自体は高級レストランにも負けない料理をそれなりに食べてきた。
それらに全然負けていない! というか美味しさの種類が違う感じかな。お父様が好む料理が高価な絵だとするなら、こちらは大衆向けに作られた絵巻みたいな? 肩肘張らずに楽しめるのに、お父様みたいな人は幼稚だと切り捨てそうな、そんな味ね。……って、自分で例えてみたけど、この味が幼稚とかあり得ないわ。こんなに美味しいんだもの。
「――アンタね~。また特大で注文したの?」
「だって好きなんだもん」
「だもんって、また私にヘルプ頼むのやめてよね。今ダイエット中なんだからさぁ」
「だいじょ~ぶ。いけるって。このパフェマスターの胃袋を信じなさい」
他のテーブルから聞こえてくる楽しそうな声。……ひょっとしてだけど、このプリンパフェって一人で頼むものじゃなくて、友達と分けるのを前提に作られているのかしら? だとしたらこの大きさも納得だわ。
……ん? つまり私って、普通は一人では食べないようなものを注文しちゃったってこと? 友達とわいわい食べるスイーツを一人寂しくテーブルで食べる女に見られてる? やだ、なんか急に恥ずかしくなってきたわ。
周りのテーブルをそれとなく観察してみる。
私以外にも一人で来ている人はいる。でもやっぱりこのサイズのパフェを食べている人はいない。
あっ、でもあのテーブルの子、友達と一緒だけど私と同じものを一人で食べているわ。うん。やっぱり一人で食べてもおかしくない……って、いけない。私ったらまた周りの目を気にして。
自分がしたいことをすると決めたのに、どうしてすぐに周囲が気になっちゃうんだろう? せっかくメルルさん達のおかげでプリンパフェを食べる勇気が出たのに。
よし。もう周りのことなんて気にしない。私は純粋にこのプリンパフェを楽しんでやるんだ。さぁ、スプーンを持つのよ私。注文は既に終わっているのだから。
魔法の修業で培った集中力を総動員して周囲の雑音をシャットアウトし、私は純粋にスイーツを楽しむことにした。夢にまで見たプリンパフェは本当に美味しくて、美味しくて、美味しいけれども……
「お、多い」
さ、流石にキツイ。どうしよう? 残そうかな。でもこれはただのプリンパフェじゃない。人生初のプリンパフェなのだ。できれば食べたい。ああ、ここにメルルさん達がいてくれたなら、ちょっと手伝ってあげるね。とか。私の分も食べてみる? とか。そういうやり取りができたのかもしれない。……やってみたいわ、そういうの。そのためにも次のお茶会は絶対に失敗できない。お店に戻ったら早速部屋に魔法文字を設置して、いつでもアリリアナさんと連絡を取り合えるようにしなくちゃ。いずれはセンカさんやメルルさんとも。その前にこ、このプリンパフェを――
「無理ならやめておけば?」
「う、ううん。食べられる。絶対食べられるから。ちょっとコーヒーのお代わりしてくるわ」
あのテーブルの子達の会話が耳に入る。コーヒーのお代わり? そうか。その手があったのか。甘いものにコーヒーは合う。これは真理よ。いける。いけるわ。
私はコーヒーの魔法瓶が置いてあるカウンターに移動した。店員さんに聞いたところ、あらかじめ料金を払えば自由にお代わりできる仕組みのようだ。いちいち給仕の人に言わなくてもいいなんてすっごく便利。
コーヒーを入れていると、私と同じく一人で特大プリンパフェに挑戦している子が隣に来る。
私が彼女を意識していたように、彼女も私を意識していたみたいで、カップに並々注いだコーヒーを片手に彼女は唐突に親指を立てた。
「頑張りましょう」
それだけ言って自分のテーブルに戻っていくパフェマスター。
それは会話というにはあまりにも短いやり取り。でもそれがとても嬉しくて、私は席に戻り根性で特大のプリンパフェを完食した。
「――それで無理してパフェを食べたから気分が悪いってわけかい」
お店に戻るなりベッドに倒れ込んだ私を見て、オオルバさんが呆れたようにため息をつく。あまりの恥ずかしさに頭から被っていた布団を、私は少しずらした。
「ご、ごめんなさい」
「謝ることじゃないけどね。外出から戻るなりお腹を押さえてベッドに入るんで何事かと思ったよ」
