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16.調査と来訪者

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「本当に一人で行く気なのか?」

 共存村と呼ばれる村の中央に存在する一番大きな館、中央館。そこで人魔それぞれのリーダーが先日起きた異常、その対応について話し合っていた。

「仕方あるまい。あのレベルが相手となると半端な数では意味をなさない。かといって調査に村の全兵力を割くわけにも行くまい」

 机の上で書類仕事をしながらそう応えるのは黒いドレスに身を包んだ吸血鬼グラシデア。彼女の夫であり、辺境の人間達の年若きリーダーである刀次郎は、日頃の落ち着いた振る舞いを忘れ去った荒々しさで、ドン! と机に手をついた。

「ならば俺も君と共に行く。構わないな?」
「たわけ。それでは村の戦力がガタ落ちであろうが。妾達が村に戻った時、子供達が獣共の牙に掛かっていたらどうする気だ」
「戦えるのは俺達だけじゃない。村の皆も今や立派な戦士だ」
「確かにの。だが装備の問題はどうする? 戦士とて剣がなければ只人よ。先日のような幻獣が現れた時、今の村の装備では大勢の犠牲が出るぞ」

 ごく一部の強者を除いた者達の実力は装備している武器の力で大きく変動する。そして殆どの武器は使用すれば当然摩耗する。

 武器の補給。自給自足が可能な共存村の目下の悩みの種であった。

「それは……だがそれを言うなら君の身になにかあれば、それこそ村はどうなる? 君がいるからこそ人魔の共存は成り立っているんだぞ」
「ふん。何を言っておるか。もう既に妾達がおらずとも村はしっかりやって行ける。似たようなことを以前お主も言っておっただろうが」
「それは早計……いや、そんな理屈はどうでもいい。俺には君が必要なんだ」

 刀次郎に肩を力強く掴まれ、吸血鬼の頬が赤く染まる。

「ふふ。可愛いのう。どれ、久しぶりに味わわせてみい」

 刀次郎の首筋を張った白い指がそのまま男の顎を上へと向けさせる。吸血鬼の口元から伸びた牙が男の首をーー

 コン、コン、コン。

「お母様、今よろしいでしょうか?」
「ふぁ!? お、おう。良いぞ」

 夫婦がパッと体を離すと同時に開かれるドア。そこから現れたのは金色の巻き毛に赤いワンピースを着た幼子とは思えぬほどに整った美貌の少女だった。

「失礼します。……あら、お父様もいらっしゃったのですね」
「ああ。エレミアはどうしてここに?」
「実はお母様に折り入ってご相談がありますの」

 母親とお揃いの赤い瞳に強い意志が宿る。

「珍しいの。何だ? 言ってみるが良い」
「はい。今度お母様が行う予定の調査に私も同行させて欲しいのですわ」

 チラリ、とグラシデアの視線が夫へと向く。その視線いみを正確に理解した刀次郎は首を横にふった。

「まだごく一部の者にしか伝えていなかったはずだが、その情報をどこで知ったのだ?」
「あら、先日起こった魔力騒動とお母様の性格を考えればこれくらい容易に想像が尽きますわ」

 数日前、幻想山脈のどこかで巨大な魔力の発生が確認された。あまりにも巨大で殆どの者は逆に気付かなかったが、気付けた腕利きの中には、伝説の幻獣とその魔力を結びつけて錯乱する者が出て、一時村は軽い混乱に包まれた。

「お前は本当に十とは思えぬほどに賢しいの」
「お母様の子供ですので」
「ふふ。刀次郎、妾達の娘は将来が楽しみだの」
「そうだな。確かに楽しみだ」

 両親達が微笑むのを見て、エレミアはパッと顔を明るくした。

「ではーー」
「だが、これとそれとは話が別だ。今回の調査は妾一魔で行う。同行は許さん」
「なっ!? お母様だけで? 何故そんな危険を。せめてお父様を連れて行くべきでは?」
「そうだ。俺も連れていくべきだ。いや、連れて行け」