プカプカと宙に浮くオオルバさんはキセルを取り出す。けれど、口に咥える寸前で思い直したようにそれを仕舞った。
「あの、別に吸ってもらって構いませんよ」
何でも形から入るお父様は、貴族の義務とばかりに葉巻を吸っていた。だから特別好きというわけではないものの、私は煙の匂い自体に慣れている。
「ふん。ここは今、嬢ちゃんの部屋だからね。私の部屋ならともかく、吸わない奴の部屋で吸うつもりはないよ」
「そうですか? それじゃあ……」
吸ってみるのもありかもしれない。正直何が美味しいのか想像がつかないが、これだけ吸う人が多いのだ。吸ってみたら、そのよさが分かるかもしれない。
「嬢ちゃんが何を考えてるのか予想がつくから忠告しておくけどね。やめときな。別に悪いもんだと言う気はないが、嬢ちゃんには多分合わないよ」
「そうですか?」
「そうなんだよ。まぁ嬢ちゃんだってもう働ける年齢だ。最終的には自分で決めればいいし、色々なものにチャレンジしようとしてるのは、いいことだと思うよ。でもね、チャレンジしない勇気。いや、チャレンジしないチャレンジってのがあってもいいと私は思うけどね」
「チャレンジしない、チャレンジですか」
何となく伝わりそうで、やっぱりよく分からない言葉だ。オオルバさんはノリで喋る時がたまにある。今も適当なことを言っているだけなのかもしれない。だけど――
「……よく分かりませんけど、オオルバさんがそこまで言うならやめておきます」
ちょっと好奇心が顔を覗かせただけで、元々吸いたいと思っていたわけじゃない。あんなに美味しいスイーツでさえ量を間違えると苦しくなる。忠告を無視してまで吸おうとは思わなかった。
「そうしておきな。それよりも二階に上がる前に何か言いかけてなかったかい?」
「あっ。そうでした。魔法文字を設置したいんですが、いいでしょうか?」
「今は嬢ちゃんの部屋だと言ったろ。そんなこといちいち聞くんじゃないよ。……でもまぁ、ドロシー嬢ちゃんにもちゃんと連絡を取り合う相手がいるようで安心した。どれ、文字と板を持ってくるからちょっと待ってな」
一階がお店なだけあって、オオルバさんはすぐに戻ってきた。
「ほら、文字色は三色あるから好きなのを使いな。ボードはこれならタダであげるよ」
「タダなんて悪いですよ。ちゃんとお金払います」
「これくらいいいんだよ。気にせず受け取りな」
「いえ、でも……」
「でも、何だい?」
ギロリと睨まれる。オオルバさんって体が小さいのに、こう言う時の迫力が凄い。
「な、何でもないです」
「ふん。それよりも使い方は分かるのかい……ってこれは聞くまでもないか」
「あ、はい。それは大丈夫です」
とは言っても授業で使ったことがあるだけで、プライベートで使用したことはない。連絡を取り合う友達がいなかったし、新しいものを嫌うお父様は、人との連絡に手紙か式神しか用いないため、家に板自体がなかった。
「それじゃあ私は夕食の準備をするよ。その様子なら、今夜はサラダを少しでいいね」
「えっ!? い、いえそんな。朝食だけじゃなく夕食まで作ってもらうなんて悪いですよ」
「私が嬢ちゃんと食べたい気分なんだよ。それともババアとは食べたくないかい? 残念だけどそれなら諦めるよ」
「そ、そんなことはないですよ!? あり得ないですからね。全然。本当に」
「なら決まりだね。まだ夕飯までそこそこ時間がある。……どうだい? その間、他にやることがないなら仕事覚えてみるかい?」
その提案に自分でも驚くくらい心が躍る。
「はい。是非」
「よし。決まりだね。私は先に夕食の準備をしてくる。嬢ちゃんはそれまで体を休めておきな」
そう言ってオオルバさんは部屋を出ていった。
「……仕事かぁ」
メルルさんも、センカさんも、アリリアナさんも働いている様子だった。私も働けば、三人と仕事の話で盛り上がれるかもしれない。クラスの子達がよく授業の感想を言い合っていたように。
「楽しみ。よし、早速板を設置しよ――うっ!? お、お腹が……」
ベッドを飛び出そうとした私は、どうして自分がベッドにいるのかを思い出して、再び横になったのだった。
***
「まだドロシーは見つからんのか?」
「は、はい。必死に探しているのですが……。ひょっとしたら王都から出たのかもしれません」
「はん。あの無能に街から出て自力で生きていく能力があるわけなかろう。街の中でさえ怪しいものだ。くだらん言い訳してないで、さっさと娘を探し出せ。見つけるまで帰ってくるな。分かったな」
「か、畏まりました」
ちょっと怒鳴っただけだというのに、使用人は項垂れて部屋を出ていく。この私の前であのような情けない姿を見せるとは、誇り高きドロテアの血族に仕えている自覚が足らん証拠だ。
「娘を見つけたら、あいつはクビだな」
まったく、なぜこの私が魔法とは関係のない些事に駆けずり回らなければならないのか。始まりの魔法使いと呼ばれた偉大なる者の血を引くこの私が。
うんざりする。どいつもこいつも私の足を引っ張る愚か者ばかりだ。偉そうにふんぞりかえる王族も、金勘定しか取り柄がない貴族共も、そして無知蒙昧なる平民共も、偉大な血を引くドロテアをどうしてもっと讃えられないのか。何故、偉大なる存在に敬意を払う程度のこともできないのか。
この世界にはあまりにも愚者が多すぎる。奴らは歴史を知らず、歴史から学ぼうとしない。ありがたがるのは金と権力だけ。偉大なる血筋の何たるかをいくら説いたところで、そもそも理解できる頭がないのだ。
だから仕方なく、私が歩み寄るのだ。本来はまったく必要のない王族の称号。それを得るために駆けずり回った。無能な娘にも劣るガキの顔色を窺い、そうしてまとめ上げた婚約。それを、それぉおおおお!!
「ドロシーめ、見つけたらタダでは済まさんぞ」
アリアの足元にも及ばぬ落ちこぼれの分際で、この私の計画をくるわせるとは。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでだったなど。貴族を辞めるだと? 私の庇護なしで貴様のような出来損ないが生きていけると本気で考えたのか。あれの底なしの間抜けさはどうしたことだ。私にまったく似ていない。
おそらくは、アリアに私の因子が全て行き、ドロシーにはあの女の影響が色濃く出たのだろう。
そう、あれの母親も実に愚かな女だった。美しく、優れた魔法使いではあったが、愚民同様歴史を解さぬどうしようもない愚か者だった。
「身の丈にあった生活をしましょう。ドロテア家は確かに偉大な血筋だわ。でもそれはもう昔の話。いいじゃない、過去なんて。私と一緒にこれからを生きましょう」
ドロテア家の偉大さを取り戻すために奔走する私に、あの女は抜け抜けとそう言い放った。もう昔の話? 過去などどうでもいい? 私は何て愚かな女を妻としたのだろうか。あの時ほど自分の選択を悔やんだことはない。
だから追放した。元々素性も確かではない怪しい女。金を握らせ、二度とドロテアの敷居を跨ぐなと追い払った。遊んで暮らせるだけの金を渡したのは、それが高貴な者としての義務だからだ。なのにあの女は、そんな私の寛大さに付け込んで娘達を連れ去ろうとした。私のもとにいても幸せにはなれぬなどと抜かして。
まったく笑わせる。私なら娘達に魔法使いとしての最高の環境を与えてやれる。事実与えた。つまり、私以上に優れた親などどこにも存在しないのだ。
そんなことも分からず、何の役にも立たぬ精神論ばかりをのたまう愚か者は、罪人として牢にぶち込んでやればよかった。
いや、そうしようとしたのだ。
「う、うん。そうだよ。久しぶり、メルルさん」
「やっぱり。驚いちゃった。その、ドロシーさん、凄く変わったから」
言われて髪をバッサリ切ったことを思い出した。ついでに膝が見えるスカートを穿いていることも。メルルさんの視線に、私は思わず体を縮こまらせる。
「え? ドロシーさんって、うわっ、本当だ」
メルルさんと一緒にいた二人、センカさんとアリリアナさんもこっちにやってきた。
「ドロシーさん、イメチェンしすぎでしょ。誰? とか言っちゃった。アハハ、ごめ~ん」
金色のボブヘアーを揺らして笑うアリリアナさん。そんな彼女を、黒髪をポニーテールにしたセンカさんがギロリと睨む。
「アリリアナ、相手は貴族である上に次期王妃だぞ。言葉に気をつけたほうがいい」