 夫と娘に詰め寄られて、少しだけグラシデアはたじろいだ。

「こ、今回は討伐でなく調査が主目的だからだ。正直なところ、あんな馬鹿げた魔力を放つ生物を討伐するのはこの村の戦力では至難。だが霧になれる妾一魔だけならば遭遇しても逃げる事はできよう。いや、妾だけでなければ逃げきれまい。今回の相手はそう言う相手だ」

 理屈が味方するグラシデアの言葉に、夫も娘も何も言い返すことが出来ずに悔しげに俯いた。

「そんな顔をするでない。お主らに村の防衛を任せるからこそ、妾も自由に動くことができるというもの。妾の愛しい旦那様、そして愛娘よ。ここは妾に従ってはくれんか?」
「……分かった。だが絶対に無理をするんじゃないぞ」
「うむ。エレミアも良いな?」
「……お母様がそういうのでしたら」

 言葉とは裏腹に明らかに納得していない様子の娘を見て吸血鬼は苦笑した。そうしてこの日からグラシデアは自分が不在の際の魔族代表に引き継ぎを行い、村を放棄する最悪のケースについて村の顔役達と何日も話しあった。

 そしていよいよ明日、グラシデアが調査の為に幻想山に入るという時だーー

「なんじゃと? 子連れの魔族が?」

 明日の別れを惜しむ家族の団欒を邪魔されたグラシデアの声には、隠しきれない検が含まれていた。

「は、はい。突然村にやってきて代表に合わせろと」
「妻が魔王軍の軍団長であることを伝えたのか?」

 同族でも恐れる吸血鬼の怒り、それを前にすっかり恐縮してしまっている人間どうほうを気遣い、刀次郎が話に割って入った。

「もちろんです。しかし妙な女でそれなら都合がいいと喜んでいました」

 顔を見合わせるグラシデアと刀次郎。

「まさか相手も軍団長か?」
「ありえるの。でなければ格上の魔族に対して気軽に呼び出しなど出来んじゃろうし、今の幻想山を少人数で抜けて来ることもできんじゃろう。しかしどういうことじゃ? こんな所に軍団長クラスがくるとは、まさか今になって中央から連絡が?」
「あ、いえ。そいつらの話だとなんでも魔王軍を抜けてきたので、しばらく家族で住まわせてくれないかという話でした」
「はぁ? なんじゃそれは? 幾ら中央から忘れられてるとはいえ、仮にも軍団長である妾に言うことではあるまい」

 グラシデアは椅子に深く座り直すと、苛立ちを飲み干すかのようにワインを煽った。

「だが魔王軍から抜けてきたのならば、他の魔族よりは村を見せるリスクは少ないな」
「はぁ、まったく妾の旦那様は甘いの。……それで? その間抜け共の名前はなんじゃ?」
「はい。子供を二人連れていて、母親の方はフラウダ。お供の獣人の方はネココと言うようです」

 パリン! とグラシデアの手の中でグラスが盛大に砕け散った。

「グラシデア? どうかしたのか?」
「ハァハァ……ま、まさか、いや、そんなはずは……ち、ちなみにその母親の方はどんな容姿をしておった?」
「え? かなり珍しい緑色の髪をしてましたね。瞳はグラシデアさんと同じくあーー」
「フ、フラウダ先輩!? 刀次郎、酒だ! 最高級の酒を用意……い、いや。先輩を待たせるわけにはいかん。ああ、それでも……刀次郎。妾の格好は変ではないか? 変な寝癖とかはないよな? なっ? なっ? なっ?」
「あ、ああ。君はいつも通り美しいよ」

 十年以上共に生きてきた、戦友であり妻でもある女の始めてみる一面に刀次郎が若干引いていると、

「ハァハァ……よ、よし、行くぞ。い……アイタッ!?」

 机の角に足をぶつけた吸血鬼が盛大にすっ転んだ。

「……お父様、お母様はどうなさったんですか?」
「さぁ、俺にもよく分からん」

 どんな時も気品を纏った吸血鬼の錯乱に、その夫と娘はただただ首を傾げるのだった。
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