「え~。でもクラスメイトじゃん。あっ、もう違うのか。えっと、謝ったほうがいい感じ? ドロシーさん……いや、様?」
「う、ううん。そんな、気にしないで。それにそもそも私、貴族辞めちゃったから。ゲルド王子との婚約も解消しちゃったし、もう次期王妃でもないの。今の私は舞台の配役で言うところの村人A、みたいな? だから気を使う必要なんて一切ないよ。普通に喋ってくれると嬉しいかな、なんて……あはは」
ああ、マズイ。三人のポカンとしたあの顔。何? 何か間違えた? フレンドリーさを全面に出しすぎ? うわ、こいつ必死すぎとか思われていたらどうしよう。貴族らしくもっと優雅な感じで話したほうがよかったかも。でも、もう貴族じゃないし。それに確かセンカさんとアリリアナさんは平民。……あれ? でもメルルさんは貴族だし。ああ、分からないわ。一体何が正解なの? お願いだから黙ってないで何か言ってちょうだい。
「アハハ! 笑える。何? 何? ドロシーさんってそういう冗談言う人だったんだ。めっちゃ意外。でもその辺の貴族にはないその笑いのセンス、嫌いじゃないぜ」
ビシッと親指を立てるアリリアナさん。そんな彼女に対して、隣にいるメルルさんがニッコリと微笑んだ。
「ゴメンね、アリリアナちゃん。その辺の貴族で」
「こわっ。その笑みこわっ。センカ、どうしよう。メルルがブラックメルルに変身しちゃった」
「お前が余計なことを言うからだろう。それとドロシー様、冗談だと分かっておりますが、身分については過敏な反応をする者が少なくありません。笑いを取るために今のような発言をなさるのは、控えたほうがよろしいかと」
「いや、真面目か!」
「真面目だぞ。相手は将来、主となるお方だ。いらないトラブルに主が巻き込まれる前に苦言を呈するのも臣下の務めだ」
見るからに気心の知れた三人のやり取り。学校でもこの三人はいつも一緒だった。
私にもそんな相手がいればな……ああ、本当に羨ましい。それはともかく――
「いや、あの、冗談じゃない……からね?」
「え? それってドロシーさん、お話のどの部分が?」
「分かった。王妃の部分だ。つまり王子との電撃破局。明日の伝達絵巻の一面はこれで間違いなしね」
「そうなのですか? ドロシー様」
「いや、そこもだけど、それだけじゃなくて貴族を辞めたとこも。私、王様の前で平民になるって宣言してお城を飛び出しちゃったから。だからもうドロテア家の者ではないし、ましてやゲルド王子の婚約者でもないの」
「「「え?」」」
三人は綺麗に声を揃えると、再びポカンとした顔をした。
ちょっとの間を置いてアリリアナさんが――
「ああ、もう。ドロシーさんの話がメッチャ聞きたいのに、時間が、時間がぁあああ!! ああ、できることなら学生に戻りたい。誰か時間を巻き戻せる魔法をプリーズ。メルル?」
ポカンとした顔から一転して頭を掻きむしったかと思えば、メルルさんの肩をこれでもかと揺さぶる。
「ごめんねアリリアナちゃん。その辺の貴族でしかない私にはそんな大魔法、ちょっと無理かな」
「貴族ではないが、右に同じく。そもそも時間の逆行なんて大魔法、実在するのかも疑わしい。歴史上扱えたとされた者達も殆どが箔をつけるのが目的で……このあたりは授業で習っただろう」
「夢も希望もないお話をありがとう。ドロシーさんは? 時間をパパッと戻せちゃうような魔法、使えない感じ?」
アリリアナさんが私の両手を掴んで潤んだ瞳で見つめてくる。……えっと、これは冗談で言ってるんだよね? 小粋なジョークでも返したほうがいいのかしら? そうしたら、面白い人と思って友達になってくれるかもしれないわ。よし。言うわよ。クラスの子達が言っていたような、笑いを誘う面白いことを……ことを……こと、を……
「………………ごめん。無理かな」
何も思いつかなかった。結局出たのは何の面白みもない台詞だ。はぁ、どうして私ってこうなんだろ。
「だよね。アハハ。仕方ないか。それじゃあ労働が呼んでる感じなんで、私は行くわ」
アリリアナさんは親指を立てると、未練なさげに私に背を向けた。
遠くなっていく元クラスメイトの背中。これでお別れかと思うと残念すぎて泣けてくる。もしもまだ私達がクラスメイトなら、明日話しかけるきっかけになったのに。どうしてこんな展開を在学中に起こせなかったのだろ。勉強に捧げた時間を後悔したくない。したくないのに――
「あっ、そうだ」
「え?」
その時、何の前触れもなく、アリリアナさんが振り返った。
「せっかくなんだしドロシーさん、今度一緒にお茶しない?」
「うん。……って? へっ!? わ、私と?」
「そう。駄目な感じ?」
「だ、駄目じゃない。全然。むしろお茶したくてたまらない。うん。しよう。お茶。絶対。是非」
「おお。嬉しいこと言ってくれるね。またドロシーさんの意外な一面を知れた気分です。それじゃあこれ、私の連絡先。手紙でもいいし、魔法文字でもいいから、後で遊べる日にちを教えてね」
「う、うん。絶対連絡するから」
「オッケー。待ってる! それじゃまたね」
手を振りながら去っていくアリリアナさん。私は彼女が見えなくなるまで手をブンブンと振り続けた。
……う、嘘みたいだ。私の手に友達の連絡先がある。
友達? 友達って言ってもいいのかな? それともまだ早い? 知人と友人の線引きってどこからなんだろう。いや、それよりも大切なのはこれからだ。これをどう発展させればいいか。後で友人関係について書かれた本を探さなきゃ。うん、そうしよう。
「騒がしい奴だ。申し訳ありません、ドロシー様。ですが、気安すぎるところはあっても決して悪い奴ではありません。もしもお気に障ったようでしたら後で私から言っておきますので、とりあえず今日のところはアリリアナの無礼を大目に見ていただければ助かります」
「え? ぶ、無礼なんて。そんなことないからね。凄く嬉しかったし。それと私に敬語は必要ないよ。本当にもう貴族じゃないの」
「……そうですか。いや、そうか。なら、一ついいだろうか」
「うん。何でも言って。まぁ、今の私にできることなんてあんまりないけど」
むしろちゃんと働いているセンカさん達のほうが、できることは多いだろう。オオルバさんの提案は嬉しかったが、週に二回って話だし……魔法店以外にも仕事を探したほうがいいかもしれない。
「いや、そんなに大したことではないんだ。アリリアナとのお茶会、私も参加していいだろうか?」
「えっ!? う、うん。それは勿論」
「はい! 私も参加したいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええっ!?」
手をビシッと上げたメルルさん。私にとって願ったり叶ったりな展開に、思わず声が出る。
「あれ、ひょっとして駄目だったかな?」
「う、ううん。そんなことない。そんなことないよ」
むしろ大歓迎だ。
「よかった。実はドロシーさんとは、ゆっくりお話してみたかったの」
「わ、私もメルルさんとお話ししたいと思ってたわ。あっ、勿論、センカさんやアリリアナさんともね」
「本当? 嬉しいな」
「私もだ。だがすまない。そろそろ休み時間が終わる。もう行かなければならない。アリリアナに連絡してくれれば私にも伝わるので、お茶会の時にゆっくり話そう。私の連絡先もその時に渡す」
「う、うん。楽しみにしてる」
「ああ、私もだ。メルルはまだ時間大丈夫なのか?」
「ううん。私もそろそろ行かないと。それじゃあドロシーさん、また今度」
「うん。ま、またね」
またね。そう言ってクラスメイトと別れる。こ、こんな出来事が私に訪れるなんて。これだけでもお父様のもとを離れた甲斐があったわ。
嬉しさが込み上げてきて、いても立ってもいられなくなった。
「よし。入ってみよう」
一度は諦めかけたプリンパフェにチャレンジしたくなる。
私はおっかなびっくりとお店に入り、多種多様なスイーツの中から目的のものを注文した。
「お待たせしました。特大プププ三盛りパフェです」
「わぁ」
テーブルの上にドンッと君臨するスイーツのボリュームに、開いた口が塞がらない。何これ? 三層になっているプリンの上にこれでもかとクリームが載っていて、そのプリンが思ってた以上に大きい。というか大きすぎない? いや、確かに特大と書いてあったものの、まさかここまでとは。初めてのプリンパフェ記念に一番大きなのを選んじゃったけど、食べられるかな?
何はともあれ、まずは一口。
「頂きます。……うわ!? お、美味しい」
家の格ばかりにこだわるお父様のもとにいた私は、常にテーブルマナーに気を配らねばならず、一人であることを除けば、味自体は高級レストランにも負けない料理をそれなりに食べてきた。
それらに全然負けていない! というか美味しさの種類が違う感じかな。お父様が好む料理が高価な絵だとするなら、こちらは大衆向けに作られた絵巻みたいな? 肩肘張らずに楽しめるのに、お父様みたいな人は幼稚だと切り捨てそうな、そんな味ね。……って、自分で例えてみたけど、この味が幼稚とかあり得ないわ。こんなに美味しいんだもの。
「――アンタね~。また特大で注文したの?」
「だって好きなんだもん」
「だもんって、また私にヘルプ頼むのやめてよね。今ダイエット中なんだからさぁ」
「だいじょ~ぶ。いけるって。このパフェマスターの胃袋を信じなさい」
他のテーブルから聞こえてくる楽しそうな声。……ひょっとしてだけど、このプリンパフェって一人で頼むものじゃなくて、友達と分けるのを前提に作られているのかしら? だとしたらこの大きさも納得だわ。
……ん? つまり私って、普通は一人では食べないようなものを注文しちゃったってこと? 友達とわいわい食べるスイーツを一人寂しくテーブルで食べる女に見られてる? やだ、なんか急に恥ずかしくなってきたわ。
周りのテーブルをそれとなく観察してみる。
私以外にも一人で来ている人はいる。でもやっぱりこのサイズのパフェを食べている人はいない。
あっ、でもあのテーブルの子、友達と一緒だけど私と同じものを一人で食べているわ。うん。やっぱり一人で食べてもおかしくない……って、いけない。私ったらまた周りの目を気にして。
自分がしたいことをすると決めたのに、どうしてすぐに周囲が気になっちゃうんだろう? せっかくメルルさん達のおかげでプリンパフェを食べる勇気が出たのに。
よし。もう周りのことなんて気にしない。私は純粋にこのプリンパフェを楽しんでやるんだ。さぁ、スプーンを持つのよ私。注文は既に終わっているのだから。
魔法の修業で培った集中力を総動員して周囲の雑音をシャットアウトし、私は純粋にスイーツを楽しむことにした。夢にまで見たプリンパフェは本当に美味しくて、美味しくて、美味しいけれども……
「お、多い」
さ、流石にキツイ。どうしよう? 残そうかな。でもこれはただのプリンパフェじゃない。人生初のプリンパフェなのだ。できれば食べたい。ああ、ここにメルルさん達がいてくれたなら、ちょっと手伝ってあげるね。とか。私の分も食べてみる? とか。そういうやり取りができたのかもしれない。……やってみたいわ、そういうの。そのためにも次のお茶会は絶対に失敗できない。お店に戻ったら早速部屋に魔法文字を設置して、いつでもアリリアナさんと連絡を取り合えるようにしなくちゃ。いずれはセンカさんやメルルさんとも。その前にこ、このプリンパフェを――
「無理ならやめておけば?」
「う、ううん。食べられる。絶対食べられるから。ちょっとコーヒーのお代わりしてくるわ」
あのテーブルの子達の会話が耳に入る。コーヒーのお代わり? そうか。その手があったのか。甘いものにコーヒーは合う。これは真理よ。いける。いけるわ。
私はコーヒーの魔法瓶が置いてあるカウンターに移動した。店員さんに聞いたところ、あらかじめ料金を払えば自由にお代わりできる仕組みのようだ。いちいち給仕の人に言わなくてもいいなんてすっごく便利。
コーヒーを入れていると、私と同じく一人で特大プリンパフェに挑戦している子が隣に来る。
私が彼女を意識していたように、彼女も私を意識していたみたいで、カップに並々注いだコーヒーを片手に彼女は唐突に親指を立てた。
「頑張りましょう」
それだけ言って自分のテーブルに戻っていくパフェマスター。
それは会話というにはあまりにも短いやり取り。でもそれがとても嬉しくて、私は席に戻り根性で特大のプリンパフェを完食した。
「――それで無理してパフェを食べたから気分が悪いってわけかい」
お店に戻るなりベッドに倒れ込んだ私を見て、オオルバさんが呆れたようにため息をつく。あまりの恥ずかしさに頭から被っていた布団を、私は少しずらした。
「ご、ごめんなさい」
「謝ることじゃないけどね。外出から戻るなりお腹を押さえてベッドに入るんで何事かと思ったよ」
プカプカと宙に浮くオオルバさんはキセルを取り出す。けれど、口に咥える寸前で思い直したようにそれを仕舞った。
「あの、別に吸ってもらって構いませんよ」
何でも形から入るお父様は、貴族の義務とばかりに葉巻を吸っていた。だから特別好きというわけではないものの、私は煙の匂い自体に慣れている。
「ふん。ここは今、嬢ちゃんの部屋だからね。私の部屋ならともかく、吸わない奴の部屋で吸うつもりはないよ」
「そうですか? それじゃあ……」
吸ってみるのもありかもしれない。正直何が美味しいのか想像がつかないが、これだけ吸う人が多いのだ。吸ってみたら、そのよさが分かるかもしれない。
「嬢ちゃんが何を考えてるのか予想がつくから忠告しておくけどね。やめときな。別に悪いもんだと言う気はないが、嬢ちゃんには多分合わないよ」
「そうですか?」
「そうなんだよ。まぁ嬢ちゃんだってもう働ける年齢だ。最終的には自分で決めればいいし、色々なものにチャレンジしようとしてるのは、いいことだと思うよ。でもね、チャレンジしない勇気。いや、チャレンジしないチャレンジってのがあってもいいと私は思うけどね」
「チャレンジしない、チャレンジですか」
何となく伝わりそうで、やっぱりよく分からない言葉だ。オオルバさんはノリで喋る時がたまにある。今も適当なことを言っているだけなのかもしれない。だけど――
「……よく分かりませんけど、オオルバさんがそこまで言うならやめておきます」
ちょっと好奇心が顔を覗かせただけで、元々吸いたいと思っていたわけじゃない。あんなに美味しいスイーツでさえ量を間違えると苦しくなる。忠告を無視してまで吸おうとは思わなかった。
「そうしておきな。それよりも二階に上がる前に何か言いかけてなかったかい?」
「あっ。そうでした。魔法文字を設置したいんですが、いいでしょうか?」
「今は嬢ちゃんの部屋だと言ったろ。そんなこといちいち聞くんじゃないよ。……でもまぁ、ドロシー嬢ちゃんにもちゃんと連絡を取り合う相手がいるようで安心した。どれ、文字と板を持ってくるからちょっと待ってな」
一階がお店なだけあって、オオルバさんはすぐに戻ってきた。
「ほら、文字色は三色あるから好きなのを使いな。ボードはこれならタダであげるよ」
「タダなんて悪いですよ。ちゃんとお金払います」
「これくらいいいんだよ。気にせず受け取りな」
「いえ、でも……」
「でも、何だい?」
ギロリと睨まれる。オオルバさんって体が小さいのに、こう言う時の迫力が凄い。
「な、何でもないです」
「ふん。それよりも使い方は分かるのかい……ってこれは聞くまでもないか」
「あ、はい。それは大丈夫です」
とは言っても授業で使ったことがあるだけで、プライベートで使用したことはない。連絡を取り合う友達がいなかったし、新しいものを嫌うお父様は、人との連絡に手紙か式神しか用いないため、家に板自体がなかった。
「それじゃあ私は夕食の準備をするよ。その様子なら、今夜はサラダを少しでいいね」
「えっ!? い、いえそんな。朝食だけじゃなく夕食まで作ってもらうなんて悪いですよ」
「私が嬢ちゃんと食べたい気分なんだよ。それともババアとは食べたくないかい? 残念だけどそれなら諦めるよ」
「そ、そんなことはないですよ!? あり得ないですからね。全然。本当に」
「なら決まりだね。まだ夕飯までそこそこ時間がある。……どうだい? その間、他にやることがないなら仕事覚えてみるかい?」
その提案に自分でも驚くくらい心が躍る。
「はい。是非」
「よし。決まりだね。私は先に夕食の準備をしてくる。嬢ちゃんはそれまで体を休めておきな」
そう言ってオオルバさんは部屋を出ていった。
「……仕事かぁ」
メルルさんも、センカさんも、アリリアナさんも働いている様子だった。私も働けば、三人と仕事の話で盛り上がれるかもしれない。クラスの子達がよく授業の感想を言い合っていたように。
「楽しみ。よし、早速板を設置しよ――うっ!? お、お腹が……」
ベッドを飛び出そうとした私は、どうして自分がベッドにいるのかを思い出して、再び横になったのだった。
***
「まだドロシーは見つからんのか?」
「は、はい。必死に探しているのですが……。ひょっとしたら王都から出たのかもしれません」
「はん。あの無能に街から出て自力で生きていく能力があるわけなかろう。街の中でさえ怪しいものだ。くだらん言い訳してないで、さっさと娘を探し出せ。見つけるまで帰ってくるな。分かったな」
「か、畏まりました」
ちょっと怒鳴っただけだというのに、使用人は項垂れて部屋を出ていく。この私の前であのような情けない姿を見せるとは、誇り高きドロテアの血族に仕えている自覚が足らん証拠だ。
「娘を見つけたら、あいつはクビだな」
まったく、なぜこの私が魔法とは関係のない些事に駆けずり回らなければならないのか。始まりの魔法使いと呼ばれた偉大なる者の血を引くこの私が。
うんざりする。どいつもこいつも私の足を引っ張る愚か者ばかりだ。偉そうにふんぞりかえる王族も、金勘定しか取り柄がない貴族共も、そして無知蒙昧なる平民共も、偉大な血を引くドロテアをどうしてもっと讃えられないのか。何故、偉大なる存在に敬意を払う程度のこともできないのか。
この世界にはあまりにも愚者が多すぎる。奴らは歴史を知らず、歴史から学ぼうとしない。ありがたがるのは金と権力だけ。偉大なる血筋の何たるかをいくら説いたところで、そもそも理解できる頭がないのだ。
だから仕方なく、私が歩み寄るのだ。本来はまったく必要のない王族の称号。それを得るために駆けずり回った。無能な娘にも劣るガキの顔色を窺い、そうしてまとめ上げた婚約。それを、それぉおおおお!!
「ドロシーめ、見つけたらタダでは済まさんぞ」
アリアの足元にも及ばぬ落ちこぼれの分際で、この私の計画をくるわせるとは。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでだったなど。貴族を辞めるだと? 私の庇護なしで貴様のような出来損ないが生きていけると本気で考えたのか。あれの底なしの間抜けさはどうしたことだ。私にまったく似ていない。
おそらくは、アリアに私の因子が全て行き、ドロシーにはあの女の影響が色濃く出たのだろう。
そう、あれの母親も実に愚かな女だった。美しく、優れた魔法使いではあったが、愚民同様歴史を解さぬどうしようもない愚か者だった。
「身の丈にあった生活をしましょう。ドロテア家は確かに偉大な血筋だわ。でもそれはもう昔の話。いいじゃない、過去なんて。私と一緒にこれからを生きましょう」
ドロテア家の偉大さを取り戻すために奔走する私に、あの女は抜け抜けとそう言い放った。もう昔の話? 過去などどうでもいい? 私は何て愚かな女を妻としたのだろうか。あの時ほど自分の選択を悔やんだことはない。
だから追放した。元々素性も確かではない怪しい女。金を握らせ、二度とドロテアの敷居を跨ぐなと追い払った。遊んで暮らせるだけの金を渡したのは、それが高貴な者としての義務だからだ。なのにあの女は、そんな私の寛大さに付け込んで娘達を連れ去ろうとした。私のもとにいても幸せにはなれぬなどと抜かして。
まったく笑わせる。私なら娘達に魔法使いとしての最高の環境を与えてやれる。事実与えた。つまり、私以上に優れた親などどこにも存在しないのだ。
そんなことも分からず、何の役にも立たぬ精神論ばかりをのたまう愚か者は、罪人として牢にぶち込んでやればよかった。
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